★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

天の下をばてらすなりけり

2021-10-31 23:19:43 | 文学


神路山月さやかなるちかひありて 天の下をばてらすなりけり


日本の人文系の学問でつねに問題になってきたものに、日本に形而上的なものがありうるのか、あったのかという様なものがある。私はあったような気がしているのだが、西洋哲学だって、そのつど、イデアの細胞を地上に降ろす努力によってそのつど存在させたにすぎず、我々の文化でもそうだったのではないかと思う。――もしかしたら、つねに降ろしすぎているのではないかとも思うのである。それが上の例である。すると、常に何かが上にあるような気がしてもう少し具体的な細胞に無頓着になる。

「ガリヴァー旅行記」みたいな細胞もそうだ。小川淳也の映画は、むかしの「小説吉田学校」とかの意味をちょっぴり復活させるもので、我々の政治意識が薄っぺらいものになっているのは、ポリティカルフィクションの質の問題もある訳だ。これからは案外、明治初期じゃないが政治小説の時代かもしれない。そのつど国会開設をめざす魂が失われるといまのようになる。リベラル勢力がうしなったものがそれで、まだ百田氏みたいなものにそれがあった。マルクスだけじゃだめで、トマス・モアやヴォルテールがいるのだ。差別批判もそうで、原則は常に新しく、また原則に過ぎないのである。

私は、「1984」や「動物農場」のようなフィクションに限界を感じる。リベラル?にありがちじゃないだろうか、この限界性。わたしはバトラーやハクスリーの方がいいように思う。

あとは、個を超えた血(知)のつながりは大きい。現在の大学人のけっこうな割合がそうであるように、親や爺さん婆さんの行為を反復している。わたしなんかも先祖の恨みを晴らすだけでなく、地元の童話作家や藤村の恨みを晴らすみたいな意識があるからな。政治意識もそうで、こういう長い時間で考えるべきなのである。文学をやってるひとなんか、ほとんど小林多喜二と三島由紀夫のうらみはらさでおくべきや、みたいな意識でしょうが。

学校が追いつめられているのは、お勉強が出来ることが将来どのようなことをもたらすかもたらさないかについて、十分説明できないというところに顕れている。で、困ったあげく、政治的な事象をを含めた生き方の問題じゃなくて、人間性みたいなことを示すしかなくなっている。「イイヒト」問題である。無論原因は教師も二世が多いということだけではない。具体的な政策によって遂行されたのである。――かようにして、メディアのネガティブキャンペーンのはりかたも、政治家たちなどの生き方の問題よりも、モラルや態度や人間性への攻撃になりがちだ。うちの選挙区で落選した自民党員なんか、政策というより人間性が遂に疑われたから落選したに過ぎず、生き方すら問題になっていない。というわけで、生き方そのものを少し問題にし始めた小川氏の方に天が味方した。

いまはとにかく転向の時代である。いろいろ理由はあろうが、転向するやつは信用できないということは思い出して貰ってよろしいのではないかとおもう。ネトウヨからの、サヨクからの、小沢主義者からの、いろいろなところからの転向があるわけだが、ボスが腐っても一緒に心中するほうがわたしは好きだ。自民も立憲も大学人も企業人も根本的に修正主義者、つまり合理的な修正を加えればよいと思いがちだ。しかし、その修正は最終的には自己利益に従って成されるから根本的な変更に至らないし人の心を打つこともありえないのである。こういうのに絶望して真摯なひとたちは転向してしまうわけだが、我慢のしどころというか根性が必要なところじゃないか。

幼稚なものはともかく、冷笑主義を自覚しない大の大人の冷笑主義はこういう経緯をもって誕生するのでやっかいである。歳とってからの転向なので人生の帰趨という感じもして改心できない。吉本隆明もどきの大衆主義?とかが、むかしの転向者の帰農みたいな羞恥心をもたせずに転向を合理化してるところもある。ただ、こういう人間はまだましである。吉本なんかが問題にしてたのが、自立そのものでなくて生き方の問題だったことにいずれ気がつくであろうから。

檸檬と蛙さん

2021-10-30 23:30:26 | 日記


山深み岩に滴る水とめん かつがつ落つる栃拾ふほど

こんな歌は事実だけとってみればなんということもないのだが、作品なのである。事実偏重主義みたいなものと権威主義は屡々結びつく。ただの事実を真実みたいに輝かす必要があるからである。注釈作業が現状追認型になりがちなのは昔から言われている学問的忠告だが、わたくしが危惧するのはむしろ、研究者が陥る人格まで至る機械主義である。やはり、「暗夜行路」や「夜明け前」を我々の文化はくり返し咀嚼すべきだと思う。「古事記」と「源氏物語」を読んだ上で。我々の文化は、常に機械的真実に対する逃走がある。

反権力みたいなのは確かに思想的には素朴な場合が多いとはいえ、中学生の反抗でさえ、それがある種の想像の発現であることは重要である。だから、それって感想ですよねとか主観ですよねとかいう人間はおかしい。小学校の後半あたりから私も、どうでもいいものから今に至るテーマにいたるまで、その想像に忙しくて学校がかったるかったことを思い出す。こっちは忙しくしてるのに学校が無為の時間を強制してくるのだ。学校は、教育の困難への絶望から、思春期を発達段階の生理的な何かとして高をくくる。だから、管理するしかないんだと思ってしまうのである。

むかし、教育実習にいったときに、「昔の高校教員は大学の先生みたいだったけど、いまは生徒も父兄も受験勉強を要求してくるからその道は絶たれている」と言われた。ほんとうはちょっと違うだろう。昔から受験勉強はある程度要求されてたわけだし、それなりの父兄からのプレッシャーも存在していたが、知識人としての矜持が精神的なサボタージュを可能にしていた。問題はむしろ、本質的に上の発言をした教員が受験勉強で育っているだろうということである。キャリア教育が小学校から有効性を過剰に持つとどんなディストピアが来るかということだ。学校の先生は職業に即したことしかできず、大学の先生もそれらしきことに集中するしかなく、そういう仕事の他はプライバシーです、――こんな風に育ち上がってしまうと、というより、幼少期からそういう風に生きてるからそのキャリア道の障害をいやがるようになってしまう。人間、塞翁が馬であることさえできなくなったら大変なことではないだろうか。

こんな事態に対する我々の違和感が、コミュニケーション能力とか言わせるわけだろうけれども、そんな風に名づけてしまっては元も子もないのである。またコミュニケーション能力装備してますみたいな狭量で厭な人間がでてくるだけではないか。学問の自由とか職業選択の自由とかいうのは、こういう職業ロボットみたいな人間を生み出さない自由のことであって、自己相対化や自己肯定感、これら全て、この自由を前提にしていないとどうしようもない。

想像がなければ、研究も理念も機能しない。想像の自由をなくすことは自由をなくすことである。

2021-10-28 22:12:08 | 文学
こととなく君恋ひわたる橋の上に あらそふ物は月の影のみ

「恋ひわたる」と「あらそふ」という動的均衡がすばらしいと思う。「月の影のみ」というところに「恋」以上の愛情があって、逆に、西行は月が好きだから君も好きだったのではあるまいか。



ものの影に隠れるショウリョウバッタ


鹿と皇族

2021-10-26 23:48:38 | 文学


夜を残す寝覚めに聞くぞあはれなる 夢野の鹿もかくや鳴きけん

夢野の鹿は、摂津風土記逸文などにある説話で、淡路島に妾をもった牡鹿がある日、背中に雪が降る、薄が生える夢を見たという。本妻の牝鹿が、それは猟師に撃たれて塩を塗られる前兆だと言った。それでも妾の元に通おうとして、不思議にも、本当に猟師に撃たれたのであった。その撃たれたところを夢野と言うようになったのである。

その浮気鹿の鳴き声というのは、どの時点での鳴き声であろう。夜中に鹿の声で起きてしまう西行は、さては浮気した夢でも見ていたのであろうか?

昔は、鹿ですら浮気していたのであった。とにかく惚れやすいことがらが文学の中心に居座っていた。しかしまあ、人間の恋は案外長く続くのが特徴ではないかと思う。浮気でも何でも長引くのである。研究と似ている。

世の中は、皇族の結婚騒ぎで盛りあがっているようであるが、天皇制を民主主義に組み込もうとしてシンボル化したつけがまわってきたに過ぎず、これも憲法意志が背後にない憲法問題なのだ。でも、とりあえず断固決然、崇徳院どのに免じてその一族の恋する輩は支持することにしたい。

瀬をはやみ岩にせかるる滝川の われても末に逢はむとぞ思ふ

柳田國男を引くまでもなく、日本の家制度は一種の〈親〉制度であった。親が自分と子に対する広い意味での庇護のためなら、子どもの気持ちも無視して何でもしかねないところがある。過去の日本人は家のために自由がなかったなどと教育されている若者達も、自分の結婚の話が湧いてきたらよく分かると思う。で、子どもは子どもでそれを何か封建的遺制のように感じて反発するが、〈親〉となった場合自分の子どもに対してはおなじことをしかねないのだ。親も子どもも、自分や他人に対して「ほっとけ」という態度に出られない、そういう抽象的な心理的カラクリが日本の〈親子〉である。近代文学を読んでいると、ある意味で、そういう抽象性の暴力に耐える契機は、作家に多くいた養子経験にこそあったような気がしてくる。無論、彼らは最大の被害者になることもあるのだが、近代的な自我というのは、親に対する(養子にあったような)自動的でアナーキーな切断を感じているようでないと生じないのではなかろうか。

以前、明治天皇の和歌を調べたことがあるが、天皇からある種の感情の主体を奪った近代日本の罪は重い。子どもたる臣民もつられて感情を失った部分もあるかもしれない。社会的に広がった比喩的な親制度は、現実の親に対する感情さえ奪いかねない。明治より今の我々が自我を奪われている理由は簡単で、親が天皇から米帝に変わったからである。もはや天皇よりも人間じゃねえものが親になってしまっていて、反抗しようにも切断しようにも絶望的なのである。

百円の金は聞いた事がある。が見たのはこれが始めてである。使うのはもちろんの事始めてである。かねてから自分を代表するほどの作物を何か書いて見たいと思うていた。生活難の合間合間に一頁二頁と筆を執った事はあるが、興が催すと、すぐやめねばならぬほど、饑は寒は容赦なくわれを追うてくる。この容子では当分仕事らしい仕事は出来そうもない。ただ地理学教授法を訳して露命を繋いでいるようでは馬車馬が秣を食って終日馳けあるくと変りはなさそうだ。おれにはおれがある。このおれを出さないでぶらぶらと死んでしまうのはもったいない。のみならず親の手前世間の手前面目ない。人から土偶のようにうとまれるのも、このおれを出す機会がなくて、鈍根にさえ立派に出来る翻訳の下働きなどで日を暮らしているからである。どうしても無念だ。石に噛みついてもと思う矢先に道也の演説を聞いて床についた。医者は大胆にも結核の初期だと云う。いよいよ結核なら、とても助からない。命のあるうちにとまた旧稿に向って見たが、綯る縄は遅く、逃げる泥棒は早い。何一つ見やげも置かないで、消えて行くかと思うと、熱さえ余計に出る。これ一つ纏めれば死んでも言訳は立つ。

――漱石「野分」


久しぶりに漱石なんかを読んでみると、「おれにはおれが」と、「浮雲」の堂々巡りとは違ったいらいらの時間をきちんと書いていることが分かった。「親」から離れるには孤独な時間も必要で、今日結婚した元皇族の夫婦もそういう時間はいずれにせよ必要だったのかも知れない。確かに、海を越えることで、皇族という親から離脱するやり方がある。今回の場合は超えた先が米帝だったから、我々もその元皇族もまだ何かそれが親離れのイメージを強烈に持たずにすんでいるのだが、これがロシアとか中国である可能性がこれから出てくるだろう。

鹿来れり

2021-10-25 23:48:26 | 文学


人来ばと思ひて雪を見る程に しか跡付くることもありけり

「しか」は確かと鹿がかかっていて、この「跡」は、「人来ばと思ひて」と繋がっている観念でもある跡なのである。思うに、西行は雪をまっさらなものだとおもっているのだが、もともとそうとは限らない。わたくしは、雪が多い地域で育ったから、雪はまっさらのようにみえて、よく見てみると細かいゴミだらけなことが多いと知っておる。確かに鹿も足跡をつけてゆくかもしれないが、糞もしかねないのである。

子どもの頃は、雪を食べてみたりしたのだが、非常に危険な行為であった。

登校途中で、まっさらな雪に朝トイレにいてこなかったのか、おしっこをしている子どもが結構いた。「しか跡付くることもありけり」。

其の時である。ピューンピューンという何かの声が霧の底から幽に聞えて来た、冴えた尻上りの細いがよく徹る声だ。耳を澄せば近いようでもあり、遠いようでもあり、鳥か獣かそれすらも分らぬ。私は其声に射竦められて、三十分余りも樹の枝にしがみ付いていた。すると颯と霧が開けて、右手に目的の尾根が現われる。声を揚げてオーイと呼ぶと、十五、六間離れた樹の上で、矢張霧の晴間を待っていたらしい案内者が笑顔を向けて「オー、旦那そこに居たかね」と答える。一緒になって、さっきの声はありゃ何だと質せば、鹿の声だと無造作である。土の段は。そりゃ奴等の作った寝場所でさあ。これで三十分も私を苦しめた謎の正体も飽気なく解決されてしまった。

――木暮理太郎「鹿の印象」


そういえば、国木田独歩の「鹿狩」でも鹿の鳴き声は描写されてなかったかもしれない。主人公の少年が養子に行くおじさんの息子が鉄砲腹をやったときも別に描写があるわけでなし、鹿を撃ったときだってあまり音がしているようには我々は感じない。音が風景に飲み込まれているのは、今の我々も同じである。子どもの叫び声などが却って上の鹿のように聞こえてくるようになってしまった。これからいずれまた、人間を風景に飲み込む工夫が成されると思う。

玉に枝、その他の差別

2021-10-24 23:40:16 | 文学


山がつの片岡かけてしむる野の さかひにたてる玉のを柳

山人が領有するしるしに立てた小柳の枝が玉を貫いた糸のようだ、というのだ。考えてみると、ただの玉ではなく、玉を貫く糸のほうに魂を奪われるのが、なんか悔しい。玉をもっと愛でた方がよくはないであろうか。玉の小櫛もそうだ。

白き綿の玉の如き
二羽のひよこが
ぴよぴよと鳴き、
その小さきくちばしを
母鶏の口につく。
母鶏はしどけなく
ななめにゐざりふし、
片足を出だして
ひよこにあまえぬ。
六月の雨上りの砂
陽炎の立ちつゝ


――與謝野晶子「無題」


モスラの幼虫が、東京タワーに繭を作ったときもそうであるが、たしかに玉だけでは美ではなくタワーが必要であった。ここでも母鶏が卵のようなひよこに足を出す。我々風景には、ほんとうは沢山のものが映りすぎているのだ。だから、なにか糸とか棒とか足とか出しながら、意識をなんとか美の中心にいざなうのである。だから、やはりみんな本当に好きなのは玉である様な気がする。こんなことを言っていると、つい天皇もそうじゃないかと言ってくる人もあるに違いない。

もっとも、これは美的領域に関する操作だ。似たようなものに差別の領域がある。玉ではないものを枝と認識してしまう領域のことである。我々の近代世界は、この種の勘違いを発展させてゆきかねない側面がある。それは抽象や代理表象といったものをロジックと思い込む形式論理のことである。例えば、明らかにおかしい政治家を選んでいる国民が問題だという主張があったとして、それを言われて責任をかんじちゃうのが我々である。代理表象の強迫である。しかしそれはただの制度性の前提を確認したに過ぎず、その場合自分の代理を変えて自分を変えた風に装うことが出来るのがむしろいいところなのである。代表面している人間達は、我々の代表であるとともにただの堕落しもするただの人間である。

学者が屡々言う「時代が変わった」というのは、かなりの率で「政府の方針が変わった」の代理的言い換えであるが、しかもそれを本当に忘れている場合がある。小さい頃は虫を触って平気なのに、大人になると駄目になる人がおおいのは、なにか教育に問題があるような気がする。むしろ逆にならなくてはならないのではないだろうか。虫は、我々の代理表象にならないから不快なのである。「蠅男の恐怖」の時代からセンスはかわっていないわけである。

多様性を認めるというのはある意味でいい加減になることである。分類とそれに対応すること(代理のこと)を考えるのが頭のよい使い方じゃない。ほんとはこういうの小学校高学年ぐらいで気付くんだが、それをまた押し戻す教育がある。中学辺りで、やたら意味不明の欲動や不満を押さえ込むための形式論理を強いられている。記号には強いがコミュニケーションには弱いみたいなのが典型として語られがちだが、実際は形式論理しか分からないタイプと言うべきで、形式論理を強いる教育の効果という側面が大きい。そこに抵抗する人間は、場合によっては発達障害者に入れられているのかもしれない。

多様性を担保するための工夫は、そういう形式論理の跋扈する社会では、個別の症状への神経質なケアとなる。しかしそれは、ある種の達人にしか可能でなく、できるのはおおらかさへの道ぐらいではなかろうか。教育はいまのところ前者しか教えておらず、もちろん、教科と同じくほとんどが落ちこぼれるわけで、個別へのケアは個別への差別となりがちなのである。

おおらかさを失うということは、さきの記号対コミュニケーションのような二項対立を煽るものである。例えば、家庭が居心地のよい場所だからこそ外での荒波に耐えられるという論法、たぶんそういう場合も多いと思うが、実際は、内と外で急に人間の行動は切り替わっていない。しかし家庭と世間の二項対立がはじまってしまっては、取り返しがつかないのだ、そんな全面的対立がないことを否認し続けるから、内面でなにやら夢を見続けるしかなくなるのである。仕事や学校であっても居心地の良さは大事に決まってるわけで、家庭でのそれも同じようにその実現は非常に難しいわけだ。家庭の方が少人数だからうまくいくというのは幻想である。

我々はしばしばそうやって出来上がった内面をアイデンティティと錯視する。その結果、上の場合は家庭への幻想的な愛は、外部への「差別」となって認識される。すなわち我々の差別とは、単なる観念的思い込みではなく自らのアイデンティティの裏面に過ぎないことがおおいわけで、思い込みを消すことではなかなかおさまらない。当たり前であるが、違いを認め合う、ことでは尚更おさまらない。対立がかえって深まってしまうのである。むしろ、現実的には共通点を見出すことで仲間意識が生じることぐらいでしか事態が好転するのをみたことはない。みんなちがってみんなイイは、みんなちがって俺とはちがう、になりがちで、だからみんなちがってみんなダメのほうがまだましなのである。

友よぶ声のすごき

2021-10-23 23:56:04 | 文学


古畑のそばの立つ木にいる鳩の 友よぶ声のすごき夕暮れ

すごしというのは訳しにくい言葉のようにおもわれる。いまのスゴイよりもぞっとする荒涼とした恐ろしさに近いようだが、鳩が友を呼ぶ声なのであまりにそのことを強調するとホラーみたいなニュアンスになってよくない気もする。すごき雰囲気は、古畑のそばに立っている木ですでに出ていて、それと鳩が重なっている?とはいっても、更に「すごき」をつけているところに西行の気合いが感じられる。

以前「心が叫びたがってるんだ」というアニメーションを見たことがあるが、内容は忘れてしまったが、心が実際に叫ぶのではなく、心の叫びが他人事のように動いてしまう不気味さを感じたことを思い出す。

ここには友などの他人がいるからである。「心が叫びたがっている」というのは、まだ抑圧がかかっている。すなわち、「友よぶ」という強いられた何かが抑圧されている。もっとも西行は、いちおう全て捨ててきているのだから、それが自己愛にもマゾヒズムにも流れないですんでいるわけである。捨てていない我々は「すごき」といってもホントはそう思っていないのではないかという欺瞞を孕んでしまう。だから「叫びたがっている」としか言えないのではあるまいか。

このまえ阿部寛と藤澤恵麻主演の『奇談』を観返したが、藤澤氏のデビュー以来のちょっと俳優らしくない演技は、物語上のリアリティよりも、現実のリアリティに沿った――つまり個人的な体の動きに沿った演技なのだと思う。この人は、例の科捜研の女の人みたいに、物語になんだか優しい異物として寄り添ってしまうより、より現実の方に寄り添ってしまったパターンだ。これは、なかなか兆候的だったと思うのである。虚構であるか現実であるかの区別の消失は、読者が自らの想念を虚構と対比しないところから生じる。「叫びたがっている」というのも、現に叫んでしまえば、現実と化してしまう欲望が、叫びたがっているとなれば、虚構にとどまれる。

我々の社会が、口先だけの抱負を述べるばっかりのまるで、義務教育中の子どもみたいになっているのも、当然である。彼らは「叫びたがっている」と言えばすむのである。いうまでもなく学校とは虚構であるからだ。学校のなかの自分は現実であるにもかかわらず。

塗板がセンベイ食べて
春の日の夕暮は静かです

アンダースロウされた灰が蒼ざめて
春の日の夕暮は穏かです

あゝ、案山子はなきか――あるまい
馬嘶くか――嘶きもしまい
たゞたゞ青色の月の光のノメランとするまゝに
従順なのは春の日の夕暮か

ポトホトと臘涙に野の中の伽藍は赤く
荷馬車の車、油を失ひ
私が歴史的現在に物を言へば
嘲る嘲る空と山とが

瓦が一枚はぐれました
春の日の夕暮はこれから無言ながら
前進します
自らの静脈管の中へです


――中原中也「春の夕暮れ」


現実がわれわれをもっと苛めれば、もういっかい中原中也みたいな夕暮れがやってくるかも知れない。我々が虚構の中で苦しんでいるのも、ネットやらがなにか虚構に物質感を与えているにほかならない。

松を重ねよ

2021-10-22 23:56:04 | 文学


子日して立てたる松に植ゑそへん 千代重ぬべき年のしるしに


元旦と子の日が重なったときの歌らしいのであるが、そんなしょっちゅう起こる現象ではないのだから、天皇の御代が長く続くことを思わせないような気がするである。しかし、人間とはおもしろいもので、たまたま起こった現象にこそ永遠を感じるのだ。

聞け、われ汝等に超人(佛)を說かん。
超人(佛)は地の意義なり。汝等希くば、超人(佛)は地の意義なることを欲するところあれ。


――ニーチェ「如是経 序品」(登張竹風訳)


超人と仏は重なる。重なることで、その一致が部分的で一瞬であっても、重なることによる重さがある。考えてみると、我が国は、政治でも文学でも何かを重ねることでなにか重要なことが起きるような錯覚をつねに持っている。政治日程とか、政策も何かと常に重なる。

まさしく見えてかなふ

2021-10-21 23:37:49 | 文学


年暮れぬ春来べしとは思ひ寝に まさしく見えてかなふ初夢

「春来べし」から沈む「思ひ寝に」を経て、「まさしく見えて」とぱっと開いた世界に対して「かなふ初夢」とつなげる西行は、なんだか小学生みたいなところがあるように思う。「初夢みちゃった春も女神を抱いちゃった夢がかなった」、感情としてはこんな感じではなかろうか。

この生臭坊主が


雪が溶けると同時に、花が咲きはじめるなんて、まるで、北国の春と同じですね。いながらにして故郷に疎開したような気持ちになれるのも、この大雪のおかげでした。
 いま、上の女の子が、はだしにカッコをはいて雪溶けの道を、その母に連れられて銭湯に出かけました。
 きょうは、空襲が無いようです。
 出征する年少の友人の旗に、男児畢生危機一髪、と書いてやりました。
 忙、閑、ともに間一髪。


――太宰治「春」


もっとも、人間、ここまでの生臭になると逆に春自体に感激したりするものだ。人生の春なんてとっくに棄却され、彼にはときどき晴れる春があっただけであった。戦争はそれを彼に自覚させた。戦争とともにいい歳になっていった太宰が、戦後の「まさしく見えてかな」ったような「表面的な春の到来」に耐えられたわけはない。わたくしは、西行よりも太宰を遙か上位におきたいと思う。

虹の親密さ

2021-10-20 23:52:44 | 文学


さらにまたそり橋渡す心地して をふさかかれる葛城の峰

役行者が鬼神に橋を架けさせようとして失敗したという話をふまえて、「さらにまた」かかったをふさ(虹)を幻視する西行であるが、坊「反り橋」を「渡す心地して」というところが、虹が渡る美しい動きを想像させていいかんじである。「をふさかかれる」云々があとに来ているのもいい。時間がまわっている感じがする。

日本文芸の特色、――何よりも読者に親密(intime)であること。この特色の善悪は特に今は問題にしない。

――芥川龍之介「文芸的な、余りに文芸的な」


芥川龍之介がいうこの「親密」さも、西行が「をふさかかれる」と言うことに通じているような気がする。芥川はこれが善悪の問題にかかわっていることにも気づいていた。小林秀雄も「親密さ」を重要な概念として語っていたが、善として扱いきったわけではなかった。――実際は、親密さを押し出せば何か問題が解決するように感じる癖があるように思う。

虹がかかればいいのかよ、ということだ。

当たり前だが、人間の集団というのは、かならずいろいろと気の回らず仕事ができない人間を、出来事の多様性による「いざという時」のためにとっておき、普段は迷惑がかからないように排除せずにほっておくことが必要である。しかし、いまは全員が最高のパフォーマンスをとかいうから、そういうほっとかなければならない人間がかえって悪いパフォーマンスをするし、そこででた負債を掃除する仕事が他の人間に降りかかる。当たり前の話である。要するに、我々は組織論ではなく人間観がおかしくなっているのである。多様性?の総活躍とかいう発想は、全体主義的でもある以上に、非常に人間どうしの付き合い方の点で不自然である。

もっとも、人間の集団だから、かならず、最小限の人員で効果を出そうとして失敗してきた歴史があるに違いない。そんなときに、「虹がかかりました」みたいな感想は果たして意味があるのであろうか?親密さは、失敗するときには、かならず、ほっとかなければならない人間を動員する時に使われたりするから厄介だ。そして、その優しさが、ほっとかれそうになる危機感を持つ人間のコンプレックスを刺激する。刺激された人間は、自分が嬉しかった「虹」を連呼するようになるのだ。

要するに、弱者への対策が、親密さをフックにした支配を生み出すことを懸念しているのである。ガキ大将への対処がそうであるように、強者への対策は勇気がいるしすぐ効き目があることをしなければならない。弱者のほうもほんとうはそうなんだが、そうでなくてもよい言い訳がたくさん見つかってしまうのもよくない。「虹」もそのひとつである。

新開水神社を訪ねる(香川の神社212)

2021-10-19 18:54:58 | 神社仏閣


新開水神社は、木太町。案内板がちゃんとあった。ここらは寛文年間に干拓された地であって井戸をつくってもたいがい失敗であったが、ここの井戸だけはきれいな水がわき出ていた、そこで、新開・州端地区の住民がここに水をもらいに来ていたらしい。そこで祀られたのがこの水神である。昭和30年代までこのもらい水の習慣は続いていたという。

戦時中の『香川県神社誌』に載っている「新開神社」は近くに別にあるようだがまだ訪ねていない。この「新開神社」は祭神が保食神である。結局、日本の神社というのは保食神とか水神というのが多いのだ。みんな食べるために大変な思いをしていたわけである。この保食神とは、日本書記にも出てくる女神で、アマテラスがツクヨミに、保食神を訪ねさせたところ、陸には米を、海には魚をゲロしていたのであった。それをみたツクヨミはあまりにBかだったので、思わず斬り殺してしまった。そしてその屍体の頭から牛馬、額から粟、眉から蚕、目から稗、腹から稲、陰部から麦・大豆・小豆が生えてきたのである。

頭から牛馬がでてくるのがすごいが、視点を引いてみてみれば、われわれだって、山や川のほとりから生えてきている植物となんら変わりない代物である。陰部から麦ではなく我々がでてきてもべつにかまわない。いろいろなものの屍体から様々なものが生えてくるのを昔の人たちは見ていた。

いうまでもなく、こういう形の神話を、ハイヌウェレ型神話という。ハイヌウェレはインドネシアの島の少女であり、尻から宝物を出すので気味悪がってみんなで殺して埋めた。で、父親がその死体をわざわざばらばらにして畑に植えたところ、いろいろな芋が生えてきたのである。しかし、まあ、この少女、そもそもココヤシの花から生まれているのであって、まずそこに村の連中が驚かないのがおかしいし、この父親、さてはココヤシと異種交配をやらかしているのであった。まあ、ココヤシに性的魅力を感じるのはわからないではない。べつに植物に恋してもいいじゃないか。



水神のかたわらからココナツに似た人が生えてる!

名も知らぬ 遠き島より
流れ寄る 椰子の実一つ

故郷の岸を 離れて
汝はそも 波に幾月

旧の木は 生いや茂れる
枝はなお 影をやなせる

われもまた 渚を枕
孤身の 浮寝の旅ぞ


さすが島崎藤村、もう少しで椰子の実に惚れそうになっている。しかしそこは近代人の悲しさで、恋したのは自ら、「孤身」であった。

さくらの重なり

2021-10-18 23:19:13 | 文学


吉野山さくらが枝に雪散りて花遅げなる年にもあるかな

國文科に入ってとりあえずヨカッタとおもうのは、くずし字の翻字の練習をして、当たり前であるが昔は和歌やら何やらは明朝体やゴチックで書かれていたのではないということを思い知ったことである。勿論知識としては知っていたが、思い知るというのが重要である。

なにやら岩の染みだか蜘蛛の巣みたいなひょろりと垂れている字から意味を取り出すまでにはものすごく時間がかかり、――もはや我々の文芸が自然に貼り付くように存在していて近代の我々はそれを強引に引きはがして行くほかはないのだが、それは一種の暴力と感じられる。

人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んじまえ、という言葉があるが、――古典を読んでいると、確かにそういう通奏低音が聞こえる。馬にけられて以降が独走して平家物語になったりするけども、それでもそこにはかくれた現実があって、それが人の恋路なのである。この恋路には、路である限り、桜を見に行く路も含まれているのかもしれない。ネットの罵詈雑言も平家物語みたいなもんで、ほんとは人の恋路を邪魔されたという鬱屈がかくれているのではないだろうか。

たしかに、上の吉野山の桜には、無限の和歌と恋が折り重なって咲いているのであったが、――たしかにこれはいらいらいする。ばっさりと切ってしまいたい欲望も我々に生じる。

花より団子

これはちがう。花と団子は一続きだ。花と恋が一続きであるように。

天下りと還相

2021-10-17 23:47:26 | 文学


おしなべて花の盛りになりにけり 山の端ごとにかかる白雲


こんな夢をみた。東京から徒歩で帰ろうと思って小雨の丘を登った。霧で上方が見えないが富士山だろう。怖いので引き返した。私は一生小雨の東京駅だろう。

山の端と簡単に言ってくれるが、山の端は美的対象とは限らない。無限としての虚無の入り口のような気さえする。

奧へ奧へ行こうとする我々の本性がある一方で、屡々、山の向こう側からくるのは怖ろしいものであった。実際、天下りの語源となった天孫降臨というのは、ほんとにただの官僚の天下りであった可能性があると思うが、いっそ下るなら**の国まで下って欲しいものだ。その意味では還相する人は一度死んでいるから心がけがいいと思う。それを人間ができるものとも思えないが、――少なくとも、西行だって、出家するときに、自分が生きているのか死んでいるのか分からない境地を潜っているはずであるから、もう一回俗に降りてきても許せるというものだ。

我々には、逝って帰ってくるものに対するゆるい感性がある。それは半径2,30メートルぐらいの範囲に起こる身近で世界を巻き込んだ循環であって我々が眺めながらそこにいる。

乃ち此信仰(先祖)は人の生涯を通じて、家の中に於て養はれて来たのである。證拠が無いといふやうなことを、考へて見る折はちつとも無かつたといふ以上に、寧ろ其信仰に基いて、新たに数々の證拠を見たのである。

――柳田國男「先祖の話」


「部屋とYシャツと私」という曲があったが、あらためて聴いてみたら三拍子であることを発見した。三拍子は、循環するリズムである。拍子が「部屋とYシャツと私」という3つを循環する。この歌は人の一生を歌っていて、たしかPVでも、子どもが生まれて結婚するまでを同じ部屋で経験する風景が描かれ、本当は誰かが死ぬと本当に循環が完成するのだが、代わりに猫が死んでいた。部屋の中を人の人生が循環する。人が死なないのは、ついに『家』の崩壊を示していると言ってよい。

子どもの頃、墓の位置が近いのに自力でお盆の時に帰ってこれない先祖はおかしいなと思っていたが、我ながらいいとこついていたのではなかろうか。家と墓の関係は能の舞台のようなものなのである。わたしの家は、祖父と祖母の住まいを渡り廊下みたいなもので結んでいたが、わたしが食事になると屡々呼びに行く。お盆というのもそういうところがあるのである。生きていることと死んでいることはそこでは相対的であり、呼びに行くことが「家」である。それを我々は能の舞台のように死と生を眺めていた。