★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

さようなら、そして殲滅せよ

2018-03-31 23:21:35 | 文学


予備校時代、考えてみりゃ、もはやわたくしの頭の中は文学のことしかなかったので、まあよく大学に転がり込めたと思うけれども、名古屋の本屋で見かけたが時間がなくて(←当たり前じゃ)読めなかったものがたくさんあり、村上龍の「69」とか「走れタカハシ」とか、「さようなら、ギャングたち」であった。

このまえ、ようやく「さようなら、ギャングたち」を読んだ。私小説であった。

感想はいろいろあったが、くだらないレベルのものは次のようなものだ。

1、裏表紙のサロペット姿を殲滅せよ
2、著者略歴で、最初に読んだのが鮎川信夫の「アメリカ」って書いてある、こういう過去は直ちに殲滅すべし(とはいえ、これはすでに本文の一部なのでそうもいかんか……)
3、要するに、高橋源一郎っていうのは「荒地」の人たちの生き残りだったのだ……いろいろと納得である……
4、書いてあることはよく分からんが、とにかく殲滅せよ

まじめなレベルの感想は、論文に活かすことにする。


髑髏島の大決闘

2018-03-30 23:38:26 | 映画


研究の都合で朝ドラの「ひよっこ」をビデオレンタル屋で借りてこようと思ったのであるが、まだそこには置いてなかったので、つい「キング・コング 髑髏島の巨神」というのを借りてきてしまい、「アルパカと仲間たち」という癒し系動画と悩んだ末に、コングの方を選んでしまったので、残念な一日となった。

「地獄の黙示録」にキングコングとか巨大イカや蜘蛛などを登場させるという夢を実現したのが、この映画である。映画の最後にとんでもない事態が起こるのであるが、それも含めて、要するに、怪獣のことで学業に全く身が入らない小学生の夢をそのまま映画にするとどうなるか、という映画である。キャストに、サミュエル・L・ジャクソンを出してくるところもやりたい放題である。

太平洋戦争でその島に不時着して以来、30年ぶりぐらいに帰国して、成長した息子と奥さんに会う中年親父の映像でちょっぴり観るものの涙を誘っておきながら、その後でそういう政治や現実を全否定するかの如き展開が……。これはアメリカ社会の否定であり、日本のサブカルチャーの全肯定であった。つまり、これはアメリカから出てきた反米映画(昔から結構あるが)なのである。しかし、大人が子どものようなことを大まじめにやってみるからすごいのである。

これに比べると、日本の「シン・ゴジラ」って、ほんとつまんない映画だったよな、と思うわ。子どもが社会を語ろうと思ってもだめなのである。

山王神社を訪ねる(香川の神社171)

2018-03-29 18:06:17 | 神社仏閣


東小山自治会集会場から参道を登っていくのであります。『香川県神社誌』には、「東小山神社」として載ってます。祭神は、大山祇神。すなわち、おっきい山の神である。山の神なんて、日本書紀や古事記以前にたくさんあったのであろうから、ここだって、単に「お山」みたいなものでよかったはずであろう。高い建物が多いのでよくわからなくなっているのだが、香川におけるお山、――御岳と駒ヶ岳の3000メートル級に挟まれたところで育ったわたくしにとっては、それらはガキが作った砂山レベルであるが――、峰山とか勝賀山、あるいは由良山でさえ、結構な迫力とオーラを持っているのである。近づいていってみりゃわかります。



……仏塔(ぶっとう)



鳥居は、平成4年。



……運動(うんどう)



上につきました



拝殿



本殿。右奥に「山王宮落成記念碑」があって、昭和60年とあった。結構最近である。「バブルと神社」って、誰か論文で書いているだろうなあ……

 

何か、花見の場所取りというか、その跡というか……。でも、ここは花見にゃいい場所ですね……。わたくしが氏子に先んじて花見を楽しみますので悪しからずっ。

  



帰ります。



もう夏ですね……

編笠の墓を訪ねる(香川の地蔵34)

2018-03-29 16:54:46 | 神社仏閣
山王神社に参道の登り口あたりに、東小山自治会集会場がある。その入り口に地蔵堂がある。平成7年の案内板(鶴尾地区地域おこし事業推進委員会)によると「編笠の墓」というらしい。



「江戸時代、網笠康斉という武者が諸国修行の途中、高松藩に立ち寄り、武術試合を申し込みました。城主は、武術にたんのうな竹内某に命じ、御前試合をさせましたが、網笠の勝となりました。」

あらら……これはいつものパターンになるぞ……。

「藩主は、召しかかえようとしましたが、辞退して立ち去り、当寺小山辺にて多数の竹内の門下生の闇討ちに合い、きり殺されました。」

やっぱり……。最低ですね、竹内門下のへっぽこ讃岐武士どもは。すみやかに呪われよ。

「里人は、これをあわれみ、墓標一基を作りその霊をまつり、なお、同人の追善を供養のため、地蔵堂を造営したと伝えられています。」

だいたい里人も、本人が死ぬ前にそのへっぽこ野郎どもをヤっちまったほうがいいのではないか。墓をつくったって何か意味あるのかよ。はいはい、無理ですね……

「なお、地蔵堂には、他に墓石がありますが、古老の話では、この地は、坂田、飯田、円座方面に通ずる三さ路で事故多く鬼門の辻とも言われ、死者の霊を供養したようであります。」

ただの鬼門神社的なものであった可能性もあり……


熊野神社の境内社を訪ねる(香川の神社169-2)

2018-03-29 01:09:22 | 神社仏閣


まずは、左手奥に金刀比羅宮。昭和四十八年三月、春日川の河川改修によってここに移ってきたのであった。『香川県神社誌』によると、もとは東大熊(元山上)にあったらしく、桜満開期に「花之江祭」をやっていた。写真も残っているが、玉垣がずらりと取り囲んだ結構立派な神社であったもよう。



鳥居をくぐると、これは「当たり」であると確信。狛犬がいいっ

 



特に、阿の人は、たぶん「あれっ、おれのバームクーヘン食べたのだれ?」みたいな貌である。



本殿。

右手奥には、境内社の皆さんがいくつか居られる。



  

さて、この神さんたちが誰なのかであるが、よく分からない。『香川県神社誌』には、境内社の記述はないからだ。で、熊野神社に続いて、東大熊や西大熊にあるという、「熊神社」、「大熊神社」、「西大熊神社」などが写真付きで紹介されているが、いずれも、ここにある小祠を思わせるものである。特に、熊神社の台座の部分の丸い石が怪しい……。ここらには、熊氏という一族がいたらしく、地名も……。「熊神社」は特に熊氏の鎮守だったらしいのである。思い切って、いろいろとここにまとめて持ってきてしまったのかもしれないと妄想した次第であった。

熊野神社を訪ねる(香川の神社169)

2018-03-28 23:19:16 | 神社仏閣
元山町の熊野神社。



桜並木の参道。



新しい玉垣に囲まれている。これは今の皇太子の結婚記念でできたらしい。『香川県神社誌』(昭和一三年)の写真をみると、畑か田んぼの土手に生えた木々によって囲まれているように見える。もっと、鎮守の森のような外観をもっていたようだ……。



こんな木がたくさんあったのであろう……

  



本殿

    

灯籠さんたち。きのこの山みたいな形をした灯籠は、昭和一三年の写真にも写っていた。



注連石は、昭和七年。

 

狛犬さん。口から首にかけてがすばらしい。

『香川県神社誌』に曰く、

「天正三年(紀元二二三五)九月、大熊弾正紀州熊野神社に詣で、その御分霊を奉移して元山郷の氏神とせしに始る。」


大熊弾正とは何か強そうな……

「全讃史に「相傳天文時大熊丹後守清助始立祠」とあり。天正十年長宗我部氏の兵火に罹り後再築す。熊野権現或は元山権現と稱せられたり。」


長宗我部って、どうやって香川の神社を焼き払ったのだろう……すごい数を焼いている……

「元山村舊家河田叉大夫の系譜によれば、紀州熊野別當堪増が遠裔に天文の頃元山郷に大熊備前守なる者あり。後改名して大熊弾正と云ふ。」

熊野の別當堪増といへば、例の宮脇さんとこの先祖とも噂されるお方ではないか……。堪増は熊野の有名な僧兵で、平家の海賊を率いて源氏と戦ったのであった。やっぱり、海賊文化といろいろ関係ありそうだな……香川って……。

「曾て紀州熊野に祈願して一男を得たり。神恩報謝の為め一社を建て、自ら熊野より御分霊を奉遷して元山村の氏神とす。」


子宝!

 

春一番(木曽の)

2018-03-28 17:15:01 | 音楽


「春一番(木曽の)」

https://www.youtube.com/watch?v=RTipNzw4CiI

雪が溶けて川になって 流れて行きます(一年中!)
つくしの子がはずかしげに 顔を出します(袴を取って茹でて灰汁を抜き、だしで軟らかく煮たり、佃煮にしたりして食用とする)
もうすぐ春ですねえ ちょっと気取ってみませんか(4月まで冬だろう、どうみても……)
風が吹いて暖かさを 運んで来ました(たぶんストーブの温風だ)
どこかの子が隣の子を 迎えに来ました(どこかの子って、どこの子だろう?よそ者が新学期だから侵入したに違いないっ)
もうすぐ春ですねえ 彼を誘ってみませんか(誘拐かっ)
泣いてばかりいたって 幸せは来ないから(泣く子も黙る誘拐犯)
重いコート脱いで 出かけませんか(まだ氷点下になるからお断りだ)
もうすぐ春ですねえ(そんな事はない)
恋をしてみませんか(寒くて無理っ)

日だまりには雀たちが 楽しそうです(よく見てみてよ、震えてるからっ)
雪をはねて猫柳が 顔を出します
もうすぐ春ですね ちょっと気取ってみませんか(大雪におしゃれはきわめて危険です。コートを持参しましょう)
おしゃれをして男の子が 出かけて行きます(だからやめろっているだろうがっ)
水をけってカエルの子が 泳いで行きます(カエル?もう6月ですか……?)

……キャンディーズには、年下の男子を誘うイケナイ歌もある。大好きです。

浪人的なもの

2018-03-25 23:39:42 | 思想


竹中労と平岡正明が、太田竜と仲違いした頃に『『水滸伝』――窮民革命のための序説』という本を書いている。太田竜については、『UFO原理と宇宙文明』という本しか読んでない。いろいろな意味で、あちら側に吹っ飛んでいってしまっている人としか思えなかったが、竹中や平岡のこの本も、――まあ暇があったら再読してみようと思っているが、とにかくわたくしは、浪人的なものに興味があるのである。

かつて、歴史学者としては奇書とも言うべき『精神の歴史』を書いた田中希生氏が今度、「アジア主義について――武士と大陸浪人――」という論文を仕上げていて面白かった。田中氏もなんとなく文章において浪人的というか文士崩れな雰囲気を漂わす人である。最近では珍しいタイプであるが、それが見えにくいのは、別のタイプの浪人的なものが繁茂しているからである。

所謂グローバル人材的なものである。彼らをみていると、ブルジョアジーの文化というものの栄光と愚劣さを見る気がする。彼らは『百科事典』的な知性を持つことが多いが、空間的な広さに惹かれているのである。あたかも、もう一度、近代の始まりの時代をみているようである。しかしそれが真の視野の広さとは無関係であり、作品を作り出すものでもなかったというのが、歴史の示すところではないだろうか。