★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

楕円の代わりに葉っぱが見える

2010-08-12 18:34:42 | 文学
ティコのウラニエンボルクの天文臺は、ヴィヨンのマンの監獄であり、前者が星のきらめく大空のみえる快適な部屋の中で、後者が日の光りも射さない地下牢の壁にとりかこまれて、めいめいの思ひに耽つてゐたとき、──おそらく、打開の方策も盡きはててしまつた自分の前途に絶望し、まつたく意氣沮喪してゐたとき、突然、楕圓發見の榮光が、二人をつつんだのである。ひとりは晴れわたつた空に、ひとりは温氣を含んだ壁に、──すなはち、かれらの前に立ちふさがり、絶えずじりじりとかれらを壓迫しづづけてゐるもののなかに、不意に二つの焦點のある、かれらの魂の形をみいだしたのだ。

花田清輝「楕圓幻想」のよく知られた劇的な一節。
かっこよすぎるティコ・ブラーエとフランソワ・ヴィヨン。

私がティコ的なのか、ヴィヨン的なのかはわからないが、とりあえず、私に見えるのは、執念のように枯れない植物だけ……


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1 コメント

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なるほど美しすぎる (NOWHO)
2010-08-12 23:42:19
 楕円の対をなす焦点の具体となっているティコとヴィヨン、自然と人工にそれぞれに圧迫されているティコとヴィヨン、あるいは自由と束縛、解放系と閉鎖系。なるほど、美しすぎる。ということを書き込んでみたりする。
 というようなことを書いてしまった後に気恥ずかしさを感じてしまうような自分が、ある点では不自由だと感じます
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