前回にホテル エンパイアの事を書きましたが「つづく」と書いたまま
時間が経ってしまいました。
「あの事」が無ければ…
穴場として何度か使っていた一階喫茶ラウンジですが
友達と立ち寄った際の帰りにホテルのパンフレットを貰っていこう、と思いフロントへ寄った。
私「恐れ入りますが宿泊のパンフレットを頂けますか?」
と尋ねたところ
フロントスタッフ(同年代位)「・・・」
思いっきり嫌そうな顔をして無言で渡してきました。しかも片手だ…。
それが何?と普通だったら思うかもしれない。
その時の私は都内某ホテルでベルボーイとして働いていた。
お客様から「パンフレットを」と言われればホテルに恥じないよう
両手で持ち『こちらになります』とか『よろしくお願い致します』と一言添えていた。
それが当たり前と思っていた。
その瞬間にホテル学校の授業中に聞いた
「ホテル学校を出てまで行くべき所ではない」
という先生の言葉を思い出した。
間違っても入らなくて良かったな・・・

(その時にもらったパンフ。たしかタリフ《料金表》もあったかな?)
そのフロントスタッフの傍にいた黒服のマネージャーらしき人も何も言わない。
前にもボーリング場(ドリームスポーツプラザ)の一階にあったビリヤードに入ったらあまりにも店員の態度が悪いので呆れた事があった。
隠れ家的で好きな場所だったが一転して幻滅に変わった。
それから数年しただろうか
少しだけ付合った人とドリームランドへ行く事となりあれ以来行っていなかった
ホテルエンパイアの1階ラウンジへ行こうとした。
なにか様子がおかしい そう思って近づいて行くとホテルの入り口は工事用の柵で覆われ
「営業しておりません」
と真新しい張り紙が貼ってあった。
「あの事」が無ければ21階の回転レストランや宿泊も出来ただろう
21階にはどんな世界があったのか謎のまま封印されてしまった。
しかしその後、私は再・・・(続きは未定です)

(昭和40年頃の広告より 一階ラウンジの「最低料金」という書き方も凄いです。お金持ちじゃないと入れません)
時間が経ってしまいました。
「あの事」が無ければ…
穴場として何度か使っていた一階喫茶ラウンジですが
友達と立ち寄った際の帰りにホテルのパンフレットを貰っていこう、と思いフロントへ寄った。
私「恐れ入りますが宿泊のパンフレットを頂けますか?」
と尋ねたところ
フロントスタッフ(同年代位)「・・・」
思いっきり嫌そうな顔をして無言で渡してきました。しかも片手だ…。
それが何?と普通だったら思うかもしれない。
その時の私は都内某ホテルでベルボーイとして働いていた。
お客様から「パンフレットを」と言われればホテルに恥じないよう
両手で持ち『こちらになります』とか『よろしくお願い致します』と一言添えていた。
それが当たり前と思っていた。
その瞬間にホテル学校の授業中に聞いた
「ホテル学校を出てまで行くべき所ではない」
という先生の言葉を思い出した。
間違っても入らなくて良かったな・・・

(その時にもらったパンフ。たしかタリフ《料金表》もあったかな?)
そのフロントスタッフの傍にいた黒服のマネージャーらしき人も何も言わない。
前にもボーリング場(ドリームスポーツプラザ)の一階にあったビリヤードに入ったらあまりにも店員の態度が悪いので呆れた事があった。
隠れ家的で好きな場所だったが一転して幻滅に変わった。
それから数年しただろうか
少しだけ付合った人とドリームランドへ行く事となりあれ以来行っていなかった
ホテルエンパイアの1階ラウンジへ行こうとした。
なにか様子がおかしい そう思って近づいて行くとホテルの入り口は工事用の柵で覆われ
「営業しておりません」
と真新しい張り紙が貼ってあった。
「あの事」が無ければ21階の回転レストランや宿泊も出来ただろう
21階にはどんな世界があったのか謎のまま封印されてしまった。
しかしその後、私は再・・・(続きは未定です)

(昭和40年頃の広告より 一階ラウンジの「最低料金」という書き方も凄いです。お金持ちじゃないと入れません)
続編、気長に待ってます!
明日、鎌倉まで行くので時間があれば見に行ってこようかな。
だいぶ先になってしまいそうです(汗)
>>明日、鎌倉まで行くので時間があれば見に行ってこようかな。
明日来るの?なんで私の夜勤時にぃ~(涙)
レポート楽しみにしていますね。
当時(70年頃)、宿泊する事は出来なかったが家族で21階のレストランで食事をした事がありました。
360度ガラス張りのレストラン、方位ごとのガラスに白い線で描かれた案内(例えば江ノ島であれば島の大まかな形を描き江ノ島と書かれている)まだ灯りの少ない時代だっただけに遠くに見える横浜の明かりや灯台の光を眺める事の出来る場所だった。
照明は全体的に暗く、テーブルに置かれたランプの灯りと優雅な音楽が流れる店内はまさに大人の空間。濃いブルーの絨毯はふかふかしており、寝転びたい衝動に駆られたものだった。
エンパイア晩年の頃、家族で一度だけ宿泊した事があったが、その時のフロントマンは礼儀正しく、憧れのホテルに泊まれた事を嬉しく思ったものだったが・・・。
今は無きエンパイアは、今でも最高のホテルとして私の中に思い出として残っているが、ホテルとしてあるまじき行為があった事は大変残念に思う。
ちなみに今回掲載のパンフは私の持つパンフとは違っているようで興味深いです。
私のパンフ画像は、「小田原建築探偵」さんのHPに提供しております。
キレイな思い出を壊してしまったようでゴメンなさい。
21階のレストランを利用された事があるなんて実に羨ましいです。
>>寝転びたい衝動に駆られたものだった。
そういえば寝転んだかは解りませんが子供が遊んで回転部分の隙間に指を挟まれ切断、という事故がありました(新聞沙汰)。
>>360度ガラス張りのレストラン~
「営業中」の華やかな世界を想像してしまいます。
>>白い線で描かれた案内~
観光地の展望台にあるような白いプラ板に矢印で示されているようなアレですね♪「江ノ島・鎌倉」とか「横浜」とかでしょうか?
>>まだ灯りの少ない時代だっただけに遠くに見える横浜の明かりや灯台の光を眺める事の出来る場所だった。
いいですね、この情景♪そういえば読んでいて子供の頃は近所の高台からマリンタワーの灯かり(赤と緑)を見るのが好きでしたが今ではすっかり見え辛くなってしまいました。
>>ちなみに今回掲載のパンフは私の持つパンフとは違っているようで興味深いです。
前回のロビー内の画像は私のパンフからスキャンしました。また思い出話しをお願い致します。
大丈夫ですよ!想い出は色あせず何時までも輝いていますから。
たとえ落日の日に向かっていようとも紳士であり続けて欲しかっただけですね。
名実共に超高級ホテルだった栄華を知る人たちにとって、あのホテルは「夢や憧れ」のホテルだったわけですから。
奈良と横浜のドリームランド、ホテルエンパイア、当時の国道一号のレストラン、あの界隈の話しになるとつい力が入ってしまいます。
また、ネタ振りしていただくと当時の思い出話が走馬灯のように蘇り、筆をはしらせてくれます。
今度、薬科大学の本部として使われる際に21階の展望レストラン跡に「←横浜」「←鎌倉・江ノ島・湘南海岸」」「←富士山・丹沢連峰」と書かれていたという案内板?が残っていたら嬉しいですね。
メモリアルコーナーには、
「この建物は、戦後初の高層建築物で、最上階当たる21階には回転式展望レストランが用意され360度の大パノラマを堪能する事が出来た。
また、かつてこの地には国内屈指遊園施設『横浜ドリームランド』を中心とした世界に誇る総合的な遊園都市が築かれていた。」
なんて紹介文があって、写真なんか飾られてればな~。
そういえば当時、ドリーム交通のタクシーは純白のボディーに、金色の塗料でドリーム観光のロゴマークとドリーム交通の文字が描かれていてお洒落でしね~。
地元タクシーのほとんどが黒色か、お約束のタクシーカラーでしたから。
純白のドリーム交通に乗るとなんか得した気分になったものです。
本当に出来て欲しいです。昔日を思い出させる物が消えてしまっています。せめてここにはドリームランドがあったんだ、という事を何かの形で残して欲しいですね。