なかなか冴えてこず
ワキ:謂はれを聞けば面白や、さてさて先に聞こえつる、相生の松の物語を、所に言ひおく謂はれはなきか
シテ「昔の人の申ししは、これはめでたき世のためしなり
ツレ:高砂といふは上代の、万葉集のいにしへの義
シテ「住吉と申すは、いまこの御代に住みたまふ延喜のおんこと
ツレ:松とは尽きぬ言の葉の
シテ「栄えは古今あひ同じと
シテ、ツレ:御代を崇むるたとへなり
ワキ:よくよく聞けばありがたや、いまこそ不審春の日の
シテ:光やはらぐ西の海の
ワキ:かしこは住の江
シテ:ここは高砂
ワキ:松も色添ひ
シテ:春も
ワキ:のどかに
地:四海波静かにて、国も治まる時つ風、枝を鳴らさぬ御代なれや、逢ひに相生の、松こそめでたかりけれ、げにや仰ぎても、ことも愚かやかかる世に、住める民とて豊かなる、君の恵みぞありがたき、君の恵みぞありがたき
うちの庭は主人の怠惰で雑草が地面を覆い、怪しい花が咲いたりしはじめている。花の横でイボガエルがのどをひくひくさせている。わたくしが庭に足を踏み入れると、足の先からカエルたちが5匹ほど放射線状に逃げる。主人の恵みありがたき。
シテ、ツレ真の一セイ「高砂の、松の春風吹き暮れて、尾上の鐘も響くなり、
ツレ二ノ句「波は霞の磯がくれ、
シテ、ツレ「音こそ潮の満干なれ、
シテサシ「誰をかも知る人にせん高砂の、松も昔の友ならで、過ぎ来し世世はしら雪の、積り積りて老の鶴の、塒に残る有明の、春の霜夜の起居にも、松風をのみ聞き馴れて、心を友と、菅筵の、思を述ぶるばかりなり、
下歌「おとづれは松にこと問ふ浦風の、おち葉衣の袖そへて木蔭の塵を掻かうよ、木蔭の塵を掻かうよ、
上歌「所は高砂の、所は高砂の、尾上の松も年ふりて、老の波もよりくるや、木の下蔭の落葉かくなるまで命ながらへて、猶いつまでか生の松、それも久しき名所かな、それも久しき名所かな、
千載集や古今集を引きながらの老夫婦のせりふである。彼らは自分の気持ちを語る者ではあるが、――語られる内容が他人の心情でありそれをくり返し詠ってきた人間の心情でもあり、しかしかといってみんがそんな文化を知っているはずだという地点に頑張っているわけでもなく、「木蔭の塵を掻かう」、「それも久しき名所かな」という誰でも分かる部分をくり返し、自分達を平凡な現在の出来事としても説明している。一部は過去や共同体につながりながら、全面的にそうでもない。
しかし、文化より何より老人にはそもそも人としての過去があるのだ。当たり前であるが、最近はこういう自明のことが忘れられ、現在の価値だけで人間が測られようとしている。むろん、過去の栄光だけでなく罪がなかったことにされようとしている。
それにしても、松という植物、よくみると結構面白いかたちをしている。――全体的にダリみたいな雰囲気を漂わせているような気がする?ダリの絵にもあるのは現在ではなく、過去の何かである。写実的であることは、過去を映し出す。ミロの絵は逆に現在の喜びや悲しみに向けられている。彼の若い頃の農家の絵なんかも、そこには過去へのしみったれたものが完全に排除されている。ダリはセンチメンタリストなのであり、高砂みたいなものだ。木すら常に人間に変容し、その逆にもなる。それは、人間とものののある種の絶対的な脆弱さを示している。
小さんのはなしに、庭師の八五郎が殿さまの前へ呼ばれて松を移すことをいひつかる、八五郎しどろもどろに御座り奉つて三太夫をはらはらさせるといふのがあつた。其の時八五郎は松に酒を呑ませ、根へするめを卷いて引けば枯れないと説いてゐたが、私の雇つた留さんも「松に呑ませる酒」を買はせた。するめは忘れたかしていはなかつた。前にも入口の松の赤くなつた時、酒を呑ませれば生きかへると、薄めてかけたが、不思議にみどりの色をとり戻した。根へ酒を注ぐ、土に泌みる、泌みて腐る、何か肥料の成分となるのであらう。それにしては松に限つて酒がいるのはどうした理くつか、讀めない。するめに至つては猶さらだ。
――横瀬夜雨「五葉の松」
そういえば、大学院のころ、観葉植物にいつもわたくしが読んでいたコーヒーを差し上げたところ、みるみる枯れた。悪い事をした。
〔次第〕ワキ・ワキツレ「今を始めの旅衣、今を始めの旅衣、日も行く末ぞ久しき」
〔名ノリ〕ワキ「そもそもこれは九州肥後の国、阿蘇の宮の神主友成とは我が事なり、我いまだ都を見ず候程に、この度思ひ立ち都に上り候、又よき序なれば、播州高砂の浦をも一見せばやと存じ候」
〔上歌〕ワキ・ワキツレ「旅衣、末遙々の都路を、末遙々の都路を、今日思ひ立つ浦の波、船路のどけき春風の、幾日来ぬらん後末も、いさ白雲の遙々と、さしも思ひし播磨潟、高砂の浦に着きにけり、高砂の浦に着きにけり」
今の世の中、ワキとワキツレが最後まで老人夫婦が出てきたことに気付かず、高砂の松の写真をスマホで永遠と撮り続けたとおもえば、愚痴を言い合ったりしているうちに終わってしまうような感じがする。かれらに欠けているのは、囃し手のかたちづくる緊張に耐える神経でもあるが、たぶん面を付けない無骨さであって、はじめから面をかぶってるやつに物事が姿を現すはずはない。東浩紀の言うように、旅人は観客でなければならないのかもしれない。観客は面を付けてはならず、舞台からは素顔が曝されている。そういうときに、安心して囃し手の音の中から面をかぶった爺さん婆さんが姿を現すのである。
わたくしの家系には母方の先祖から父や妹2に至るまで能や謡、舞踊にはまり込む人間がいる。わたくし自身はなんとなく苦手意識があったが、ようやく最近、それがものを現出させる手法として興味が出てきた。とりあえず、人間の思考を図式に還元して「見える化」とか言っている偽近代人みたいなのが横溢するなか、さすがにこれではものは現れないと思うからである。
わたくしの結★式でも、父が高砂の謡を、妹2が舞踊を披露し、近代的になりかかった式に別の趣を与えた。式は神式だったし、――ほんとは巫女の舞も計画されていたがやめた――その重層的効果か、集合写真はどうみても大正時代の写真みたいな趣を醸していた。わたくしは、近代國文學を学ぶ端くれであり、グローバリズムの嵐の中に於いてもただじゃおわらんのである。わたくしにたぶん合わせているのだと思うが、木曽はまだ夜明け前でグローバリズムどころではなく近代もまだなのだ。
わたくしの同業者など、ポストモダニストが多いから、式を拒否したり自我を肥大化させたりして、かえってグローバリズムの餌食になっているではないのかっ。わたくしもその一味であったが、生き方において何か特異な不幸や僥倖がやってこない人間は、学ではなく勉強をやっているだけの輩であろう。
このまえ、成瀬正一が米国留学時代に書いた書簡を拝見する機会があった。芥川龍之介や菊池寛とちがって学者肌かつ感情的な彼は小説をうまく書けないだけでなく、評論も若い頃はあまりうまくはない。しかし、彼は米国で黒人差別の現場に導かれるように遭遇するし、いろいろと経験する人間である。要するに、彼は爺さん婆さんに常に会う。
主ある家には、すずろなる人、心のままに入り来る事なし。主なき所には、道行き人みだりに立ち入り、狐・梟やうの物も、人気にせかれねば、所得顔に入り棲み、木霊などいふけしからぬかたちも、あらはるるものなり。又、鏡には色・かたちなき故に、万の影来りてうつる。鏡に色・かたちあらましかば、うつらざらまし。虚空よく物をいる。我等が心に念々のほしきままに来り浮ぶも、心といふもののなきにやあらん。心に主あらましかば、胸のうちに、若干のことは入り来らざらまし。
こういうところなんか非常に現代的に感じられるところである。主体なんて言葉が使われていないけれども、我々の空間認識としての自我観みたいなものをよく示しているような気がしないではない。主体がないと虚空になり、そこにいろんなものが入ってしまうのである。鏡もここでは一種の箱である。
もっとも、兼好法師は虚勢をはっているのであろうが、その虚空にはたくさん狐梟をはじめいろんなものを詰めこめる。だいたい、鏡に色やかたちがあれば何も映らないだろうと彼は言うけれども、そんな鏡は不良品ではないか。鏡にはいろいろなものが映るのがおもしろいのである。
いまのテレビや携帯電話なんかも基本そういうものであって、若者達が、携帯の画面を鏡代わりに使って化粧しているのも当然だ。
兼好法師は、むろんかかる事情を知りながら空虚なんだ、と言い放っているのである。主体とは「主(あるじ)」であって、これは文字通りとられる必要がある。一家を構えなければ主体ではない。方丈の人や箱男にはじまり、一家を構える人だけが兼好法師に褒められる。これに比べれば、大学人は丁稚かせいぜい何もしていない若旦那みたいなものだ。こういう場合、主体であるためには、むかしから金に困らない坊っちゃんか、強引にご隠居扱いにするしかない。そのなかに、石川啄木や太宰治、本居宣長みたいなやつが出てこないとも限らない。
群れを離れてやはりじいっとして聞いているフランツが顔にも喜びが閃いた。それは木精の死なないことを知ったからである。
フランツは何と思ってか、そのまま踵を旋らして、自分の住んでいる村の方へ帰った。
歩きながらフランツはこんな事を考えた。あの子供達はどこから来たのだろう。麓の方に新しい村が出来て、遠い国から海を渡って来た人達がそこに住んでいるということだ。あれはおおかたその村の子供達だろう。あれが呼ぶハルロオには木精が答える。自分のハルロオに答えないので、木精が死んだかと思ったのは、間違であった。木精は死なない。しかしもう自分は呼ぶことは廃そう。こん度呼んで見たら、答えるかも知れないが、もう廃そう。
――鷗外「木精」
流石鷗外で、「木精は死なない。しかしもう自分は呼ぶことは廃そう。」という態度が近代なのではなろうか。我々はまだ兼好法師の段階だ。
万の咎あらじと思はば、何事にもまことありて、人を分かず、うやうやしく、言葉少なからんにはしかじ。男女・老少、皆さる人こそよけれども、ことに、若くかたちよき人の、ことうるはしきは、忘れがたく、思ひつかるるものなり。万の咎は、馴れたるさまに上手めき、所得たるけしきして、人をないがしろにするにあり。
これは社交の問題ではない。確かに美しい若者達がこうであったら最高だが、大概の中年がそうでないように若者もそうではない。失敗は大概達人じみた振る舞いのときに起こる。泥臭い訥々としたもののやり方の方が人の役に立っている。確かに最後の文の忠告は、明らかに若くない人間に対して向いている。最近は、わかりやすさとか鋭さみたいなものを人間に要求しているうちに、人はこういう失敗に導かれている。
もっとも、こういう人間の文化的洗練を要求する意見は、文化の生成には不向きである。例えば、吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」が書かれるためには、そこに出てくる浦川君とおなじく豆腐屋の坊主がでてくる「ああ玉杯に花うけて」なんかを併せて読むべきなのだ。コペル君が成立するためには、浦川君、いや佐藤紅緑の主人公の立身出世物語が存在していなければならない。単に、転向への批判なのではなく、せめて立身出世の換骨奪胎を吉野の物語に読まなければ、それは単にエリートの卵の自己満足である、吉田兼好の忠告もやっぱりコペル君のすすめである。吉野の本への批判でもある、中田考の「みんな違ってみんなダメ」の方が浦川君もコペル君も否定する勇気がある。しかしこれこそが、国家ではなく文化を肯定する。
むかし、大学人に攻撃を加えた蓑田胸喜なんかは、「文化は「耕された自然」であり、歴史は「積み重ねられた文化」である」 (『昭和研究会の言語魔術』)なんて言っていたわけだが、それ自体そこそこの認識であるような感じがするが、彼がダメなのは、否定の対象に対して「カメレオンは如何に変色してもカメレオンである。」(「美濃部博士の自決を要請す」)とか言ってしまうことである。カメレオンも積み重ねられた文化の一部であることが感情的な彼の頭には思い当たらない。要するに、彼も、文化をコペル君に、浦川君にカメレオンを見るが如きパターン認識をしているに過ぎないのではないだろうか。
大方、振舞ひて興あるよりも、興なくてやすらかなるが、勝りたる事なり。客人の饗応なども、ついでをかしきやうにとりなしたるも、まことによけれども、たゞ、その事となくてとり出でたる、いとよし。人に物を取らせたるも、ついでなくて、「これを奉らん」と云ひたる、まことの志なり。惜しむ由して乞はれんと思ひ、勝負の負けわざにことづけなどしたる、むつかし。
毎日鯉をさばく練習をしているから俺にやらせろ、と言って盛りあがった宴会があったというエピソードに対し、わざとらしいのはいやだねえという兼好法師であるが、それは謙譲の美徳みたいな話とは違う。問題は私性を守る倫理なのである。
私小説を書くことは学会で挨拶回りすることに似ている。
問題を共有する、いまのネットのコミュニケーションのようなものが学問共同体には昔からあって、共有されないものがあるという前提が意識から飛んでしまう危険性がそもそもある。だから、学会に居場所があるような人間が、しばしば自分の指導学生や自分の子どもに対して、進路や生き方を強制してしまう風景が見られるのであった。人生を共有される「問題」だと思っているからそうなるのだ。これは学歴主義みたいなものともからんでいる。彼らにとっては、紆余曲折ある経歴の人間はわけ分からないものを抱えているようにみえるから問題にしにくいので、嫌う。単に権威主義だから学歴主義になるのではない。
近所のコープで商品値引き券の2等があたって「おめでとうございます」といわれ、たぶんこれを言われたのはほんと久しぶりのような気がした。大学や大学院をでたときも就職したときもたぶん言われてないし、そういえば結婚したときには言われた気もしたが社交辞令だからそうは聞こえなかった。商品値引き券で何か嬉しい気がするというのはおもしろい。世界情勢のニュースには関心がなくても、スーパーのポイント還元とかポイントがなんちゃらとかには確実な記憶力と行動力をみせる人々の気持ちが分かってきたのであろうか。そうではないと思う。ちなみに、インセンティブが仕事をするかしないかの鍵になっている大学人の気持ちもあんまり分からない。思うに、商品値引き券のデザインがかわいかったからではなかろうか。
かくも人の気持ちというのは訳が分からないもので、原因を探ってもたいてい訳が分からない。
村田沙耶香の「コンビニ人間」は人気のある作品であるが、読者がなにか自分の私性に触れる作品だとおもったからではないだろうか。村田氏のよさは、コンビニ店員になることで世界の居場所をみつけるみたいな歯車みたいな主人公を「問題」にしなかったことであろう。
私の小説、それはムリだな。私の小説は、小説が全部なのだから、私の小説は、私の小説だけでたくさん。私はたしかに情痴作家だ。なぜなら情痴を書いてゐるから。情痴のために情痴を書いてゐないなどと、私は今、ここで何をいふ必要もないのだ。全ては私の小説自体が物語つてゐる。小説は偽ることのできないものだ。
私はさういふ一部の読者に忠言をこころみたい。有害無益な小説は読むなかれ、といふことである。有害無益を知りつつ読むなら読者の教養、人格はゼロだ。
小説といふものは、全く異質の二つがある。一つは読み物で、一つは文学である。この二つがどういふふうに違つてゐるかは読者自らが学問すべきことであつて、文学とは何か、文学を理解するには、いくらか教養が必要だと知らなければならない。
然し教養といふものは、決して書物を読むだけが能ではない。同じ考へる生活でも、考へる根柢の在り方によつては、むしろ考へることによつて考へない人よりも愚劣な知識があるものだ。知識は偽はることの多いものである。
――坂口安吾「私の小説」
よき細工は、少しにぶき刀をつかふといふ。妙観が刀はいたくたたず。
技術の問題については、ハイデガーとか西田幾多郎とか三木清とかいろいろ言っているし、木から仏像が自ら掘り出されるんだとか言わせている漱石先生とか、――枚挙にいとまがない。
作家の色紙もそうかもしれないが、自筆原稿なんかも作家の「技術」を感じさせるものかもしれない。それは技術そのものというより、作家の作業過程の不可視を感じさせるからなのであろう。だから、達筆な鷗外なんかはかえってテクニシャンだと思われず、ちょっと字が汚い作家の方がありがたがられているような気がするのである。漱石はあまり字がうまくないし、太宰もそうだ。三島は習字の時間かみたいな字を書くからなにか逆に不安になるが、安部公房なんか明らかに自分のキャラクターを乗っけた字を書いている節がある、――かもしれない。中上健次も集計用紙にマンダラみたいな原稿で、いかにもという感じがするし、バルザックなんかもああ確かにね、という感じだ。
もっとも、こういうことを意識する我々が自分で技術を操作することができる錯覚を持つに至ると苦しみが始まる。
今の日本人は、しがない大学院生ににている。院生としての成長があるときは、精神が研究に対して受け身の時で、積極的に成長を目指して自己改革的に研究すると次々に美質を失ってゆく。これはよくあることである。原因は、自分を対象としてみる、意識的操作に対する過信なのである。突然、議論のなかに放り込まれて、弁証法的な発展をすり込まれたりするからそうなるわけであろうが。。。
日本人は、ネットの住民を中心に、知らなかったことを知ったり、長年の疑問が今日解けたうれしさみたいなもの(――受動的なものである)を失って、いままでのものを乗り越えなければ死ぬみたいな、余裕のない研究者みたいな人間になりつつある。そりゃ性格も口も悪くなる。我々が見ているものは対象ではなく操作もできる「もの」ではない。もともとそうではないものをそういう「もの」として扱えば、それが変化しないのに苛立って仕舞うわけである。我々の扱っているのは、人生であって「もの」ではない。
無理矢理、今の世の中で人生を擁護しようとすると、過剰に自由を主張するだけではすまず、なにか事件的なものに巻き込まれるのがおちである。自由はようやくそれによって実現する。
小説は此錯雑なる人生の一側面を写すものなり、一側面猶且単純ならず、去れども写して神に入るときは、事物の紛糾乱雑なるものを綜合して一の哲理を数ふるに足る、われ「エリオツト」の小説を読んで天性の悪人なき事を知りぬ、又罪を犯すものの恕すべくして且憐むべきを知りぬ、一挙手一投足わが運命に関係あるを知りぬ、「サツカレー」の小説を読んで正直なるものの馬鹿らしきを知りぬ、狡猾奸佞なるものの世に珍重せらるべきを知りぬ、「ブロンテ」の小説を読んで人に感応あることを知りぬ、蓋し小説に境遇を叙するものあり、品性を写すものあり、心理上の解剖を試むるものあり、直覚的に人世を観破するものあり、四者各其方面に向つて吾人に教ふる所なきにあらず、然れども人生は心理的解剖を以て終結するものにあらず、又直覚を以て観破し了すべきにあらず、われは人生に於て是等以外に一種不可思議のものあるべきを信ず、
――漱石「人生」
そもそも、人は、所願を成ぜんがために、財を求む。銭を財とする事は、願ひを叶ふるが故なり。所願あれども叶へず、銭あれども用ゐざらんは、全く貧者と同じ。何をか楽しびとせん。この掟は、たゞ、人間の望みを断ちて、貧を憂ふべからずと聞えたり。欲を成じて楽しびとせんよりは、如かじ、財なからんには。癰・疽を病む者、水に洗ひて楽しびとせんよりは、病まざらんには如かじ。こゝに至りては、貧・富分く所なし。究竟は理即に等し。大欲は無欲に似たり。
ここで兼好法師は、富豪を目指すような欲望と無欲であることが同一物だと言っているのではなく、二者が物事の側面として似るような世の中の摂理を見たというに過ぎない。むろん、だいたいにおいて二者は似ようがないからだ。大欲と無欲は似ていない。しかし、大欲を観察してみたら、それが無欲という基底に支えられていることを見出した発見なのである。
おなじようなことは文章についても言える。我々は文章に書かれている物と既にある何者かを同一物とみなして、そうでないものを新たなものと認識するのであるが、それは、認識を物みたいにみたい場合であって、文章の認識とはそもそもその解釈――それは可能性としての思想みたいに現れるしかないものである――全体そのものであって、それは文章外部と様々な繋がり方をしているのである。それは繋がっているのであって同一物ではない。
法はスポーツのルールの延長にあるという説がある。だから法にも遊びのニュアンスがつきまとう。しかし、それは遊びと同一物ではない。だから、ルール先に作って競技は正しいはずと言い張る人も出てくるわけだ。そのときにも遊びの気分は確かに残る。
だから、我々には、小説でも論文でも法律でも、それが根本的に自由を目指しているものであるかが重要になってくるわけである。新たなものではなく目標が自由であるところの表現があるはずである。それは、ピアノ独奏のようなものだ。
岡城千歳氏の弾く、マーラーやチャイコフスキーのシンフォニーをきくと、ある意味でテクストと作品の違いみたいなことを考えさせられる。オーケストラは根本的に多数の人間が勝手にやってるものなので、作品というよりも可能性としてどこに接続してしまっているかわからないテクストみたいなところがあるが、多重録音であってもピアノ独奏でなされたそれは一人の統制下にある作品みたいなものだ。チャイコフスキーやマーラーはその意味で根本的には音楽が非常に作品的だと思う。統制された独白みたいな感じで、ピアノ独奏にあってるきがするのであった。
むかし、オーケストラや吹奏楽団をやってたころ、ピアノやってたやつの演奏は合奏には合わないと言われたことあったなあ。。。論文でも小説でもそういうことある。読者や他の書き手との合奏に合わない書き手がいるのである。
付記)今日は、ワクちんの副反応で一日中寝てた。39度近くまで熱が上がってびっくりした。
平宣時朝臣、老の後、昔語りに、「最明寺入道、ある宵の間に呼ばるる事ありしに、『やがて』と申しながら、直垂のなくてとかくせしほどに、又使来りて、『直垂などのさぶらはぬにや。夜なれば異様なりともとく』とありしかば、萎えたる直垂、うちうちのままにてまかりたりしに、銚子に土器とりそへて持て出でて、『この酒をひとりたうべんがさうざうしければ、申しつるなり。肴こそなけれ、人はしずまりぬらん。さりぬべき物やあると、いづくまでも求め給へ』とありしかば、脂燭さして、くまぐまをもとめし程に、台所の棚に、小土器に味噌の少しつきたるを見出でて、『これぞ求め得て候』と申ししかば、『事足りなん』とて、心よく数献に及びて、興にいられ侍りき。その世にはかくこそ侍りしか」と申されき。
最明寺入道(第5代執権平時頼)は仁政をひいたとむかし習った気がするが、さすがに年齢を重ねてくると、仁政をひいているイメージの人物が、しばしば、現にある関係性を無視して正論もどきを言い後始末は周りに任せるようなエゴイストであることを知る。そういう正論が暴力というかたちをとっていた時代があったのである。そういうエゴイストは様々なことへの興味のなさから潔癖であり質素さに陥る。わたくしは、こんな質素礼讃に、武士のメンタルを覆っていた、形式論理的な自認主義というか、なんというかわからないが、――そんな何者かの存在を推測する。
戦国時代に横行した権謀術数は、きわめて形式主義的なパズルのようなものであって、本質的な意味で人を騙しているとは言えない。彼らは人間関係をコミュニケーション的に認識している。而して裏切りと服従が基本的なパタンとなり、それが政治だと思っている。民主主義は人間関係が文化的である必要がある。味噌だけで文化が成り立つであろうか。彼らが読めないのは空気ではなく文化である。
口先野郎みたいなのが増えたのもたぶん学者に限らず「ぼくのいまのプロジェクト」とか「ぼくのミッション」みたいなもので自分をなりたたせていることと関係がある。そういう子どもの宿題以外にも様々なことはやらなきゃいけないし次々に責任は自然に負っているんだが、いつまでも夏休み状態の人生だ。いまはまだひそかに世話を焼いてくれているお母さん役がいるのかもしれない。いや、もう実際おらんでしょ。文化は、そのお母さんを含めた形で生長するもので、職域奉公しているやつには生じないのである。職域奉公とは、権力とのコミュニケーションに過ぎない。
オルテガ言うところの大衆(いわゆる「研究者」はその代表例である。)に対抗する道は普遍人的なありようしかない。とても大変なみちである。
時に、クリティシズムの骨肉をなすこの組織や枢軸なるものは、感性理論(エステーティク――そこから美学という意味が出た)としての哲学によって現わされている。そう云う他、恐らく考えようはあるまい。クリティシズムの対象が単なる感性的なるものではなく、もっと悟性的な反省物の所産(例えば科学や哲学の如き)であっても、大体に於てこの点変更を必要としない。クリティシズムから見れば、一切の批評対象が、何等かの感受から始まる。印象から始まるのである。批評は凡て印象批評として始まる。
――戸坂潤「クリティシズムと認識論との関係」
もっとも、戸坂のようなタイプがこういうことを言うと、いわゆる「感性」で食っていると自負する人々が、お前が言うな、みたいな文句を言いかねないのが近代の日本であった。
人の田を論ずる者、訴へに負けて、ねたさに、「その田を刈りて取れ」とて、人を遣しけるに、先づ、道すがらの田をさへ刈りもて行くを、「これは論じ給ふ所にあらず。いかにかくは」と言ひければ、刈る者ども、「その所とても刈るべき理なけれども、僻事せんとて罷る者なれば、いづくをか刈らざらん」とぞ言ひける。理、いとをかしかりけり。
田んぼの所有権を主張して負けた人が、悔しさで、「あの田んぼの稲を刈ってしまえ」と使用人に命令したところ、道すがら関係ない田んぼの稲を刈って進んでいった。「それは訴訟した田んぼじゃねえじゃねえか、どうするんだ」と聞くと、彼らは「もともと当該田んぼでさえ刈ってよい理屈はないんだ、めちゃくちゃなんだかからどの田んぼを刈っても一緒よ」と言った。この理屈おかしかった――。
全然おかしくねえよ、と思いたいところであるが、確かにおかしい。もっとも、これを「をかし」と喜んでいる兼好法師はもしかしたら、当時の農民達のシンパだったのかも知れない。
伏石事件のときも、地主に反抗した農民達がたしか稲刈りして米は渡さぬ挙にでて抵抗したのだ。この訴訟した男、もしかしたら地主に抵抗して私有を主張した勇気ある男だったかも知れないのだ。それを知って、使用人達も、他の稲もついでに農民達のものと化してしまおうと画策したのではないだろうかっ
たぶん違うのであろうが、米を作るというのはホントに大変な作業に違いなく。所有権を主張するにせよ、プラモデルを所有するのとはわけが違うのだ。多くの使用人達との人間関係、権力関係を調整して行かなければならない。非常にしんどい世界なのである。経験したことはないが、里山信仰で盛りあがっている夢追い人を見ていると心配になる次第である。
田んぼにたくさん、カブトエビがいた。こういう物は、ある意味で農村を成りたたせる媒質である。こういうものに権力関係を行使するわけにはいかないからだ。コミュニケーションはカブトエビのようになっていなければならない。
最近は、指導や教育を、指示や命令に置き換えていっているほんと危険な人物がたくさんいる。シラバスにかかれていることは指示とか命令なのであろうか。お願いベースなのであろうか。わたくしは一般的恩寵のつもりなのであr(謝罪します)命令ならそうするわ、みたいなせりふを人形みたいな女のキャラクターが言ってる分には違和感がないかも知れない、しかし、そういう人形みたいなやついっぱいるだろう。そういう人間を余りつくらせないためにか、田んぼには案山子がたっていたのではなかろうか。
田んぼの所有権を主張して負けた人が、悔しさで、「あの田んぼの稲を刈ってしまえ」と使用人に命令したところ、道すがら関係ない田んぼの稲を刈って進んでいった。「それは訴訟した田んぼじゃねえじゃねえか、どうするんだ」と聞くと、彼らは「もともと当該田んぼでさえ刈ってよい理屈はないんだ、めちゃくちゃなんだかからどの田んぼを刈っても一緒よ」と言った。この理屈おかしかった――。
全然おかしくねえよ、と思いたいところであるが、確かにおかしい。もっとも、これを「をかし」と喜んでいる兼好法師はもしかしたら、当時の農民達のシンパだったのかも知れない。
伏石事件のときも、地主に反抗した農民達がたしか稲刈りして米は渡さぬ挙にでて抵抗したのだ。この訴訟した男、もしかしたら地主に抵抗して私有を主張した勇気ある男だったかも知れないのだ。それを知って、使用人達も、他の稲もついでに農民達のものと化してしまおうと画策したのではないだろうかっ
たぶん違うのであろうが、米を作るというのはホントに大変な作業に違いなく。所有権を主張するにせよ、プラモデルを所有するのとはわけが違うのだ。多くの使用人達との人間関係、権力関係を調整して行かなければならない。非常にしんどい世界なのである。経験したことはないが、里山信仰で盛りあがっている夢追い人を見ていると心配になる次第である。
田んぼにたくさん、カブトエビがいた。こういう物は、ある意味で農村を成りたたせる媒質である。こういうものに権力関係を行使するわけにはいかないからだ。コミュニケーションはカブトエビのようになっていなければならない。
最近は、指導や教育を、指示や命令に置き換えていっているほんと危険な人物がたくさんいる。シラバスにかかれていることは指示とか命令なのであろうか。お願いベースなのであろうか。
愚者の中の戯れだに、知りたる人の前にては、このさまざまの得たる所、詞にても顔にても、かくれなく知られぬべし。まして、明らかならん人の、まどへる我等を見んこと、掌の上の物を見んが如し。但し、かやうの推しはかりにて、仏法までをなずらへ言ふべきにはあらず。
嘘に対する様々な反応を列挙しながら、真相を知る人の前では嘘は通用しないね、と言いながら、その真相至上主義的な観点を、仏法にまで延長しちゃダメダと言いたいのであろうか。兼好法師の眼は、嘘を目の前にした人間を観察しながら、その実、仏法に対する人間の反応を見ているのではないだろうか。ほんとうは、仏法の具体的な部分部分に対してどのような真偽意識が働くのか、兼好法師は書くべきだったのかも知れない。しかし、そんなことはできない。当時だって、仏教は森のような訳の分からないカオスに見えていたはずである。それを勉強した人ほどそうなっていたはずではないか。
私が指の間に挟んだ葉巻の灰さえ、やはり落ちずにたまっている所を見ても、私が一月ばかりたったと思ったのは、ほんの二三分の間に見た、夢だったのに違いありません。けれどもその二三分の短い間に、私がハッサン・カンの魔術の秘法を習う資格のない人間だということは、私自身にもミスラ君にも、明かになってしまったのです。私は恥しそうに頭を下げたまま、しばらくは口もきけませんでした。
「私の魔術を使おうと思ったら、まず欲を捨てなければなりません。あなたはそれだけの修業が出来ていないのです。」
ミスラ君は気の毒そうな眼つきをしながら、縁へ赤く花模様を織り出したテエブル掛の上に肘をついて、静にこう私をたしなめました。
――芥川龍之介「魔術」
つねに、宗教も魔術のような顔をしている。そして、人は屡々そこに入り込む前提ばかり問題にしている。兼好法師の「徒然草」だって、そんなところがないとは言えない。「枕草子」の方が、ずけずけと問題に入り込んでいるような気がする。兼好法師にあるのは自らの弱さを塹壕としてつくりあげる意識である(嘘を見抜く達人を想定したりすることである)。それは常に対象や相手を認識しにくくすることでもある。小学生でもそのぐらいは意識し始めるのではないだろうか?
「夜に入りて物のはえなし」といふ人、いと口惜し。万のものの綺羅・飾り・色ふしも、夜のみこそめでたけれ。昼は、ことそぎ、およすげたる姿にてもありなん。夜は、きららかに、はなやかなる装束、いとよし。人の気色も、夜のほかげぞ、よきはよく、もの言ひたる声も、暗くて聞きたる、用意ある、心にくし。匂ひも、ものの音も、ただ夜ぞ、ひときはめでたき。さしてことなる事なき夜、うち更けて参れる人の、清げなるさましたる、いとよし。若きどち、心とどめて見る人は、時をも分かぬものなれば、ことに、うち解けぬべき折節ぞ、褻・晴なく、ひきつくろはまほしき。よき男の日暮れてゆするし、女も、夜更くる程にすべりつつ、鏡とりて、顔などつくろひて出づるこそをかしけれ。
「夜は、きららかに、はなやかなる装束、いとよし」と言い切っているのが面白いが、確かにそうである。もっともこれは服装に限ったことではなく、思考もそうだ。大げさになるというより装飾が多く、そのために我々は自分の思考に目くらましを食っている。
派手な蒔絵などを施したピカピカ光る蝋塗りの手箱とか、文台とか、棚とかを見ると、いかにもケバケバしくて落ち着きがなく、俗悪にさえ思えることがあるけれども、もしそれらの器物を取り囲む空白を真っ黒な闇で塗り潰し、太陽や電燈の光線に代えるに一点の燈明か蝋燭のあかりにして見給え、忽ちそのケバケバしいものが底深く沈んで、渋い、重々しいものになるであろう。古えの工藝家がそれらの器に漆を塗り、蒔絵を画く時は、必ずそう云う暗い部屋を頭に置き、乏しい光りの中における効果を狙ったのに違いなく、金色を贅沢に使ったりしたのも、それが闇に浮かび出る工合や、燈火を反射する加減を考慮したものと察せられる。
――「陰影礼讃」
かく言う谷崎は、自分の文章も蒔絵のつもりでいたのかもしれない。したがって、谷崎の文章は、近代の真っ昼間的な環境の中では、けばけばしさとして輝きを失うところがあるのであろうか?そうでもないであろう。わたくしの単なる感想であるが、谷崎というのはちょっと自分の環境をケナしすぎていたところがあると思うのである。しかし無理もないので、そうでもしなければ芥川龍之介のようなかんじになりかねない。芥川や谷崎は、次のように書くことができない。「陰影礼讃」で触れられている漱石の羊羹の件である。
「ありがとう」またありがとうが出た。菓子皿のなかを見ると、立派な羊羹が並んでいる。余はすべての菓子のうちでもっとも羊羹が好だ。別段食いたくはないが、あの肌合が滑らかに、緻密に、しかも半透明に光線を受ける具合は、どう見ても一個の美術品だ。ことに青味を帯びた煉上げ方は、玉と蝋石の雑種のようで、はなはだ見て心持ちがいい。のみならず青磁の皿に盛られた青い煉羊羹は、青磁のなかから今生れたようにつやつやして、思わず手を出して撫でて見たくなる。西洋の菓子で、これほど快感を与えるものは一つもない。クリームの色はちょっと柔かだが、少し重苦しい。ジェリは、一目宝石のように見えるが、ぶるぶる顫えて、羊羹ほどの重味がない。白砂糖と牛乳で五重の塔を作るに至っては、言語道断の沙汰である。
――「草枕」
漱石の文章は、とても昼間的だとわたくしは思う。夢を見る場合でも、つねに彼の場合は白昼夢である。