続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

D『ローズ・セラヴィよ、何故くしゃみをしない?』4。

2021-07-05 06:23:59 | 美術ノート

 この不可解なものに意味はあるか。意味はあるが、意味を霧消させる凡庸さをも持ち合わせている。つまり、ただの物の寄せ集め、集合という態だからである。

 しかし、意味を見出そうとするのは徒労だろうか。否、意味を孕む構成、究極の形を提示して黙しているだけである。

 この物、この作品は世界のありようを示している。常に上部は空いており自由な空気はほしいままである。にもかかわらず、重力(世界の規定/暗黙の約束)の働きの作用で、飛ぶことを許されていない。基本自由であるが、同じ思考に教育されその観念的な思考の連鎖は連綿、歴史を彷徨し続けている。同じでありながら微妙な差異をもって、支配制度を確立させ、同じ思考を強制する傾向にある。

 角砂糖型の大理石である衆、イカの甲が巨大に見えるのは、単に比較の問題に過ぎない。温度計の細く虚弱に見えるのも同質である。電子に帰してしまえば全て同じになるがDNAの経由は不可逆である。
 DNAの変異によって、生物は多種多様な生息を得ているが、微妙な差異を拡大視した支配制度の中では、違和感あるいは除外という差別が厳然としてある。
 イカの甲と温度計、そして角砂糖型の大理石では確かに《差異》がある。多数が少数を排除する心理を認めざるを得ないかもしれない。
『ローズ・セラヴィよ、何故くしゃみをしない?』
《なぜ、そのことに気づかないのか》デュシャンの心からの叫びである。


 写真は『DUCHAMP』 www.taschen.comより


最新の画像もっと見る

コメントを投稿