世間は大阪万博で賑わっていた1970年6月9日。
突然運行を休止した玄岳高原ロープウェイはその後
奇跡の?復活をします。
熱海新聞 昭和45年7月2日
ロープウェイ動く
熱海、伊東両市ではさきに経営不振と赤字で倒産状態となつた熱海高原観光KKの
会社更生法適用を沼津地裁へ依頼すると共に、熱海市では
三十日観光課で債権者に営業の再開を依頼した結果、六月九日から
休業していたサボテン公園とロープウェイはきのうから債権者により一応
団体客を中心に営業を再開した
玄岳ドライブインは既に営業を再開している。
玄岳氷池の観光牧場は既に牛や羊を処分し従業員も
不足なのでまだ休業している。
同社の従業員七十余人のうち約四十七人が債権者と契約仕事をしている。
なお、大阪方面に姿を消しているといわれる○○社長は伊東署へ捜索願いが
出されているが、まだ行方がわからない
_________________________________________________________
1970年6月9日で動かなくなったと思いきや
奇跡の復活を遂げていたとは意外でした。
>>氷池(こおりがいけ)の観光牧場は既に牛や羊を処分し~
なんかこの部分がリアルですね
ところで私は未だに氷ヶ池に行った事はありません。
ふと思ったのですが玄岳高原駅(玄岳ドライブイン)から
同池に行くには伊豆スカイラインを渡らなければなりません。
前にも掲載した絵葉書ですが
左が氷ヶ池、右は玄岳ドライブイン
どうやって渡ったのでしょう?
横断歩道とかがあったようには見えませんが
誘導員でもいたのでしょうか。
「堂々と」突っ切るには怖いものがあると思うのですが
勝手な推測ですが
開業した高度経済成長期の昭和42年
モータリゼーションによりマイカーやバス客が増え始めた。
熱海から玄岳には高いロープウェイではなく観光バスで
登る観光客が増えたのも倒産に追い込まれた一因だと思います。
それでも今よりは自動車の通行量も少なく
スカイラインを横切っても問題はない今よりノンビリとした時代だったのかもしれません。
さらにつづく
突然運行を休止した玄岳高原ロープウェイはその後
奇跡の?復活をします。
熱海新聞 昭和45年7月2日
ロープウェイ動く
熱海、伊東両市ではさきに経営不振と赤字で倒産状態となつた熱海高原観光KKの
会社更生法適用を沼津地裁へ依頼すると共に、熱海市では
三十日観光課で債権者に営業の再開を依頼した結果、六月九日から
休業していたサボテン公園とロープウェイはきのうから債権者により一応
団体客を中心に営業を再開した
玄岳ドライブインは既に営業を再開している。
玄岳氷池の観光牧場は既に牛や羊を処分し従業員も
不足なのでまだ休業している。
同社の従業員七十余人のうち約四十七人が債権者と契約仕事をしている。
なお、大阪方面に姿を消しているといわれる○○社長は伊東署へ捜索願いが
出されているが、まだ行方がわからない
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1970年6月9日で動かなくなったと思いきや
奇跡の復活を遂げていたとは意外でした。
>>氷池(こおりがいけ)の観光牧場は既に牛や羊を処分し~
なんかこの部分がリアルですね
ところで私は未だに氷ヶ池に行った事はありません。
ふと思ったのですが玄岳高原駅(玄岳ドライブイン)から
同池に行くには伊豆スカイラインを渡らなければなりません。
前にも掲載した絵葉書ですが
左が氷ヶ池、右は玄岳ドライブイン
どうやって渡ったのでしょう?
横断歩道とかがあったようには見えませんが
誘導員でもいたのでしょうか。
「堂々と」突っ切るには怖いものがあると思うのですが
勝手な推測ですが
開業した高度経済成長期の昭和42年
モータリゼーションによりマイカーやバス客が増え始めた。
熱海から玄岳には高いロープウェイではなく観光バスで
登る観光客が増えたのも倒産に追い込まれた一因だと思います。
それでも今よりは自動車の通行量も少なく
スカイラインを横切っても問題はない今よりノンビリとした時代だったのかもしれません。
さらにつづく