よろずの記 and 爺へ               

人生、残り少なめの日々の出来事や思いの綴りです。
やはり、ツーカーと話せるのは爺でした。  

ネットと私

2005年07月25日 15時14分57秒 | 日記・エッセイ・コラム

7年前のこと、夫が買ったワープロにメール機能があるのを見つけた。
貧乏症がでて、せっかくあるからもったいないわと、初めてのメールを始めたら、便利でおもしろくて
はまってしまったが、接続されるまでに90秒もかかるほど遅かった。
その4年後にパソコンを購入し、設定はプロに依頼した。
出張費、設定費で15000円也、ウワ~・・・・・。
基本的な使用方法はその時教えてもらったが、ほとんどわからない。
受信メールがあるけど開かない。ダブルクリックで開くことすら知らなかった。
その後、先輩からひな形のメールをもらってびっくり!きれいな絵が動く!音楽も聞える!
さっそくメールを通して、根気よく教えてもらって、今度はひな形のメールにはまってしまう。
手当たり次第に知人に送信したので、迷惑された方もあったのじゃないかな。
続いて「夢メール」というソフトを使ってひな形作りに夢中。
この頃は、ダウンロードも、解凍も、使用方法もわからず全くの手探りで、フリーズなどしてもさっぱりわからず、ついに友達の息子さんにきてもらったり、NPO運営の無料相談電話にお世話になったことも何回かあった。
次には「Ocn Cafe」に加入し、日記の掲載と、未知の老若男女のメンバーとネット上での交流は初体験、楽しいものだった。
しかし、このあたりから夜更かしがひどくなってきた。
加えて、先輩がタグというものがあることを教えてくれた。すればするほど、面白いのなんの。
ホームページができると、まだ夜更かし継続。夢中になると家事は放りっぱなし。
悲しいかな、怠慢も度が過ぎてしまったでCafeは脱退した。
ホームページには教えられることがいっぱい、楽しさもいっぱい。時間の経つのを忘れてしまう。
その結果、家事がおろそかになっている。
育児中の人も、仕事を持ってる人も立派にやってるのに、なんと私の要領の悪いこと。
他にやりたいこともあるのに、時間が逃げていく。
というわけで、ホームページを縮小してそれを解決したいと、この頃思っている。


ベロタクシー

2005年07月20日 11時12分07秒 | 日記・エッセイ・コラム

最近、わが町に自転車タクシーが登場したと聞いていましたが、昨日、初めて走っている実物を見ることができました。

運転手は若い男性、インド人らしき女性のお客さん二人がホテルの前で降りたところでした。

belo 新聞によると、NPO法人環境共生都市推進協会が京都市などで運行を始め、宮崎は10都府県目ということです。今回は同協会と某有限会社が業務提携して3台が準備されたとのことです。

料金は300円均一で市内中心部のみ。                                排ガスが出ないので環境に優しいということで、今後の利用状況に興味がありますが、車道の左脇を走っているので、ちょっと心配。

ドイツで開発されて、「ベロ」はラテン語で「自転車」の意味だそうです。なぜラテン語が出てくるのかはわかりません。」(^。^)                                           全長3㍍、1台が100万円位だそうで、軽自動車と同じくらいの値段ですね。         

新聞に掲載されていた写真には、車体の側面に焼酎の広告がしっかり付いていて、頑張ってるなあと応援したい気持ちです。


さびしい~

2005年07月06日 23時39分00秒 | 人生、家族

「電気が消えたので、ご主人に見て欲しい」と、昨夜9時ごろに近所の方がみえました。  その方は70才くらいで、身体の弱っている高齢のご主人と二人暮らしです。

あいにく夫(電気工事とは関係ない)は留守だったので、とにかく私が行ってみました。                     ブレーカーが落ちていましたが、普段と同じ使い方しかしていないということです。

あれこれ見てもわかるはずがなく、電力会社に電話しました。                   到着までに1時間かかるそうで、それまで暗い中はこわいと言われるので私も一緒に待つことにしました。

ろうそくの灯りを見ながらこれから高齢者だけの家族が増えていったら、このように何かがあった時に、専門家との間を結ぶ役が必要なのではと思ったのでした。         あと10年後は自分の姿と思えば心沈む時間でもありました。

しばらくして、思ったより早く電力会社の車が来ました。降りてきた社員さんの挨拶や、説明を聞く態度、調べる時の説明のし方、すべてがなんと感じのよかったこと。          若い人でしたが頼もしく感じられ、将来の不安が少し打ち消されたようでしたが、言いようのないさびしさは今も残っています。

そして、2世代、3世代の同居家族を増やすことも高齢化社会の対策のひとつじゃないかと思ったのでした。