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さるほどに兵仏殿に乱れ入つて、仏壇の下天井の上までも無残所捜しけるが、余りに求めかねて、「これ体の物こそ怪しけれ。あの大般若の櫃を開けて見よ」とて、蓋したる櫃二つを開いて、御経を取り出だし、底を翻して見けれどもをはせず。蓋開きたる櫃は見るまでもなしとて、兵皆寺中を出で去りぬ。宮は不思議の御命を継がせ給ひ、夢に道行く心地して、なほ櫃の中におはしけるが、もし兵また立ち帰り、委しく捜す事もやあらんずらんと御思案あつて、やがて前に兵の捜し見たりつる櫃に、入り替はらせ給ひてぞおはしける。案の如く兵どもまた仏殿に立ち帰り、「前に蓋の開きたるを見ざりつるが無覚束」とて、御経を皆打ち移して見けるが、からからと打ち笑うて、「大般若の櫃の中をよくよく捜したれば、大塔の宮は入らせ給はで、大唐の玄弉三蔵こそおはしけれ」と戯れければ、兵皆一同に笑うて門外へぞ出でにける。これひとへに摩利支天の冥応、または十六善神の擁護に依る命なりと、信心肝に銘じ感涙御袖を湿せり。
大塔宮は、般若寺に隠れていた。そこに興福寺の侍法師どもが五百人も押しかけてきたのである。寺に隠れている宮に、寺の侍もどきが押し寄せるというう、基本、にんべんに寺(侍)的状況である。般若寺には、大般若経を入れた櫃が3つあったので、そのひとつに宮は隠れていた。ただでも寺的状況なのに、お経の中に埋もれているとはまさに文脈的擬態である。案の定、二回の危機を回避し、侍法師たちは「大般若の櫃の中をよくよく捜したれば、大塔の宮は入らせ給はで、大唐の玄弉三蔵こそおはしけれ」(大塔じゃなくて大唐の三蔵法師がいたことよ)とからから笑っている。やはりこの人たちが侍法師であってよかった。こんなレベルの低い洒落でも三蔵法師と聞いて十分ありがたい気持ちになっているのである。これが、いまのエビデンスきちがい的役人なんかが調べに来たらすぐ見つかってしまう。
摩利支天といえば木曽御嶽山である。関係ないけど。
そういえば、今日はこんなニュースの存在を知った。
観光協会イベント · 2020/11/01 飛鳥時代の黄泉の世界へ(石舞台古墳で被葬者体験)https://t.co/9dKomcc5Kk?amp=1
この古墳は7世紀前半の築造で、当時天皇をも凌ぐ権力を持っていた蘇我馬子の墓であろうと言われています。その石舞台古墳を埋葬の舞台とした葬送儀礼を文化庁のLiving History(生きた歴史体感プログラム)促進事業により体験プログラム用として造成。体験者が被葬者となり横たわる石棺も、明日香村教育委員会文化財課の考証によりメラミン樹脂により製作しました。飛鳥時代の貴人が空蝉の人から黄泉国の人に移り変わるを“刻(とき)“を体感してみませんか?
お一人…まさに被葬者になる…だけの体験でもOK。また、グループで葬送儀礼の参列者にもなれます。
非現実的なかんじにくらっと来てしまったが、我が国は本当に大丈夫なのであろうか……。