★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

とぶ蛙

2012-07-31 02:33:11 | 文学


今日、ゼミで葉山嘉樹の「眼」とか「山抜け」を読んだ。「山抜け」は木曽の話である。「山抜け」というのは所謂土砂崩れであって、木曽ではよくある話であった。たしか「夜明け前」にもでてくる。作品の前半で、猿とか猪とか狸に喩えられる木曽の人びとであるが(←ぶっとばすぞ、葉山)、そういった「自然」の意味が山抜けで一変する。所謂「自然」の恐ろしさに一変するのではなく、もっと違った意味に変容する。葉山嘉樹は木曽をよく見ていたなあ……

ところで、両親の話によると、老人が多くなった木曽は、最近、日本猿に生活圏を奪われつつあるそうです……。我が物顔に道路を歩く猿どもに出くわして逃げてしまった人の話、だから棒持って行けばいいと話しているということ、猿に食われるのでモロコシ作るのやめた農家、など。近年は、町内有線で「いま上町を熊が下ってます~」と言ってたらしいが、猿は集団だからやっかいである。熊がザビエルなら、猿は無敵艦隊(←この前日本猿に負けたw)が直接来たようなものだ。ハリウッドは「猿の惑星」をリメイクして家族愛を語ってる場合かっ。リアルに侵略されとるやないけ。

『遠い「山びこ」』は今も響く

2012-07-25 05:13:21 | 文学


左の勝又進の作品集『深海魚』は、「深海魚」、「デビルフィッシュ」という、原発ジプシーを描いた二作品と、私マンガ的なかんじで東北の民俗を描いたと思しき作品群が収められている。ある意味、東北の現在と過去をえがいているともとれる構成である。後者の作品は発表時に於いてもうロマンの対象が描かれている感じがする。遠近感があるのである。しかし原発ジプシーの作品の奥行きのない異様な絵は、現在を感ずる。

右は、最近読んだもの。『山びこ学校』はまともに読んだことがなかったのであるが、佐野氏の著作を読んだのを機に読んでみた。『山びこ学校』の綴方がみつめるのは「生活」である。生活綴方なんだから当然のようにみえるが、これがまったく自明の事柄ではないのは、教師なら皆知っていることであろう。特に最近なんかは自分の「生活」を作文に書かせること自体がそもそも目指されていないのではなかろうか。それは子どもにとっても親にとっても恐ろしいことだからである。無着成恭の指導方針──綴り方の目標は、子どもの「生活」改善でありそのための原因を仮象に覆われた現実の中から炙り出すことであって──、そのために綴り方は、流通、搾取、宗教などの話題から、タブーとされていた事柄を次々に扱わざるをえなかった。このことは、無着成恭の村からの追放の一つの原因であろうが──、一方で、生徒の綴方に現れている事象に対し、厳密に解説し問題として整理することには、岩波文庫で解説している無着成恭自身も国分一太郎も失敗しているようである。佐野氏の著作は、その失敗の原因を追求するものであるように思われる。ある意味、無着成恭は、学校を「勉強」の虚構空間とせずに、労働を「見」て「綴る」場にしてしまった。しかし、見出された「生活」は、左右の対立や教育論議の中で、反点数主義や反管理教育、個性尊重などのタームによって見えなくなっていってしまう。

佐野氏は、卒業後、更にひどい状況の変化(高度成長前期)を強いられていた生徒達の生活と、教育に挫折して僧侶になった無着成恭のその後の姿を追跡した。佐野氏のやったことは、文字通り、大人版『山びこ学校』である。わたしも、大学教育の中で、学生に「生活綴方」のようなことをやらせてみようとは思っているが、ちょっと勇気がでない。「生活」は、それほど勇気を持って見出されなければならないものである。私は、他人の書いた文章を解釈する力と、自らの生活を見る勇気とはほとんど一緒のことだと思っているが、どうも片方が極端に欠けると駄目なようなのである。

今回、『山びこ学校』そのものと佐野氏の著作を読んで、私自身が受けてきた教育も当然ながら記憶の底から蘇ってこざるを得なかった。教員であった私の両親にも、このブログにもたびたび登場してきた牛丸仁先生の教育にも、直接的か間接的か『山びこ学校』の影があった。無着成恭も俳句を作る人であったし牛丸先生も自分は詩人だという自覚があった。『山びこ学校』がそうだったように、私も、先生の方針で、作文や学級活動を中心とした教育を受け、宿題やテストがろくになかった時期を経験している。思うに『山びこ学校』の時期(昭20年代)に比しても、昭和50年代のそれは、詩人としての先生の追いつめられた抵抗を示すものであったかもしれない。状況は『山びこ学校』とは別の意味で難しかったはずだ。作文や日記を書かせたとしても、生徒の「生活」そのものがテレビや音楽によってある種「勉強」するような形態に変化していて、「生活」じみたことは却って学校の中で経験することになるという逆転が起こっていたように思われる。それに、無着成恭の教え子達の世代に当たる先生の場合、無着成恭が生徒に読んで聞かせていた徳永直や葉山嘉樹のような感じにはならず、無着成恭のように理念型にもならなくて、もう少し教養主義的な人間だったのではあるまいか。オペラ上映を目指したり吉野源三郎を読ませたりするところが……。ソシュールやマーラーのことを面白そうに話すのを聞いたことがある。すなわち、先生の生活自身が、我々のそれに案外近かったのである。

しかし、別に我々は「生活」を失っている訳ではない。

イチローは4打数1安打でした。なお、マリナーズは4対1で敗れました。

2012-07-24 18:08:29 | 日記
昨年、イチローが三割を切ったことについて、記事を書いた。

http://blog.goo.ne.jp/shirorinu/e/389ba242ad9f1d5f7bb8fc03bb7b2b37

しかし、いっこうにマリナーズは勝てず、「イチローは4打数3安打で猛打賞。なお、マリナーズは4対1で敗れました」というニュースの常套句が、最近はもっとひどく、「イチローは4打数1安打でした。なお、マリナーズは4対1で敗れました」という感じになっていた。

と思っていたら、今日、なんとイチローが弱弱マリナーズを捨て、米国の読売ことヤンキースに移籍した。そしてあろうことか、マリナーズに移籍当日(=今日)に対戦した。

で、今日のニュースは、

「イチローは4打数1安打でした。なお、マリナーズは4対1で敗れました」。

何も変わっていないな、世界は今日も平和だ。


リラックマ 対 卒業生

2012-07-23 23:12:06 | 大学


こんにちは、マッチョマンくまのプーさん体型の渡邊史郎です。(くまのプーさんは、プー太郎という過去を思い出させるし、よく見たら、上半身しか服を着ていないという大胆な人であるので、最近はリラックマ体型ということになりました。ご了承ください。)

今日は、教員採用試験を終えた卒業生が何人か訪ねてきました。だいたい、何故に君たちは試験を終えたとたん大学に舞い戻っているのであるか。もう一回入学しよう。そうしよう。

じつはウェイトリフティング選手だったわたくし

2012-07-22 23:19:04 | 大学


先日、「渡邊さんて、リフティングかなんかやってるんですか」と元体育教員から言われたのであるが、わたくしの見た目から常識的に考えて、サッカーのリフティングではないから「ウェイトリフティング」のことであらう。ウェイトが問題なのは、私の体の方であって……、隠微な皮肉誠にお疲れ様ですっ。

わたくし、こうみえ(←見えないですね)ても、体育の成績が良ければ、小中高と9教科総合でぶっちぎりの一位だったはずの人間であるっ。だいたい、体育の授業へのプレッシャーで、一日憂鬱だった時期もあり、かかる影響を鑑みて、他の教科の成績のいまいちさまも大目にみられなければならず、遠慮ぎみに考えても、9教科オール5であったとみてよろしい。

というわけで、体育音痴で迫害をうけてきたわたくしであるが、成長期の頃、なぜか突然体育も優秀になったことがあり、ますます迫害は強くなったので、それからは遠慮して行動している。だいたい、体育が苦手ならきちんと苦手である必要があったのであるが、ときどき得意なものがあったから問題なのである。

1、スポーツ万能の父親がわたくしをやたら近くのスケートリンクに連れて行ってしごいたもんだから、スピードスケートだけはクラスでいい線をいっていた。

2、4年生の時点でまだ水が怖いレベルであったわたくしであるが、6年生の頃、好きな女の子を見たくてプールに通っていたところ、夏休みが明けたら、クロールでクラス一位になっていた。

3、運動会ではいつも「マエナラエ」で腰に手をやる人であった。ある意味「一位」(先頭だから)

4、幼稚園のパン食い競争で、なぜかパンを一番はじめに「食」えた(即ち、実質一位だ)が、そこまでしか頭が働いていなかったので、ゴールの場所を間違えて最下位になった。(自分の頭脳が大したことないのを自覚した最初の出来事である。)

5、5年生の頃、運動会で配られた梨を一番先に食べ終えた。

6、中学の時、一時期、背筋力がクラスで一番だった。(何故だろう……)

7、中学のマラソン大会で、学年で最下位になる。たぶんぜんそく患者の部で一位であろう。

8、女子が圧倒的に多い大学に入学したので、なぜか体育の時間は大活躍。ダンスの授業などで模範演技をしたりする。(いま考えてみると、明らかにいじめであろう)

9、大学院に入って、ある研究者に「筋トレやってるんですか?いいなあ、色白でマッチョで」と言われる。

……こんな感じであるにもかかわらず、ときどきスポーツやってる人に「渡邊さんて何かスポーツやってましたでしょう?」と聞かれるのは何故であろう?確かにやってたよ。上の如くに。

確かに、以前テレビで放映していた「ストロンゲストマン・コンテスト」とかすごく面白かった。錨を担いで走るとか、トラックを引っぱるとか、岩を担ぐとかする競技である。わたくしも、前世は大男でマッチョマンだったのかもしれない。