★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

今年読んだ本ベスト10……2020

2020-12-31 23:37:16 | 思想


今年は読んだというより書いた年だったのでまったく頭が働いた気がしない。

1、マルクス・ガブリエル他『未来への大分岐』……はじめはこの本についての評論をやろうとしてたのだが、途中で挫折。この本を読んで勉強になったとかいうてるひとにわたくしはいろいろ質問がある。

2、清水高志『実在への殺到』……これはかなり細かく読んだ。編むように書くという書き方があるのだという実感する。

3、井上弘貴『アメリカ保守主義の思想史』……井上氏は同じ世代であるためか、似たような変遷を辿っているように思った。感覚的に分かることをちゃんと説明的にするということはいつも大事。

4、藤野裕子『民衆暴力』……この本もある程度かなり前から構想はあったと思うのだ。それが言葉に出来るようになるまでに時間がかかる。井上氏の場合もそうであるが、現実が追いつかないと書けないこともあるのだ。

5、岩田健太郎『新型コロナウイルスの真実』……以前から有名だったが、コロナで一段と名が高まった人のひとりである。この本自体はそれほど感心したというわけじゃないが、表紙に著者の顔がでている本の中ではかなりよい本だ

6、宇佐見りん『かか』……若き天才として評判になったので、わたくしも読んでみたぞ。わたくしも歳をとったのか、本文中の「『万年喪女にやさしくないTLやめような』」という部分が、「『万延元年のやさしくないOTLやめようかな』」と見えてしまって人生を感じた。

7、『枕草子』……随筆?みたいなものとしてはやはりすごく突出しているじゃないかと思った。研究もある程度あさってみた。

8、『土佐日記』……イメージよりだらだらした話だと思ったが、紀貫之の歌なんかもよくよく調べてみるとやっぱりすごいらしいので、油断は出来ない。

9、ブリュノ・ラトゥール『諸世界の戦争』……なんか名人芸という趣さえあった。

10、小林秀雄『本居宣長』……小林を読むこつは、小林のあとまで考えなければ小林の言いたいことはわからないということを自覚することだ。西田幾多郎も似たところがあるが、示唆のレベルが思いつきに近くても本質を射貫けばそれなりの説得力がうまれる、という書き方をしている。正にエビデンスなしという反科学をやっているところがあるのだ。逆に、吉本隆明なんかは、本質を外れてもエビデンスを出してくることがある。彼の場合は、狙いがはずれていても、狙おうとする心が正しければ正しいという感じでやっているのであった。これは本質的に共感を得ても読者にわかりにくいのが現実である。今年は、演習で江藤淳をやったが、江藤淳は小林の「本質」を、本当は読者に存在している「コモンセンス」に置き換えた。だから、読者は江藤淳の言っていることは先験的に本当は分かっているはず、ということになる。これは吉本以上の共感よりも、先取りされた共感であり、危険であった。江藤淳は犬が大好きだったが、江藤淳の読者には本質的な意味で犬がいる――ということになるからである。柄谷行人は、吉本よりも江藤淳の書き方と思想を選択したところがある。

最近は、福田和也も読み直しているのだが、――彼が大活躍している頃、大学院生の私が直観したように、文芸時評をやっている暇がほんとうはあったのであろうか、という感じがしないでもない。ほんとは絓秀実氏辺りにかわりにすべてやって貰いたかったのではなかろうか。

『夜明け前』を再読し損ねたことが残念だ。

夢と書くこと

2020-12-30 23:40:47 | 文学


猶俤の露忘れがたく、しばしまどろむ暁の夢に、かの真女児が家に尋ねいきて見れば、門も家もいと大きに造りなし、蔀おろし簾垂こめて、ゆかしげに住みなしたり。真女児出で迎ひて、「御情わすれがたく待ち恋奉る。此方に入られ給へ」とて、奥の方にいざなひ、酒菓子種々と管待しつつ、喜しき酔ごごちに、つひに枕をともにしてかたるとおもへば、夜明けて夢さめぬ。現ならましかばと思ふ心のいそがしきに朝食も打ち忘れてうかれ出でぬ。

ここでも夢が覚めてしまうところが残念である。別に覚めなくても悪夢でも何でも襲ってくるだろうに、と思うからだ。夢を夢と言うことがよいとは限らない。高坂正顕が『民族の哲学』のなかで、我が国が日米会談、そして開戦に進んだのは「世界史的必然性」があったからだと述べている。高坂は本当はそれを『現実です』と言うことも出来たはずである。夢心地で推移して行くものに対して、「世界史的必然性」とだけだと夢の本性をかえって呼び寄せる気がするので、彼は「ランケのいふ見えざる神の手が働いた」とも言っている。必然性よりも神の方が優しそうな気がしたのであろうか。いずれにせよ、夢の推移をきちんと見ようとはしていないのであった。それを夢だと言えばいいと思っていたのである。だいたい、戦争によって却って明らかになる「形而上の真理」とはなんであろうか。急にそんなものが見えるはずはない。見えるのは、戦争によってではなく、死体とか瓦礫や裏切りによってである。夢を見ていようとそうでなくても関係がない。

無論、真理の開示?があってもそれが精神の解放をもたらすとは限らない。上田秋成とは対極的であろうとしたのか、本居宣長の方は、別の解放を予感していたに違いない。この二人の対立は、近代にも及んでいる。

今年は、ゼミ生と一緒に安吾の「堕落」の有効性やら具体性について考えたんだが、考えてみると、堕落が具体性をもたない言葉であることも重要なことであった。それ自体に開放感が少しだけ伴っている。

彼の持ち前の図々しさと自惚れは、まだ彼をその堕落の淵に目ざめすことができないのです。私は彼の目ざましかった初期の運動に対する熱心さや、彼の持っている、そして今は全く隠されているその熱情を想うたびに、彼のために惜しまずにはいられません。が、邪道にそれた彼の恐ろしい恥知らずな行為を、私は決して過失と見すごすことはできないのです。

――伊藤野枝「ある男の堕落」


わたくしは、これを安吾とは別のケースとは考えない。

「吉備津の釜」と技術論者

2020-12-29 23:13:13 | 文学


こは正太郎が身のうへにこそと、斧引き提げて大路に出れば、明けたるといひし夜はいまだくらく、月は中天ながら影朧々として、風冷やかに、さて正太郎が戸は明けはなして其の人は見えず。内にや迯げ入りつらんと走り入りて見れども、いづくに竄るべき住居にもあらねば、大路にや倒れけんともとむれども、其のわたりには物もなし。いかになりつるやと、あるひは異しみ、或は恐る恐る、ともし火を挑げてこゝかしこを見めぐるに、明けたる戸腋の壁に腥々しき血潅ぎ流れて地につたふ。されど屍も骨も見えず、月あかりに見れば、軒の端にものあり。ともし火を捧げて照らし見るに、男の髪の髻ばかりかゝりて、外には露ばかりのものもなし。淺ましくもおそろしさは筆につくすべうもあらずなん。

ここで何故血があちこちに流れている様なんかを描写しているのかよくわからない。この不明さは、「淺ましくもおそろしさは筆につくすべうもあらずなん」と言ってしまっている事態と響き合っている。わたくしは、そこを書かないことが文学ではないかと思うのだ。これは、なんというか――、文学をメタフィジカーのなすものだと言ってしまう三枝博音の文化論みたいなものを想起せざるを得ない。彼は、文学はフィジッックとは違うといいながら、文学についての説明が実にフィジカルな感じに止まっている。文学のものの見方は知的ではあろうが、形而上的であったり空想的であったりすることではなく、あり方が違うのである。この問題は放置すべきではなかった。唯物論研究会の科学史家という分類のおかげで、こういうタイプの論者を本来の敵と考えなかった学者たちがいけない。中村雄二郎なんか、たしか戸坂や三枝を発展させて西田哲学を超克できるみたいなことを言っていたような気がするが、それこそ、戦前のマルクス主義の、西田左派にあった欠点を繰り返すことになりはしないだろうか。星野芳郎みたいな人を含めた技術論の流れと近代文学派的なものとの関係はもう少し冷静に考えられるべき問題だ。後者が単に文学青年的に馬鹿であったとは思えないのである。

とはいえ、昭和14年の本で、三枝が、日本にあるのは自然ではなくて「道」だと言っているのは、面白かった。――というか、これでは完全に通俗右翼ではないか。いや、彼は本質的にそうなのである。

これは特に生産技術の上での独創に就いて述べたのであるが、単にそういう技術的な独創に就いてばかりでなく、もっと一般に、云わば精神的な独創に就いて迄も、この結果を一般化すことが出来ると思う。もし技術的な独創と精神的な独創とは本質上別なものだから、精神の世界では大衆的独創などあり得ないと主張する者がいるなら、彼は多分大衆的独創という言葉を誤解しているのであり、そうでなければ精神界の独創という言葉で何か勝手な幻影を楽んでいるからだろう。精神というものも広義に於て技術的な本質のもので、頭脳労働と筋肉労働との対立が資本主義的生産形式の一結果に過ぎないと同様に、精神と技術との対立はブルジョア・イデオローグの固定観念に過ぎない。私は独創というものが一般に技術的なものだということをもう一遍云っておきたいのである。

――戸坂潤「技術の哲学」


そりゃそうなんだが、それを言っただけでは、『古事記』や『源氏物語』は素晴らしい技術に支えられているという――いまでいえば、AIによって小説は書けるみたいな議論に似てしまうのだ。

蝉と演技

2020-12-28 23:29:01 | 文学


正太郎かなたに向ひて、「はかなくて病にさへそませ給ふよし。おのれもいとほしき妻を亡なひて侍れば、同じ悲しみをも問ひかはしまゐらせんとて推て詣で侍りぬ」といふ。あるじの女屏風すこし引きあけて、「めづらしくもあひ見奉るものかな。つらき報ひの程しらせまゐらせん」といふに、驚きて見れば、古郷に残せし磯良なり。顔の色いと青ざめて、たゆき眼すさまじく、我を指たる手の青くほそりたる恐ろしさに、「あなや」と叫んでたふれ死す。

わたしはボードレールのいう芸術家がプロスティテュートであるという考えが好きではないが、確かに、対等にコミュニケートするといった幻想が著者読者双方にあるみたいな感覚ももっといやである。わたくしはもっと蝉みたいな芸術家がイイとおもう。ただ鳴き始めるようなものだ。

このまえブルトンの「超現実主義宣言」を読み直したが、つねに読者に対して「そんなことは言うまでもないこだから語らない」式のレトリックを使っていながら、一つのことをかなり長くしつこく語っていて、これはこれで説得の方法であると思った。前衛は、つい話題をすぐに変えがちである。

上の女なぞ、読者の意表をつく点で蝉みたいなものだ。「めづらしくもあひ見奉るものかな」という言い出し方が絶妙である。思い出してみると、蝉もその歌い出し方が絶妙である。

「やツ!」と叫んで、いきなり柱のてつぺんへ飛びついた。……しつかりと、出来るだけ体を小さくして、しがみついた。そして眼を瞑つて、左手で軽く鼻をつまんで、
「ミーン、ミーン、ミーン。」と高らかに鳴いた。「ミーン、ミンミン、ミーン。」
 一寸静まつた大広間中に、ミンミン蝉の鳴き音が、夏の真昼の静けさを思はせて、麗朗とこだました。[…]木枝の影に蝉が一匹止つてゐる。夏を惜んで切りに鳴き続けた――悪気なんて毛頭あつた筈はない、滝野はたゞさういふ閑寂な風景を描出したつもりなのだ。懸命になつて一幅の水彩画を描き、点景として蝉を添へたのだ。


――牧野信一「蝉」


牧野もこんなふうに蝉の鳴き声を表現しているが、やはり観察が足りなかった。だから受けなかった。しかし、だからといって

だが彼は、もう少しの間見物人が静かだつたら――そこに悪童が現れて、袋竿で憐れな蝉を捕獲しようと忍び寄る風情を、鳴き続けてゐる蝉の細い思ひ入れで現し、悪童の接近を意識した蝉は、未だ未だ大丈夫だといふ風に歌ひながら静かに梢を回り、いよいよ袋が近付いた瞬間に、(どつこい、さうはゆかない、あばよ。)とばかりに、尿を放つて空中に舞ひ上る――ところでこの演技を終らす考へだつたが、――そんなことをしないで好かつたと思つて秘かに胸を撫で降した。

といった放水はよくない。昨日、「午後の遺言状」という映画を観たが、ここでも水が死の象徴みたいになっていてコップの水から、老人達の海中への心中、棺桶の釘を打つ石を川に放り投げるところまで、生きること、すなわち演技することに併走している。杉村春子の演技というのは、演技か本気かよく分からんみたいなところまで演技するところにすごさがある。蝉であってはならなかった。これがリアリティの本性なのである。映画そのものが演技とは何かというのがテーマであった。心中する老夫婦もそうだし、それをなぞってみる杉村と乙羽も「演技」をしている。主役級の中で演技そのものを職業としない唯一の人物が乙羽信子で、彼女こそが実は癌で死にかかりながら演技してて公開時にもういないという事情も情報として含んだ作品であった。

もっとも、生を賭して歌うことを、死ぬことを以て証明するのは読者や観客に対してはかなりフェアではない。わたくしはどちらかというと、このアンフェアさがないと作品を享受する気にならない。

正太郎の矯正法

2020-12-27 23:33:33 | 文学


一日父が宿にあらぬ間に、正太郎磯良をかたらひていふ。「御許の信ある操を見て、今はおのれが身の罪をくゆるばかりなり。かの女をも古郷に送りてのち、父の面を和め奉らん。渠は播磨の印南野の者なるが、親もなき身の浅ましくてあるを、いとかなしく思ひて憐をもかけつるなり。我に捨てられなば、はた船泊りの妓女となるべし。おなじ浅ましき奴なりとも、京は人の情もありと聞けば、渠をば京に送りやりて、栄ある人に仕へさせたく思ふなり。我かくてあれば万に貧しかりぬべし。路の代、身にまとふ物も誰がはかりごとしてあたへん。御許此の事をよくして渠を恵み給へ」と、ねんごろにあつらへけるを、磯良いとも喜しく、「此の事安くおぼし給へ」とて、私におのが衣服調度を金に貿、猶香央の母が許へも偽りて金を乞、正太郎に与へける。此の金を得て密に家を脱れ出で、袖なるものを倶して、京の方へ逃のぼりける。

正太郎は浮気者であって、吉備津の神主の家で、名家であった香田家の娘をもらったが、すぐに袖という遊女となじんでしまった。もっとも、結婚させればちゃんとするだろうと考えた両親、そしてよりにもよって神主の娘を連れてくる仲人が馬鹿であった。本物の遊び人は、そんなことでは、――というより、そんなことをすれば余計に逆効果だということが分からないのであろうか。

我々の文化は、なぜか最初にたてた形式論理によって頑張ってしまうところがある。この場合も、酒食を堅実な妻に置換すればすべてがオセロみたいに切り替わるだろうというのが形式論理なのだ。失敗すると、むりやりその実現をはかって、正太郎を家に閉じ込めるという手にでた。案の定、正太郎は自分に従う妻という事態を逆手にとってしまうのである。

 或夏の夜、まだ文科大学の学生なりしが、友人山宮允君と、観潮楼へ参りし事あり。森先生は白きシャツに白き兵士の袴をつけられしと記憶す。膝の上に小さき令息をのせられつつ、仏蘭西の小説、支那の戯曲の話などせられたり。話の中、西廂記と琵琶記とを間違え居られし為、先生も時には間違わるる事あるを知り、反って親しみを増せし事あり。部屋は根津界隈を見晴らす二階、永井荷風氏の日和下駄に書かれたると同じ部屋にあらずやと思う。その頃の先生は面の色日に焼け、如何にも軍人らしき心地したれど、謹厳などと云う堅苦しさは覚えず。英雄崇拝の念に充ち満ちたる我等には、快活なる先生とのみ思われたり。
 又夏目先生の御葬式の時、青山斎場の門前の天幕に、受附を勤めし事ありしが、霜降の外套に中折帽をかぶりし人、わが前へ名刺をさし出したり。その人の顔の立派なる事、神彩ありとも云うべきか、滅多に世の中にある顔ならず。名刺を見れば森林太郎とあり。おや、先生だったかと思いし時は、もう斎場へ入られし後なりき。その時先生を見誤りしは、当時先生の面の色黒からざりし為なるべし。当時先生は陸軍を退かれ、役所通いも止められしかば、日に焼けらるる事もなかりしなり。


――芥川龍之介「森先生」


思うに、正太郎は芥川龍之介のようなやつだったかもしれない。芥川も随分遊んだようである。しかし、森鷗外みたいに適当に間違えたり、面白い恰好をしてみたり、色白になったりする、こういう人間の言うことは聞くのであった。

禽を制するは気にあり

2020-12-26 23:36:45 | 文学


死て蠎となり、或は霹靂を震うて怨みを報ふ類は、其の肉を醢にするとも飽べからず。さるためしは希なり。夫のおのれをよく脩めて教へなば、此の患おのずから避べきものを、只かりそめなる徒ことに、女の慳しき性を募らしめて、其の身の憂をもとむるにぞありける。「禽を制するは気にあり」といふは、現にさることぞかし。

こういうところをつかまえて、すぐジェンダー観だとか言ってしまう人も多いのだが、人間関係では、どちらかが教え導くということはいつもあり得るし、それなくして事態がおさまると考えるのは甘い。我々の社会が忘れたのは、自意識の厄介さであって、問題をじっくり時間をかけてお互いが傷つかずにいるということはありえない。瞬間であっても人間関係はシーソーみたいなものになるのは避けられず、それでこそなんとか解決した体で進んで行く。つまらない自意識のためにそういう人間関係のシーソーが出来なくなっているから、かえって、理や立場の違いを仮構すればいいということになる。仮構性は暴力となる。わたしを権力とみなしなさい、そして言うことを聞きなさい、――こういう二重性がないとこういう仮構は成り立たない。かえって厄介なことになっているのがわかるであろう。わたくしは、「かのやうに」の戦略もだから鷗外が考えた以上に?機能しないと考えているのである。

最近、授業で江藤淳の用いた「精神の自由」を「建前」とする、という考えについて扱ったが、学生は、建前と言うことは本音があるに違いないととった。しかし、「精神の自由」の対義は、義務や規則や現実ではなく、「精神の不自由」なのである。建前でもなんでもなく、精神の単なる自由は精神の中で自由でしかありえない。江藤は、そんなこともわからずに、自分の職業の中に不自由を感じているのはくだらないから、本義を思い出せといっているにすぎない。彼が恐れていたのは、あまりに人間の一生を「業」で考えるような修身の教科書が内面化されてしまった結果、精神の領域が存在することさえ分からなくなってしまった人間である。

一方、私は江藤の愚痴にも何かおかしいところがある気がするのだ。福田和也氏が「江藤氏の「喪失」には、主体性がないのである。自ら獲得の夢に憑かれて失ったという経験がなく、救いがたく一方的に貴重なものを剥ぎ取られていくばかりなのだ」とか「江藤淳と文学の悪」で言っていた。わたしもこの発言は分かる気がする。江藤淳はまさしく、柄谷行人の前触れであった。

この野蛮人もしくは、原始人の皮を今一度剥くってみると、その下には畜生……すなわち禽獣の性格が一パイに横溢している事が発見される。たとえば同性……すなわち知らない男同志か、女同志が初対面をすると、一応は人間らしい挨拶をするが、腹の中では妙に眼の球を白くし合って、ウソウソと相手の周囲を嗅ぎまわる心理状態をあらわす。油断をすると相手の尻のあたりまで気を廻して、微細な処から不愉快な点を発見して、お互いに鼻に皺を寄せ合ったり、歯を剥き出し合ったりする気持をほのめかす。ウッカリすると吠え立てる。噛み付く……町の辻で出会った犬猫の心理と全然同一である。


――夢野久作「ドグラ・マグラ」


文学をそれこそ建前にしていた場合はそうでもないが、そうできない人々は、次々にこのような認識に流れていってしまう。コロナで我々の国がどうなるかはともかく、その結末には、このような風景が広がっている違いない。そして、上田秋成のような「気」をひたすら重視するせりふの再登場だ。最近、わたくしは、だったら本居宣長のほうがよいと考えがちだ。

恐れと畏れ

2020-12-25 23:32:15 | 文学


淡路と聞えし人、にはかに色を違へて、「はや修羅の時にや。阿修羅ども御迎ひに来ると聞え侍る。立たせ給へ」といへば、一座の人々忽ち面に血を灌ぎし如く、「いざ石田・増田が従に今宵も泡吹せん」と勇みて立ち躁ぐ。秀次、木村に向はせ給ひ、「よしなき奴に我が姿を見せつるぞ。他二人も修羅につれ来れ」と課せある。老臣の人々かけ隔たりて声をそろへ、「いまだ命つきざる者なり。例の悪業なせさせ給ひそ」という詞も、人々の形も、遠く雲井に行くがごとし。

夢然親子が会ったのは豊臣秀次一行であった。高野山で自害された御仁である。親子は恐ろしさで気絶する。

わたくしは、この全く反省も怒りもなさそうな秀次が、崇徳院の天狗よりも好きだ。あの世にも、日常というものがないといけないと思うのだ。崇徳院みたいな人はこっちでも非日常的なお人であったが、あっちに行っても更に非日常であった。日常をかたちづくる能力を大人という。最近は、ぎりぎり反抗したり文句をいったりするような地点まではゆくが、そのあと、責任を負って黙るということをできないガキみたいなやつが多い。中2病という言葉がはやったのは、みんなそれを克服できていない自覚があったからである。秀次は、部下に「いつものおふざけは止めなさい」と諫められているが、それでちゃんと止めている。崇徳院なんか、いまでも怨みは消えていない。たぶん、平家だけなく、江戸幕府が滅んだのも彼のせいだし、わたくしがいまいちな能力なのも彼のせいである。

誰かが過剰に怨みを抱けば、そこを起点にして因果が起こってしまうのだ。そしていうまでもなく、それらはたいがい出鱈目である。だから宗教者やマルクスなんかが因果の起点は未来にせよとかいうてくる。もっとも、それはなんだか命令なので人々はなかなか言うことを聞かない。

これらについて人や銀河や修羅や海胆は
宇宙塵をたべ または空気や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたそのとほりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
 みんなのおのおののなかのすべてですから)


――宮澤賢治「春と修羅」


宮澤賢治は、怨みが外に流れ出さないように、「わたくし」のなかにいろいろと封じ込めた。そのために、彼は、「わたくし」を閉じ込めないで、「みんなのおのおの」のなかに分散させた。彼は全てを畏れながら、何も畏れない。

山を畏れよ

2020-12-24 23:23:59 | 文学


一人の武士かつ法師に問ひていふ。「此の山は大徳の啓き給うて、土石草木も霊なきはあらずと聞く。さるに玉川の流には毒あり。人飮時は斃るが故に、大師のよませ給ふ歌とて、
  わすれても汲やしつらん旅人の高野の奥の玉川の水
といふことを聞き伝へたり。大徳のさすがに、此の毒ある流をば、など涸ては果給はぬや。いぶかしき事を足下にはいかに弁へ給ふ」。


弘法大師が神通力をもっていることを前提にこのあと歌の意味を解釈し直しているのだが、むろん空海にはそんなものはない。努力していただけのはなしである。彼でも、怪しい川を止めることなんか難しい。山育ちのわたくしなぞ、山の水を容易に飲んではならぬというのは常識である。

「左右して、婦人が、励ますように、賺すようにして勧めると、白痴は首を曲げてかの臍を弄びながら唄った。
木曽の御嶽山は夏でも寒い、
   袷遣りたや足袋添えて。
(よく知っておりましょう、)と婦人は聞き澄して莞爾する。
 不思議や、唄った時の白痴の声はこの話をお聞きなさるお前様はもとよりじゃが、私も推量したとは月鼈雲泥、天地の相違、節廻し、あげさげ、呼吸の続くところから、第一その清らかな涼しい声という者は、到底この少年の咽喉から出たものではない。まず前の世のこの白痴の身が、冥土から管でそのふくれた腹へ通わして寄越すほどに聞えましたよ。


――泉鏡花「高野聖」


山の恐ろしさを思い知れ

鳥がマルクスを歌う日

2020-12-23 23:58:17 | 思想


最近、戦前の、いまからみると「→」にみえる人たちの著作を勉強しているが、上は今日読んだ本。マルクス主義の本が近づきがたい人は、こういう批判的な本から入るという手もあるであろう。非常に簡潔にまとめてくれているからである。そして、それは、半端なマルクスボーイの書いた啓蒙書よりも事態をきちんと捉えていることも多いのだ。言うまでもなく、我々の書物の読解とは、自らの状態を認識することと深く関わっているのだが、それが意識されるのは普通に考えられているよりも難しいし、長い時間を必要とする。

思うに、戦前においては、まだ日本の知識人がマルクスを自らの問題として読むのははやかったと言うしかない。それは、知的水準の問題じゃなくて、自らの置かれた文化に対する認識の問題なのである。おそらく、二、三人の三島由紀夫みたいな人物の後でしか、マルクスは復活しないのではなかろうか。

御廟のうしろの林にと覚えて、「仏法、仏法」となく鳥の音、山彦にこたへてちかく聞ゆ。夢然目さむる心ちして、「あなめづらし。あの啼鳥こそ仏法僧といふならめ。かねて此の山に栖つるとは聞きしかど、まさにその音を聞きしといふ人もなきに、こよひのやどりまことに滅罪生善の祥なるや。かの鳥は清浄の地をえらみてすめるよしなり。上野の国迦葉山、下野の国二荒山、山城の醍醐の峰、河内の杵長山。就中此の山にすむ事、大師の詩偈ありて世の人よくしれり。

ここで想起されているお大師さまさまでさえ、近代になると急速に忘れられているような気がする。いまや、うどんと池関係の人なのだ。マルクスも、こうやって思い出されつつ、消えつつを繰り返し、超人的な解釈者によって復活することもあり得る。そのためには、鳥の鳴き声のなかにも、マルクスの名前が混じってこなければならないであろう。

魚と仏弟子

2020-12-22 23:58:12 | 文学


我そのとき人々にむかひ、声をはり上げて、『旁等は興義をわすれたまふか。宥させたまへ。寺にかへさせたまへ』と連りに叫びぬれど、人々しらぬ形にもてなして、ただ手を拍つて喜びたまふ。鱠手なるものまづ我が両眼を左手の指にてつよくとらへ、右手に礪ぎすませし刀をとりて、俎盤にのぼし既に切るべかりしとき、我くるしさのあまりに大声をあげて、『仏弟子を害する例やある。我を助けよ助けよ』と哭き叫びぬれど、聞き入れず。終に切らるゝとおぼえて夢醒めたり。」とかたる。

今日ゼミで、芥川龍之介の「杜子春」や「河童」の動物の機能に考えたが、動物によって却ってヒューマニズムが生じたりする現象は近代文学の重大問題のようにおもえたのだった。ここでもこの坊主は魚だからいいのだ。これは犬でも猫でも駄目で、魚というところが、仏弟子の叫びというものと非常に合っている。杜子春の母が馬でなければならないように。我々は、いまだにものを語る場合に動物を必要とする。

昔は、よく名前にも虎とか龍とかがついておった。名前はそもそもアニミズム的なものなのであった。

「この魚を逃がしてやろうか。」と、一人がいいました。
「ああもう、だれも捕まえないように大きな河へ逃がしてやろう。」と、もう一人がいいました。子供たちは、三びきのきれいな魚を町はずれの大きな河へ逃がしてやりました、その後で子供たちは、はじめて気がついていいました。
「あの三びきの赤い魚は、はたして、魚のお母さんにあえるのだろうか?」
 しかし、それはだれにもわからなかったのです。子供たちはその後、気にかかるので、いつか三びきの赤い魚を捕まえた川にいってみましたけれど、ついにふたたび赤い魚の姿を見ませんでした。
 夏の夕暮れ方、西の空の、ちょうど町のとがった塔の上に、その赤い魚のような雲が、しばしば浮かぶことがありました。子供たちは、それを見ると、なんとなく悲しく思ったのです。


――小川未明「赤い魚と子供」


ここで、子供が「子供」と呼ばれていることが重要で、こいつらが、魚屋の鯛介とかなまえがあったなら全然違う話になりかねないのである。我々は、アニミズムのために、名前を捨てることもあるのであった。

精神的放浪宣言

2020-12-21 23:40:22 | 文学


傍にひとつの大魚ありていふ。『師のねがふ事いとやすし。待たせ給へ』とて、杳の底に去と見しに、しばしして、冠装束したる人の、前の大魚に跨がりて、許多の鼇魚を牽ゐて浮かび来たり、我にむかひていふ。
『海若の詔あり。老僧かねて放生の功徳多し。今江に入りて魚の遊躍をねがふ。権に金鯉が服を授けて水府のたのしみをせさせ給ふ。只餌の香ばしきに眩まされて、釣りの糸にかかり身を失ふ事なかれ』といひて去りて見えずなりぬ。


考えてみると、大魚が水の中に遊ぶ法師に寄ってくるのはいいが、――冠と装束を着けた人が大魚に跨がってやってくるところが素晴らしい。これがディズニーやスターウォーズだと、魚の顔をした人間が妙な動きをくねくねさせながら寄ってくることであろう。せっかく法師を魚にしてくれるのだから、してくれるひとは威厳がなくてはならぬ。ハリウッドは、魔法を使う連中がただの人過ぎて、みんなで魔法を使えるぜみたいな国民国家を愛でてしまうのだ。上の場合だと、魚になることとは、変身ではなく、「金色の服」を着ることであった。これはあながち間違いとは言えぬ。いまでも、変身は服を着ることで行われるではないか。

「夢応の鯉魚」は、石川淳の翻案ではじめ読んだ。教科書に載っていたのである。結局、高校の教科書に載っていた「山椒大夫」とか「心」よりも、「赤い繭」と「夢応の鯉魚」に惹きつけられたわたくしの出発地点はきまった。精神的放浪の話こそが、わたくしの文学のイメージとなったのである。

まだ分からぬが、安倍内閣がかくも長く続いたのに、ガースー内閣は案外短いかも知れない。庶民の酷薄さ、そのなかの感情の動きを認識しつづけることが、政治家たちの一番はじめに学ぶことであったはずが、最近は権力闘争に集中しすぎたせいか、それを忘れている政治屋が多いようだ。政治家だけではない。農協や医師会、国立大までが、うまく政治家を利用して依存しようと企んでいたら、相手もおなじような感じだったことに気がつくまもなくイジワルを受けている。権力闘争というのものの本質は、こういう相互の依存というやつだ。この依存というやつ、あいての感情を大幅に無視していないとできないところがある。だから繰り返しやっていると相手が何を考えているかわからなくなってしまうのだ。――だいたいこんなことは、親子関係の依存を反省してみればわかることだ。親子の依存関係は権力闘争なのである。吉本隆明のいう「関係」というのは、あれでもマルクス主義のそれとは別の理念的な概念なのである。キリストに託して語らなくてはならなかったんだから。そして、吉本もまずは詩の中で家族を捨て去ることによってそれを志向している。

我々は、法師のように、ひとりで水に入っていかなければならない。そうすると、魚がやってきていいことを提案してくれるかも知れない。

おほくの人の心に報ひすとて

2020-12-20 23:52:22 | 文学


面は望の夜の月のごと、笑ば花の艶ふが如、綾錦に裹める京女﨟にも勝りたれとて、この里人はもとより、京の防人等、国の隣の人までも、言をよせて恋ひ慕ばざるはなかりしを、手児女物うき事に思ひ沈みつつ、おほくの人の心に報ひすとて、此の浦回の波に身を投しことを、世の哀なる例とて、いにしへの人は歌にもよみ給ひてかたり伝へしを

読み落としていたが、彼女(真間の手児奈)が死んだのは、たくさんの男に言い寄られて困ったのではなく、「おほくの人の心に報ひす(多くの人の心に報いよう)」としたのであった。この「報う」とは一体どういうことであろうか。しかもこの「おほくの人」とは誰なのであろう?言い寄った男であろうか。わたくしにはそういは思えないのである。語り手もそこはなんとなく分かっていて、結局その報いをうけた人々が伝説として彼女を口伝してゆくことになるわけだ。とすると、夫一人を待って多くの人間を退けて死んだ勝四郎の妻とは根本的に違う。むしろ、貞節を貫いたありふれた行為を伝説の女のようなかたちで強引に語り継ぐことにしたということではなかろうか。

もしかしたら、これは案外つまらないことだったのかもしれない。

万葉集で名高いのが、真間の手児奈、まう一つは、摂津の蘆ノ屋の海岸にをつた女ですから、蘆屋の菟会(うなひは海岸の義)処女と言ふのですが、この二人のことは幾通りかの長歌、短歌になつて伝はつてをります。その他では、万葉集の巻十六にあります桜ノ児、鬘ノ児といふ女が、やはり男の競争者を避けて山に入つて木からさがつて死ぬ。或は死場所を求めて池へはまつて死んでしまふといふやうな死に方をしたことを伝へてをります。さう言ふのが非常に沢山あるわけです。さう言ふ木や水で死ぬのは、躰を傷け、血を落さぬ死に方で、禁忌を犯さぬ自殺法なのです。我々はこれは簡単に今まで考へてをります。日本の古代女性には、其職掌上、結婚を避ける女があつた。日本の女のすべてが、必ずしもこの世で結婚するために生れて来てゐない。結婚よりももつと先の条件があるのです。何であるかといふと、神に仕へるのです。人間として、人間の女としては神に仕へることが先決問題で、その次に結婚問題が起つて来る。だから一番優れた女の為事といふものは、神に仕へることである。かう考へてをつたことは事実でせう。事実といふよりさう考へてをつた人達が、昔はをつたといふことをば、後の人々も、多く信じてゐる。さう考へてゐるから、つまり沢山の美しい処女達が死んで行くといふ伝へを継承してをつた。

――折口信夫「真間・蘆屋の昔がたり」


以前、折口のこの文章を読んだときになんという冷たいやつだと思った。しかし、いまは違う。冷たいのは純愛を気取る人間達の方だ。近代は、それを頼りに愛する人々をたくさん殺している。で、それじゃああまりにあれなんで、最近は死なせずになかよくみたいなことになりつつあるのだが、やはりそれでも事態は変わらない。我々は根本的に死者のためにしか一生懸命になれない文化を一生懸命続けて来た節があるからだ。

三十一字に末期の心を哀れにも展たり

2020-12-19 23:11:13 | 文学


水向の具物せし中に、木の端を刪りたるに、那須野紙のいたう古びて、文字もむら消して所々見定めがたき、正しく妻の筆の跡なり。法名といふものも年月もしるさで、三十一字に末期の心を哀れにも展たり。
  さりともと思ふ心にはかられて世にもけふまでいける命か


いかに和歌に親しんでいたとはいっても、昔の人たちは、死ぬ間際にも歌を詠んだりするのだが、どういう頭をしていたのであろう。辞世の句なんかも戦前の人々はよくつくっている。ベートーベンが死んだときに「喜劇は終わった」とか言ったとか言わないとか伝わっているが、だれかは絶対長い間考えていたのだろう、と言っていた。辞世の句なんかも長い間考えておくものかも知れない。まさしく、結末から考えるようなポオ流のやりかただ。

上の歌なんかも、べつに命の最後にのべなくても、勝四郎と別れた直後でもあり得るような気がする。絶望というのは長い時間を予想させるから。

浅茅が宿の話は、和歌を主体としていない。このあと、万葉集にも載っている伝説が語られて、化け物話もっと長い時間の――歴史の中にむけて放たれている。こういう重ね書きは、和歌の本歌取り的なものとは違うような気がするのだ。

吉本隆明の『初期歌謡論』でも読み直してみよう……

このまえ「土佐日記」について授業ですこし喋ったんだが、今日小林秀雄の『本居宣長』読みなおしてたらわたくしの言ってたことは、「二十七」で言ってることの劣化バージョンだったな。こんな状態を超えなきゃ

風景と本性

2020-12-18 23:25:13 | 文学


いづれか我が住みし家ぞと立ち惑ふに、ここ二十歩ばかりを去て、雷に砕かれし松の聳えて立るが、雲間の星のひかりに見えたるを、げに我が軒の標こそ見えつると、先嬉しきここちしてあゆむに、家は故にかはらであり。

画に過ぎるような場面である。むかし、この場面をすごくうつくしく感じたが、いまはそうでもない。こういう場面は、あんがい平凡なわたしのような者にもあり、大概そのあとにあまり面白くない不幸があったりして、――そういうことが思い浮かんでしまうからかもしれない。

今日は、オンライン授業した後、松田優作の「暴力教室」というのを鑑賞した。わたくしはまだ小学生に上がったばかりのころの映画である。受験勉強や親のあり方がいやで?バイクを乗り回して不良?になっている人たちを、ボクシングで相手を死なせてしまったボクサーが教師(松田)になって制圧しに来たところ、その教師の妹が不良のボスに乱暴されたりしたので、松田優作が相手をたたきのめしたりする。んで、いろいろあるが、汚職をやっている校長だか理事長だかが、それに感づいた女教師といっしょにいた上の妹と一緒になき者にしようと、体育会系の生徒会長を使う。生徒会長は剣道部を使って女教師をレイプし妹をトラックで轢く。――濡れ衣を着せられた上の不良ども。妹が死んで怒り狂った松田優作が学校に乗り込んで、あとから不良どもも乗り込んで大乱闘。炎に包まれる学校。警察がやってくる。

こんな話だが、おもしろかったのは、炎に包まれる学校の場面で、職員室の採点されたテストが燃えていたことである。

やはり気にしていたのは、成績だったのだ……。

そういえば、マイナンバーと学校の成績などを紐付けて調べられるようにするとかいう案がでているそうである。

勲章にたよる官僚や軍人の頭が腐っているのは自明であって、いまも数値に頼るべきでないときに頼るクズが多くなり、ゴーゴリの小説を更に戯画化したような世の中がやってきている。――だれが、上のようなクソじみたことを考えているのであろう。過去の成績なんか参照せずとも、教師は目の前の子どもを教育す「べき」なのだ。過去のエビデンスを参考にしなければなんも思いつかない教師なんか頭が×いとしかいいようがないので、さっさとやめた方がいい。ほんとうは、勉強している本人もそうなのだ。わたくしの過去を考えてみても、過去の点数をいつまでも気にかけている場合は、過去のそれが良くても悪くても確実に頭が働いていない、というか働かなく「なる」原因がその気にかけていることそのものであって、そのあと碌なことはない。古くさい言い方になるが、本質をつかまえようと心がけない人間というのは、何をやっても「悪い」。「だめ」なのではなく、悪人なのである。

腐った科学主義で、人間をよいところもあれば悪いところもあるみたいな斑模様で考えているうちは、小学生並みの倫理観から抜け出ることは出来ない。

思春期で学ぶべきなのは、人間の複雑さではなく、その複雑への意識が本性を見失わせ、責任を回避させるという欺瞞的なからくりである。

大学や官庁の中には、本性からの逃避で自分の仕事をアクセサリーみたいにあつかってる事態を、業績とかエビデンスとか呼んでいる頭の狂った、というより性根が狂った連中がたくさんいる。当たり前のことではあるのだが、我々は気をつけた方が良く、――気がついたら、事務方や学生まで同じような病に罹っていることがある。

そんなかんじの世の中ではあるのだが、人間一人一人は、「浅茅が原」のような風景をみて生きてはいるのだ。文学は、そんなところにばかり注目しているものだから、ときどき本性を見失っている作家もいる気がする。