★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

孫悟空と罵詈雑言

2024-04-30 23:13:51 | 文学


先に約せしごとく石猴を拝して群猴の中の王とす。爰にて石猴自ら美猴王と名を稱し、猿猴獼猴馬猴等の衆猴を従へ、朝には花果山に遊び、暮には水簾洞中に宿し、己に三百歳を経たり。
一日美猴王長嘆して謂て曰く、「我今人王をも恐れず、猛獣をももののかずとせず、洞中に有て欒むと雖も、後年老い血氣衰へ、閻王のとらはれと成り、亦世界輪廻の中に生れんこそかなしけれ。しかじ、爰を去て遠く世界の中を周流し、神仙を尋て不老長生の術を擧ばん」とで多くのにいとまを乞ひ、洞中を出たりしが、枯松を編て栰となし、竹をきりて篙となし、そことも知らぬ大海の波の上に出でける。


「ドラゴンボール」に侵された現代人はわすれがちであるが、不老長寿の術をもとめていたのは、悟空の敵たちではなく悟空なのである。その猿が改心するところがえらいわけで、まったく反省もなにもないドラゴン悟空は、むしろ中島敦の孫悟空に近い。そんなクリーンな行動する悟空なんかを思い浮かべているもんだから、自分の汚さになかなか気付かない。悟空の声優の物まね芸人がいるが、野沢雅子が言わなさそうな「ぶっ殺すぞ」みたいなことを言ってウケている。これはある意味いいとこついている。悟空にもともと備わっていたはずの、ボス猿の側面をやってしまったのだ。

最近は、罵詈雑言が話題であるが、――「罵詈雑言の文化史」みたいな博士論文たぶんもうあるんだろうな。。。たぶんつまらないんだろう。

それよりも、悟空も食べていたであろう葡萄や蜜柑のおいしさは猿や人の人生よりもすごすぎる。

おれ小さい頃から小説よんで十余年、古今の小説、その真実がどこにあるのか少々会得したんで、おこがましいかもしれんが読者の迷いを解き著者の無知を啓いて、小説の改良進歩をはたし、その先にヨーロッパのノベルを超えますがそこんとこヨロシク、とか「小説神髄」の最初に言っている坪内逍遙の不良ぶりがすごいが、これは孫悟空の精神を受け継ぐものだ。当時の勢いもあるとはいえ、十余年でこういうことを言ってしまえるやつは確かにいるわけで、ちんたら学校教育で煩悶してる場合じゃないんだよ。。。

確かに逍遙も挫折したし、煩悶猿だけになった世界は、神通力を失ったつるつる膚の不気味な猿たちが罵詈雑言だけに頼っている。

明らかな嘘の道徳性

2024-04-29 23:58:55 | 文学


されば石猴生長し、峰に遊び洞にかくれ、鶴に伴ひ鹿とたはむれ、歳月を送りけるが、ある時間と共に飛泉の下に遊び居りしに、一つの言を出し、「誰にてもあれ、此飛泉の水を鑽り、中の形を見る者あらば、拜して我徒の王とむべし」と云ふ。時に石猴すすみ出で、「よく是を見届けん」と云ひもあへず、身をとらせて瀑布の中へ飛入ったり。扨頭をして見まはせば、瀧の内は却つて水なく前に鐵の橋あり。其傍に石礍あり、「華果山福地水簾洞洞天」といふ十字を鐫りたり。橋を渡りて行けば、数歩朗らかにして人家の住居に同じ。石猴見終りて、再び瀑布の外に出て、群にむかひ、しかじかのさまを物語り、「是我輩の安居すべき究竟の處なり。我にしたがひ瀑布の中へ来れや」とて多くの猴をともなひ、かさねて瀧の内に案内しければ、猴ども内のありさまを見て大きに悦び、先に約せしごとく石猴を拝しての群猴の中の王とす。

漱石とかが文学論で引いたりする春秋左氏伝だが、妙に現実を知りましたみたいな感情を起こすもので、正直短絡的な人たちには危険な気がした。具体的に言いませんが、という説教のほうが有効なときがあるというきがする。で、虚構は虚構でこの程度に大げさな方が良い。明らかに嘘だからである。そのパロディである「ドラゴンボール」でさえ嘘なのに、なぜこれが案外道徳的な作用を人々にもたらすのか。

このあいだ、「推しは目覚めないダンナ様です」という本を少し読んだ。低酸素脳症の夫の看病記だが、題だけ見ると、一向に悟らないだめ夫が好きですみたいな話かと思った。世の中、目覚めない派と目覚めよ派に分かれている。前者も後者も意固地になって目覚めなかったり目覚めたりするわけだが、いっこうに人生がうまくゆくかんじがしない。

最近大井廣介をかなり読んだが、もう誰かが研究しているんだろうけど、すくなくとも彼は自分の本が結構売れたと認識していた。そういうことを自分で書いてしまう男であった。どうも、こういう嘘っぽい「虚実の皮膜」芸がいまのような状況の原点にある気もするわけである。大井はなぜ、無駄なことは書くまいというストッパーが働かないのであろうか。太宰や花田や安吾などの一見饒舌な人たちへのルサンチマンなのかも知れない。

そういえば、つい「神聖かまってちゃん」の劔樹人『あの頃。』というのを買って読んでしまったが、無駄のない文章だった。これに比べると、無駄のある文というのが、更にいらない紋切り型を招き寄せる事態をおもわせる。無駄な文とは嘘のことである。

横道誠氏の『発達障害者は〈擬態〉する』のなかにでてくる、オーケストラ部の先輩から古文でメールが送られてくるというエピソードはよかった。我々の世代は電話かほんとの手紙しかありえないけど、メール以降の世代は和歌の贈答みたいなことができる。かんがえてみると、どうみてもツイッターは和歌や俳句の普及に寄与しているし、インテリ?が日常的に大喜利をするようになった。そのかわりに、無駄だけで出来ている文だけでも平気で書いてしまうようになった。すごく乱暴に言えば、文章というものが何処まで行っても「そもそも」難しいのだということを知らぬ人たちが、文章を書くのに躊躇いをモテなくなってしまったのである。文章を上手く書く方法教えてという問は成り立たない。

そうすると、人々がほとんど虚言癖があるという風に見えるようになってくる。もう研究があるとは思うが、自意識過剰や文学へののめり込みと虚言癖との関係はすごく重要であった。〈擬態〉といっても〈演技〉と言っても〈反映〉といってもよいが、虚言みたいな観点がすこしでもないといけないような気がしたからである。しかし、われわれにそういうひっかかりがなくなっているのはなぜであろうか。上の横道氏の本を構成する、発達障害者達にもそのひっかかりがない。われわれはおそらく言葉との関係に於いて、全体として健常者でもあり発達障害でもあるような段階に入ってしまったのであろう。

化して一つ石猴となれり

2024-04-28 23:23:35 | 文学


混沌の初、其状卵のごとし。陽気の軽く清るは上浮みて天となり、陰氣の重く濁るは下凝て地と為る。其中に万物ことごとく發生し、人を生じ獣を生じ禽を生じ、天地人の三才それぞれに位す。盤古氏の開辟せし時、世界わかれて四大部州となれり。則其隣の名を東勝神州、西牛賀州、南贍部州と號す。其東勝神州の海外に一つの國あり、名を傲來國といふ。此海中に一つの山あり。華果山と號く。山の上に一塊の軽石あり、開辟以來天地の精氣を持ち、仙胎を育めり。ある日此石忽迸裂けて、毬の如きなる石卵を産けるが、化して一つ石猴となれり。此猿眼より金色の光を發ち、上りて天に輝きしかば、此時上聖玉帝天上の寶殿にましまして、此光を見てあやしみ給ひ、千里眼順耳風の両大将を召して看せしめ給ふ。

世間ではいいかげんなことに、子どもが希望とか言っているが、世の中がその子どものせいでよくなったためしなどない。だんだん若くなり赤ん坊に戻るならともかく、普通に絶望しかないにきまっている。自分が子どもだったことをわすれたのか。――うすうすこういうことに気付いているからこそ、スーパー赤ん坊というものを人々は構想する。上の孫悟空なんかはそれであろう。とてもじゃないが、人からこれは生まれない。とりあえず、世界のはじめから説き直して石猴(猿)を誕生させるしかない。SFもそういう絶望から出発しているので、やたら「世界観」をつくりたがる。そして世の劣等生達もそういうことを模倣したがる。

例えば、今だったら私の小児喘息は、精神的原因を疑われたかもしれないが、そんなことになったらもっと親に心配をかけることになり、それを反映してわたしの症状までエスカレートしたかもしれない、だから、昔の診断でよかったと思う。――こんなもやもやしたものが人間の人生であり、石猿で眼がぴかーっと光ったりしないのだ。

悟空誕生の場面で、四大部州を示しているのも、単に世界の説明ではなく、それぞれの世界については作者もなんだか知らないよ、という姿勢のあらわれではなかろうか。その部州それぞれが、なんであかの他人をもてなさなきゃならんのだ、みたいな根性で成り立っている。だから三蔵法師一行はいちいち妖怪に襲われる。しかしこの妖怪とは、その土地の文化のことであろう。いまみたいに、観光客が生きて還ってこれるのは文化が消失したということだ。

いまどきの人間が勘違いしているのは、いまのほうが「言論の自由」があるという把握である。確かに昔は讒謗律とか治安維持法とかなにやらがあったが、「だから」黙らなければならないと考えるやつらは今よりも少なかったとしか思えない。戦後民主主義は、民主主義的な人間ではなく、ある意味一種の「善人」をつくりあげた。そういう「善人」の広まりを「自由」と錯覚しているだけなのである。で、その「善人」とは文化的なものがはがれたもやしみたいな人間なのである。文化があれば、人は「善人」ではいられない。

落合博満氏の『戦士の休息』とか『戦士の食卓』をもっているが、いまさら岩波書店から出てることにきがついた。落合氏は生意気な口調で制度破壊する人物としてメディアで扱われたが、むしろ文化的保守みたいな人なんじゃないかと昔から思っていた。落合氏は、練習のやり方や野球の仕方を昔のやり方からよく勉強して摂取した人で、むしろ新しいやり方には抑制的だったと思う。落合氏が活躍した80年代から2000年代は、えせ改革の時代であって、温故知新を信条とする落合氏がへんにみえたのもそのせいだ。給料や記録に異常に執着するのも、50、60年代の貧乏職業野球人のメンタルだ。そして「善人」ではない。

親譲りと模倣

2024-04-27 23:52:15 | 文学


親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談に、いくら威張っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃したからである。小使に負ぶさって帰って来た時、おやじが大きな眼をして二階ぐらいから飛び降りて腰を抜かす奴があるかと云ったから、この次は抜かさずに飛んで見せますと答えた。

春秋左氏伝には、呉の季札の譲国の話が出てくる。あまりに優秀な、しかし末っ子であった季札に次の君子になってほしい兄弟たちがいろいろはかったが、本人は、曹の宣公の話を持ち出して、辞退し、農民になってしまった。思うに、上の坊っちゃんは、その素質がどういうものなのかもわからんくせに「親譲り」なのがいかん。当の親は自分を自覚してタノか、女形になりたいみたいな兄をかわいがっていたのだ。

思うに、坊っちゃんの親に対する執着はけっこうすごく、意図的に模倣しようと思っていたのではないだろうか。たぶん、坊っちゃんはこんな体たらくだから、文学に対する関心がないのだ。試験勉強を暗記そのものとしたい連中などそのたぐいである。確かに思ったよりも暗記なのだが、暗記だけではない。四書五経の素読だって、そのまま覚えなきゃ切腹だみたいなものではなかったはずである。こういう問題の非常に困難な案配を知らない教育者は何をやってもだめである。

たとえば、作文教育は半端にやると文章をかくことがそもそもものすごく難しいということが忘れられるものである。文字文化は呪なのであって、取り扱い危険物である。こんなことは昔の人だって知ってたがいまはコミュニケーションの手段だと思われている。しかしコミュニケーションはむしろ喋ったほうがよいのだ。だいたい、メールのやりとりは難しいからしゃべったほうがよいというのは、一昔前まで共有されていたはずなのに、むしろメールや文書を出せみたいなかんじになっている。で、そもそもうまくいってないことさえわからなくなる。で、メールその他も、角が立たないように妙に格式張ったAIみたいなかんじになり、それを喋る際に模倣する逆転がおこりどこもかしこもAIに。

個人と消滅可能性

2024-04-26 23:22:19 | 文学


高い家根の上で猫が寢てゐる
猫の尻尾から月が顏を出し
月が青白い眼鏡をかけて見てゐる
だが泥棒はそれを知らないから
近所の家根へひよつこりとび出し
なにかまつくろの衣裝をきこんで
煙突の窓から忍びこまうとするところ。


――荻原朔太郎「夜景」


泥棒がいるということは、案外田舎であることを示すのであろうか、都会であることを示すのであろうか。いまは、ネットや電話などが犯罪の道具として使用されてしまうのであまり関係ないのであろうが、――結局物理的にかくれようとおもえば群衆のいるところに越したことはないのは今でも同じだろうと思ったが、正直なところわからない。

むかし、「羊たちの沈黙」をみたときに驚いたのは、小田舎に昆虫マニアの犯人がいて、自らが「変態」する日を待ちづけているみたいな結末だったことだ。主人公のFBIの卵である女性は、都会に出て変身しようとしていた。犯人と同じようなものであった。そして、本当のやばい奴は、もともとの素質に忠実に犯罪を重ねるインテリ人食いである。わたくしは大学生でばかだったから、アメリカはさすが個人主義が進んでると思ったが、我が国でも、自己肯定感とか言っているから、こういう犯罪に出会うことが少なからずでてきたように思う。

「個人」は生きてゆくのに可能なインフラがあれば、なんでもやってのける可能性があるのだ。菊池寛の「恩讐の彼方に」だって、案外こういう「個人」の帰趨の話かも知れない。木曽の鳥居峠で追いはぎをやっている夫婦はたぶん「個人」なのである。木曽の人口は大したことはなかったはずだが、中山道だったので人が通った。

そういえば、木曽全域が自治体として消滅可能性があるという記事が載っていた。それは数字上の可能性としてはそうであろうが、人間は移動する種族なので、移動に存在している地域というのは常に存在している。木曽だってもともとそういう地域であったかもしれない。

あまり食べたことはないのだが、山賊焼は世界一美味いと食べ物の一つであると思っている。母が、高松市というのは、塩尻や松本に似ていると言っていたが、これはすごく勘が良くて、骨付き鶏という似たやつまで高松にはある。あとは、讃岐うどんとかいう硬い麺が蕎麦に入れ替われば完璧である。香川県はだいたい木曽と同じくらいの面積しかないわけであるから木曽の自治体が消滅したら、責任をとって、香川県丸ごと木曽に移せば良い。さすれば、長野県にも海が出来るし、――思い切って、水をくれてやってるのに感謝の一言もない愛知県とは瀬戸内海によって国交断絶で良い。だいたい香川県というのは、四国のなかでも歴史的にどこかしら浮いているわけで、水を他県からもらっている罪悪感もなくなるしいいと思う。

ほんとうはごめんとかないむしろ敬え

2024-04-25 23:40:41 | 文学


王使謂子反曰「先大夫之覆師徒者、君不在、子無以為過、不穀之罪也」。子反再拝稽首曰「君賜臣死、死且不朽、臣之卒 実奔、臣之罪也」。子重使謂子反曰「初隕師徒者、而亦聞之矣、盍図之」。対曰「雖微先大夫有之、大夫命側、側敢不義、側亡君師、敢忘其死」。王使止之、弗及而卒。


ここまでやる気のない口先だけの国民になってみると、負けた責任とって自殺するみたいな者が潔い感じにもみえてきてしまうわけで、非常に危険である。実際失敗しているのに、うまく言っているはずだという強弁、不気味な作り笑顔なんかは昔からあったはずで、これを粉砕するために様々な人たちが知恵を絞った。

いまならたくさんの著者が並んでいる研究本なんかが、不気味な作り笑いに属する。

最近、裁判か何かで「頂き女子」(頂点に立った女子という意味ではない、ある意味宋だと思うが――)というのが話題になっていた。なにかたくさん男性から搾取したそうである。こういう人たちはむかしからたくさんいて、特別に珍しいわけではない。こういうのは親族殺人と同じでありふれた人間的な出来事である。まったく、坂口安吾ではないが、様々な事件をふつうに人間的かどうかで考えて心を静めるみたいな時代になってしまった。安吾も戦時中か戦後、殺人犯を愛でていた。

実際は、人間的かどうかではなく、人間の一生の変転というものもよほど危険なのである。安吾はどこか人間的なものを元気な青春期に置きすぎている。――我々は、中年になると、自分の人生が常軌を逸していたのかどうか、虫の一生と比べてどうだったのかみたいなことを考えはじめる。前にもいったけどこれは第二のアドレッセンスみたいなもので、力を持っているやつは自分の扱いに気を付けるべきなのだ。第一回目はただの猿だったがいまはちがう。心を静めるためにここで文学の登場である。

おばさんでごめんねというほんとうはごめんとかないむしろ敬え
――岡崎裕美子『わたくしが樹木であれば』

戦争はもともと自分以上の物を使用しすぎる傾向のあるものだが、その意味で推し活も戦争である。推し活みたいなものは、いつ力の行使に反転するかわからない。はたしてそれは安吾の謂うように思春期の暴走や恋愛で抑制できるようなちゃちなものであろうか。授業の予習で「推しに認知してもらうためにアイドル始めました」を少し読んだが、推しというのは、こういう作品の雰囲気――つまり「ちゃお」だか「なかよし」だかのセンスに合っていて、思春期的なものと対立させるのはそもそも違うかもしれない。

呂錡夢射月――戦争

2024-04-24 23:51:22 | 文学


呂錡夢射月。中之。退入於泥。占之曰。姬姓。日也。異姓。月也。必楚王也。射而中之。退入於泥。亦必死矣。及戰。射共王中目。王召養由基。與之兩矢。使射呂錡。中項伏弢。以一矢復命。

月を弓で射ながら自分は泥に嵌まるみたいな挿話はとてもリアリティがある。戦争の描写はたぶん名文的なものの成立に寄与している。いまだってそうなのだ。その意味では、我々は文化の萌芽を戦争によって得ている。

近代文学の小説家や批評家がみずから編集者であったことはさんざいわれてきたことではあったがほんと重要なことであった。本を作るというのは、文章を書くのと違って戦争なのであろう。これを一人でやろうとした吉本隆明は確かに彼らしかったといへよう。

わたしが育った田舎は、いまでも景観がほぼ50年前と変わらない気がする。これは異常に見えるけれども、人類はほとんどそういうことしか経験していなかったはずだ。朽ちるのは人間の方で自然は朽ちたようにみえてそうではないのが普通なんで、人間も案外そうであると普通に考えたに違いない。しかしそれはいくらか不自然なのだ。死と戦うのは人間であって、戦いこそ人間としてのリズムをつくるのだ。

とりあえずだいたい他人は自分よりも頭が良いというのは、人間は戦うということを意味している。

高校生だったころ、「文学論」を読んで漱石は頭いいなとおもったのが、政治と文学について述べている後半のある箇所で、フランス革命は「本来の自由と平等とを享楽せんとする」と書いてあるのだ。さらっと「享楽」と言っているけど、これ重要なところだ。戦いにおいては理念は享楽されるものだ。それをわすれた国民はかならず理念を観念だと思い他の享楽へ自らを埋めて行く。

その堕落した享楽は、文学にもあったであろう。そもそも青年や文学少年が「いた」ということに対して疑念が私にはある。一部を除き文章が読めるようになってくるのは結構遅いから、劣等感になどに苦しむ文学青年みたいなものは、文章ではない別のものにとらわれていたにすぎなかったしれないわけだ。文章に集中する程能力も状況もみたされていない現実があったはずで、それは文学青年でも何でもなく、精神の敗北の過程に過ぎなかった。

マルクスたちは、それでも世の中には意外なことが起こると見做していた。量の質への転化というものは、ハイドンの交響曲が100曲以上書かれた結果、ベートーベンが9曲の傑作を生んだみたいに生じるのだ。民衆の数には頼れない。

死生観と世紀末、その後

2024-04-23 23:23:47 | 文学


「死の旅にも同時に出るのがわれわれ二人であるとあなたも約束したのだから、私を置いて家へ行ってしまうことはできないはずだ」
 と、帝がお言いになると、そのお心持ちのよくわかる女も、非常に悲しそうにお顔を見て、

「限りとて別るる道の悲しきにいかまほしきは命なりけり

 死がそれほど私に迫って来ておりませんのでしたら」
 これだけのことを息も絶え絶えに言って、なお帝にお言いしたいことがありそうであるが、まったく気力はなくなってしまった。死ぬのであったらこのまま自分のそばで死なせたいと帝は思召したが、今日から始めるはずの祈祷も高僧たちが承っていて、それもぜひ今夜から始めねばなりませぬというようなことも申し上げて方々から更衣の退出を促すので、別れがたく思召しながらお帰しになった。

――「源氏物語」(與謝野晶子訳)


日曜日の大河ドラマは、病気で倒れたお姫様を王子様がだっこして看病という少女漫画シーンがすごかったが、その前の、子どもがばたばたしんでゆく場面が悲しかった。我々の感情移入は自分の体験に大きく左右される。我々は虚構に慣れたということもあるが、子どもの死に滅多に出会わない。これが我々の心体に何らかの影響を与えないはずがない。前にも書いた様に思うが――、戦前までの昔の人と我々の違いは、年寄りの死に対するよりも、弱い子どもが死んでゆくのをどれだけ目の前にしたかで大きく違っている。而して、我々は死をはじめとする否定性から遠ざかり、否定性を通さずに生が成立していると思い込む。

それは医学の発展のせいだけではない。そういえば、定期的にKO大学関係者の不規則発言やら悪事がでてくるが、学問のすすめよんでみりゃ、すべての悪事の萌芽が書かれているのだ。古文や和歌は楽しみで学問じゃねえ的なのもこいつからだし。勝手に日用の学問でもしてろよ。文学が否定性の坩堝であり、これを元に我々がその都度生き返っているのを知らないのか。

月曜日は、「推し」現象研究に作品論的なものは有効かみたいな講義をして、その先祖の一部かもしれない、東浩紀氏の『動物化とポストモダン』は倫理学にどれだけ接近しているのかをただひたすら喋った。わたくしが気になっているのは、「推し」という行為のあまりにも楽天的な肯定性であって、これがかえって、必要でない否定性=死を招くということだ。「推しの子」なんか、死ななくてもよい主役を殺すところから始まっている。

身軽になると言うことは、ただひとりの自分になることだ。それは言うまでもなく、余りにつらすぎる。

――梅崎春生「無名颱風」


戦後がまだましだったのは、あまりに死を経験すると生どころじゃなくなる絶望から出発したからだ。これがただ生きること、堕落を生きるということであった。

不思議なことに、大戦争を経験しなくなっても、われわれには何か末世や「世紀末」を待望する観念的なバイオリズムが備わっている。オウム真理教はその意味真面目すぎてバカをやったが、同時代の「エヴァンゲリオン」とかそれに影響されたSFっていうのは、「世紀末芸術」だったのである。だから新世紀にならんとそれを作った作者は新しく出発できなかった。そして、これもさんざ言われているんだろうが、最近は「失われた時をもとめて」の時代である。プルーストのこの作はちょうど百年前ぐらいなのである。「葬送のフリーレン」とか「推しの子」とかみんな失われた時を求めて、である。いままで山田玲司氏のラブコメはスポコンだと思って読んでいたが、最近の「CICADA」は、我々の漫画文化が死んだ後のディストピアを描き、時代に巻き込まれている。たぶん作者としては、まだ終わっていない漫画家としての抵抗なんだと思うが。。

――我々の観念的な生理である100年の前半は回想から始まるのであった。

間隔法

2024-04-22 23:39:28 | 文学


鄢陵の戦は左氏の文中白眉なるものとして、讀書子の推賞措かざる所なり。文に曰く
楚子登巢車以望晉軍。 子重使大宰伯州犂侍于王後。王日。而左右。何也。日召軍吏也。 皆聚于中
軍矣。曰合謀也。張幕矣。曰虔卜於先君也。徹幕矣。日將發命也。甚躑且塵上矣。日將塞井夷竈而
爲行也。皆乘矣。左右執兵而下矣。 日聽誓也。 戰乎。 日未可知也。 乘而左右皆下矣。日戰禱也。
此章を讀むものは一見して其間隔法に於て Ivanhoe と暗合するを知るべし。もし間隔法を度外にして、此文の妙を稱せんとせば、稱する事日夜を舍てずと雖ども、遂に其妙所を道破し得ざるべし。Rebecca の記述せるは眼前の戦なり。楚子の説明を求めたるも眼前の事なり。眼前とは咫尺の距離を意味するのみならず、又現在を意味す。是に於てか先に陳腐にして顧みるに足らずとせる歴史的現在法も、ある變形を以て、ある敘述に包含せらるゝときは、有力なる幻惑の要素を構成すべきかの問題に入る。之を解釋せんには、先に繋げたる二例のうち、幻惑を生ずる上に於て、時の間隔が擔任せる比例は若干に値するかを發見すれば足る。此比例を見せんには此間隔法を含有せざる作例を檢して其效果を明かにするを以て捷徑なりと信ず。


――漱石「文学論」


そろそろ「文学論」を講義にかけるか。。。

負けたくない人たちの情緒論

2024-04-21 23:20:37 | 思想


故詩日『立我烝民、莫匪爾極。』是以神降之福、時無災害、民生敦厖、和同以聽。莫不盡力、以從上命、致死以補其闕、 此戰之所由克也。

中正の準則みたいなものがない国は負けるというの真理なんだろうと思うんだが、それを認めたくない卑しい輩が爆弾とかメディアの暴力を行使している。多数決だって、そういう時の暴力として、機を見て行使されている。誰が観ても真理が明々白々の場合はそんなものを行使する必要がない。しかし、真理の表面化を懼れる連中が少しの差異を強引に作り出している。

だから、敗戦やプロ野球球団の暗黒期なんてのは人間には必要である。一時期の巨人なんか、もしかしたら2位になってしまうという恐怖のために、毎年4番打者を「少しの差異」を作り出すために入団させていた。いまだって、どこが優勝するか分からない団子状態なのである。かくして、――もう誰か言っているだろうけど、中日ファンはいつまでもファンだからだめなんだよな、いまはファン達こぞって中日「推し」となり、巨人や阪神にぼろ負けした選手の子どもに転生して親の無念を晴らす(「推しの子」参照)、これですわ。。。

前にも書いたけど、野球とかサッカー選手のアスリート化は観客を変えるし、飲み会文化も変えるのではないかと思う。というわけで、我々もアスリート達も大してかわらない庶民となりはてた。

そういえば、無頼派と近代文学派のあいだをうろうろし、おれは何処にも属しないとか言っていた不良文士=大井廣介のプロ野球論はいくつか読んだことがあるが、若い広岡達郎に飲み屋か何かで会ったときに、――「その日私はかんしゃくを起こしていた」んだが広岡さんはいい青年だったみたいな意味不明のことを書いていた。かれにとっては広岡は自分より下の存在なのである。彼の野球論は長嶋以降の国民的なにものかになった野球以前の雰囲気を漂わしている。まだ野球選手はスターでは必ずしもなかった。大井の文章からは、野球を職業にしてしまった給料の低い人たちのその競技が大好きという気持ちが――ゴシップだけが活き活きとした全体としては案外淡々とした文章に溢れている。まあ彼のブルジョア文壇論に通じるところが確かにある。文壇と野球が、結局、職業化して行くプロセスの出来事だったのだ。とはいえ、彼の「バカの一つおぼえ」みたいな文学に関する楽屋落ちみたいなもののほうがよほど下品なかんじで、週刊誌的なセンスから言って無頼派なんてのはほんとは大井みたいな奴のことではないかとおもわれる。

私は忠告する。プロ野球選手を志望する人は、プロ野球に骨までしゃぶられ、廃人になり、普通人としては半端者になり、街頭に放り出されてみると、途方に暮れ、死にたくなる。…プロ野球と心中し、野垂れ死にしても構わない人でないと、やめておいた方が無難だ


――大井廣介(1958年)


そのやめといた方がよいというのは、完全に文士と一緒ではないか。

彼には、娯楽に対する憧れはあったが、情緒がなかったのかもしれない。サルトルの『情動論粗描』の飜訳で、竹内芳郎氏が絶対おれは情動じゃなくて情緒を使うんだと言い張っていたら、ある種、また違う可能性もあったんじゃねえかと昨日思ったが、当時の文人は、先輩達を否定しようとして自ら面白いだけの人たちに顛落したところがある。

かくいう私も、いま思い出したところで言うと、映画を二回以上観にいったのは「キルビル」と「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」だけであって、たぶんわたしにとっては映画とは半分以上音楽であるからだ。あと今気付いたんだが黄色が好きなのではないだろうか。――こんな感じでわたくしも情緒みたいなものに対する憧憬を保っているにすぎない。

分身・感染

2024-04-20 23:37:27 | 文学


Le Faune

Ces nymphes, je les veux perpétuer.

                    Si clair,
Leur incarnat léger, qu’il voltige dans l’air
Assoupi de sommeils touffus.

              Aimai-je un rêve ?


牧神の午後への前奏曲は、この詩から生まれた。こういう文化の生じ方を観察するのが日常の我々からすると、米タイムの「世界の100人」みたいな自閉性は、友達100人できるかな、みたいな自閉性とよく似ている。半獣神が何人いようとどうでもいい。

しかし、われわれは屡々、ひとつとひとつの出会いを群衆として描き出す。それらがなぜ繋がってしまうかは分からないが、たぶん時間が関係あるのではなかろうか。時間が経つにつれて、我々の記憶は分身する。宇佐見りんの小説で、仏像に欲情したみたいな場面があったと思うが、確かに、お寺の仏像は何か冷たくて夏なんか昼寝には最高の椅子みたいに見えてくることはたしかである。しかし、そんなことをせずにわれわれは、100体仏像を並べてみた、みたいなことをする。

そういえば、フロイトのいっているとは別の意味で、我々の言い間違えというものがあり、これも一種の分身である。そういえば、あるひとは、デブ専という単語を知らなかった、で、つい豚専と間違えて覚えて使ってしまったことがあるらしいのだが、人間て怖いよな、、と思うのと同時に、こんなことは日常茶飯事なのだと思うべきなのである。

こういう分身は例えば、感染みたいなものとして意識されており、何かを隠蔽していることはたしかだ。ネモフィラが流行っているので、わが庭に植えてみたことがあるのだが、なんか他の雑草に負けて絶滅した。つい我々は、「朱に交われば赤くなる」とか言いがちであるが、それ以前にだいたい誰かが殺されているのである。

電車がくる

2024-04-19 23:22:00 | 思想


これは余談ではあるが、よく考えてみると、いわゆる人生の行路においても存外この電車の問題とよく似た問題が多いように思われて来る。そういう場合に、やはりどうでも最初の満員電車に乗ろうという流儀の人と、少し待っていて次の車を待ち合わせようという人との二通りがあるように見える。
 このような場合には事がらがあまりに複雑で、簡単な数学などは応用する筋道さえわからない。従って電車の場合の類推がどこまで適用するか、それは全く想像もできない。従ってなおさらの事この二つの方針あるいは流儀の是非善悪を判断する事は非常に困難になる。
 これはおそらくだれにもむつかしい問題であろう。おそらくこれも議論にはならない「趣味」の問題かもしれない。私はただついでながら電車の問題とよく似た問題が他にもあるという事に注意を促したいと思うまでである。


――寺田寅彦「電車の混雑について」


わたくしは混雑する電車をさけて次の電車に乗って、更なる混雑に巻き込まれるという人生を送っている。






病膏肓に入る

2024-04-18 23:29:14 | 思想


晉侯夢。大厲被髮及地、搏膺而踊。曰、殺余孫、不義。余得請於帝矣。壞大門及寢門而入。公懼入于室。又壞戸。公覺。召桑田巫。巫言如夢。公曰、何如。曰、不食新矣。 公疾病。求醫于秦。秦伯使醫緩爲之。未至。公夢。疾爲二竪子曰、彼良醫也。懼傷我。焉逃之。其一曰、居肓之上、膏之下、若我何。醫至。曰、疾不可爲也。在肓之上、膏之下。攻之不可。達之不及。藥不至焉。不可爲也。公曰、良醫也。厚爲之禮而歸之。


病膏肓に入る。病の気が膏と肓にかくれてしまって医者が治せなかった。医者が来ることに感づいた病の気の勝利である。「もやしもん」という菌がみえる大学生の話があったが、たしかにわれわれには病がどこかにかくれたりする感覚がある。病だけではない。悩みとか鬱っぽいものとかもどこかにかくれるときがある。

しかし本当にそういう病は存在しているのであろうか。もしかしたらわれわれ自身の一部ではなかろうか。我々はよくうまくいかないのを人のせいにするが、同じように病のせいにしているだけではないだろうか。そもそも上のエピソードでも病が医者が来るのを感づいたのは怪しい。医者が来るのを知っていたのはそいつ本人しかありえないではないか。

我々の文化は粘菌があちこちに手足を伸ばしたところの明哲保身みたいなのであるが、――我々は社会にすら他人のせいという他者性を持ち込んで自分の手足の責任をとろうとしない。

谷崎の「魔術師」を用いて、言葉が魔術――の時代があったかが今日のゼミの話題であった。最近の人間の言葉への過敏さと恐ろしい鈍感さは魔術に対する態度かもしれない、呪物ではなく魔術なのではなかろうか。さんざ言われてんだろうが、「様々なる意匠」の小林秀雄の「言葉の魔術をやめない」というのもレトリックじゃない。ホントの魔術のことなのであろう。

最近、正力松太郎がCIAだったという話題がまたむしかえされていたが、広島カープですら、原爆投下の後始末としての対日工作の結果だったというのだ。そのカープ対日工作説が正しいとすると、「はだしのゲン」の後半、戦災孤児たちが野球にクルってゆく様はもうなんというかより悲惨な話にみえてくる。中沢氏の「広島カープ物語」とかも同様である。――ようするに、われわれが手足と思っている外部に戦後はあったのだ。敗戦というのはそういうことだ。反省によってはそれを捉えることは出来ない。膏肓にアメリカがいることさえ分からない。

学者が本質な革命を諦めて「研究者」になり、外☆資金の公共的テーマに縛られ研究がかえって夏休みの調べ物的になって本質的な跛行がなくなり、面白くない五カ年計画の地獄に落とされている人は多い。特に共同研究は身動きできなくなるから大変である。まあコルホーズか何かである。別にやりたきゃやっていいし共同作戦でやるべき物事も確かにあるわけだが、全員に強制してどうするのであろう。かかることを推し進めればどういうタイプが出世して、誰が未来への尻ぬぐいに奔走するのかやる前にわかるだろうに。もともとの革命の担当者が鋭敏な優しさを用い、ぼろぼろになった組織の運営や知的革命の萌芽を守る担当者になってしまい、一方「研究者」の側は公共的結論に向かって強制労働を続けるのである。これは、シャーレのなかの菌の動きみたいなものである。組織や革命こそが粘菌の手足の外部にあるのは当然である。

博士論文を書くときなんかに、幕の内弁当をうめてくみたいなやりかたは、自分なりの「角度」がないのになにかやってしまった感がでるので危険であるのはさんざ言われているが、これは論文だけの問題じゃなく、「角度」を死守して小説をどうかくかみたいな問題と、リアリズムの問題をうまく考えられなかったことと共通している。坂口安吾の「意欲的創作文章」論にでてくる観点である。わたくしは、結局、菌がシャーレを出られない、シャーレの壁を風景と錯覚する問題と思うわけである。

震度6

2024-04-17 23:20:07 | ニュース


愛媛あたりでは震度6ぐらいあったらしい。高松もゆっさゆっさ揺れた。

水の恩はわすれぬ。香川は南海トラフのときには他県を助ける計画でがんばるときいておる。

香川は台風とかでも四国で唯一被害がなかったりと仲間はずれ的なかんじであり、南海トラフでもまだ香川はましかみたいに言われる。海が邪魔しているのだが、海を除いて考えれば、むしろ香川は岡山南の一部、大阪あたりの土地の仲間と考えた方が良いかも知れないが四国のみんなを見捨てたわけではないのだ。

さっきの地震で書棚からパイドンが落下せり

昨日は木曽でさっきは四国で地震のやつ我が一族をねらとる。

似たひと

2024-04-16 23:27:23 | 文学


陳霊公与孔寧・儀行父飲酒於夏氏。公謂行父曰、「徴舒似女」。対曰、「亦似君」。徵舒病之。公出。自其廏射而殺之。二子奔楚。

お前は**に似ているという言葉はひどく呪いになる。小学生でも知っていることだ。たとえば、君は親に似ている、とかいうのは強烈な呪いとなりうるのである。子どもの頃は誇りに思えるものでもそれがそのままであることはほぼあり得ない。

 お茶をいれている私のそばである友達が栗の皮をむきながら、
「あなた、染物屋の横にあるお風呂へよく行くの」
ときいた。
「行かないわ」
「ほんと? じゃどうしたんだろう、始終あすこで見かけるって云っていた人があってよ」
 ふき出しながら、私は、
「お気の毒だわ、間違えられた人――」
と云った。
「こんな、ちょうろぎのようなの、やっぱりあるのかしら……」

 それから程もない或る夕方、ガラリと格子をあけて紙包をかかえた妹が入って来た。立ったまま、
「きょうお姉様に上野の広小路と山下の間で会った」
とハアハア笑った。
「いやよ、何云ってるのさ」
「だって、バスにのっているすぐとなりの男のひとが、ほらあれって云ってるんだもの」
「見たの?」
「ううん、こんでいてそっちは見えなかった。フフフフ」
 私があんまり丸まっちいので、いくらか丸い、或は相当に丸いひとがみんなその一つの概念にあてはめて間違われるのはなかなか愉快だと思う。

――宮本百合子「似たひと」


なんでもかんでも自分に見えてしまう病に罹っていた芥川の自殺から一〇年、宮本百合子のこのおおらかさは抵抗でもあった。労働者という言葉を合い言葉とするのはこういうおおらかさが必要なのである。