続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『ポラーノの広場』463。

2014-09-29 06:24:15 | 宮沢賢治
「もうぢきだよ。」ファゼーロが一番前で高く叫びました。
 みちの両側はいつかすっかり林になってゐたのです。そして三十分ばかりだまって歩くとなにかぷうんと木屑のやうなものの匂がしてすぐ眼の前に灰いろの細長い屋根が見えました。


☆逸(隠れている)ものの判(区別をする)。
 全ての考えは教(神仏のおしえ)を慮(あれこれ思いめぐらす)則(きまり)である。
 和(争いを収める)太陽の自由は、文の部(区分け)によることが目(めあて)である。
 説(ものがたり)の仁王(仏法の守護神/一対の金剛力士像)が現れる。
 然るに(そのとおり)、悔(過ちに気づいて残念がる)を済(救う)懲(過ちを繰り返さないようにこらしめる)也。
 恨(残念に思う)件(ことがら)である。

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