よろずの記 and 爺へ               

人生、残り少なめの日々の出来事や思いの綴りです。
やはり、ツーカーと話せるのは爺でした。  

回れフラフープー3

2009年02月13日 21時36分19秒 | スポーツ
7日目

ネットの動画を見ていると、フープの輪が大きいように見えるので、販売用のフープのサイズを見てみました。

大体が直径95㎝、重さは700gとか990gとか、1200gとか。
私のは?と計ってみると、直径72㎝、重さは200g弱。
あれ?これは子供用か、なーんだおもちゃじゃないの。

そういえば、価格も690円。ネットのは千円単位となっている。
だから、軽すぎて遠心力があまり働かずに、落ちてばかりだったのかしら。

がっくりとして、今日は練習する気になりません。
でも、これを34回も回したのだから、私もたいしたものだ。
本物を使えばきっとうまくできる、と無理に気を取り直してはいますが・・・。

回れフラフープー2

2009年02月12日 20時02分24秒 | スポーツ

4日目、5日目

多忙につき練習があまりできませんでした。よって進展なし。
それに、くしゃみをすると腹筋が痛い。太ももも痛い。

午前中にミニバレーして、午後1時間だけ車を運転して降りたら、体はガチガチで、ロボットのような歩き方をしてしまいました。
さっき、腰に貼ったサロンパスがすーっと効いて来て気持いい~(*^。^*)。

6日目

友達と会って、一緒に食べたランチがとてもおいしくて完食。
次の店であんみつを食べて「ウィー!」
帰宅してしばらく休んだら、さて腹ごなしに練習するか・・・・・

まずネットの動画で基本を再度見て始めたが、ダメ。別の動画を探して見ると、なんと3才の子供がスイスイと回しています。
うわあ、なんということ、どうして私はできないの!

スタートの動作を少し変えてやってみてもダメ。
イライラして、フラフープの中で、ずっとジャラジャラとする音がうるさい。

しかも、このジャラジャラで重さに偏りがあるのではないかしら?
釘を熱して穴を開けたら、仁丹よりちょっと大きい粒がいっぱい出てきました。

計ったら10g。これでも影響あったかしら?かすかな望みを持って回してみると、
うーん、少しは違うような。でもまだ落ちる。また落ちる、落ちる・・・・・でも良い感じ。

やった~!ついに34回まわった。しばらくして18回。後は10回前後ばかりったけど・・・。

老体だから、今日はこれでおしまいにしました。


回れフラフープ-1

2009年02月09日 20時09分18秒 | スポーツ

ウォーキングの途中に寄ったお店でフラフープを発見!

昔々、流行した頃に買えなかった思いがよみがえり、迷わず買ってしまいました。ただ、色がぴかぴかの派手な黄色で、直径1mほどの輪なので、持って帰るのに、隠すにも隠せずちょっと恥ずかしかったです。

帰ってすぐに回して遊ぼ~、なんて思っていたら、なんの、なんの、回らない。すぐに落ちる、落ちる。ありゃ、簡単そうに見えたけど、どうして?

ネット検索してみると、腰を回すのでなく、前後に動かすようにとなっている。よいっしゃ、と試したものの、そうは問屋が卸しませんでした。なれない腰の動かしと、落ちては拾い、落ちては拾いで息はハアハア、すっかり疲れて1日目が終りました。

明日は腰痛か?

2日目

朝、目が覚めたら、少し腹筋が痛い。腰はいつものとおり。昨日の反省をしながら、朝から挑戦です。

何度も何度もしているうちに、お、お、お、1、2,3,4、・・・26回。できた、できた!

ところがその後がうまくいきません。さっきのは何だったろう?そういえば、フープが浮かぶような感じで軽く、ゆっくりだったなあ。

またネット検索。5才くらいの女の子がスイスイ回している動画に口惜しい思い。

最初にフープの動く方向と反対側に腰を動かすのだって・・・ところが、なるほどと何度してもダメ。 額と足の裏に汗、身体もぽかぽか。息はハアハア。

今日はこれまで。

3日目

腹筋が昨日よりずっと痛く、笑っても痛い。へえ、だいぶ腹筋を使うものだわ。

昨日を思い出しながらやってみるが、5回くらい回ったら落ちてしまいます。

暑くなるからソックスも脱いでやっていると、落ちたフープがくるぶしに当たって痛い!。

そうだ、落ちる前につかみとればいいんだ。

そして又ネット検索。やっぱりゆっくり回している。

それから、落ちそうな時に、どうかして上げているけど、よく判らない。 家事をしながら考えては回してみる、を何度も繰り返しました。フーッ、身体がよく温まります。

今日は最高が13回でした。またあした。

ああ、腰が痛い(*^。^*)。


橋の下の住人

2009年02月01日 10時29分16秒 | 人生、家族

派遣切りの暗いニュースの流れる今、住む所を追われた人々のことを思うと、ひょっとあの頃のことを思い出すのです。
私がまだ子供の頃、それは半世紀以上も前の話しですが。

父の戦死後、残った家族3人は6畳一間だけの小さな家(小屋)に移り、母は和服の仕立てと、畳2枚ほどの土間で駄菓子と、味噌、醤油、豆腐、コロッケ等を売り生計を立てていました。
そこは、市内を流れる大きい川にかかった長い大きい橋のたもとでした。

堤防に続く橋の下は広くて、ござやむしろで囲った小屋が5つくらいあり、そこの住人も我が家で買物してくれました。顔見知りになったお兄ちゃん(?)とかけっこしたこともありました。
時には、お金がなくて後払いの人もあったようですが、必ず払ってもらえると母は言っていました。
小屋で赤ちゃんが生まれるからと、たらいを借りていった人もありました。

その後、私達は2㌔離れた叔父の家に引っ越して、どれくらいの月日が経ったか覚えていませんが、
ある晩に一人の男性が訪ねて来ました。
なんと橋の下の住人Aさんでした。未払いの品代を持って、わざわざ家を探してみえたのです。
悪かった目にも義眼を入れたと、さっぱりとした身なりで話されて、私も子供ながら母と一緒に感動したものでした。

あの頃は戦後の苦しい時期でした。今は超不況の真っ只中、職を、住まいを失った人々に、なんとか頑張って!と応援したい気持でいっぱいです。