★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

「御局は桐壺なり」の左翼的比較文学的慨嘆

2019-01-31 23:21:37 | 文学


御局は桐壺なり。


源氏物語はのっけから帝と女の関係を、玄宗皇帝と楊貴妃に比べていたわけで(やり過ぎだと思うけれども……)あるが、ここに来て、長恨歌の一節

芙蓉如面柳如眉
對此如何不涙垂
春風桃李花開日
秋雨梧桐葉落時


あたりを想起する人もいるのであった。作者は、誰でも知っている中国古典を用いながら顛末を予感させつつ、そんな予感を越えた酷い情景を描いてゆく。紫式部というのは、「おらっ、私にちょっかいをだすとぶん殴るよ」と言っておいて、間髪入れずにハンマーで殴りつけるような人であった。考えてみると、その点、マルクスなんか、一度は悲劇次は喜劇とか、余裕をもっているところが、いじめられっ子的である。二度目が喜劇であるわけがなかろうがっ

参う上りたまふにも、あまりうちしきる折々は、打橋、渡殿のここかしこの道に、あやしきわざをしつつ、御送り迎への人の衣の裾、堪へがたく、まさなきこともあり。またある時には、え避らぬ馬道の戸を鎖しこめ、こなたかなた心を合はせて、はしたなめわづらはせたまふ時も多かり。


かようにガバナンスがまったくなっていない宮中である。こんなことをされて桐壺の更衣が反撃できないのはあれとして、帝も帝である。このあと、更衣の部屋を自分の近くに移すという逆効果のあれをやってしまうのであるが、考えてみれば、それより前に、いじめの首謀者たちを全員銃殺にすればよいのである。そんなことはできるはずもないが、われわれはいつもその程度を想像しながら「人に寄り添う」とか社交辞令を繰り返しているから問題にしているのである。

Я смотрю на народ, в душе весна,
Нет ни бедности, ни печали.
Расцветает, как сад, страна;
В нем садовник — товарищ Сталин.


人民を見やれば、心は春のよう
貧しさも、悲しみもなく
国は庭園の如く花盛る
この園の庭師こそ - 同志スターリンだ
https://voenpesni.web.fc2.com/songs/Pesnya_o_Staline_Khachaturyan.html


思うに、帝と桐壺更衣のラブっぷりをみて長恨歌を思い出すような暗い心性だからいじめをやってしまうのであろう。上のような精神ならば、いじめに対しては明るく人民の首をはさみで刈り取る庭師になれる。まったく恐ろしいことである。考えてみると、これは気候の違いの問題かもしれない。田舎のトイレに行ったら、恐ろしく糞の氷山が出来ていて、すってんころりんと臀部を強打したぜ大変だ、みたいな手紙をショスタコービチはどこかで書いていた。日本では、糞を渡殿にぶちまけても花を愛でても気温がたいして変わらないからだめなのだ。何が「春はあけぼの」だ。ロシアでは「雪解け」といえば本当に感動的だったのである。

さへ生まれ給ひぬ

2019-01-30 23:20:58 | 文学


先の世にも御契りや深かりけむ、世になく清らなる玉の男御子さへ生まれ給ひぬ。


情けないことに、以前わたくしは、「玉の男御子さへ」の「さへ」を読み落としていた。恐ろしく光り輝くものが生まれたということに気をとられ、――あまりに常軌を逸し、先の世、現世を越えて愛し合うふたりがこの世のレベルを遙かに超えた光り輝く御子さえ生んでしまったという――事態がよく分かっていなかった。主体は、光源氏ではなく、愛し合うふたりであった。駆けつけた帝がみると確かにすごい容姿の若宮だっ。と続いて書かれている。とはいへ、源氏物語のいやらしさは、これにつづく恐ろしい記述にある。

一の皇子は右大臣の女御の御腹にて、寄せ重く、疑ひなき儲けの君と、世にもてかしづき聞ゆれど、この御にほひには並び給ふべくもあらざりければ、 おほかたのやむごとなき御思ひにて、この君をば、私物に思ほしかしづき給ふこと限りなし。


帝の視点に立って生まれた弟君すばらしいと述べたあとのこの突き放し。つい帝もこの記述につられてふたりの若宮を比べてみれば、やっぱりさっき生まれた光り輝く人にはかなわない。「おほかたのやむごとなき御思ひにて」という記述がつらい。確かに、「あーかわいいねーかわいいねー」と眼が半分死んでる親にかわいがられた子ともは大変だ。対して、光り物は隠して自分のものとして慈しむ。

もう明らかに、天皇は人間宣言してますなあ、ただの親ばかです、というか、産んだ人を愛しすぎて生まれた子も超絶な玉。帝も自分でも恐ろしくなってきたのではあるまいか。――と思うのは、わたくしが近代文学に溺れているからであろう。

自然は自然に特有な結果を、彼等二人の前に突き付けた。彼等は自己の満足と光輝を棄てて、その前に頭を下げなければならなかった。(「それから」)

まあ確かに、「自然」が何かをしでかしていると考えた場合、漱石をはじめとして、みな「自然」に対して諦めが悪かったことは確かである。源氏物語の男たちは果たして……

人と世

2019-01-29 23:23:47 | 文学


いづれの御時にか、 女御更衣あまた侍ひ給ひけるなかに、 いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めき給ふ、ありけり。


日本文学に燦然と輝く最高の出だしである。「あらぬが」から一気に「すぐれて時めき給ふ」という上昇感がたまらない。

はじめより我はと思ひ上がり給へる御方がた、めざましきものにおとしめ嫉み給ふ。 同じほど、それより下臈の更衣たちは、まして安からず、朝夕の宮仕へにつけても、人の心をのみ動かし、恨みを負ふ積もりにやありけむ、いと篤しくなりゆき、もの心細げに里がちなるを

中学か高校の時に授業で読んだときに、なんという嫌らしい文章かと思ったが、今読んでみると、そのジェットコースター的展開が紫式部の才能を見せびらかすようでこれまた嫌らしい。その前の「すぐれて時めき給ふ」の昂揚が「思い上がり給へる」方々に変容するいやらしさ。「めざましきものにおとしめ嫉み」という落下、それが「それより下臈」という底を打つかんじに抽象的に下がったあとで、「朝夕の宮仕へ」という具体的な場面で、「人の心を動かし」というなんだか他人事のような素っ気ない言い回しがきて、「恨みを負う積もりにやありけむ」によって、「人」という言い方が、前に出てきた多くの恨みを持った人全体を導くようで、――それで一気に、まだ名前がない「時めき給ふ」そのひとは、里がちになってしまうのであった。

この襲いかかる迫力は、伊勢物語にはなかった。

しかし、これまた帝の方もあれで、

人のそしりをもえ憚らせ給はず、世のためしにもなりぬべき御もてなしなり


なのであった。嫉妬に狂う女たちの群をなんのその、「世のためしにもなりぬべき」もてなしを女にしてしまうのであった。ここでの「世の例し」という大きい突き放しもすごい。でかいっ。既に、「世」の悪い前例として扱われるレベルの事件だったのだ。昔男が、地方に行って女の子と遊んでいたレベルとは全然違う。しかしまあ、人は都に行ったりするとそれだけで誇大妄想をする傾向はある。宮中というのはそういう勘違いで満ちていたに違いないのだ。

田舎者の癖に人を見括ったな。一番茶代をやって驚かしてやろう。おれはこれでも学資のあまりを三十円ほど懐に入れて東京を出て来たのだ。


対して、こういう風に自分だけが「人」で、田舎者は人ではないと思っている「坊っちゃん」もいましたが、彼も結局、里帰りしてしまいました。東京が里でよかったね。

全く相対界のノーマル事件だ

2019-01-28 17:58:05 | 文学


肥下恆夫「佐伯家の人々」(『コギト』昭7・10)は、神経質な作品であるが、なぜそうかというと、視点への意識がそうなのである。雪かきをする下男の視点から出発し、彼が二人の青年を見、その二人――佐伯と吉野のうち、後者が佐伯家の人々の絵をかくことを頼まれる。吉野は、佐伯家の人々を描こうとする時に、彼らの大きな目から見られていることを意識する。その目は彼らの血筋から受け継がれたものであることが、写真などからわかる。だから、彼らの目は死んだ人の写真のように冷たく、それは家を包む雪の情景と重なっていて、すなわち、最初の下男の視点を共有しているのである。しかし、夫人は娘(「静子」!)の目から、吉野に対する気持ちを読み取り、その冷ややかなものからの変化を感じる。佐伯は、吉野を「上へ上へ流れている男」とみていた。佐伯自身も自分の家を「「そとから」眺める」ことができ、だからこそ吉野を連れてきたのであった。なんだかんだあって、外に出た、動かぬような動いているような静子に美しさを見出してゆく吉野であった。ただ、弟の叫び声で彼女は家に帰ってしまう。そこに吉野が見出したのは佐伯家のいつもの「氷のような冷たさ」であった。

こんな具合で、結局、家に対する認識がなんとなくであると、視点を工夫してもなんとなくにしか見えないものであって、下男も佐伯も吉野も静子もほとんど万華鏡のどこを見るかみたいなかんじになってしまうのであった。この苦しさこそが、若く言論の自由を奪われつつある彼らを特徴付けている。これに比べると、中原中也なんかは、人間をもはや物のレベルで捉えている。ここまできてしまうと、雪が降ろうと雷が鳴ろうと心が乱れることはあるまいて。

タバコとマントが恋をした
その筈だ
タバコとマントは同類で
タバコが男でマントが女だ
或時二人が身投心中したが
マントは重いが風を含み
タバコは細いが軽かつたので
崖の上から海面に
到着するまでの時間が同じだつた
神様がそれをみて
全く相対界のノーマル事件だといつて
天国でビラマイタ
二人がそれをみて
お互の幸福であつたことを知つた時
恋は永久に破れてしまつた。


――「タバコとマントの恋」

Qu'un gibet symbolique où pendait mon image

2019-01-27 17:17:46 | 文学


沖崎猷之介「幻の記」(『コギト』6)は、悲痛な名調子の短篇である。「腰抜けの妻うつくしき火燵かな――」という蕪村の句が、右のように「――」という記号に接続されてライトモチーフのようにあらわれては消える。これは、語り手「私」の愛した文学であり、もしかしたら日本の文化を背負っているのかもしれない。というのは、語り手は「幻」?のなかで、朝鮮の梵魚寺を訪ねてその美しさと何かに酔っているからである。梵魚寺は「――」という記号に導かれてあらわれるのであるが、それは、「階級――」とか、「――とうとうやられた――」(ある混血の芸術家が逮捕された場面に遭遇したとき)、「――現実」とか「――空腹」といった変奏をしながら蕪村の句を次々思い出す私を覚醒させ続けている。――そういうミニマルミュージックのような趣であるが、芭蕉と自分の自分の年齢を比べてああだこうだと考えていた脳裏に、次の詩句が、突然飛び込んでくる。

Dans ton île, ô Venus! je n'ai trouvé debout
Qu'un gibet symbolique où pendait mon image ...


これは作中には書いてないが、ボードレールの「シテールへの旅」の最後の連の一節である。清水まさ志氏の論文中(「ボードレールの詩篇「シテールへの旅」を読む」)の訳を掲げれば、次のようである。

お前の島で、ああヴィーナスよ! 私が立っているのを見出したのは
私の像が吊るされている象徴的な絞首台だけ・・・


私は、レールのそばに死体を見出したりしながら、自分はすでに死んでるのではないかと思ったりする。

 時を殺すこと、思へば性懲りもなく、私は時計の鍵をいぢりまわして来たものだ。[…]私は力が欲しい。生きたものがほしい。私をどやしつけて動かすものが欲しい。
 腰抜けの妻うつくしき火燵かな
 ああ、美しきと言い切った蕪村、所謂二十何年間の生涯は私からなくなった。人間は一生に一度しか死ぬなんてことは嘘っぱちだ。ただ墓碑銘なんてものはないだけだ。私の経歴のなくなる日、――私は碑文を書くかはりに私の日記を引き裂こう。


こういった「私」殺害をくわだて生まれ変わった人々は昔も今もいる。上でも「――」がなくなった蕪村の句は蕪村の句にすぎなくなり、私は「時を殺すこと」によってのみ成り立つ文学への陶酔を断ち切り、ある種の「自立」を遂げたように見える。しかし、この自立は幻想である。ブキッシュな幻想からの自立は、むしろ葛藤からの逃避であり、現実という幻想への逃避である。この短篇で問題になっている朝鮮やヨーロッパとの関係からの逃避でもある。

結局、沖崎(中島栄次郎)は、三十六才で戦死した。

追記)
東浩紀の「テーマパークと慰霊」(『ゲンロンβ33』)における、大連のテーマパークというのは、上でいえば、可視化され実体化された幻想みたいなものである。確かに、慰霊碑やテーマパークは、上のような極端な行動や幻想を押しとどめる、地縛霊みたいなものなのであろう。ただ、地縛霊に可塑性があるのかという問題があるような気がするのである……。東浩紀氏は、それゆえ、ちょっと地縛霊をみて帰ってくるという観光客であり続けようとしている。かかるあり方が許される限り、われわれは自由である。中島にはなかったのだ。

吉田戦車と杉浦正一郎

2019-01-26 23:38:46 | 漫画など


わたくしは大学に入るまでにまんがをほとんど読んでいないので、さぞ時代遅れになっているかと思っていたのであるが、どうもそういうわけではなく、ほとんど読んでもいなかった吉田戦車のまんがにふれてみると、ほとんど自分がネームに関わっているのではないかと錯覚するほどであり、なにかおかしい。以前に三浦哲郎や村上春樹についても同様のことを指摘したことがあるが、同時代性というのは読んでいなくても存在するのではなかろうかと思っていた。

しかし考えてみると、そういう空気みたいなものを表現できるのが一流の作者なのかもしれず、――だからこそ、自分だってこのくらいは書けるぜと思って思春期の読者たちが創作の迷路に彷徨し始めるのであろう。

また、吉田戦車などは、漫才とか映画にもかなり影響を与えたようなので、それを受容したわたくしが原点を見出しただけなのかもしれない。

吉田戦車はだいたい一〇歳ぐらい上の世代で一九六〇年代の前半に生まれている。

がっ、わたくしが想像上、一番共感を覚えているのが、一九〇〇年代から一九一〇年代の生まれの人たちである。わたくしは一九二〇年代生まれの作者になるとその若造感に堪えられない。

で、杉浦正一郎の「草」(『コギト』8)は、彼の「開港紀 4」で、なんだかよくわからんが、前作の続きのようでもありそうでないようでもある。従姉妹だと思っていた少女が、実の妹だとわかり、なんだかほんとに彼女に恋してしまっている主人公であるが、なかなか自分との身体的な共通点が見いだせないので、「せめて自分の不安を頼らねば」と思う。その不安とは、例の「三人吉三」の話を思い出したことによる不安である。おとせと十三は実は兄妹で恋仲である。結局、和尚吉三によって首をはねられる。

不安さえもフィクションによって呼び起こさねばならない、そのことは、案外重要なことである。

鮎の如くに

2019-01-25 15:52:52 | 文学


松田明「鮎の如くに」(『コギト』7)は、絵にかいたような話である。

田舎で育ちました→父親の懐が寂しくなりました→進学を諦めて徴兵されました→なぜか功名心発動→陸軍士官学校に入りました→肋膜炎に→帰郷→友だちの川辺がいて文学者志望でした→彼の同人誌に書かせて貰いました→うれしかった→川辺と田舎で談笑(川辺はロマンチストでした)→父親に言われて結婚しました→おめめがかわいい田舎娘です→川辺は親の反対を押し切って都会で結婚→父死去→文学熱が盛り上がる+体衰弱→妻妊娠→鮎を釣りに行く

この鮎のやうに、若々しく強く生きよう。昔の野心のない、幼い心に立戻って、愉快な、平和な生活の出発点に再び引き返へてゆこう。[…]その夜俊二は、妻の加代に、文学を抛擲すると宣言した。


やる気がないんなら、さっさと止めればよろしいので、鮎の力を借りるまでもない。鮎が必要だったのには理由がある。妻が妊娠したこともあるが、生活が成り立つかどうかという恐怖、川辺には才能でかなわないという諦念(川辺は田舎ではしゃぐ「ロマンチスト」だから自分も田舎にいてよい)、が大きな理由である。書いてないがそうなのだ。作者もおそらく自覚的であり、さらにそれをもう少し美しく糊塗するために、主人公の村のエピソードが二つ冒頭にさりげなく紹介されている。一つは、嘉兵衛という男が町娘を一生懸命恋してついに自分の妻にしてしまった話である。二つ目は、南北朝時代に、南朝に味方して戦ったという伝承である。そういう彼らは春になると鮎を捕りに行くというのだ。途中で谷崎の「吉野葛」が引用されて意味ありげである。――すなわち、この村は現在の皇室になんかよくわからんが寄与し、町娘を貰って血筋を絶やさず生き続けるというアイデンティティを持っているということである。鮎は無論、伝説的に皇室に関係あるわけで、と……

「田舎教師」や「海の中にて」に比べると、なんとなく、胸に一物あるご様子とはいえ――えれえ物わかりがよくなったとしか言いようがない。たぶん、文学の地位向上が、主人公に「功名心」を持たしているところが大きな原因だ。功名心に釣られていたくせに、最後には愛郷心とか糞伝説を持ち出してくるところが今のある種の人々にそっくりであるが――確かに、こういう挫折者が田舎で郷土史や童話の発掘に寄与したことも事実であり、確かに町中でうじうじしているよりましな場合も多い。何もできず、都会でふらふらしているうちに空襲で死ぬのと、粘りづよく旧習のことを観察し続けるのと、どちらがよいのかはやってみなけりゃわからない。――という風に高度な罠をかけてくる場合もあるから、若者たちは気をつけた方がよい。

理屈は慰めに過ぎない。ただひたすら、文学をやりたきゃやればよいのである。遊びじゃないんだから……

玻璃の器のなかでゆらゆら揺られ

2019-01-24 23:34:14 | 文学


杉浦正一郎の「離合」(『コギト』5)は、前作「高架線の記憶」と同様に家族が主題なのだが、前作が朝鮮人家族の離散の悲劇を扱っていたのに対し、今度のは、日本人同士の話である。自分だけ家族から離されて養子に入っていた高校生「わたし」が、実の姉の死をきっかけに、血の繋がった家族と交流をする話で、――「高架線の記憶」と同様、なかなか読ませる。死んだ姉がかつてはじめて喀血する場面は以下の通り。

私の手をとつた。かと思ふと直ぐにぬらぬらした綺麗な血を吐き出した。私は姉の背をさすりながら途方にくれて甲板から下を見てゐた。姉の血が海のなかへたてにかたまつて入つて行くのを、上からみてゐた私の眼には、真紅な珊瑚が海の底にあつて、夫れがぱつと一時に花を咲かせた庸に、美しく見えた。

これが、最後、母と妹(美智)が「わたし」が別れるときの描写につながっている。

母は美智の廻灯籠をもたされて、美智は金魚の瓶をぶらさげて、ふたりが坂を上って行つた。美智が母のからだにするやうにくつゝいて歩くので真紅(まつかな)な金魚たちがともすると頭をへりにうちつけそうに、玻璃の器のなかでゆらゆら揺られ乍ら、うすぐらい山の街へ上つて行つた。


つまり、上の場面では、肺を思わせる珊瑚に鮮血の花が咲くのだがそれは海の底に沈んでゆく、それが死であり、――対して、妹と母は真っ赤な金魚と一緒に坂を上ってゆく、これが生なのである。文字通り血のつながりが修辞的に処理されたわけだ。そして重要なのは、そのどちらにも属していない、――いままで彼ら家族とはそこそこ交流はあったとは言え赤の他人だった「わたし」は、死でも生でもないところに取り残されているのである。この小説の静かな語り口が、その虚無的な場所を表現している。

しかしまあ、こういう話題は、近代の日本では極めてありふれたものでもあったので、やっぱりこういう結末はロマンティックな若書きと言えそうだが……。誰でも三代前の自分の先祖の周辺を調べてみれば、こんな話でいっぱいである。今だって大変だ。

わたくしが容易に政治や戦争をかたりたくないのは、ただでもこんな状況なのに、これ以上何かを加えなくてもよいと考えるからである。

我と等しき人しなければ

2019-01-23 23:21:41 | 文学


思ふこと言はでぞただにやみぬべき我と等しき人しなければ

光孝天皇の狩りのお供をし――「翁さび人なとがめそ」云々と詠んだら、若い人や天皇から恨まれてしまった昔男である。歳をとると、なにか言葉が上手く機能しないのだ。伊勢物語は、言葉少なに昔男の死に向かって進んで行く。上の歌なんか、もう思ったことはいわないほうがいいな、自分と同じ人なんかいないんだからさ、と言葉による楽しさを放棄し、自分の人生を道連れに生きてゆこうとする姿勢であって――、こうなっちゃおしまいである。よく知られているように『大和物語』の業平は最後まで女と遊んでいたらしいが、やっぱりそういうひとは特殊で、だいたい最後は自分と自分の人生の対話の方が重要になっていくものではなかろうか。

保田與重郎の「花と形而上学と」は小林秀雄の「Xへの手紙」と同時期に書かれていて、保田自身も二つを並べて何か言っていたように思う。改めて並べて読んでみたら、小林のものすごい頭の良さというか、歌うように理屈を述べてゆく加速に圧倒される。しかし考えてみると、小林の、沈黙してた方がいいのは俺も分かってるぜ、という啖呵が、なんでこんなに饒舌を生んでいるのか本当のところはよく分からない。

――考えてみると、この「俺」という言い方が、独特なのだ。これだから「女は俺の成熟する場所だった」とか言えるのである。これが「女は僕の成熟する場所だった」とかだったらウワッという感じだし、「女は儂の成熟する場所だった」とかだったら、何か谷崎的に許せる感じだし、――いっそのこと、「俺の」を抜いてみたら

「女は成熟する場所だった」

→もう少しで安部公房である。

それはともかく、虚無も種類があるんだよ、少女の愛にもいろいろあるよ、若紫は好きだよ、世之介は嫌いだよ、プラトーの花に憧れるよ、とかぐずぐず言っている保田の方が、われわれの脳内と世界とをなんとか糸で繋げようと頑張っているのだ。小林はそれに比べると、読者への演説だ。小林はもはや自分の姿なんか本当は見ていない。そこを、演説をしながら自分の心の中の姿見を凝視し続けているのが吉本隆明である。それに比べると、江藤淳というのは、優しい親父だ(一応文章上では)。言うまでもなく、彼らのすごさは、他人と自分の区別がちゃんとついているところにある。その点、コミュニケーションが若い頃上手すぎて、いまさら「我と等しき人しなければ」とか言うとる昔男は、まさに遅れてきた青年としか言いようがない。

附記)最近の「対人論証」好きのタイプは、要するに、自他の区別が苦手なタイプなのである。だから最終的には役職や職業を根拠に持ってくる。これはケンカの最終手段であって、普段からつかっているのはただのナルシストである。だからもちろん自分の意見の他者性に気づくこともない。

熊蟄穴と白露

2019-01-22 23:23:05 | 文学


少し前の『群像』に載った堀江敏幸氏の「熊蟄穴」という短篇小説を読んだ。洗練された作品であったが、わたくしは古くさいので「人生に相渉るとは何の謂ぞ」という態度が文学のそれだと思い込んでいるところがあり、――それで、どうすりゃいいのさ、と思わせるような作品を避ける傾向にあって、したがって、堀江氏の作品には、いつももやもやしながら近づき、遠ざかり、を繰り返している。

白露は 消なば消ななむ 消えずとて 玉にぬくべき 人もあらじを


これは、男が「恋い焦がれて死にそうです」と言ったので女が詠ったものだという。白露(男)よ死にたいなら死んでかまわんよ、に続く「玉にぬくべき」という言い方が鋭い。惚れた腫れたでも、若者の決闘みたいな殺伐としたものがベースに流れている伊勢物語に対して、近代文学の業界には私小説あたりからか、――中年のもっさりした雰囲気のものが漂い始めた。どうも小説という形式からくる問題もありそうなのだが、これについてはいろいろな研究があるので、そちらに任せて、と。

研究業界における作品論の退潮にはいろいろな理由があるのだが、小説が近代文学の中心にいたことと無関係ではない。

小説の原理論と言えば――ここ数日『言語にとって美とは何か』についてあーだこーだと考えていたのだが、どうも彼が描いている図が案外わかりにくいのであった。わたくしは、吉本に於いて、工学的センスが良い意味でも悪い意味でも大きいと考えているのである。こういう書物は、左翼に対する反発というより、通俗化した左翼的風潮のなかのテクノクラート的感性に対するアンヴィヴァレンツな抗弁という意味合いがあると考えるべきだと思う。なぜ、吉本が詩人をやめてしまったのかは、高橋和巳の小説家になった理由とともに、いまでも喫緊のトピックなのだ。わたくしは、どうしてもそういう思いから離れることが出来ない。
            

Currentzisと梅原猛

2019-01-21 23:50:08 | 音楽
SHOSTAKOVICH // Symphony No.14, Op.135: De Profundis by Petr Migunov, MusicAeterna, Teodor Currentzi


テオドール・クルレンツィスという指揮者の音楽は、以前、ショスタコーヴィチの一四番の古楽器演奏で聴いていたが(当時はびっくりしたものだ――)、今回、チャイコフスキーやマーラーの6番も聴いてみた。騒がれているだけのことはある演奏だとおもった。専門的にはよく分からんが、われわれはぼーっとしている場合ではなく、芸術の世界は停滞するどころか更なる進化を続けているのである。たぶん学問だって同じことで、役に立つだ立たんなどという声にいちいち丁寧に答えてる暇はない。クルレンツィスの演奏を聴いていると、過去のさまざまな演奏の工夫がさまざまに発展させられているのがわかるが、問題はそこに命を吹き込めるかどうかで、これは体力と運が必要な気がする。この指揮者は同世代なので、彼の体調が心配だ、と勝手に思った。

指揮者たちには、有名オーケストラと共演するうち、ストレスかなんかで明らかに変形し不健康になっていく人がいるようだ。指揮者は歳をとっている方がすごいというのはオーケストラの文化の、帝国主義的〈巨匠時代〉かなんかの錯覚で、ぴょこぴょこ運動できた方が良い気がする……。イチローがヒット打つことと芸術はどこか似たところがある。

ところで、梅原猛の『地獄の思想』っていう本の最後は太宰治論なんだが、彼は太宰が死んだとき京大の三年生で、太宰の心が手に取るように分かったという。わたくしは、こういうことを思っても書く奴は信用できない。あと、「源氏物語」は中国人には書けんだろうとも述べていたが、わからんぞ。人間の多様性、芸術の進歩というのを甘く見てはいけない。

セ2――合格文化

2019-01-20 18:31:04 | 大学


ある者は自分の影を踏もうとして駈けまわるが、大抵は他人の影を踏もうとして追いまわすのである。相手は踏まれまいとして逃げまわりながら、隙をみて巧みに敵の影を踏もうとする。また横合いから飛び出して行って、どちらかの影を踏もうとするのもある。こうして三人五人、多いときには十人以上も入りみだれて、地に落つる各自の影を追うのである。もちろん、すべって転ぶのもある。

――岡本綺堂「影を踏まれた女」


なんしろ字なんか書くって奴はいとも面倒くさいもんであるよ、みんなよくもまあながながとことや細かくつまんねえ屁理窟やつまらん男と女がどうしたとかこうしたとか、すべったとかひっくりかえったとか凡そベラボーでちんぷでなさけなくはては臍茶なもんやないかないか――だがみんな生きとしいけるものはおまんまというものをいただかなければならないのが、実に厄介センバンだよ。これにはシャッポだ。だから私は凡そおかねのない人達がどんなことをしようとやろうとたいていがまんしてむりもないなと考えながら傍かんしているんだ。

――辻潤「だだをこねる」


二つの足で立つようになるために、人間は二十万年もころんでは立ち、ころんでは立ちしたんだろう。そして、手が自由になったとき、どんな気持ちがしただろう。
 ものをつかんで、土の上に立った人間のすがた。

――中井正一「生まれ変わった赤坂離宮」


寧そ初めからやり直した方がいいと思って、友達などが待って居て追試験を受けろと切りに勧めるのも聞かず、自分から落第して再び二級を繰返すことにしたのである。人間と云うものは考え直すと妙なもので、真面目になって勉強すれば、今迄少しも分らなかったものも瞭然と分る様になる。

――夏目漱石「落第」


……青空文庫で、「合格」を検索したら、安吾が共産党を貶した「戦後合格者」ぐらいしかでてこなくて、滑ったり転んだり落第するなら沢山出てくる。思うに、戦後世界というのは、やたら「合格」を基準に成り立っている世界といえるのではなかろうか。安吾言うところの堕落を避けようと「合格」文化をつくってしまったのであろう。そこで内発的な思想がどんどん失われて行くことになったのであろう。マルクスの思想に合格、トランプの意向に合格、といった具合に。どうしようもない。

むかし、ことなることなくて

2019-01-18 23:24:56 | 文学


むかし、ことなることなくて尼になれる人ありけり。

いまでも大した理由もなくアイドルが尼になって謝罪したりしているが、尼になったからといってお祭りを見に行ってはいかんというわけではないだろう。だから、

かたちをやつしたれど、ものやゆかしかりけむ、賀茂の祭見にいでたりけるを

と言う語り手は更なる嫌みを誘発している(――というわけではなく、この語りこそ歌にくっつけたのかもしれないが――)ようなもので、

世をうみのあまとし人を見るからにめくはせよとも頼まるるかな

お前に目配せなんかするかいな、と読者が思ったところで、とどめの一撃。

これは、斎宮のもの見たまひける車に、かく聞えたりければ

斎宮といっときゃ読者が「おっ」「いやー斎宮斎宮」と嫌らしく騒いでくれるのであろうと語り手は思っているに違いない。最近天皇が「国民に寄り添う象徴」みたいな形で祭り上げられつつあるが、そもそも戦前の天皇でさえ、神というよりは「臣民とともにある父母」的な存在であって、その抑圧(というか模倣のための「手本」の提示なのであるが――)が戦前はパパ的であって戦後はママ的であるという違いしかない。戦前からの断絶をあんまり曲解し続けているとまたくだらない儀式化にまで行き着きそうだが、もう既にそうなっているので手遅れだ。儀式が強制されるというのは、天皇に対してのみだったらまだ権威への服従なので分かりやすいが、ああいう儀式はわれわれの大概のコミュニケーションの様式をみんなが共有・模倣していることを確認するために、手本たる天皇に対してやって見せているにすぎない。

どうも上のような斎宮叩き?には、手本たる天皇の輪郭をつくるための土俵作りみたいなところがあるのではなかろうか。――周縁の斎宮やお相撲さんを叩いていわば神社本殿の空位みたいなものを愛でてみても、実際のところは神は出てこない。――ので、ますます愛で続けるしかなくなるのだが、もはや、冷静に考えればそれは自分の行為への愛、自己愛に近い。これが成立してしまうと、自分の愛でる者以外は全部叩くみたいな馬鹿みたいな土俵作り状態になるのである。正直、こんなのは帝国主義とかナショナリズムとは何の関係もなく、自己確認みたいなものだから罪悪感もないのだ。こういう経路に必要な、根本的な自己肯定を七〇年代以降いろいろあって、われわれはもう回復して久しい。鷗外の「玉篋両浦嶼」を読んでいたら、芥川龍之介の、鷗外はやっぱり自分たちみたいに「神経質」に生まれたのではない、とかいう言葉を思い出したが、鷗外の方が本当は神経質だったのかもしれない。芥川龍之介はなんだかわからんがいろいろ愛でる人だったから……。いろいろ愛でるということは、自分が空位みたいになっているようなものなのであろう。上の話において恋愛の不能が不在の中心問題であるように。

いまこそは見め、とぞいふなる

2019-01-17 23:33:44 | 文学


伊勢物語九六段はちょっと異質な話で、フラれたかもしれない男が女を「天の逆手」で呪った、というそれだけの話である。しかし、文章はちょっと複雑で、最後の部分は、こうなっている。

さてやがて後、つひに今日までしらず。よくてやあらむ、あしくてやあらむ、いにし所もしらず。かの男は、天の逆手を打ちてなむのろひをるなる。むくつけきこと、人ののろひごとは、負ふ物にやあらむ、負はぬものにやあらむ。いまこそは見め、とぞいふなる。

吉本隆明だったら、〈仮構〉性がなんたらと解説してくれそうなところであるが、語り手がAであろうか、非Aであろうかといったご託を並べたあげく、急に「今こそは見め」という男の生の声が飛び込む。滑稽なのかどうかはよくわからん結末だが、――ふりかえると、女が約束のときに来なかったのは、でき物が出来たからという理由だったのだ。やりきれなさまで決して行き着かない平凡すぎる現実というものを語り手は分かっているのであろう。

古谷実の『シガテラ』は青春を描いたものなので、最後のセクションで急に大人になっている主人公のほうの現実がなんとなく夢のように平板で、青春時代が悪夢とトラブルと思いこみに満ちていたように構成されている。しかし、本当にそうなのであろうか。どうも現実は逆のような気がする。「いまこそは見め」という呪いが真に存在するようになるのは大人になってからのような気がする。わたくしが、人に比べてものんびりと青春時代を過ごしたからかもしれない。

上の九六段は、昔男が歳をとっていく章段群にはめ込まれているようにみえるけれども、確かにそれは老いの「呪い」の話かもしれない、と思った。