『秘めたる音に』
磨いていない2枚の真鍮の板のあいだに糸玉をはさみ、4本のボルトでとめたもの。糸玉のなかには何かが入っていて(ウォルター・アレンズバークが入れた)揺すると音がする。(『マルセル・デュシャン』解説より)
何かを入れ、揺すると音がするから「秘めたる音」というのは作家の意図に反しているように思う。仮にそういう仕掛けをしたとしても、作品はあくまで視覚からくる情報によってしか意図されていない。
音は空気振動であるから、静止の物体から音が聞こえることはありえない。
物理的に不可能なことも、心理的には可能かもしれない。つまり、物質の持つ質感、(糸玉は真鍮の2枚の板に挟まれているという状況)から、例えば、圧迫を受けた苦渋の声(音)を想像することができる。楽しいイメージには欠けるが強さのイメージはあるから、そんな心理的楽曲を空想することも可能であるが、可能であるに過ぎない)
『秘めたる音に』ということは、見えないが(秘めた)音があるのだと言っている。しかし、そんなことは物理的にないのだということも承知した上で、心理的亀裂の溝に問いかけている。
『無/ないもの』を『有/ある』といえば、有るのではないかという可能性を想起する。しかし、必ずや無に帰するこのサイクルを『秘めたる音に』という作品に提示したのである。
デュシャンは《無》を証明しようとしている。
(写真は『マルセル・デュシャン』美術出版社刊)
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