季節の物売り 江戸情緒 ① 福寿草売り
季節の物売り 「きんぎょぇ~きんぎょッ」金魚屋さんがくると、一斉に物売りの声に魅かれて外に飛び出す。 |
(初夏の物売りの図)
橋の上には薬売り、旗を持つ祈祷師(?)、或いはこの人も薬売りで、同業者同士が橋の上で出会い、互いに振り返ってみているのかもしれない。
初鰹売り、橋のたもとに花屋、その手前に乾物屋、画面左端にも物売りらしき人がいるが何を商っているのか不明。橋のたもと右側の家の軒下には「吊り忍」が下がっている。これも物売りから手に入れたのだろう。そのすぐ上には、買ったばかりの菖蒲をさげている人がいる。
季節は初夏、汗ばむような午後の時間帯だろう。笠をかぶる人。扇を頭にかざし日差しを避ける人、菖蒲をさげた人も
手拭いで額の汗をぬぐっている。庶民達が行きかう賑やかな往来を描いている。
福寿草売り
「福寿草売り12月25日 春に至る迄、梅福寿草などの盆花町に商ふ」(東都歳時記)
福寿草は、元旦草とも言い、歳末に福寿草売りから買って、正月の床の間を飾ったという。
左の写真は女性の売り子さんが描かれている。女性の物売りが実在したのかどうかわからないが、
当時、飾り絵として販売された絵も多く、特に人気のあった歌舞伎役者の売り姿の絵に人気があったようだ。
左の絵が実際の福寿草売りの風俗画ではないかと思う。
煙草入れを帯から抜いて、てんびん棒にかけ、一服している姿が現実感があって私は好きだ。
40年も前、母の願いでよく神社仏閣いった。
境内に並んだ出店を見てまわるのも参拝の楽しみだった。
当時、よく福寿草を購入した。
一芽、30円ぐらいだったと思う。数年続いた30円の売値も50円になり、どんどん値が上がった。
現在では350~400円、当時の価格の約10倍もしている。
あの時購入した福寿草は毎年、庭の陽だまりで元気に花を咲かせている。
増えた分だけ、美しいと褒めてくれた人に分けてあげるので、
年数の割には株は一向に大きくならない。
母との想い出に繋がる懐かしい匂いのする初春の花である。
(季節の香り№33) (2012.12.8記)
金魚売りが持ってきた、巾着型の金魚鉢は今でも欲しいと思います。ただ小さい時に憧れたものの一つとして大切に思い出の中にしまっておくのもいいもんだと今は思っています。
消えてしまった金魚売りですが、豆腐売りは機動力を発揮して軽トラに積んで、録音したラッパの音を流してやってきます。
朝ごはんには納豆か焼きのりが多く食前を飾りました。これもまた、懐かしい想い出に繋がります。
物売りが消えていった昭和20年代が懐かしく思い出されます。
トーフ売りは、最近でも時たまに耳にすることがあります。
関東では、早朝から納豆売りがまわっていたらしいですね。
九州生まれのiinaには馴染みがなくて、甘納豆しか連想できません。
そんな甘納豆を朝から食べるんだぁ~❔ と思ってました。
これらの売り声を、寄席で聴いたことがあります。
かなりの売り声を、さまざまに繰り出していて懐かしかったです。煙管売りとか初めて聞くのもやってましたょ。
情緒があって私たち悪ガキにも人気がありました。
江戸情緒に触れながら、子供の頃を思い出し、
懐かしい時の一ページを紹介しようと思います。
コメントありがとうございました。
「鋳掛屋やポン菓子」懐かしい名前です。
今でも鍋の底や薬缶が抜けた時、鋳掛屋がいたらまだ使えるのにと思う時がしばしばあります。
「ポン菓子」は、私の処では「ポンせんべい」と言ってました。また、製造時に大きな爆発音がするので「爆弾せんべい」とも言っていたように思います。何れも私の家の前が商いの場所になっていました。「流し売り」が「屋台」と発展し、やがて町内の「店」へと発展していったように思います。
季節の風物詩として紹介したいと思います。
どこか懐かしい思いで拝見いたしました。
豆腐や金魚、みたらし団子や風鈴、キャンデー売りも来ていました。
こちらの地方では、秋になると近郊の農村から
菱の実売りのおばさんが来ていました。
流し売りではないですが、鋳掛屋やポン菓子などもありました。
みんな道端での商売で、私たちも道路が遊び場でした。
昭和は遠くなりにけり、というのが実感です。