★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

「事件は現場で起きている」言説

2025-01-19 23:39:42 | 大学


受験生の夜明け

野戦病院の寝台の上で蘇生をしたイワノウィッチは、激しい熱病から覚めた人間のように、清霊な、静かな心持を持っていた。
 彼には、なんらの悔恨もなかった。なんらの興奮もなかった。彼が歓楽の瞬間も、罪悪の瞬間も、戦線で奮闘した瞬間も、すべてがなんの感情も伴わずに、単なる事実として思い出された。もうすべてが、今からいかんともしがたい、前世の出来事のように思い出された。彼は、そのすべてが許され、そのすべてが是認されたようなのびのびした心持であった。煉獄を通ってきた後の朗かな心持であった。
 時々、人を殺したということが、彼の心を翳らそうとすることがあった。が、そんな時、彼は幾十万の人間が豚のごとく殺される時、そのうちの一人や二人が何かほかの動機から殺されても、何もそう大したことではないように思われた。恐らく、目の前であまり多くの人が殺し殺されるのを見たので、人殺しに対するイワノウィッチの感覚は、鈍ったのかも知れない。しかも彼自身、機関銃を操って、他の多くの人間を殺していたのである。


――菊池寛「勲章を貰う話」


「事件は現場で起きてんだ」という俗情に媚びたセリフがあった映画があった。なぜこれがだめかというと、たしかに机上の空論で遊ばざるを得ない上の方の方々の言うこともおかしいが、おかしい意味での純粋性はあるのに対して、「現場」の戦場性というのは、倫理のめちゃくちゃなひどいことが評価されたり、現場を支えた人間が生け贄にされたりといった、魯鈍な煩雑性が生起するものであるからだ。それを「事件が起きてんだ」と言い張る奴はたいがい、実際は真の事件をみていない。

校務で出勤

2024-11-23 23:43:08 | 大学


夏が好きという文人が意外に多いのだが、わたくしは木曽にいるときから夏が苦手であった。小学校の頃は毎日プールもあるし、夜の冷え込みで喘息になるからだ。冬も苦手であった。寒すぎて喘息になるからだ。春も秋も遠足やかけっこで喘息になるから苦手であった。いまは喘息の発作はないが、仕事が苦手である。


さむくなってきましたね

2024-11-02 23:42:37 | 大学


ひさしぶりの休みなのであるが、いろいろ仕事が溜まっている。

卒論なんてやり始めればなんてこたないんだよな、とか学生に指導しているそこのあなた、ほんとにそれに当てはまっているのは、お風呂入るとか、年末調整ぐらいである。嘘つくな、と言いたい。

卒業論文中間発表会

2024-10-28 23:45:50 | 大学


アーアーいやになってしまう。もうだめかな。もういかんや。ほんとうに人を馬鹿にしとる。いやになっちまうな。いやになりんすだ。いやだいやだも………だっていやがらア。衣、骭に――到り――か、天下の英雄は眼中にあり――か。人を馬鹿にしてるな。そりゃ、聞えません伝兵エサンと来るじゃないか。三吉一つ歌って見や。

――正岡子規「煩悶」


本を読むのは好きだが論文書くの辛いと思っている若人に言いたいのは、自分で書くと劇的に読めるようになる場合があるということである。全部が読めるようになるわけじゃないが。小学生の国語とおなじなんだよ。

国語研究室合宿で海の近くに泊まりました

2024-10-20 23:50:07 | 大学


全体からいうと、主従の関係、人と人との間の道徳であり、集団生活、社会生活の道徳でない点において、武士道は現代生活の根本精神とは一致せざるものである。あるいはまた、家族生活の特殊形態の如きものもこの例であろう。家族生活は如何なる時代にもあるが、その生活の形態なり様式なりは時代によって変化するので、徳川時代のそれは平安朝のそれとは遥かに違ったものであり、そうしてそれは徳川時代の民族生活、徳川時代の社会組織や経済機構の下において、始めて成り立ちもし維持せられもするものである。それとても、遠い昔の家族形態から民族生活の変化に応じて歴史的に発展して来たものであるには違いなく、それと共にまた、徳川時代の家族形態によって馴致せられた家族感情というようなものが、徐々に変化しながら今日までも或る程度に遺存してはいる。

――津田左右吉「日本精神について」


自由の追究を断念させられた主体こそが、集団形成をなしえない。反抗とか依存体質とか道徳心とかの説明を加えると分からなくなるが、つまりは精神の動きが体の運動としてつながっていないのだから、組織も個人の自由も不能である。全体主義的な状態は苛烈なぶんだけ十分自由な主体に移行できる。実際、現象を見た限りは、名だたる統制的国家がそういう運命をたどっている。

結局、どちらかというとそういう運命を持たない場合、我々はこんな感じの生物である↓



わがままで可愛らしく、一人で生きてゆける。すべての条件を整えられて。

environmental accelerationism

2024-09-25 18:50:33 | 大学


一、牛込神楽坂上のさる古本屋には伊仏の新刊書時々ありダンヌンチオが散文集(伊語)アダネグリ女史の詩集「母の心」(同じく伊語)なぞ有りしを見たり。
一、西洋出版の美術雑誌名画集の類は購ふ人多きにや神田本郷始めいづこの古本屋にも沢山あり。
一、江戸時代の読本は馬琴の八犬伝弓張月をはじめとして今も猶得るに難からず。然るに紅葉露伴等の小説は僅二十余年程前の出版なるに早くも湮滅して尋ねんやうなし。一体近頃の出版物は凡て出版の当時にのみ限りて数年を経れば忽ち散逸して古本屋の手にも残らぬなり。何処へ行きてしまふものなるや。或人のはなしによれば当今の出版物は古本にしても売買するほどの値段にならぬ故紙屑になし原の製紙原料にしてしまふなりと。或は然らん。


――永井荷風「古本評判記」


東京大学が学費値上げすると決定したというので、紛糾している。大学紛争のころもそうであったが、その政策の妥当性よりも、非人間的な人間のうごきがある場合――例えば「人々はそうかんがえるであろうが、合理的に考えてみろ」と主張するルサンチマンに満ちた高学歴自意識のおひとが出てくる場合――に紛糾する。

そういえば、大学時代でよかったことといえば、下宿代の安さであった。東大の場合も、ただ同然の寮があって多くの不良思想家達に宿を貸していた。私が4年生の頃いた下宿も一ヶ月2000円だった。そこは、むかし学生運動の連中のたまり場だたったらしく、大家さんも集会にお茶出したりしてたそうだ。そういう感じの過去のためか、九十年代になっても下宿代を上げることができなかったときいた。そのかわり下宿の環境は――廊下を鼠が運動会、雪が天井のどこからか降ってくるありさまであった。わたくしはそこで「ブリダンの驢馬」に関する論文を書いた。だめな論文だが、いままでで一番一生懸命な文章だ。

学費もそうだが、生きるのにあまりに金がかかりすぎる。そして人も金がかかった環境を望んでいる。そういう人間に生産性などあるはずがないというのは人間的常識であろう。

だいたい、環境があまりに整った部屋に古本なんかが置いてあると嫌われるのである。お金持ちのボンボンであった荷風の家なんかもわりと汚い方向に向かって加速していった。彼にとって、戦争で古本が焼けた経験がいろんな意味で大きかったのである。

小ささと大きさ

2024-06-27 23:22:46 | 大学


草になお強さでまだ負けているバッタどの

小さいことを愛でてしまう我々はモノに対してもそれをする。かくしてお札に小物の人間を印刷する。それはなにか日本国の信用の小ささを象徴しているような気がするので、今度かえるときには、1万円札=光源氏 5千円=ゴジラ 2千円=ラムちゃん 千円=孫悟空 みたいな感じでいいだろう。

結局大きさを想像によって埋めているのが我々である。この前、いつか登録しておいたせいなのか、円谷の事務=ウルトラマンゼロとかいうひとから誕生日メッセージが届いていた。いきなり「史郎さんは何歳になったんだ?俺は5,900歳さ!」と年上マウント、「また会える日を楽しみにしているぜ。」と言うが、まだこの巨人に会ったことはない。

で、この現実の小ささと想像の大きさのギャップを解消するのが、気合いであった。今日は、授業で、日本の「西洋化」と日本近代文学の話をしていて、――結局結論は、「頭あまりキレないんだから必要なのは気合いだ」となった気がする。ありがとうございました。

【地獄的】口頭試問+【謝恩会】

2024-02-09 23:26:16 | 大学


卒業論文口頭試問と謝恩会が終わって一段落である。

コスパ的卒業論文はありえない。授業のためとはいえ、なにゆえわたくしが「推しが武道館いってくれたら死ぬ」をかわにゃならんのだとはわたくしも思うわけだが、すべて様々なもののために必要なのである。以前から申し上げているように、コスパ的生き方というのは誰かに仕事を押しつけている/そして自分の体力のためにさまざまな人の仕事を無視する、という意味で卑怯なのだ。――というわけで、わたくしは、上のマンガから、推しに崇高さがあるとしてそれはやはり崇高さに止まるのではなかろうかという認識を得た。

しかし、思うに、いろんなことをしておりますみたいな人物がどことなく信用できないという若者達の感覚もわかるような気もするのだ。昨日は、『週刊東洋経済』に載っていたアニメの特集をみていたら、なんとか証券のなんとか審議会のなんとかいう人物が1文字も役に立たなさそうな記事を載せていた(文章は、「構成」の人のもの)。所謂「マルチ」みたいなキャラクターが例外なくやばいやつであるというのはイメージ以上の現実を構成している。

押見修造というのはどうみても現代最強のリア充(獣)作家である。彼の作品は、同じ路線で恐竜のような進化を志向している。マルチなのではない。

「夜半の寝覚め」の主人公の娘って、太政大臣の娘であった。まあすごい世界である。政治と色好みが空間的につながっているかんじなのだ。しかし、この作品の音楽の位置づけが途中でそれほど意味を持ってないようにみえるのも、作者がマルチみたいな人間を信用しない証拠のように見える。

試験第2――大河ドラマを中心に

2024-01-14 23:14:57 | 大学


この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば


受験ではべつに月が欠けたり満ち足りもしないので大丈夫です。でもべつになかったことにはならない。

今日は朝、マイナス2度だか3度だかあったらしい。――それにしても、マイナス3℃ぐらいで激寒とか言ってるうどん県民は、木曽に強制移住されるべきであろう。うどん県は木曽とだいたい同じ大きさだからちょうどいいし、水不足解消で最高。うどんも、木曽川の水でつくり放題だ。そのかわりうどんを作ったり食ったものは懲役5年ぐらいにしておく。まことに申し訳ございませんが、木曽のあれは蕎麦と決まっている。

にしても、もう既に試験監督のセリフ、ほぼ暗記したかもしれない。中学の時、田舎のくせに管理教育してた学校の校則のテストで1番とったきがするけど、わし、そういうとこあるよな。。。こんなところで記憶野をつかっているから大学入試でこけたのであろう。

帰宅すると、大河ドラマやってたので見た。国文学徒がひさしぶりに尊大な顔ができる一年がやって来た。今日は第二回で、先週、紫式部の母上が道長のサイコパス兄貴に刺し殺されるという、いつものちゃんばらだけが命の偏差値30ぐらいの野蛮さに対抗していた。いわば、この一年間を支配するのは、偏差値180ぐらいの頭脳の連中の小競り合いであるから、もうすっきりしたかったのであろう。

今回から吉高由里子(紫式部)さんが登場である。吉高由里子さんは家の中にいるのがかったるいので、町中で和歌の代行業をやっている。もう、宮中の和歌をすべて代筆していた話でいいや。クライマックスは、吉高由里子さんが母親の敵を道長にとらせるかもしれないが、――同衾にさそって自ら筆を喉元に突き刺してもよい、ペンは剣より強し。あるいは、彼女の子どもが流れ流れて巴御前の先祖でいいや、やっぱり剣がつよし。

吉高、――義高(義仲の子ども)

懺悔2023-1

2023-12-24 23:08:50 | 大学


今年の懺悔1:ミッキーとアトムの類似性を黒板に絵を描いて説明しようとして、目つきの悪いただのねずみと脳天がぱっくり割れた人間もどきを書いて受講生を怯えさせたことをお詫び申し上げます。