君かへす
朝の敷道さくさくと
雪よ林檎の香のごとく降れ
今日、教育テレビで、穂村弘氏が短歌ファーラムの司会をやっているのをみた。東直子氏と恋の歌の変遷ついてもしゃべっていたが、そのなかでやはり圧倒的だったのが、北原白秋
の姦通歌。牧水の
ああ接吻
海そのままに日は行かず
鳥翔ひながら
死せ果てよいま
もよいが、接吻と死、という何か中学生的なものを感じなくはないから、白秋
の犯罪的なものには負けるというものだ。
別の意味で、犯罪的なものが強い例もある。
http://www.sankei.com/life/news/141025/lif1410250016-n1.htmlで、教科書に載った池澤夏樹の文章が批判されていた。わたくしは読んだことがないのだが、「桃太郎」が侵略者として解釈されているそうである。(果たしてそうかという感じもするが、本文を読んでないので何ともいえん)で、
「おそらく伝統的な日本人なら誰もが唖然とするであろう一方的な思想と見解が、公教育で用いる教科書の検定を堂々と通過して、子供たちの元に届けられた、という事実に私は驚きを隠せない。
例えばこの単元を用いて、偏向した考えを持つ教師が「日本人の心性とは、どのようなものであると筆者は指摘しているか。漢字4字で書きなさい」などという問題を作成したら一体どうなるか。生徒たちは「侵略思想」と答えるしかないだろう。
歴史を超えて語り継いできたお伽噺が侵略思想の権化としてすり替わり、子供たちを巻き込んで展開されていくことなど公教育の現場ではあってはならないことだ。」
あまりに頭が×そうな文章だったので、つい習性で線をひいてしまったが……以上のようなことを義×という人間が書いて居るぞ。××に説明してもしょうがないが……この人は、「桃太郎」の歴史的変遷も知らずに教育を語っている。強盗まがいのおもしろ桃太郎を、(自覚なき)「
侵略者」として解釈し直したのは、むしろ明治以来の公教育なのではなかろうか。芥川龍之介は、それをちょっと大げさに書いているだけであり、たぶん池澤夏樹だってそうなのである。この御仁は、福澤諭吉が桃太郎を盗人野郎として批判しているのも知るまい。いっそ、昔に戻すというなら、桃太郎が鬼と一緒に女を買いに行くバージョンに戻すか。おじいさんおばあさんのために鬼ヶ島に成敗しに行って財宝を持って帰ってくる、これを侵略というのである。芥川龍之介は、親切に、例えば、猿をレイプ魔じみた獣にしたててしまったが、そんな書き方はむしろ問題から逃避していると言えなくはないのだ。にこにこ顔の孝行息子の桃太郎が人殺し野郎であったことが問題なのである。そういえば、桃太郎は追い詰められたマイノリティの反逆だという説もあった気がするが、本当に追い詰められた人間が桃太郎のような話を作るのかわたくしは懐疑的である。
……こういう新聞記事のあきれ果てる体たらくをみるにつけ、つくづく文学は、早期教育が必要だと思わざるを得ない。わたくしの業界でもそうであるが、小中学校から学校の勉強サボって文学書を読みふけったタイプにはかなわないところがあるのである。
「日本人の心性とは、どのようなものであると筆者は指摘しているか。漢字4字で書きなさい」
こんなクズみたいな問題を国語教師が出すか?そして「侵略思想」と答える奴なんかいるか?確かにいる。この記事レベルの頭脳の人間である。