ここ数日だいたい寝ているのであるが、大学院のときに×秀実氏の本を読んだら元気になった記憶にもとづき、池田浩士だか福間良明だかの本の下になっていた『反原発の思想史』を引っ張り出してつまみ読みしてみた。×秀実氏というのはいまや、アイロニカルな意味でも何でもなくほとんど文学=思想史家の趣のある人である。わたくしのみるところ、この人は本質的には評論家ではない。時評を得意とするジャーナリストはたくさんいる我が国であるが、この人みたいなタイプは案外いない。アカデミズムでも歴史を論じられる人というのは、非常に行動的な人であることがおおいのだが、氏はそういう人である。我々の業界はもっとしっかりしなきゃならない。
かなり疲労の色がみられるとはいえ、さすがにこの本も面白いところは面白く、教えられるところがある。もっとも山本均氏の調査に負うところが多い本らしいのであるが……。革マル人脈から「プロ教師の会」や「ヤマギシ会」の動静あたりの問題は、わたくし個人としても興味があるところである。いまや、氏が問題にしているニューウェーブ系は安倍昭恵に至る不思議ちゃんやモンスターペアレンツの一部にまで伝播している。いやはや面白い時代になってきたものである。
最近急激に流布した「忖度」という言葉であるが、役人がエライやつに勝手に
合法的に便宜をはかることは言葉の正確な意味で「忖度」ではない。むしろ、教育基本法などの「大きな命令」がでているにも関わらず、教育を「支援」、とか「心に寄り添う」とか強弁してみせることに近い。むろん、客観的に言えば「命令に従っただけ」、道徳的に言えば「ケツなめ」(宮台真司)である。しかし、そんなふつうの感覚が働かず、上の強弁がここまで広がりを見せているのは、単に馬鹿にすればいい問題ではない。たしかに氏が問題にするようにそれは大正生命主義的なものに近いのかもしれない。
1974年の「ザルドス」であるが、昔これをブラウン管のテレビで観た時には、ボルテックスというハイソで死ねない、セックスを忘れた人々のコミューンが非常に非現実的に見えたものであるが、いまやあまり違和感がない気がするのが怖い。その理由を考える上でも、上の本は役に立ちそうだ。