やくもあやかし物語・2(『やくもあやかし物語』続編『せやさかい』姉妹作品)
流行り病は世界中の予定を狂わせてしまった。
わたしもヤマセンブルグの王立民俗学学校に入ることになっていたんだけど、入学は夏の盛りになってしまった。
「かえって、やきもきさせてしまったね。申し訳ない」
この春に、よその中学の校長になった教頭先生は、わざわざ羽田まで見送りに来てくださった。
「わざわざのお見送り、ありがとうございます(-_-;)」
付き添いのお母さんはペコペコお化けになってしまった。
「いえいえ、ヤマセンブルグを紹介したのはわたしですから、見送りは当然です。王立学校ですからなにも心配することはありません。ちゃんと高卒の資格もとれますし、そのまま進めば大卒にもなれます」
「はい、奨学金もお手配いただいて、ほんとうにお礼の申し上げようもありません」
「将来は、日本とヤマセンブルグの懸け橋になるような人材に……というのが大きな狙いだそうですが、まあ、お国柄からいってもノビノビ過ごせると思いますよ。総裁はヨリコ王女殿下、日本人とのハーフで、高校までは日本で過ごされました。やくもさん、しっかり勉強もしなきゃならないでしょうが、しっかり楽しんでもください。楽しければ身につくことも二倍三倍になりますよ」
「はい!」
お母さんのヤキモキと教頭先生のウキウキに見送られて、ロンドン経由ヤマセンブルグ行の飛行機に乗った。
エコノミーだと覚悟していたんだけど、ビジネスクラスの席でラッキーだった。
ビジネスクラスは、微妙にハイソ。
時おり聞こえてくる乗客やCAさんの会話、ぜんぶ意味が分かる。みんな国際語の英語を喋ってる。
飛行機に乗るのは、じつは初めて。
あやかしと付き合っていたころは、ハートの飛翔体なんかに乗って空を飛んだんだけど、飛行機はべつものだよ。
いっぱい人が乗ってるしね。
無意識にポケットをまさぐる。
ハンカチに隠れてお守りの感触。
神田明神のお守り。病魔やら業魔やらにやられて青息吐息の将門さんにもらって、正直効くのかなあと思ってたけど(なんせ、将門さんじたいわたしに業魔退治を頼んでたからね)、あれから事故にも遭ってないし病気もしてないし、やっぱ効き目はある……と信じる(^_^;)。
お財布の中にはお地蔵のお守り石。いったんは返したんだけど、もう一回借りてきた。
前と違って、お地蔵さんはうんともすんとも言わない。でも、お守りはお守りだからね。
それと、手荷物の中に、もう一つ。
黒電話が入ってる。
長年、うちの物置の中で眠ってたのをフィギュアの感覚で机の上に置いていた。
電話の中には、むかし樺太で電話交換手をやっていたおねえさんが入っていて、あやかしからの伝言やら取次をしてくれた。
いまは神保城の仕事が忙しくて、メイド王のもとで逓信大臣とかえらい役職に就いている。
まあ、電話がかかって来ても、能力を失ったわたしは、交換手さんの声も聞こえないんだろうけど。
でも、これもお守り。
水平飛行になると、とたんに手持無沙汰。
むかしだったら、チカコがチョッカイを出してくる。
むろん、チカコも居ない。
もし、出てきても『チカコ』なんて気やすくは呼べない。
チカコの正体は徳川十四代将軍家茂さんの奥さんの和宮親子内親王だった。
正しくは、和宮の左手。
彼女は、将軍に嫁ぐ途中、板橋の縁切り榎の傍を通り――自由に生きたい――という気持ちを左手に籠めて、左手のスピリットを預けてきたんだ。
むろん、物理的な左手は消えてはないんだけど、スピリットが無いから写真には写らない。改葬のためお墓を開けた時も和宮の左手首の骨は消えていたしね。
で、「自由に生きたい!」って気持ちのかたまりだったから、めちゃくちゃ生意気でわがままだったよ(^_^;)
そのチカコも、家茂さんが150年の月日のあとに迎えに来てくれて、夫婦円満になって、わたしのもとを去って行った。
他にも六条御息所とか俊徳丸さんとか、他にもいろいろお世話になったあやかしたち。
もう、とっくに、そういうあやかしたちは見えなくなってしまって、心の整理もついていたと思ったのに。
飛行機が、どんどん日本から離れていくと、ふかくにも涙が滲んでくる。
カッコ悪いんで、モニターで映画を観る。
評判の良くなかったアメリカのアニメ映画をやっている。
言語はいくつもあって、最初は日本語、ちょっとしてから英語に切り替える。
両方分かる。このバイリンガルはありがたい。この能力が無ければ、ヤマセンブルグ行きは決心できなかったよ。
他にも言語があるので切り替えてみる。
ドイツ語、フランス語、スペイン語、イタリア語、中国語…………え…………ええ!?
全部分かるんですけど!
ドリンクのオーダーを取りにきたアジア系のCAさんにジュースを注文。「まあ、きれいな韓国語をお話になりますねぇ」と喜ばれてしまった( ゚Д゚)。
☆彡主な登場人物
- やくも 斎藤やくも ヤマセンブルグ王立民俗学校一年生