長野県松本で震度5強。
木曽から松本は電車で一時間もかからない。高松から岡山より近い。
しかし、妹からの情報によると、木曽は全く揺れなかったらしい。断層型だからね、隣の村が壊滅してもこっちではなにもなし、というのがあり得るのであろう。でも長野は全体としてみればしょっちゅう揺れている。なにしろ、日本列島で一番皺が寄っている、つまり山がある場所だからな。
肌を出血するほど強く皺を寄らせて、その瘡蓋がそこかしこにあるのが、長野県という場所である。
つまり火山もある。
小学校4年の時である。
死火山・木曽の御嶽山が突然爆発したのである。
そのとき以来、「死火山」というものはこの世から消えた。火を噴いていない火山は、みな死んだふりをしているだけだということになったのである。亀井勝一郎の詩に、転向の鬱屈を表現したとおぼしき「死火山の夢」という作品がある。この「死」にこめられた転向の事実は、「休火山」とされては意味をなさない。読んだ官憲はもう一回彼を逮捕しなければならない。
御嶽山は非常に美しい山である。JR中央西線の窓からは、迫り来る緑の山のV字のむこうに、何重にもそびえたつ白い頂がときどき見える。富士山は、平野からよく見える「美の象徴」であるが、御岳山は物事の向こう側にある「霊」を思わせる。これは、ロマン主義が見出す「サブライム(崇高)」とかとはまた違ったものである。近代以降だって、そういうものは残っている。だいたい「サブライム」だって宗教的感情じゃないのかな。私は、近代文学をそんなものを書き残してしまうものとして考えている。