続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『小岩井農場』㉕

2018-05-29 06:38:13 | 宮沢賢治

  でこぼこのゆきみちを
  辛うじて咀嚼するといふ風にあるきながら
  本部へはこれでいゝんですかと
  心細さうにきいたのだ
  おれはぶつきら棒にああと言つただけなので
  ちやうどそれだけ大へんかあいさうな気がした
  けふのはもつと遠くからくる


☆新しく蘇(よみがえり)の釈(意味を解き明かす)。
 封(閉じ込めたもの)を翻(形を変えて作りかえ)部(区分けする)。
 真(まこと)の済(救い)を望むという兼ねた他意の記は隠れている。


今日からわたしは・・・。

2018-05-28 07:37:32 | 博物館講座

《キソコン昆虫講座》(昆虫基礎)
 キンコンて読んじゃったよ・・・子供とその父母の中にお婆さん、(まぁいいか)浮世の恥もかき捨てで行こう。

 孫の大好きな昆虫、(同じ話題で話せるといいな)という軽い気持ちで参加を希望。
 たいていの講座は《受け身》ボォーとしていても時間が来ればそれで終了。

 ところが、蝶(カラスアゲハ)のさなぎを羽化するまで飼育するという課題…「ええっ、聞いてないよ」なんて言っている場合じゃない。
 今日からわたしは親となり、これから餌となるカラスザンショウの木を捜しに行かなくてはならない。
 ど、どうしよう。どこにあるの?カラスザンショウ・・・。

 内舩先生はじめ昆虫研究会の先生方の熱意あるご指導…恐縮の至り。今日からわたしは頑張るゾ。


🈞マグリット『風景の魅惑』

2018-05-28 06:38:56 | 美術ノート

  『風景の魅惑』

 淡いが彩度の低い深緑の床面と血の色(彩度の低い赤)をした壁。背後の漆黒はこの床面と壁の作る空間に密着したものなのか、はるかに離れているのかは不明である。
 陰翳を見る限り、床面と壁は繋がっているが、背後の漆黒は影そのものである故、その位置関係は隠蔽されている。
 ずっと遠く…異次元でさえあるような不穏を内包した背後の空間は、しかしこのフレームの中に収められている。
 不条理にも床面に垂直に立つフレームには(PAYSAGE)と書かれたプレートが張られている。しかし描かれてあるべき、通常わたしたちが風景と読んでいるものは存在しない。《無》であるが、虚空のような背景が透けて見えている。

 壁に立てかけられた猟銃は、至近を狙うものでなく、見えるか見えないような遠方、揺れ動くようなものに焦点をあてるという特質がある。

『風景の魅惑』は、ずっと遠く、見えるとも見えないともつかず対象も定められない不可視の世界への抑えがたい誘惑による、凝視の風景である。(見えない世界、それは冥府かもしれない)


(写真は新国立美術館『マグリット』展/図録より)


『小岩井農場』㉔

2018-05-28 06:27:45 | 宮沢賢治

  うしろから五月のいまごろ
  黒いながいオーヴアを着た
  医者らしいものがやつてくる
  たびたびこついをみてゐるやうだ
  それは一本みちを行くときに
  ごくありふれたことなのだ
  冬にもやつぱりこんなあんばいに
  くろいイムバネスがやつてきて
  本部へはこれでいいんですかと
  遠くからかとばの浮標をなげつけた


☆語(言葉)を合わせて告げる。
 著(あらわす)意(考え)は赦(罪や過ちを許すこと)である。
 逸(隠れて)翻(形を変えて作り変える)講(はなし)である。
 等(平等)を反(繰り返し)普(あまねく)演(のべる)。
 普(あまねく)平(平等)であると。


』城』2951。

2018-05-28 06:19:36 | カフカ覚書

しかし、酒場づとめは、全然ちがいます。わたしはあまりきれいなとび出しかたをしなかったのに、すぐまた酒場に雇ってもらいましたの。もちろん、今度は引き立ててくださる筋からの口ぞえがあったのです。


☆でも、酒場(死の入口付近)は他とはちがいます。当時名誉ある離れ方をしなかったのですが、すぐに受け入れてもらいました。もちろん、現在も保護されています。


🈞マグリット『狂気について瞑想する人物』③

2018-05-25 06:57:16 | 美術ノート

 五感・・・眼差しの凝視(視覚)心持ち大きく開いた鼻の穴(嗅覚)、しっかり描かれた耳(聴覚)、パイプを持つ手(触覚)、タバコ(味覚)、これらの集中した感覚。
 全身全霊をかけて何かに思いを馳せる、究明しようとしている。すなわち《瞑想》なるものである。

 現実を隠蔽した背景の曖昧さ、不明な時空は極めて個人的な精神の混沌の空気感を漂わせている。
『狂気について瞑想する人物』は客観的なタイトルであるが、即、自身の主観であり、自身への凝視である。

 死と生は明確に判別可能であるが、狂気と正気の境界は見えない。その見えないものを究明しようとしてる。
 白い部分は棺の暗示であり、《死》を凝視、思い詰めても決して明らかにならない(生と死)の帰結。それを可能に結びつけるものは《狂気》ではないか。

 マグリットの一貫した、しかし隠蔽されたテーマである(亡母への追想)に執着することを、狂気と捉え、自身を自嘲しているのではないか。胸の痛む光景である。


(写真は新国立美術館『マグリット』展/図録より)


『小岩井農場』㉓

2018-05-25 06:28:55 | 宮沢賢治

  よほど上手に鳴いてゐる
  そらのひかりを呑みこんでゐる
  光波のために溺れてゐる
  もちろんずつと遠くでは
  もつとたくさんないてゐる
  そいつのはうははいけいだ
  向ふからこつちのやつがひどく勇敢に見える


☆照(あまねく光が当たる=平等)である衆(ひとびと)の冥(死の世界)である。
 貪(よくばって)考え、把(手につかむと)出来る。
 掩(被われた)講(話)である幽(死者の世界)に換(入れ替え)現わしている。