あの時から約20年
残っているハズがない
場所的に更地となっているか別の建物でも建っている事だろう。
そう思っての再訪となったがもしかしたらスタンドの遺稿が残っているのでは、かすかな期待もあったが・・
それが残っていた!
水銀灯も給油機もESSOの赤い看板も無くなっていたがほぼ原型を留めていた。
給油機の土台に近づき経つとコルトに給油した時の光景が映画フィルムのように思い出された
(前述した光景はこの時に思い出したものだし、オバちゃんの格好が昔の事務員のような服装だった事も思い出した)
あれから20年いろんな事があったが、あの時からこの給油所はここに残っていたのか
亡くなったはずの身内に再会したような気持ちだった
おこがましくもこのスタンドは私が来るのを待っていたのか、などと思ってもみた
屋根もボロボロとなり朽ち果てていた
それでも逢えてよかった
今まで残っていてくれてありがとう
次に来る時こそ冷川給油所は無くなっているかもしれない
口に出さないが、そのような事を思ってスタンドを立ち去り父が待つ車へと戻った
サヨナラ・・・
残っているハズがない
場所的に更地となっているか別の建物でも建っている事だろう。
そう思っての再訪となったがもしかしたらスタンドの遺稿が残っているのでは、かすかな期待もあったが・・
それが残っていた!
水銀灯も給油機もESSOの赤い看板も無くなっていたがほぼ原型を留めていた。
給油機の土台に近づき経つとコルトに給油した時の光景が映画フィルムのように思い出された
(前述した光景はこの時に思い出したものだし、オバちゃんの格好が昔の事務員のような服装だった事も思い出した)
あれから20年いろんな事があったが、あの時からこの給油所はここに残っていたのか
亡くなったはずの身内に再会したような気持ちだった
おこがましくもこのスタンドは私が来るのを待っていたのか、などと思ってもみた
屋根もボロボロとなり朽ち果てていた
それでも逢えてよかった
今まで残っていてくれてありがとう
次に来る時こそ冷川給油所は無くなっているかもしれない
口に出さないが、そのような事を思ってスタンドを立ち去り父が待つ車へと戻った
サヨナラ・・・
Mackが亡くなってから
思い出の品を車もろとも払拭した
つもりだったのですが、一番吹っ切れて
ないのは自分自身の心だと悟りました。
大分の事、別れ際の100円札・・・
忘れられない出来事ですよ!!
ブログ始められたのですね!
今から覗きに行ってきます!!!
コメントありがとうございます。実は先週から湯の平温泉の事を思い出しておりました。いずれ書きますが湯の平温泉へ行くきっかけとなった「男はつらいよ 花も嵐も寅次郎」と本ブログタイトルの元になった映画「あの試走車を狙え」に意外な接点があったのです(笑)。私には驚きの事実です。
あの朝、旅館の前にいきなり迎えに来て戴いた事。人生初のオープンカーに載せて戴き爽快な気分で豊後高田に連れていってもらった事。杉田かおるの若い頃に似ている奥様の事。全てが素晴らしい思い出です。
あの時の大分 暑かったな~(良い意味で)
当時とほとんど変わっていないのに、雑草が茂り自然と同化して、知らずに前を通ったら見落とすような気がしました。
現役時代と写真と見比べると、ずいぶんと狭くなったように見え、一抹の寂しさを感じました。
>>一抹の寂しさを感じました。
そうです、妙な寂しさがありました。
私の手先が器用なら模型で再現したい所です。
debopacerさん
グリップの救出も一瞬考えましたが余計なモノが増えてしまうので断念しました(笑) でもこれがあの時の、と思うと持って行きたいです。
>>地下にはタンクがまだ埋まっているのか?
タンクの注入口が残っていたからそのままのようです。
写真の場所の近所に住んでいる者です。
2015.10.2現在 GS跡地は写真のまま健在です。
ぜひまた遊びに来てください。
懐かしい記事にコメントありがとうございます。
もう10年前になるのか、とちょっと驚きました。
時折、あの給油所はどうなっているのかな、と
思う事があります。
いつかあの時のコルトでお邪魔したいです。