よろずの記 and 爺へ               

人生、残り少なめの日々の出来事や思いの綴りです。
やはり、ツーカーと話せるのは爺でした。  

小学校時代  前(自分史)

2015年01月31日 22時00分14秒 | 自分史
1947年、小学校に入学しました。
学校では、何回か、校庭に一列に並んで、順番がきたら手で顔を覆って頭を下げると
先生が、白い粉を頭全体に振りかけます。しらみの駆除剤です。

当時はまだ戦後3年ほどの時代なので、身なりはきれいではなく、皆なの髪の中には虱(しらみ)がいました。
家でも、目の粗いすき櫛で髪をとくと、ぽろぽろと虱が落ちて来る状態でした。

戦争で傷ついた傷痍軍人さんが、白い衣装で街角に立ち、アコーディオンを弾きながら寄金を求めていたのは、
この頃からだったのでは。

我が家は、母と兄との3人暮らしで、父は戦死したので家計は苦しく、
私の洋服は母の着物から作り変え、セーターは古いのをほどいて、やかんの口の蒸気で伸ばした毛糸で編み変え、
食事はかまぼこがあればごちそうの類、茶碗蒸しは、私にとっては一番のものでした。

生計の為に、広い家屋敷はいつか売られて、6畳一間の我が家が、その庭の一角に建ちました。
便所は、外にある古いもので、雨漏りで便槽はすぐいっぱいになります。
大きいのが出たら、下に落ちないうちにサッと立ち上がらないと、ポチャンと汚水がお尻にかかるので、
技術と敏捷さを要するものでした。

母は道路に面した土間で店を始め、お菓子、豆腐、アゲ、コロッケ等を売りながら
着物の仕立てを受けていました。針の糸通しは私の仕事で、朝は、何本も通しておいてから登校しました。
豆腐が品切れになると、私が豆腐屋さんに追加を頼みに走ります。
コロッケ屋さんは、自転車で卸しに来るので、揺れて型が崩れたのは私にサービス。嬉しかったなあ。

すぐ近くの橋の下には、ござやむしろで仕切りを作った、今でいうホームレスさんがいて、
我が家にも買い物に来ました。
時には付けで、時にはお産の為のタライを借りに、時にはそこの兄ちゃんとかけっこして遊んだり、
良い人ばかりだったと思います。
                                        つづく


モデル?

2015年01月29日 15時15分51秒 | スポーツ
先日、友達からのメール。
「チラシ見てたら、貴女が最高の笑顔で載ってました。なかなか素敵だよ。」

チラシ?・・・なに???・・・

チラシと言えば新聞のチラシしか思い浮かばず、その日の何枚かをめくってみたら、
Β4の『健康ボウリング教室、参加者募集』が目についた。

その中の大小の写真5枚のうち、『笑顔でハイタッチ!』のフレーズの横に私が、
笠置シズ子(知ってる人はもう少ない)似の顔で、ニタッとハイタッチしているではないか。

じぇじぇ!ああ、恥ずかし。

「モデル料、もらった~?」「見たよ~。」「○○から教えてもらったわ。」
何人かから電話が来て、キャーキャーと話の餌にされた。

名刺の半分サイズの小さーい写真なのに、みんなよく見るもんだわ。






ボランティア

2015年01月26日 20時30分30秒 | ウクレレ、コーラス
今日は、Α病院のデイサービス部でウクレレ演奏のボランティアでした。

10曲を立ったままの演奏なので、前もって薬を飲んでおいた。
初めのうちはちょっとしびれ気味の脚、もてるかな、と不安だったけど、進むうちに
脚のことは忘れていた。

ハワイアンにフラ、それに昔なじみの「青い山脈、東京のバスガール、銀座カンカン娘」など交えて、
お客さんはすぐ目の前に11人。その後に職員さんが7人。
一緒に歌ったり、車いすのまま、踊りだす人もあり、楽しんでもらえたようだった。

しかし、青い山脈のハーモニカ前奏をまた間違った私、だめだなあ、練習不足だ。
控室で「すみませーん」と懺悔。
この次まちがったら、もう首じゃろ(@_@。


帰宅したらすぐにプールへ。
着いたら、うわっ、男性4人だけ。
しかも、いつも、わあわあと品のない話をする人がいた。
どうしよう。でも、思い切って、30分頑張ろうと、挨拶して入る。
ここは、挨拶だけは、感心するほど皆さんよく出来ていて気持ちが良い。

10分くらいしたら、女性が次々と3人来てくれて、ほんとに良かった~。
これで、今月のプール券の残りまだ3枚、忙しいぞ。










かすかな灯り

2015年01月25日 21時19分40秒 | 健康・病気
20日の通院から、少し変化が出てきた。

翌々日のプールでは、水の中でも脚のしびれが出て不安だったが、
大腿のつるような痛さが減ってきた。
代わりに膝周辺がぼんやりと筋肉痛のような。

金曜日のボウリングの後も、大腿の痛みが少ない。
翌朝も調子が良いので、ミニバレーに行った。
朝飲んだ痛み止めのは、夜には切れてるはずなのに痛まない。

そして今日は買い物で、いつもは10分も店内を歩けば、立っていられないのに、
レジを済ませるまでの40分間も大丈夫だった。

鍼が良いのか
ブロック注射が良いのか
朝夕のストレッチが良いのか、
プール歩行がよいのか。

今夜の夕飯の片付けも、椅子を使わずに済んだ。
両方の膝から下のしびれがあるだけで、大腿の、立っていられないほどの痛みが無いのがうれしい。

前の整形外科で、痛みは下の方にじわーっと下って消えて行くと言われたのがこれかな。

ああ、神様、このまま回復に向かいますように。



同病、相・・・・・・

2015年01月21日 20時16分08秒 | 健康・病気
昨日は通院でした。

リハビリ室で、私よりちょっと若い女性が隣にいて声かけてきた。
同じ脊柱管狭窄症だそうで、まあ、明るい方だった。

はたから見たら、病気のことを話しているようには見えないような楽しさで
「同病、相哀れむ」じゃなくて「同病、相親しむ」と言っていいような30分、
不思議な気持ちでさよならした。

この日は、置き鍼と、違う種類のブロック注射。
彼女は、だいぶ良くなったそうだから、もうちょっと頑張ろう。





庭片付け

2015年01月19日 14時45分29秒 | 日記・エッセイ・コラム
今日の午後は、ポカッと時間が空いたので、裏庭の片付け。

だいたい、家の外は爺の担当だけど、私が汚いと思っても、爺は何とも思わない感覚の違いがあるから
目に余るときは、私がやらなきゃしょうがない。

無理しないように、今日はここまで、と範囲を決めて終らせた。
いつも痛くなる脚(左大腿)に、巾の広いテーピングをしてみたら、調子がよさそう。
ゴミ袋を2枚使い、私の部屋から見える範囲がスカッとなって気持ちいい。
ほんとはもっと捨てたいけど、爺は「とっとけ、とっとけ。」と鳴くのが得意なので仕方ない。

そうだ、今日から『一日、一終活』を出来るだけやっていこう。
きのうは、古い水筒を一個始末したし、なんだか楽しみになったわ。


今朝出かけようとしたら、車の窓はすりガラス状態になっていた。
桜島の灰が、昨夜から降っていたらしい。
モップで払うと、さらさらと取れやすくて良かった。
新燃岳の灰は、べたっとくっついてなかなか取れなくて困ったけど。

いずれにしても、地元の方は大変だろうなあ。
少しくらいのことで文句は言えないわ。



やっぱり

2015年01月17日 10時24分10秒 | 健康・病気
今週は新年会が二つ。忙しかった。

ミニバレー部の新年会は、ボウリングとランチ。
今年度の世話役なので、Αさんと二人で準備にがんばって、無事終了したら頭痛。
いつもこうなる、柔な私((+_+))。

次は水曜ボウリングチームの新年会。
知らないもの同士の集まりなので、話しているうちにいろんなことがわかってきた。

家がすぐ近所なんだとか
社長夫人なんだとか
校長先生だったんだとか
お金持ちだそうだとか

まあ、賑やかだったこと。
楽しい気分冷めやらぬまま、久しぶりに出た夜の街。
今夜は寒くもないし、歩いて帰りたいな、と店を出て、角を曲がって、バス通りを歩いて・・・・・

いかん!脚が痛くなってきた、しびれもきて、足の運びがやっとで、もつれそう。
バス停を見つけるまでが長かった。歩けたのは約300m。
椅子に座って、また歩くか、タクシーかと考えたけど、歩けば10回は休憩が要りそうで、
残念ながらタクシーにした。

やっぱり、治療効果はほとんど出てないなあ。
最後には侘しい夜となったけど、今日はまたプールに行ってきまあす。



成人の日

2015年01月13日 13時43分08秒 | 自分史
昨日は成人の日。

TV見ながら、私の時は・・・と思い起こせば
そうだ、これを機会に自分史を書いていこう。
73年間を書くには多すぎて、ためらっていたけど、なにか機会あるごとに
順番はばらばらでも、少しずつ書いていけば、いつの間にか終るわ、と期待して、
まずは、成人式から。


成人式は、友達と待ち合わせして会場へ、後に、一緒に昼食の予定でした。

待ち合わせ場所で一人、待っても待っても友達が現れない。
もう式が始まった頃にやっと来た友達二人は、きれいに和服で着飾って・・・。
私といえば、スーツを作り変えた地味なワンピース。

着付けに時間がかかったことはわかるけど、散々待たせられて腹立たしい思いと、
着ているものの差に、その後どうしたかは全く覚えていないほどのショックでした。

地味にしたのは自分の意志だったのに、両親揃った友達と、
片親の自分の経済的なことまで考えて、ひがみもあったはず。

成人の日なのに、成長していない私でした。

昔は、今は

2015年01月11日 11時05分26秒 | 人生、家族
私が10代の頃は、市外に電話するのさえ、電話局に申し込んで順番待ち。
すぐにはなかなか話せないものだったのに、今はなんとまあ~。

姑が入院の頃は、ポケットベルがあって、ピーピー鳴れば、公衆電話から連絡とっていたものが、
今は子供まで携帯を持ってる。

Facebookをみれば、国内に散らばっている子供達や、甥、姪、さらに息子の友達、それに外国に居る人の
近況までわかるんだから、良くも悪くも、すごいとしか言いようがないわ。

昔は、知らない人と文通があったけど、今はネットの友達との楽しみ。これはいいなあ。

こんな時代に、さて、どこまでついていけるか。
もう、これ以上の進歩はごめん蒙りたいのだけど・・・(^◇^)。