久しぶりに訪ねる。「天下泰平国家安全」とあり。実際は「天下騒乱国家安全」の領域国家的翻訳である。
すっかり観光スポットになっている――鹿に導かれて掘ったら水が湧いた、鹿の井出水の水神、いやさくらまつりです。
周囲の道路から家族連れが歩いていて、これは鹿参りだとすぐわかりました。
綱敷天神社御旅所の境内にあり。今日は、いつもにまして――かしらないが、梅田には人が溢れていて、ここらあたりにしか静寂はなかった。
昭和五十九年に再建された。
道真どのは、九〇一年一月、大宰府に左遷させられる。途中大坂に流れると紅梅が燃えるように咲いていた。この梅を眺めるため、漁師たちは艫綱をたぐり座席をつくりそれが「綱敷」という地名となった。道真は大宰府の地で死んだが、大坂に残っていた一族は道真が好きだった紅梅の元に祠を作る。「梅塚」である。これが梅塚天満宮となり、この御旅社となった。
ゴジラは何から何を守るのか?
神社明細書によると、有馬天神社は昔々の天元2年(979)にできたらしい。京都の菅原道真のあれであって、それ故か?そのあとの平安時代は荒れ果てていたらしい。そろそろ平安も終わりの頃なんか大洪水とかもあったのだ。建久3年(1192)に再建されたが、結局位置的に温泉の鬼門除け神社として機能していたらしい。
というか、この有馬温泉の辺り一帯が、なにか釜ゆで的地獄みたいな感じがして鬼も早々に帰宅するようなきがしないでもないのだ。
ひっそりと小さい神社も寄り添っている。
本殿。
いい顔である。
お金にまみれて身動きがとれない。
神仏習合してたから蘭若院阿弥陀坊が傍らにあったらしいが、寛正4年(1463)4月13日に火事で焼けた。同年6年(1465)仮殿建設。がっ、明治5年に例の分離政策で無住となり寺院廃止。なんだかんだあって、敗戦。しかし、生きよ墜ちよの風の吹く昭和23年(1948)、「温泉の湧出量減少に依り境内地に源泉を掘り、以来80余度の温泉の湧出を得」たらしいのだ。
富岡は、魚屋を本業にしてゐる男が、若いおせいと同棲する為に、この伊香保の温泉町に住みついた気持ちが、何気なく唄はれる林檎の唄声に乗つて、心のなかにしみじみと判るやうな気がした。おせいは泳ぐやうなしぐさで、向う側へ行き、さつと上つて行つたが、大柄な立派な後姿が、富岡には、いままでに見た事もない美しい女の裸のやうに思へた。矢も楯もなく、富岡はおせいの裸が恋しかつた。後姿に嗾かされた。いきなり、富岡もその方へ泳いで行き、おせいのそばに上つて行つた。湯殿の廂を掠める、荒い夜の山風がぐわうぐわうと鳴つてゐる。
「背中、流しませうか?」おせいが云つた。
――林芙美子「浮雲」
温泉がでてくる不倫小説とか、世の中に腐る程あるのであり、戦後にもたくさんある。映画、林芙美子の「浮雲」なんか、高峰秀子様が初の裸体(半分)で出現、「みだれる」でも若大将がなんか死んでいた。戦後の苦労のなかで何か温泉に入って人生やり直す機運でもあったのか。人間うつむき加減でいるときにはやはり掘り当てるのである。昔、神代の時代にもひどい戦争の後、うつむいて穴でも掘っていたらお湯が出たのかも知れない。
有馬の守護神である。大己貴命(国を造るよ)と少彦名命(薬を造るよ)がここらの温泉を発見したらしいのだ。この山奥に何しに来ていたのであろう。
いつ頃からか、熊野信仰も合体したりしていたらしい。水天宮もある。――イメージとしては、立ち上る水蒸気が龍のようであるから実によく分かるようでもある。がっ、――この先の階段が長すぎて、結局本殿まで行き着かず。案外、神社というのは、若者向きであって、ちょっと歳くってくると神社にもお参りできないようなやからはもうイイみたいな感じである。確かに、ヤマトタケルも足を悪くして伊勢までたどり着けなかった。
観光客や湯治客の一瞥に堪えているお宮で、人妻が夫の愛人を×し自分も深い温泉に身を沈めたというのだ。というわけで、きれいな女性の盛装をみると沸くとか、自分の醜い心をけなすと沸くとか、――まるで、ネット上の言論のようである。あまりに沸騰し過ぎたせいか、いまは枯れているという。
レスコフの「マクベス夫人」でさえ、夫の浮気に激怒して、その恋人を自分と一緒に極寒の川に沈めたが、ここまで水が意志をもつことはなかった。ソ連では、極悪人の親玉が死なないと雪も溶けない。わが国では、だいたい定期的に山が動いたり海や川が押し寄せてきたりする。上の温泉が涸れたのも、共産主義の鳥居をつけたからではないのか。
以前、有馬に行ったときにたずねた。明治四〇年(一九〇七年)誕生、祭神は大欲望系「増富稲荷大明神」。戦争に勝つ、儲ける的な意味で、近代日本の勢いが感じられる。ネットで過去の写真をみてみると、だいぶ赤い鳥居が「増」えているようである。この勢いで往くと、周りにある秀吉関係の像のあたりまでこの神社の圏内に飲み込まれるのではなかろうか。
本殿。
思うに、気が狂わないために神社があるようだ。我々の世界はいろいろと不安定にできすぎている。
どんぐり久しぶりにみた。
いまは寒いが、蝉が抜けているので夏なのではないだろうか。
三条北部地蔵堂の地神さんを訪ねる。今日はわが大学の國文学会である。疲れは残っているのでバスに乗って出かける。バス停の正面に地蔵堂が朝日に照っていた。
坂出で仕事があったので帰りに和霊神社に寄ってみた。雨が降っていた。
神社には全てではないが、いろんなものに屋根がついている。雨が降っていると、たしかに雨からいろいろ守られているのが分かるのであった。
鳥居は雨が降っていると雨宿りもさせてくれない。これは晴天用だ。