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クラウンRS40-P その8 エピローグみたいな話 【終】 

2018-01-15 10:27:56 | (旧車)

長きに渡り書いてきましたクラウンRS40プロパン車の紹介も今回が最後。

なんで書いて来たのか?(人の褌で相撲を取るような事を)

それはきっと私のようにクラウンRS40-Pを見たい人がいるかもしれなかったからです。

私も偶然にyoutubeを見なかったら、休みじゃなかったら旧車天国に行けなかった。

行けなかったら誰かが子細に書いてくれるだろうから必死に検索していただろう。

「ここを見たい」「ドアの部分はどうなっているのか」

最近の旧車ブームで2000GTやGTRは誰もが知り大切にされる

もちろん私も好きな両車です。2000GTの美しさ、GTRの豪快でレース史に残る記録。

でもあの高度経済成長時代に多くの人を乗せ変化していく街を走り抜け

今でも当時の映像を見ると必ず走っているのは「タクシー」

あの時代を過ごした方なら殆どの方が乗った事があるはず。

でもプロパン車初の形式認定をされたトヨタクラウンRS40LPG車は

メーカーでも自動車博物館でも残せなかった。

あの頃はタクシー車両を後世に残そうと考えた人はいない。

(話は逸れるが大阪市交通局に残るトロリーバスは残そうと

保存活動に尽くした方がいたおかげだが周囲の理解を得るのに並々ならぬ苦労があったとの事。)

プロパンで走るクラウン、セドリック、グロリア…前にも書いたが日本のどこかで残っている個体があるのでは、いや

残っていて欲しいと切に願っていました。

(話は逸れるが三菱のオートギャラリーにある白いデボネアA30もLPG車)

今回発掘されたクラウンRS40はもしも現オーナーのNさんでなく別の方に引き継がれていたら

ローダウンされた状態での対面となっていたかもしれない。

旧車の世界では有名なNさんの事はネットで知っていたが

初めてお話しをして「紳士だな」と感じました。

 

お話しを聞いて驚いたのはクラウンタクシーは

隣で大注目されているFS45救急車の「部品どり」として前オーナーさんが保管していた

という事でした。

救急車が痛んできたので後期40クラウンから移植しようとしたそうな

しかし互換性がなく長い眠りに付いていたそうな

それが雨をしのげるトランクに入れられてなかったら

最悪処分されていたら残る事は無かった

このクラウンはたくさんの幸運に巡り合って現オーナーさんの所にやってきた。

値段ではなく本当に残すべき価値のあるクルマ。

 

細部まで見せてくれた事にお礼を言い去ろうとしたが一つだけ気になっていた事を尋ねた

   現役時代に後付けされたリアガーニッシュはどうされるんですか?

Nさん『私としては外したいです。しかし取り付けに大穴が開いているので…

やるならフェンダーのへこみを直す時にしないとなりません』

 

いつかきっとスタンダードならではのリアガーニッシュの無い姿を再び見られるかもしれません。

プロパンカー独特の排気ガスの匂いと¥100円時代の料金メーターを装備して…

東京フリートさん 丁寧に解説して下さり本当にありがとうございました。

 

【終わり】

(昭和42年10月2日朝日新聞)


 

因みに高速有鉛の最新号ではRS40LPGじどうしゃが巻頭を飾っています。

さらに救出時にYOUTUBEで話題になった5Eバスのエンジン始動のお話しも書かれているので

普段は買わない人も絶対に『買い』です。

コメント
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