あれは昭和60年,中学一年生の時の事。
家族で伊豆の紀州鉄道オーナーズビラという保養地へ行った際に伊豆の冷川で給油の為にガソリンスタンドに立ち寄った。
そのガソリンスタンドは当時からしても「いかにも60年代」
という嬉しすぎるスタイルをしていた。
近所のGSの計量機ですらデジタル化され自動で計算されていたのにオバちゃんがハンドルを廻して「0」に戻し電卓を使い手書きで領収書を書いていた。
「ESSO」の電飾、計量機、水銀灯、コーラの冷蔵庫etc…
何もかもが私の心を捕らえた。
「なんとコルトに似合いすぎるスタンドだろう!」
その当時から眺めていたコルト1100の取り扱い説明書に三菱のスタンドで給油するコルトの画像を見ていたのでその影響もあった。
「(コルトを入れて)このスタンドの写真を撮りたい!」
その時は何故か言い出せなかった。恐らくそんな事を言っても親やオバちゃんには理解されないだろうと思っていたのだろう。
それ以来、私の心の隅にそのGSがあった。
そして昭和61年4月29日、再び伊豆に行く機会があった。
この年の7月に彩雲家にはPFDジェミニ(中古)が入っているので
ファミリーカーという立場上では思えば最後のドライブとなったかもしれない。
なにしろこの写真を見てもこの時にジェミニが来ていたかどうかも忘れていたくらいだ。
彩雲家には第一線で活躍していたコルトの写真は殆どないのでこの「現役のコルト」としても
この写真は(私にとって)貴重なもの。
話しを戻して一年後に再訪する際に親にあのスタンドで給油をし、そして写真を撮らせて!
と頼んだ。
そして期待して再訪したが・・・・・。
閉店していた
かなりのショックだった。写真左の計量機と右の店内?に貼ってある白い紙は閉店の案内。
確か「このスタンドは閉店しました」と書いてあったように思う。
それでも父にスタンド内にコルトを入れてもらい写真を3枚写した。
この写真を撮った後、私は翌日に学校があるので伊東駅(だったと思う)に送ってもらい電車で帰った。
後から聞いた話しだが電車が出た後に停めてあったコルトに戻るとタクシーの運転手が大勢で
コルトを取り囲み「懐かしい」「昔乗っていた」と珍しがられて母は恥ずかしかったそうな。
現像した写真は稚拙だが、とても気に入ったものとなり学校で使う下敷きの中に挟んでいた。
近年ネットで公表したら思いがけず好評だった。
そんな思い出の詰まったこのスタンドが写真を見る度に現状が気になっていた。
撮影してから一年後にジェミニで親が伊豆に行ったら「まだあったよ」と教えてくれた。
この度、父親と冷川の「峠の茶屋」に行く事となったので
あのESSO給油所の跡があれからどうなったか、訪れてみたのだが・・・。
つづく 《明日からまたまた熱海に行ってきますのでつづきは来週です》
家族で伊豆の紀州鉄道オーナーズビラという保養地へ行った際に伊豆の冷川で給油の為にガソリンスタンドに立ち寄った。
そのガソリンスタンドは当時からしても「いかにも60年代」
という嬉しすぎるスタイルをしていた。
近所のGSの計量機ですらデジタル化され自動で計算されていたのにオバちゃんがハンドルを廻して「0」に戻し電卓を使い手書きで領収書を書いていた。
「ESSO」の電飾、計量機、水銀灯、コーラの冷蔵庫etc…
何もかもが私の心を捕らえた。
「なんとコルトに似合いすぎるスタンドだろう!」
その当時から眺めていたコルト1100の取り扱い説明書に三菱のスタンドで給油するコルトの画像を見ていたのでその影響もあった。
「(コルトを入れて)このスタンドの写真を撮りたい!」
その時は何故か言い出せなかった。恐らくそんな事を言っても親やオバちゃんには理解されないだろうと思っていたのだろう。
それ以来、私の心の隅にそのGSがあった。
そして昭和61年4月29日、再び伊豆に行く機会があった。
この年の7月に彩雲家にはPFDジェミニ(中古)が入っているので
ファミリーカーという立場上では思えば最後のドライブとなったかもしれない。
なにしろこの写真を見てもこの時にジェミニが来ていたかどうかも忘れていたくらいだ。
彩雲家には第一線で活躍していたコルトの写真は殆どないのでこの「現役のコルト」としても
この写真は(私にとって)貴重なもの。
話しを戻して一年後に再訪する際に親にあのスタンドで給油をし、そして写真を撮らせて!
と頼んだ。
そして期待して再訪したが・・・・・。
閉店していた
かなりのショックだった。写真左の計量機と右の店内?に貼ってある白い紙は閉店の案内。
確か「このスタンドは閉店しました」と書いてあったように思う。
それでも父にスタンド内にコルトを入れてもらい写真を3枚写した。
この写真を撮った後、私は翌日に学校があるので伊東駅(だったと思う)に送ってもらい電車で帰った。
後から聞いた話しだが電車が出た後に停めてあったコルトに戻るとタクシーの運転手が大勢で
コルトを取り囲み「懐かしい」「昔乗っていた」と珍しがられて母は恥ずかしかったそうな。
現像した写真は稚拙だが、とても気に入ったものとなり学校で使う下敷きの中に挟んでいた。
近年ネットで公表したら思いがけず好評だった。
そんな思い出の詰まったこのスタンドが写真を見る度に現状が気になっていた。
撮影してから一年後にジェミニで親が伊豆に行ったら「まだあったよ」と教えてくれた。
この度、父親と冷川の「峠の茶屋」に行く事となったので
あのESSO給油所の跡があれからどうなったか、訪れてみたのだが・・・。
つづく 《明日からまたまた熱海に行ってきますのでつづきは来週です》
昭和60年→中1、いいな~。私は鎌倉某所でシャバから隔絶された生活を始めた年でもあります。つい昨日ようなメモリアルイヤーです。
ガソリンスタンドって「給油が終わったら、さっさと立ち去るべし」という雰囲気があるので、何か話を聞いたり写真撮ったり、という行動は少しやりにくいですね。
逆に、古い車の客には妙にフレンドリーな店長、ってのもよく合います…。「綺麗にしてるね~何年式?」何度聞かれたか判らない質問ですが、正直に「昭和60年式」と答えると、期待を裏切ることが多くて少々困ります。
今日「笑っていいとも」を偶然見ていたら、「松下奈緒」が出でいました、
音大ピアノ科の3年生で、子供のからピアノをやっていて、絶対音感があるそうです。
>>影響を受けてます
もの凄く恐縮です(汗)
>>実行してません。
話しは変わりますが私の実行していないことで急がなければならないのがコルトにビデオカメラを採証車のごとく設置して家から駅までの道を撮影して変わり行く町を記録しておこう、と10年前から考えていますがなかなか実行出来ません。本当に急がなくてはならないのです。
inomamoさん
>>「閉店」「改装」の憂き目にあいました。
私も通勤に使っている京浜急行から見える品川手前にあった味のある三菱スタンドが同様に姿をコインパーキングに変わってしまいました。
一度だけコルトで通りかかったのでガスを入れたら昭和42年の建設である事が判明!次回は写真を!と思ったら廃業です(涙)
我らの指導者F先生
先日は雨の中、神宮球場での野球観戦&熱海報告会お疲れさまでした。(レインコートありがとうございました)
今日のいいともに松下奈緒さんが出ると知ったのは昨夜の泊まり勤務時でした。当然録画なんてセットできません。恥ずかしながら自宅の父に連絡して録画してもらいました(33歳・・・・)
本当に皆様レスありがとうございます。
自動車のモデルチェンジと流行色、車種タイプの変遷を記録するために、4年に一度ぐらいのペースで駅前の歩道橋/スーパーの駐車場/官庁街なんかで車の群れを定点撮影をしたら面白そうだと思うのですが、実行できてません。
わずか10年前の写真でも、今見ると変化が判って面白そうです(ワゴン車だらけ、とか)が、現時点ではなかなか。街がミニバンだらけなのもずっと続くわけでは無さそうですが、どうも意欲が沸かないです。
やはり似たような事を考えておられましたか。
意欲が沸かない理由は私の場合「なんか恥ずかしいから」です。
定点撮影も面白そうです。二人以上いればよいけど普通の人には理解されないでしょうね。(では我々は何?)