先に約せしごとく石猴を拝して群猴の中の王とす。爰にて石猴自ら美猴王と名を稱し、猿猴獼猴馬猴等の衆猴を従へ、朝には花果山に遊び、暮には水簾洞中に宿し、己に三百歳を経たり。
一日美猴王長嘆して謂て曰く、「我今人王をも恐れず、猛獣をももののかずとせず、洞中に有て欒むと雖も、後年老い血氣衰へ、閻王のとらはれと成り、亦世界輪廻の中に生れんこそかなしけれ。しかじ、爰を去て遠く世界の中を周流し、神仙を尋て不老長生の術を擧ばん」とで多くのにいとまを乞ひ、洞中を出たりしが、枯松を編て栰となし、竹をきりて篙となし、そことも知らぬ大海の波の上に出でける。
「ドラゴンボール」に侵された現代人はわすれがちであるが、不老長寿の術をもとめていたのは、悟空の敵たちではなく悟空なのである。その猿が改心するところがえらいわけで、まったく反省もなにもないドラゴン悟空は、むしろ中島敦の孫悟空に近い。そんなクリーンな行動する悟空なんかを思い浮かべているもんだから、自分の汚さになかなか気付かない。悟空の声優の物まね芸人がいるが、野沢雅子が言わなさそうな「ぶっ殺すぞ」みたいなことを言ってウケている。これはある意味いいとこついている。悟空にもともと備わっていたはずの、ボス猿の側面をやってしまったのだ。
最近は、罵詈雑言が話題であるが、――「罵詈雑言の文化史」みたいな博士論文たぶんもうあるんだろうな。。。たぶんつまらないんだろう。
それよりも、悟空も食べていたであろう葡萄や蜜柑のおいしさは猿や人の人生よりもすごすぎる。
おれ小さい頃から小説よんで十余年、古今の小説、その真実がどこにあるのか少々会得したんで、おこがましいかもしれんが読者の迷いを解き著者の無知を啓いて、小説の改良進歩をはたし、その先にヨーロッパのノベルを超えますがそこんとこヨロシク、とか「小説神髄」の最初に言っている坪内逍遙の不良ぶりがすごいが、これは孫悟空の精神を受け継ぐものだ。当時の勢いもあるとはいえ、十余年でこういうことを言ってしまえるやつは確かにいるわけで、ちんたら学校教育で煩悶してる場合じゃないんだよ。。。
確かに逍遙も挫折したし、煩悶猿だけになった世界は、神通力を失ったつるつる膚の不気味な猿たちが罵詈雑言だけに頼っている。