学校で教えてくれない経済学・・・江嵜企画代表
雑誌「到知」、2005年4月号に
「たまごボーロ」で有名な菓子屋さんで
個人投資家としても知る人ぞ知る竹田和平氏が
有性卵を菓子の原料に使う理由を説明していた。
「にわとりも人間と一緒で、オンドリを隔離して
しまうとメンドリはおもしろくないだろう。
しかも、狭いところに押し込んで、夜まで電灯を
つけて無理に卵を生ませようとするわけです。
鶏はほんとうに怒っているかも分からん。
怒りながら卵を産むと、怒りが卵に入って
アレルギーを引き起こす。」と話していた。
それで竹田製菓では創業期から一貫して
良質の卵(有性卵)を使っているのだそうだ。
株式投資でいえば、無性卵か有性卵かどうかも
知らされずに、せっせ、せっせと投資していても、
当たり前の話であるが、投資した銘柄が、もし、
無性卵であれば、ヒヨコにならない。よって無駄な
投資ということになるであろう。
卵を産まないだけならいい。卵を産まないどころか
鶏肉にも使えず、あげくの果ては、鶏イフルエンザに
かかって焼却処分に追い込まれるケースもありうる
だろう。
ところでペイオフ解禁半月前ということで、
今ごろになってとは思うが、あれこれ株式投資を
薦める記事が新聞でも雑誌でも随分
目につくようになった。
お金というものは、獲りにいこうとすると
どうしても脇が甘くなる。脇の下からスルリとお金は
逃げて行くことが多いことは以前も触れた。
お金という生きものは生来臆病である。
ばたばたと鶏を追い込むような形で銘柄選択すると
お金に逃げられ決まって失敗する。
日本では特に戦後の教育では、子供のころから
家庭でも社会でも、もちろん、学校でも、
お金の話は教える機会も、教えられる機会も
少なかった。
最近の傾向としては、専門家は、立て板に水
よろしく、頭からデータを並べて理屈で素人相手に
説明してくる。
普通の人間であれば、老若問わず
株式投資の予備知識はない。具体的な投資経験もない。
ついつい邪魔臭くなったり、情にほだされたりして、
なけなしの預金から株式投資へ切り替えてしまう
かもしれない。
欧米では、子供の頃からお金について親からも学校でも
教えられているようだ。それだけが全てではないが、日本人と
比べて、欧米人の方が金銭感覚は豊なように思える。
データも大事、理屈も大事だが、一番大事なことは
お薦め銘柄が、最低限度、無性卵か有性卵かどうかに
絞って、是非ともアナリストなりエコノミストなり専門家の話を
確かめてから投資行動をとっても遅くはないだろう。
日本文化には自分の意見を表にだすことを良しと
しないところがある。謙譲の美徳といえば言葉は美しい。
しかし、ことリスクを伴う投資物件は恥ずかしがらないで
納得いくまで中身を確かめてから行動して欲しい。
話は飛ぶ。英語教育について考えていただきたい。
英語が出来ないと将来生きていけないような雰囲気が
昨今、強くなってきているようだ。果してそうだろうか。
子供のころから英語の勉強を始めれば、
英語で喋れ、書けると早とちりする人が増えた
ようだが外国語を理解することはそんなことで
達成されるほど生易しい問題ではない。
日本人なのだからまずはしっかりと日本語を
勉強することである。日本語もまともに話せない。
日本語で文章も書けない。そんな状態で英語を話したり、
英語で文章が書けるわけがない。
世評に負けて付和雷同してはなるまい。
株式投資も同じである。
竹田和平さんでさえ、株式投資で、「大企業だから安全」と
思いこんでいたと反省を込めて山一證券倒産時の苦い経験を
披瀝しておられる。
竹田さんは、山一證券の大株主だったそうだ。まさかの
山一証券が倒産した。株券は当然のことながら紙くずに
なった。
竹田さんは、日本の企業には多くの場合、会社は
株主の物だという認識がないと厳しく指摘しておられる。
「責任のないところにお金を預けるわけにいきませんよ」とも
話しておられる。だから、山一事件以来、
「顔の見える会社に投資することに決めました。」と
アドバイスしておられたのが印象的であった。
一般論であるが、日本ではお金は悪いもの、
汚いもの、お金を扱うことがいかがわしいことという
風潮がいまだ根強く残っている。
お金はあくまで道具である。道具をうまく使いこなす
ことによって日々の生活を少しでも潤いあるものに
変える手伝いを、お金という道具が、われわれに可能に
してくれるであろう。
有性卵ですか?無性卵ですか?
薦められた銘柄が、そのいずれかであるかの
見極めが特にはじめて株式投資をする一般の個人投資家に
とっては基本的に重要ではなかろうか。
ペイオフ解禁まであと2週間余りと迫った。
しかしながら、ペイオフ解禁こそが、むしろ、
日本での本格的な金融再編成の幕開けを告げる
号砲かもしれない。(了)
雑誌「到知」、2005年4月号に
「たまごボーロ」で有名な菓子屋さんで
個人投資家としても知る人ぞ知る竹田和平氏が
有性卵を菓子の原料に使う理由を説明していた。
「にわとりも人間と一緒で、オンドリを隔離して
しまうとメンドリはおもしろくないだろう。
しかも、狭いところに押し込んで、夜まで電灯を
つけて無理に卵を生ませようとするわけです。
鶏はほんとうに怒っているかも分からん。
怒りながら卵を産むと、怒りが卵に入って
アレルギーを引き起こす。」と話していた。
それで竹田製菓では創業期から一貫して
良質の卵(有性卵)を使っているのだそうだ。
株式投資でいえば、無性卵か有性卵かどうかも
知らされずに、せっせ、せっせと投資していても、
当たり前の話であるが、投資した銘柄が、もし、
無性卵であれば、ヒヨコにならない。よって無駄な
投資ということになるであろう。
卵を産まないだけならいい。卵を産まないどころか
鶏肉にも使えず、あげくの果ては、鶏イフルエンザに
かかって焼却処分に追い込まれるケースもありうる
だろう。
ところでペイオフ解禁半月前ということで、
今ごろになってとは思うが、あれこれ株式投資を
薦める記事が新聞でも雑誌でも随分
目につくようになった。
お金というものは、獲りにいこうとすると
どうしても脇が甘くなる。脇の下からスルリとお金は
逃げて行くことが多いことは以前も触れた。
お金という生きものは生来臆病である。
ばたばたと鶏を追い込むような形で銘柄選択すると
お金に逃げられ決まって失敗する。
日本では特に戦後の教育では、子供のころから
家庭でも社会でも、もちろん、学校でも、
お金の話は教える機会も、教えられる機会も
少なかった。
最近の傾向としては、専門家は、立て板に水
よろしく、頭からデータを並べて理屈で素人相手に
説明してくる。
普通の人間であれば、老若問わず
株式投資の予備知識はない。具体的な投資経験もない。
ついつい邪魔臭くなったり、情にほだされたりして、
なけなしの預金から株式投資へ切り替えてしまう
かもしれない。
欧米では、子供の頃からお金について親からも学校でも
教えられているようだ。それだけが全てではないが、日本人と
比べて、欧米人の方が金銭感覚は豊なように思える。
データも大事、理屈も大事だが、一番大事なことは
お薦め銘柄が、最低限度、無性卵か有性卵かどうかに
絞って、是非ともアナリストなりエコノミストなり専門家の話を
確かめてから投資行動をとっても遅くはないだろう。
日本文化には自分の意見を表にだすことを良しと
しないところがある。謙譲の美徳といえば言葉は美しい。
しかし、ことリスクを伴う投資物件は恥ずかしがらないで
納得いくまで中身を確かめてから行動して欲しい。
話は飛ぶ。英語教育について考えていただきたい。
英語が出来ないと将来生きていけないような雰囲気が
昨今、強くなってきているようだ。果してそうだろうか。
子供のころから英語の勉強を始めれば、
英語で喋れ、書けると早とちりする人が増えた
ようだが外国語を理解することはそんなことで
達成されるほど生易しい問題ではない。
日本人なのだからまずはしっかりと日本語を
勉強することである。日本語もまともに話せない。
日本語で文章も書けない。そんな状態で英語を話したり、
英語で文章が書けるわけがない。
世評に負けて付和雷同してはなるまい。
株式投資も同じである。
竹田和平さんでさえ、株式投資で、「大企業だから安全」と
思いこんでいたと反省を込めて山一證券倒産時の苦い経験を
披瀝しておられる。
竹田さんは、山一證券の大株主だったそうだ。まさかの
山一証券が倒産した。株券は当然のことながら紙くずに
なった。
竹田さんは、日本の企業には多くの場合、会社は
株主の物だという認識がないと厳しく指摘しておられる。
「責任のないところにお金を預けるわけにいきませんよ」とも
話しておられる。だから、山一事件以来、
「顔の見える会社に投資することに決めました。」と
アドバイスしておられたのが印象的であった。
一般論であるが、日本ではお金は悪いもの、
汚いもの、お金を扱うことがいかがわしいことという
風潮がいまだ根強く残っている。
お金はあくまで道具である。道具をうまく使いこなす
ことによって日々の生活を少しでも潤いあるものに
変える手伝いを、お金という道具が、われわれに可能に
してくれるであろう。
有性卵ですか?無性卵ですか?
薦められた銘柄が、そのいずれかであるかの
見極めが特にはじめて株式投資をする一般の個人投資家に
とっては基本的に重要ではなかろうか。
ペイオフ解禁まであと2週間余りと迫った。
しかしながら、ペイオフ解禁こそが、むしろ、
日本での本格的な金融再編成の幕開けを告げる
号砲かもしれない。(了)