大橋むつおのブログ

思いつくままに、日々の思いを。出来た作品のテスト配信などをやっています。

かの世界この世界:02『グシャ!』

2020-07-07 06:38:22 | 小説5

:02

『グシャ!』     

 

 

 キャーーーーーーーーーー!!

 

 昇降口が悲鳴に満ちる! 

 冴子は、標本箱の昆虫のように傘に貫かれて四つん這いになっていたけど、すぐに横倒しになって胸と口からおびただしい血をあふれさせた。それは、瞬くうちに床に広がって、近くに居た生徒たちをのけ反らせた。騒ぎは昇降口の外にまで広がり、異変に気付いた先生や警備員の気配がし始める。

 どきなさい! 外へ出ろ! うっ! これは! 見るんじゃない! 救急車!

 怒声が背後で弾ける。

「ち、違う! 違うんです!」

 そこを動くな! 凶器は!?

「ち、ちが! 違うんです!」

 来んな! 動くな!

「だから、ちが……!」

 あとが続かず、腰を浮かせたかと思うと、勝手に足が動き、動いた先の人波が開いて、わたしは逃げる。

 逃げたって、しでかした惨事が戻るわけでもなく逃げ切れるわけでもない、逃げてもなにも解決しない、そうなんだけども目の前の恐怖から逃げようという感性が、突き飛ばすように、わたしを前に押しやる。

 待ちなさい寺井! 

 冷静さを取り戻した先生の叫び。停まるわけがない、足はもつれながらも速度を増す。

 正門方向に走るが、恐怖と憎悪の混ざった視線が突き刺さって方向転換、植え込みを超えて中庭へ。

 逃げるな! 停まれ!

 中庭に面する校舎の廊下と、正門の方角から先生たちの怒声。

 まっすぐ行けば外界と分かつ三メートルあまりの塀、左は獄卒と化した教師や警備員たちが植え込みや花壇を乗り越えてきつつある。

 

 右手の旧館に飛び込む。

 

 なんの考えもない。追い詰められた動物が、ただただ逃げ場を求めているだけだ。

 跳び込んだまま廊下を突き進む。

 入学して間もなく冴子と探検に来た。

 設備上教室として使えない旧館は倉庫の他、わずかに部室として使われている。数年前に部室棟が出来てからは、多くのクラブがそっちに移り、今はほとんど残っていない。数年先には取り壊しの予定になっている。

 だめだ、廊下の先は行きどまり!

 探検した時の記憶が弾け、身を翻して階段を駆け上がる。

 むろん上がった先には屋上があるきりで逃げ場はない。

 

 バーーーン!

 

 階段室のドアに体当たりして開ける。

 三歩も進めば屋上の淵だ。

 足許に古いケーブルがわだかまっている。

 解体の準備作業にでも使うんだろうか、そいつを拾うと観音開きのドアノブをグルグルに巻く。

 何秒か、何分かは時間が稼げる。

 

 開けろ! そこに居るのは分かってる! 寺井! 開けろ!

 

 稼いだ分、心がさいなまれるだけ。体どころか思考までブルブルと震え出す。

 もう、永遠に逃げるしかない。

 屋上の淵に立ち、飛び降りて十六年の人生と共に、この状況を終わらせるしかないと思う。

 わたしはプールでも飛び込みが出来ない。

 でも、足から飛び降りればスカートがお猪口になった傘のように翻り、みっともないことこの上ない。

 

 できるかなあ、頭からの飛び込み……。

 

 中学で水泳部だった冴子、その冴子の美しい飛び込みのフォームを思い浮かべる。

 息を整えて三つ数えるんだよ。

 そう教えてもらったけど、一度も出来なかった。

 一…… 二…… 三……GO!

 

 フワリと浮遊感、できた、頭が下になってるよ、冴子……あ、わたしが殺したんだ。殺すつもりじゃなかったんだよ。

 十六年の人生が動画の百倍速みたいに流れて行くよ……

 

 グシャ!

 

 頭蓋骨が砕ける音がした……。

 

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あたしのあした・46『雲母城の残念石』

2020-07-07 05:53:01 | ノベル2

・46
『雲母城の残念石』
      


 

 雲母城には腹切丸という郭がある。

 ジョギングや観光コースからは離れていて、秘密の話をするのにはピッタリなのだ。

「風間さんに娘さんがいるとは思わなかったわ」
 驚きの中に温もりの籠った声で返事が返って来た。
「戸籍には入っていません。父がこういうことにならなければ……そして、今日、偶然にお会いすることがなければ名乗り出ることは無かったと思います」
「嬉しいわ、風間さんはパーフェクトな秘書だけど、なんというかパーフェクトすぎて、ちょっと寂しかった……そうなんだ……お名前は?」
「田中恵子と申します」
「そう、恵子ちゃん……風間さんが付けたのね」
「え、あ、はい」
 とりあえず頷いておく。この身体が田中恵子であるのは偶然なのだけれど、考えれば、わたしに娘が居たとしたら付けそうな堅実な名前だ。名前だけで感動するとは……やはり、さやかは心根の優しい人間なのだと鼻の奥がツンとする。
「なにか困ったこととかないのかしら? ……風間さん、あんな具合だから」
「それは……えと……覚悟しています。覚悟しているから、春風さんに声を掛けなきゃって思ったんです」
「どういうことかしら?」
 さやかは傍らの、ちょうどベンチ程の石に腰かけた。無意識の行動なんだけれど、非常な親近感を持った現れだ。
 並んで腰かけるが言葉が出てこない。わたしがこれから言おうとしていることは、ひどく突拍子もなく際どいことなのだ。

「えと……この石って残念石って言うんです」

「え?」
「いま二人で腰かけてる……他にも似たようなのが転がってますでしょ」
「あ……そう言えば」
 周囲に目を向けると、軽自動車程のものからクーラーボックスほどの大きさのものまで、いろんなサイズの石が転がっている。
「石垣の修復をして石を元通りに組み直しても、余ってしまう石が残るんです。それを残念石と呼ぶんです、お父さんが教えてくれました」
「この石が……」
「昔の石組みが、いかに精緻で堅牢だったかを示すものなんです。いまの技術では、どうしても残ってしまうんだそうです。いつか時代が過ぎて技術が向上したときに戻せるように転がしてあるんだそうです」
「そうなんだ、風間さんらしい含みのあるお話しね」
「人にも残念石のような存在というか時期というかがあるんだそうです」
「人に?」
「えと、連休のころに、この腹切丸に散歩にきて教えてもらったんです。遠まわしに励ましてくれたんだと思います」
「それって、あなたのことを認知できないことの……」
「あ、言い訳じゃりません。人が生きていくうえでの覚悟みたいなつもりで言ったんだと思います、そのころのわたしって凹んでましたから。えと、こんな話じゃなくて」
「そうね、わたしも、あんまり時間が無いから」
「父は、さやかさんのことをずいぶん心配してました、政務活動費や二重国籍のことやら」

「え?」

「父は、全て第一秘書である自分の不手際で説明がつくようにしておきました。でも、父が倒れてからの春風さんは説明をし過ぎました。もうご自分が関与していなかったとは言えない事態です」
「どういうお話しなのかしら、急な展開で着いていけないんだけれど」
「しばらくは残念石でいいじゃないですか、これ以上言い訳していては、粉々に砕けてしまいます」
「恵子ちゃん、あなたね……」
「父の人生のテーマは、政治家としての春風さんをサポートすることです。父なら、こう言うでしょう、しばらく残念石になってみるのもいいんじゃないかって」

 さやかは、わたしの顔を見なかった。ただ、その瞳には流れていく秋の雲が映っていた。

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