仙洞の夭怪をこそ、希代の事と聞処に、又仁和寺に一の不思議あり。往来の禅僧、嵯峨より京へ返りけるが、夕立に逢て可立寄方も無りければ、仁和寺の六本杉の木陰にて、雨の晴間を待居たりけるが、角て日已に暮にければ行前恐しくて、よしさらば、今夜は御堂の傍にても明せかしと思て、本堂の縁に寄居つゝ、閑に念誦して心を澄したる処に、夜痛く深て月清明たるに見れば、愛宕の山比叡の岳の方より、四方輿に乗たる者、虚空より来集て、此六本杉の梢にぞ並居たる。座定て後、虚空に引たる幔を、風の颯と吹上たるに、座中の人々を見れば、上座に先帝の御外戚、峯の僧正春雅、香の衣に袈裟かけて、眼は如日月光り渡り、觜長して鳶の如くなるが、水精の珠数爪操て坐し給へり。其次に南都の智教上人、浄土寺の忠円僧正、左右に著座し給へり。皆古へ見奉し形にては有ながら、眼の光尋常に替て左右の脇より長翅生出たり。往来の僧是を見て、怪しや我天狗道に落ぬるか、将天狗の我眼に遮るかはと、肝心も身にそはで、目もはなたず守り居たる程に又空中より五緒の車の鮮なるに乗て来る客あり。榻を践で下を見れば、兵部卿親王の未法体にて御座有し御貌也。先に座して待奉る天狗共、皆席を去て蹲踞す。暫有て坊官かと覚しき者一人、銀の銚子に金の盃を取副て御酌に立たり。大塔宮御盃を召れて、左右に屹と礼有て、三度聞召て閣せ給へば、峯僧正以下の人人次第に飲流して、さしも興ある気色もなし。良遥に有て、同時にわつと喚く声しけるが、手を挙て足を引かゝめ、頭より黒烟燃出て、悶絶躃地する事半時許有て、皆火に入る夏の虫の如くにて、焦れ死にこそ死けれ。穴恐しや、是なめり、天狗道の苦患に、熱鉄のまろかしを日に三度呑なる事はと思て見居たれば、二時計有て、皆生出給へり。
ようするに、太平記の筆者の一人の頭のなかはこんな感じだったのである。こんなのに、雨月物語みたいに坊主が来て説教してもしょうがないわな……。上田秋成が試みたのは、思想や文学で、妖怪退治が出来るかみたいなことであるが(本年度の卒論で教えて貰った)、そんなに難しい問題ではない。
日本に於いては近代の超克なんか簡単にできる。「ごんぎつね」を即刻「釣狐」に変えればよいのだ。
今日は、理由があって、あらためて教育基本法の改訂部分をチェックしてみていろいろ考えてみたが、――ほんとうの事情は分からないが、案外、こういう改訂というのが、イデオロギーではなく、文章の「わかりやすい」合理化や善意から生じている可能性があると思った。古い条文の真意が解せなかった可能性である。「ごんぎつね」ではなく、「釣狐」のような、主人公の心理への推測という自足状態を撥ね付ける世界が死ぬと、どんどん文章が読めなくなってしまうのである。怖ろしくおおざっぱなことをいえば、――小説の主脳は人情なり、の帰結がこの有様だ。この人情は、本当は人物の人情ですらなく、読者の勝手な人情の理解と手を結び合っている。作者は常に読者に忖度することになる。このことによって、作者は、主人公にも自分の思考にも忠実ではなくなる。その表現によって代替して自足する癖が生じるのである。
社会の役に立ってないかもしれないという私に「人の役に立ってるじゃん」と言った細君は正しいのではあろうが、本当は人の役には立つかはわからいけれども、精神の可能性と自由――つまりは、上の代替に自足しない働きには奉仕すべきなのである。教育基本法は昔からその観点が少し弱かったとわたくしは考えている。
先日、清原和博氏が朝日新聞で、言葉の暴力が体罰が許されない分いまはひどい、みたいなことを言ってたが、体罰を受けた人はその心理的からくりがわかるのである。清原氏が自らに対しても暴力的だったのは、氏が受けてきたのが常に暴力だったからであろう。今問題なのは、その自覚がない人間であり、我々は非常に暴力的な行動を常にしており、そうは見えなくとも我々の社会性を帯びた言動はその代替物だという自覚がない。その代替物は、近代社会を形作っているとともに、我々の意識を形作っている。科学的な治療や集団による慰撫や、ましてや人間に寄り添うみたいな姿勢で解決されるとは思えないのは、そのためである。
職業の中で、その労働の価値が業績という形で示されるようになったのも、その一部に過ぎない。今はやりのエビデンスとかなんとかもそうで、こんな要求ばかりしているから人は嘘をつくようになる訳である。エビデンス自体が価値そのものじゃなくてそうでないもので置き換えてる、つまり嘘の要素をはらむのであるから。学生達を主体的にさせたいのであれば、出席試験などの評価の割合をきめたりする成績評価の基準なんてものを作ってはいけない。だめかいいかみたいなものだけで評価してしまうべきだと私は思う。