続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

ストラップ。

2013-02-16 06:38:00 | 日常
 老いも若きも、ぶら下げているストラップ。大昔からそういうお洒落はあったのかもしれないけれど、最近の傾向には驚かされるものもある。
 若い女の子が、ストラップと言うよりはぬいぐるみのような大きな愛玩をバックなどに付けてぶらぶらさせている。

 こちらはギョッとするけれど、ごく当たり前の風である。思わず顔を覗いてもごく普通の女学生で。(あんなものを付けて学校に通うなんて!)うーん・・・、わたしも若かったら同じようなことをしているのだろうか(否・・・)

 わがサークルに通ってくる小学五年の女の子、ランドセルを見たら一つ二つでなく幾つもの下がり物(ストラップ)。頭も気立てもいい女の子が普通に付けている。(こっちの頭がおかしいのか?)


 しかし、それは若い子に限ったことではなく、わたしたちお祖母さん世代にも及んでいる。何気なく付けているお土産風のストラップ、孫の手作りらしきお人形etc・・・。


 かくいうわたしのところにも、友人たちの手作りが・・・温かい友情に感謝しながら、あっちのバック、こっちのバックにと付けて楽しんでいる。

 流行というものは、わたしのような末端にまで波及し、当たり前の風俗として定着しているのを感じるとき、だからこそと、逆説的に納得してしまうのである。

『セロ弾きのゴーシュ』1。

2013-02-16 06:17:28 | 宮沢賢治
「セロ弾きのゴーシュ」再考。
 セロとは0(酸素)を暗示し、ゴーシュとは、GS(Global spirit)地球の精神を意味していると思う。

 *ちなみに、ゴーバーやテーシューの案があったらしい。ゴーバーは、GB(Global)であり、テーシューは、TS(tikyuuのseisinn→地球の精神)

 つまりは酸素を出して(生命を繋ぐ)地球の精神というわけである。


 ゴーシュは町の活動写真館でセロを弾く係りでした。

 町はチョウと読んで、弔。
 活動写真館はカツ・ドウ・シヤ・シン・カンと読んで、割、同、視野、申、換。
 弾くはダンと読んで、談。
 係りはケイと読んで、計。

☆弔(死者を悼む)
 割/二つにわけて、同(等しい)視野を申(述べる)。
 換(入れ替わる)談(話)の計(はかりごと)である。

*セロ(ゼロ/O)は酸素だとすると、活動写真館は、photostudio→photosynthesis/光合成を暗示しているのではないかと思う。

『城』1185。

2013-02-16 06:01:22 | カフカ覚書
たぶんあなたはクラムが将来またわたしを呼びたくなったときに、わたしが彼と会うのに厄介が起らないようにという下心からわたしをハンスのような男と結婚させたのだろう、と思っていらっしゃるでしょうが、まったくばかばかしい想像です。

 ハンス/Hans→Haus/一族。
 viel→feil(fallen)/死ぬ(犬のように)
 einmal→Ahn mal/先祖、痕(傷痕)

☆たぶんあなたはクラム(氏族)が先祖の痕(傷痕)という結果になったとき、死に支障が起らないように、わたし(監視、親衛隊)を一族の人間としたのだろうと、と思っているかもしれませんが、まったくばかばかしい想像です。