銀河太平記
児玉司令の勘は外れた。
マン漢国境の弱点に集結した敵はニ十分ほどで消えて、その後は威力偵察のように一個大隊規模の部隊が侵入を繰り返したが深入りはしてこない。逆にマンチュリア北方の露マン国境近くにロシア軍が集結し始めている。マン漢戦が飛び火しないための手当てではあるのだろうけど、絶対的に戦力不足の日マン軍には脅威だ。二百数十年前、まだソ連と名乗っていたロシア軍が日ソ不可侵条約を一方的に破棄して攻めてきた歴史的前科がある。
「おちょくられているなあ」
いったんCICに入った司令だったけど、一時間足らずで司令官室に戻ってきた。
「敵は、俺を疲れさせるつもりらしい。ひと眠りする」
靴のままベッドに飛び込んだかと思うと三秒で寝息を立て始めた。
意外に寝顔が可愛い。
起きている時も笑顔の絶えない人だけども、あれは一種の韜晦だろう。
この寝顔、ちょっと魅力的……あ……グランマのファイルが開いた。
グランマは、スキルを伝えるために未整理のままの記憶をわたしのメモリーに送ってきている。
スキルに関係ないものは、解凍もしていないんだけど、なにかの弾みでファイルが開いてしまったんだ。
グランマは、この寝顔にグッときたんだ。寝顔は何種類もあってコレクションのようになっている。
いくつかは、ほんの至近距離。
これって、いっしょにベッドで寝ていなければ見えないよ。
完全に解凍してしまえば、その時のグランマの脈拍や体温まで分かるんだけど、そこまで無粋じゃない。
他にも解凍できないメモリーがいくつかあるけど、強固なブロックがかかっている気配。
ね~むれ ね~むれ 母のぉ~胸~に♪
思わず子守唄を口ずさんでいる。
ロボットの行動に――思わず――というのはあり得ない。全て、条件や状況に合わせて行われるからね。ロボットの行動はプログラムとアルゴリズムに支配される。
まあ、グランマのソウルの欠片だろう。あるいは、敷島博士が組み込んだいたずら。プログラムはされているんだろうけど、ロボット本人にプログラムと意識させないようにしているのかもしれない。
グランマは自分のソウルをコピーしようとしていたけど上手くいかなかった。
ロボットがコピーできるのはスキルとパターン。ソウルとか魂とか云う人間の本質にかかわるものはコピーできない。無理にやればロボットのOSそのものが壊れるか人間が死ぬか、あるいは、その両方か。
敷島博士は、世界で初めてソウルコピーが可能なロボットとして私を作った。
でも、うまくいかなかった。
わたしは密かに思っている。ソウルのコピーを拒否したのは、実はグランマ自身。
たぶん無意識。
もし、ソウルをコピーしたら、わたしはグランマ以上になってしまうかもしれない。
いや、わたしの方か……そうなったらグランマを不幸にしてしまうと思っているから?
答えなんか出てこないんだけど、司令の寝顔を見ていると、つい、そんな想いを巡らせてしまう。
三時間ほど子守唄をループさせていると、司令が目覚めた。
「今度こそ来る。ついてこい!」
そのままCICに向かうと「奉天市内の衛星画像を出せ!」と命じた。
え、敵は国境じゃないの?
わたしの戸惑いを補完するように、電測員が叫んだ。
「マン漢国境付近からミサイル、百二十機突っ込んでくる!」
「迎撃ミサイルは?」
「いま発射されました」
「何発?」
「百八」
「残りはCIWSで間に合う、奉天を」
「奉天出します」
オペレーターが復唱すると同時に、画面が揺らめいたかと思うと、突如映像が切れた。
「偵察衛星ロスト」
「敵ミサイル百五機を破壊、一機ロスト、十四機突っ込んでくる」
それには躊躇せずに、司令は別の命令を出した。
「航空管制レーダーを出せ!」
「航空管制レーダー出します」
メインモニターに奉天空港の管制レーダーが出された。
マンチュリアの上空には五機の航空機が映っている。マンチュリアを引きあげる最終便だ。
「全機に緊急着陸を指示!」
「我が方には航空管制権はありませんが」
「戦時だ!」
その時、ドスンと衝撃がやってきて、数秒遅れてくぐもった爆発音が響いた。
「奉天市内で爆発、衝撃の八十パーセントは上空を指向」
「アンチパルス弾だ……」
二十三世紀初頭、航空機、船舶、ロケット、自動車、戦車、バイクに至るまで大半がパルス動力で動いている。アンチパルス弾とは、爆発の衝撃で強いアンチパルス波を発し、パルス動力を一瞬で停めてしまうと言う恐怖の兵器。二百年前の核兵器同様、国際的に使用は禁止されている。
「民間機の安否確認! 奉天市内の被害状況確認急げ!」
「奉天市内の交通機関、走行中車両停止、パルス発電所停止、非常電力に切り替えられつつあり」
「民間機五機ロスト、墜落した模様」
うそ、墜落……五機のどれかにはグランマが乗っている……。