小僧は牛若丸のようなナリをしている。
ただ、わたしに追いかけられて水干の紐は解け、袖は半ば千切れかけて草履も脱げてしまってい、前髪も乱れて額に貼り付いてしどけない。頬を紅に染めて肩で息をしているところなど、魔法少女のわたしが見ても倒錯した色気がある。
七十余年前、北支で似たようなものを見た。
家あれども帰り得ず 涙あれども語り得ず 法あれども正しきを得ず 冤あれども誰にか訴えん
これを辞世の詩とした人物は女であったが、小僧から匂い立つものは同類に感じる。
「わたしを感じて、ここまで追いかけてくるからには人ではないとお見受けいたします。いずれは名のある妖(あやかし)さま……あるいは神仏に通じるお方なのかもしれません。しかし、あえて詮索はいたしませぬ。わたしは蝦蟇上人にお仕えいたす稚児にございます。上人さまは、予てより、その身が弁天様の障りになることを気になされ封じられた蝦蟇石からの退去をお考えでした。このたび、ようやく西国に安在の地を見出し、今夕、この稚児が淵より密かに出立するところであります。江ノ島を茜に染める陽が霊峰富士の向こうに没しますれば、引き潮と共に退散いたしますれば、ここは、ひとえにお目こぼしを、お目こぼしを願い奉りまする。どうか、どうか、この通りでございます……」
そこまで言うと、稚児は平伏する。その肩はわなわなと震えて、いかにも力ない者が運命を握る絶対者に懇願する哀れさを示している。
「そうか、弁天さんに聞いて、よほどのラスボスだろうと思っていた。そうか、それで最後に残った案内札を担いで逃げたんだな」
「はい、貴女様から発せられる気は神つ世の天照大御神、先つ世の神功皇后もかくやという力と神々しさであります。もとより、わたくしなどが手向かい叶うようなお方ではありませぬ。その威に撃たれて逃散いたしましたことは幾重にもお詫びいたします。陽没すれば、主の蝦蟇法師ともども退散つかまつります。どうかどうか……」
「わかったわ、そこまで恭順して頭を下げられては言葉もないわ。ただ、わたしも弁天さんから依頼されているから、退散するところを見届けさせてもらうわ。それでいいかな」
稚児は深々と頭を下げたまま、空中を滑るようにして、いつの間にか現れた船に収まった。船の上には法師姿のシルエットが合掌しながら頭を下げている。あれが蝦蟇法師なんだろう。
船は静かに沖に向かって動き出し、数分の後に闇に没した。
それは……やられましたね
いい気分で戻ると、児玉屋は懐かし色に戻っていて、弁天さんは八音の姿で出迎えてくれ、可笑しそうに宣告した。
「やられた……?」
「はい、簡単に引き下がるような蝦蟇じゃありません。だいいち、本来の蝦蟇に会うには大潮の日の干潮時、江ノ島と陸との間に最大のトンボロ( 陸繋砂州)が現れた時です。えーと、明日が満月だから五日後ですね」
「じゃ、わたしが見たのは?」
「蝦蟇の目くらましです」
「あの稚児は?」
「えと……蝦蟇が、自分の体の一部を使って見せた……パペットのようなものです」
「体の一部?」
「マヂカさんが見た船が蝦蟇の本体。で、蝦蟇は普通のカエルと同じで前向きにしか進めないわ」
「えーーーーということは、わたしは蝦蟇の尻を追いかけていたというわけか?」
「はい、で、その稚児の名前は聞いた?」
名前? 一方的に話を聞いていたので、つい名前は聞きそびれてしまった。
「それは残念。妖を見せるところが一番弱点なんですよ。名前さえ聞いていれば、次に会った時は名前を呼んでやれば、蝦蟇はその弱点を見せざるを得ないんです……ごめんなさいね、スマホにかまけて、そういうところの話が出来なくて」
「いいよ、こんど会った時は、もうコテンパンにやっつけるから!」
「よろしくお願いします」
かくして、勝負は四日後につけることになったのだ。