★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

「夜明け前」誕生の錯誤

2024-08-31 23:18:38 | 文学


「そういうこともありましょう。しかし、わたしに言わせると、九太夫さんたちはどこまでも江戸を主にしていますし、半蔵さまはまた、京都を主にしています。九太夫さんたちと半蔵さまとは、てんで頭が違います。諸大名は京都の方へ朝参するのが本筋だ、そういうことは旧い宿場のものは考えないんです。」
「だんだんお前の話を聞いて見ると、おれも思い当たることがある。つまり、おれの家じゃ問屋を商売とは考えていない。親代々の家柄で、町方のものも在の百姓もみんな自分の子のように思ってる。半蔵だって、本陣問屋を名誉職としか思っていまい。おれの家の歴史を考えて見てくれると、それがわかる。こういう山の上に発達した宿場というものは、百姓の気分と町人の気分とが混り合っていて、なかなかどうして治めにくいところがあるよ。」
「だいぶお話に身が入るようですね。」
 と言いながら、おまんは軽く笑って、次ぎの間から茶道具を運んで来た。隠居所で沸かした湯加減のよい茶を夫にも清助にもすすめ、自分でも飲んで、話の仲間に加わった。


――「夜明け前」


「山の上に発達した宿場というものは、百姓の気分と町人の気分とが混り合っていて、なかなかどうして治めにくいところがある」というのはこれは木曽みたいなところに限らない。日本人に多くみられることじゃないかなと思う。で、木曽の特徴はむしろ木こりや職人が多かったところにあるんじゃないかと思う。荒っぽい内気さみたいな気質である。

能力はないから妄想でいうと――、わたくしが『夜明け前』みたいなのを半蔵の息子の代、すなわち曾祖父の代から書き始めたら、職人達の解体の陰惨なはなしにはじまり、戦時中の国鉄職員の悲劇を経て、発狂も許されない戦後の教師の、しのびがたきをしのぶカタルシス0の話になるであろう。――何がいいたいかというと、「夜明け前」は、対象となる幕末と木曽の位置、戦争がはじまったころの執筆時期、藤村の境涯が非常にぴったりくるような惑星直列なのである。簡単には真似は出来ない。

一億総評論家みたいなものはネットが原因ではない。もっとまえからそうだった。自意識上、評論家ですむ階級が多くなったということであろう。しかし、ここに新しい言葉を付与しようとする人間は評論家ではいられない。藤村は階級的変動の中にいながら、新しき言葉がないと新しい人生があったとはいえないと思っていた。結局、藤村の方が時代の言葉(「夜明け前」)をつくってしまった。ほんとは明治以降の体たらくをみて、「夜明け後」と言った方が良かったのであろうが、明けてないものは明けてないんだからしょうがなかった。

ニーチェなどの飜訳の手塚富雄は、三島由紀夫との対談で、日本では「西洋近代語を通じての教養」がニーチェにとっての古典文献学の代わりになって、「近代を古典と思った」と言っている。國文を出たわたくしはそうは実感されないが、三島も日本にはニーチェにとっての古典文献学は日本にはなかったと言っている。「近代を古典だ」と思っているのはやはりおかしい。近代はただの観念で、西洋語や漢文、日本古典(文献)学が古典である。これをきちんとしないから「夜」ができてしまったのである。

「スパイゾルゲ」観に行ったときには、まわりが爺婆ばかりでほんと安心できたが「スパイの妻」の場合は、出演している俳優のファンがまじっていたらしく内容もそうだが観客のそわそわぶりがまさにですね軍靴の足音的であったことはここではっきりと申し上げておきたいが、――結局、戦時下のトラウマこそが「夜」となってしまい、また「夜明け前」のまちがった認識ができあがっている。主人公の「妻」は、死屍累々たる神戸を、夫にも頼らず歩き出したように見えるが、ほんとはそうであるとは限らない。明けそうになりながら明けない海岸を走りながら「妻」はただ泣いていた。

虚実皮膜論――台風下のストレス下で

2024-08-30 23:40:30 | 文学


白き蝶の、白き花に、
小き蝶の、小き花に、
     みだるるよ、みだるるよ。
長き憂は、長き髪に、
暗き憂は、暗き髪に、
     みだるるよ、みだるるよ。
いたずらに、吹くは野分の、
いたずらに、住むか浮世に、
白き蝶も、黒き髪も、
     みだるるよ、みだるるよ。
と女はうたい了る。銀椀に珠を盛りて、白魚の指に揺かしたらば、こんな声がでようと、男は聴きとれていた。
「うまく、唱えました。もう少し稽古して音量が充分に出ると大きな場所で聴いても、立派に聴けるに違いない。今度演奏会でためしにやって見ませんか」

――漱石「野分」


母が伊勢湾台風にあったとき、あくるひ、厠の屋根だかが防風林にひっかかってた、と言っていた気がする。防風林は風から家を守るだけでない、厠の屋根が隣近所に飛んでくのを防ぐのであった。なにか哲学を感じるのは私だけであろうか。

香川大学に来た頃、わたくしのゼミでたぶん一番優秀らしくあった学生が、梅崎春生の「無名颱風」で卒論を書いたが、――梅崎のこれが名作で、ちょっとかっこつけすぎという感じがしないでもないが、梅崎の精神的処世術というのは現代的だ。これは一種、映画「テイク・シェルター」に似ている。そこではシェルターに籠もる家族にとって竜巻がどの程度のものだったのかわからない。梅崎はほんとうに悪夢のような時間を過ごしたので、台風なぞ台風にみえない程度に、まるで比喩に見えるような境地に達してしまっている。「テイク・シェルター」も、自分の生活のほうが既にしんどいので、竜巻が来ることは一種の希望にすらみえる。

鶴見俊輔は次のようにどこかで言っていた。

俺は小学生のときから不良少年だった。事実です。ウソではない。そこから刑務所を通っていまここにいる。刑務所も事実です。アメリカで入った。それ以外、経歴は何も言わない。そういう自己演出をしておかないと、「真の正義の人」みたいに書かれたら、もう致命的です。

わたくしが、この思想家を信用出来ないのは、こういうところである。彼にとっては事実というものは確かであって、隠したり出したりすることで処世が可能であるが、大概の人は、事実はもっと主観化されていてトラウマと区別がつかないのである。

トラウマを演出する吉本隆明なんかもその一味である。それを「文字通り」糞真面目に解釈しようとしている川鍋義一氏の吉本隆明初期詩篇論も読まなくちゃいけない。

その点、戦時下で、こそこそと映画館にかよい、女優の桑野通子に惚れていた遠藤周作は信じられる。彼は、松竹の助監督の試験まで受けているはずである。(「わがあこがれのスター」、『プロマイド昭和史』)同時に試験うけてた人に松山善三(高峰秀子様の旦那)もいたらしい。吉永小百合とかいろいろな人が好きだったが最近は泉ピン子だ、みたいなオチをつけているところからして、遠藤周作の人生はその信仰とは無関係にどうなったのかわからない。もしかしたら、松山善三のかわりに高峰秀子と結婚していたかも知れない(それはない)

このひとたちは、ほんと、教育みたいな責任をともなう行為には向いていない。

こういう文藝や映画の病んだ世界を研究していると、教育と芸術の双方を担っていた漫画の世界のほうが、すくなくとも昔はまともであった気がする。寺田ヒロオ氏の『背番号0』ってけっこういい話が多い。高校野球やプロ野球の漫画は競技自体が生活なので、ほぼバトル漫画の様相を呈するのだが、小学生の野球の話は、生活や子供のとしての人生の学習のなかに競技があるので、こちらのほうが普遍的かもしれない(寺田氏の描く野球のフォームは水島新司並みにキレイだね。自然なかんじで。残酷な話もあるが普通にありそうで自然だな)。これに比べると、「巨人の星」も「ドカベン」も、教育を放棄した不自然なインフレ怪物漫画だ。

大谷君なんかは漫画を超えたとか言われているが、そんなことはない。山田太郎は、記憶喪失でホームランを打っているのだ。彼はまだ通訳を喪失しただけではないか。

スポーツ自体にインフレを促す性格がある。戦争よりもスポーツのほうがある種空想的に大げさになるのだ。もうさんざ言われていることだと思うけど、戦争のスポーツ化も出現している体たらくである。

必要性の拳

2024-08-29 23:37:17 | 文学


君の詩は自分の死に顔が
わかつて了つた男の詩のやうであつた
ホラ、ホラ、これが僕の骨
と歌つたことさへあつたつけ

僕の見た君の骨は
鉄板の上で赤くなり、ボウボウと音をたててゐた
君が見たといふ君の骨は
立札ほどの高さに白々と、とんがつてゐたさうな

ほのか乍ら確かに君の屍臭を嗅いではみたが
言ふに言われぬ君の額の冷たさに触つてはみたが
たうたう最後の灰の塊りを竹箸の先で積もつてはみたが
この僕に一体何が納得出来ただろう

夕空に赤茶けた雲が流れ去り
見窄らしい谷間ひに夜気が迫り
ポンポン蒸気が行く様な
君の焼ける音が丘の方から降りて来て
僕は止むなく隠坊の娘やむく犬どもの
生きてゐるのを確かめるやうな様子であつた

あゝ、死んだ中原
僕にどんなお別れの言葉がいえようか
君に取り返しのつかぬ事をして了つたあの日から
僕は君を慰める一切の言葉をうつちやつた

あゝ、死んだ中原
例へばあの赤茶けた雲に乗って行け
何んの不思議な事があるものか
僕達が見て来たあの悪夢に比べれば


――小林秀雄「死んだ中原」


小林秀雄というのは、小説の他に「中原の死」のような詩は比較的知られていよう、が、ほかにもちょこちょこあって評論の手触りと似ている。このぐらいにならないと文体があるとはいえない。「死んだ中原」のような歌詞にもならない歌を歌うことこそが、どうしても口に出す必要があったことで、坂口安吾以前に既に必要性の拳を温めている。

漂泊者と中間管理職

2024-08-28 23:15:01 | 文学


 東さかひの桜沢から、西は美濃の中津川を経て十曲峠まで、およそ二十二里にわたる谷のあひだに、 木曾十一宿が散在してゐる。馬籠を中心としたこの一筋の道が「夜明け前」の舞台である。「街道」といふ言葉に、藤村は二つの意味を与へた。ひとつは、云ふまでもなく交通と交通のもたらす変革である。「交通の持ち来す変革は水のやうに、あらゆる変革の中の最も弱く柔かなもので、しかも最も深く強いもの」(第二部第十一章)だ。その力は貴賎貧富を貫き、人間社会の盛衰を左右する。「歴史を、地図をも変へる。そこには勢ひ一切のものゝ交換といふことが起る」(同)と。最も弱く柔く、しかも深いものを体現してゐる、それが同時に木曾路の人々の性格なのだ。

上の亀井勝一郎の『島崎藤村』には「漂泊者のしらべ」みたいな主張が、当時の日本浪曼派的なものと同調しながら書かれていた。最初、半蔵は、現代では東浩紀氏の「観光客」みたいなものであろうかとも思ったが、半蔵は街道の世界にとってよそ者ではないから違う。で、むしろ難民といったほうがよいかもしれないと思ったが、そんな故郷の喪失とは無縁だからそれとも違う。そして、よく考えてみたら、中間管理職みたいなものだと思うのである。亀井は自分が転向=漂泊者的だから、藤村が漂泊者にみえるのであって、当時の藤村は文壇の中間管理職みたいなものだったのではなかろうか。実際、本陣の階級をプチブルジョアみたいに決めつけない限り、本陣の仕事なんか、もともと上と下に挟まれた面倒な媒介者的仕事だった。しかも、半蔵はそこからも疎外されていながら、いざという時に動かなければならない。これは強いられた中間管理職で、現代においてよくみられるやつである。実際、これは案外動きすぎてはいけないほど動く役職である。

同世代問題と古典

2024-08-27 23:30:38 | 文学


低い
雨雲の下
日本の六月は
青磁の 浅い手水鉢――
雨がぐんぐん水の天井を押し上げ
縁からあふれ出ようとしている
縁では人々が爪先立って
じっと目をつぶって
水嵩の増す気配を
聞いている


――吉野弘「日本の六月」(『感傷旅行』)


当時読んでもいないのに、生まれた年の作品が好きな場合がある。上のものもその一つのような気がしていたが、いま思うとそうでもない。むしろ「フレンチ・コネクション」とか「ミラーマン」が好きなのが不思議なので、そんな気がしていただけかもしれない。

われわれの世代は、むしろ、野球なんかにおいて、王長嶋の呪縛が少なく、ウルトラマンも再放送で、むしろ怪獣消しゴムみたいなものの収集の記憶があり、――つまり、オタク(マニア)が趣味人化したような世代である。趣味人とは何か。これは、下手すると作品の内容を相対化して「ゲスの勘ぐり」を専門とするような人間に変容しがちだということだ。

ネット上の大河ドラマへの反応を見ていると、――なるほど源氏物語は、本文は読まれずに読者の反応の連鎖が楽しいお話であった、それも最初からそうだったのかもしれないのがわかるような気がする。宮中の空間は、趣味人の集まりだ。つまりゲスの勘ぐりが多い空間だ。紫式部はそんな空間のことをよく知っていたのである。で、ちゃんと読んだ人の中から、若い模倣者や、本居とか折口みたいにもっと奥底があると一人で言い放つタイプが本を書くことになるが、これは結局あまり読まれない。文学作品にたいする反応というのは実に様々で別にそれでかまわないのだが、源氏のように、大きく言えば「ゲスの勘ぐり」を誘発する作品があり、これを好む人が多い時代がある。作品は軽視され同時に祭り上げられる。これは、現代では、テレビが再放送で間を持たすようになった時代から始まったに違いない。それはアクチュアリティからの疎外であった気がする。

小林秀雄は文藝評論家というよりまじめに国学者とでもいたったほうがよいかもしれない。小林が読まれなくなったのも、宣長系だからというのに加えて、小林の文章がどこか瞬間芸的であり、ゲスの勘ぐりに堪える要素を欠いているからである。

その小林秀雄がなんと映画化されるそうである。といっても、長谷川泰子と中原中也との泥沼トライアングルの件においてである。で、長谷川泰子は天下の広瀬すず讓であり、中也と小林はなんかどこかのイケメンである。わたくしをしていわしむれば、むしろ広瀬すずは女の方じゃなく顔の輪郭的に中原中也をやれば良いのではないだろうか。さっき、細に長谷川泰子ってこういう顔なんだけど誰がやるといいと思うってきいたら、1.5秒ぐらいで寺島しのぶと言ってたし。

果たして、文章がゲスの勘ぐりを撥ね付ける類いの哲学者達――小林秀雄、西田幾多郎、鈴木大拙なんかを俳優がやることは可能であろうか。時代はジェンダーレスあるからして、冷静に目を凝らしてみれば、西田幾多郎は、案外、黒木華なんかが似ている。小林や鈴木は似ている奴がいないから、というより普通であるから、もうあれだ、浜辺美波の二役でよろしいのではないだろうか。

閑話休題。同世代と言えば、――『非美学』の後半で引かれている、東浩紀の『存在論的、郵便的』のさいごの決めぜりふ、「それゆえ突然ながら、この仕事はもううちきられねばならない」で思い出したのが、最近の学生のレポートは「突然であるが、この**をご存じだろうか」というせりふで始まるという都市伝説である。香川は都市でないので、見たことはないが、東浩紀氏の言ったことはだいたい逆立ちしたようなかたちである種の流行になる傾向がある。これは世代的な問題なのかもしれず、ここらの世代がアイロニカルに書いたり、ある種の頓挫として出した結論が、あとで地獄的に出現したりすることがあるように思う。他人事じゃねえんだが。そういえば「突然のメール失礼いたします」ならみたことあるわ。そして、『非美学』って『眼がスクリーンになるとき』と主張が妙に似てるな、と思ったら、おなじ著者だった。誠にもうしわけございません。。著者・福尾匠氏のような私より20も若い世代は、私や東氏が問題にしていた空気ではないところから出発している。私は氏が「抵抗」しているところの空気が分からない、いや分かるといえば理解は出来るのであるが、「抵抗」とは抵抗するものへのアンヴィヴァレンツであるから、そのアンヴィヴァレンツが分からないというほうが正しい。

たぶん東氏の書物はいつも見掛けよりも、「抵抗」の書である。今少し話題の「依存」への抵抗である。むかしの左翼だって体感しながらたまにしか成功する気がしないその「抵抗」は、そのアイロニカルな修辞や、否定神学みたいなかたちでしか「結論」を出せない。油断していると、戦後の理念みたいな「結論」に吸収されそうだし、しかし、ほんとうは、もうその「結論」からは疎外されているという嫌な感じである。

しかし、こんな程度の同時代性とはもう仕方がないことである。

さんざ学部時代から言われてきたことを言うと、古文を面白く読んで行くと、もう中国のものを読まずにはいられなくなる、――こっちのほうが重要だ。この呪いのような必然性みたいなものに比べると、破戒を読んでからドストエフスキーに赴く呪いは弱い気がする。ドのほうを最初に読む読者もおおい事情もあるけれども。

まだ大学時代につかった『中国思想文学通史』の年表に載っている作品を半分も読んでねえわ、なさけなや。わたくしは、漢文・古典はどの時代も弱いけど、わしほんと近世が弱い。そこそこ有名な作品は読んでいるはずなのに、読む度にわけが分からなくなってゆくのだ。この認識の混沌に比べれば、同世代の同一性など問題にならない。

伝播と台風

2024-08-26 23:10:26 | 音楽


昨日は雷雨が来たからハイドンのソナタを弾いた。雷雨の音楽と言えば、田園やアルプス交響曲やグランド・キャニオンであろうが、わたくしは子供の頃、雨の降る中でソナタの練習をしたことを覚えているのでそうなっているだけである。木曽の谷の中での雷雨の中でハイドンである。

ハイドンも日本のことなんか知らなかっただろうが、京都の人もたいがいは木曽のことなんか、木曽の猿がせめこんでくるまで知らなかったであろう。今日、安倍晴明が大河ドラマでなくなっていたが、――やつは死んだふりして木曽町の黒川あたりで死んでいるはずなのである。星も黒川のほうがきれいにみえるはずだ。たぶん、わたくしのような想像をする人が黒川に「晴博士」の墓でも建てたのであろう。いまはバス停になっている。音や思想のほうが人よりやはく伝播するのは、昔も今もおなじなのである。

そういえば、映画なんかだとロケを田舎でやりフィルムを東京にもってゆくことがあり、どうやら上映されたぞという噂がロケ地に伝播されると言うことがある。「台風クラブ」がそうだ。長野県のどこかでロケをしたらしいが、内容が――台風が来たので、生徒が校庭で裸踊りをしたり、台風一過、沼のようになった敷地に二階から真っ逆さまに飛び降りて死ぬ?哲学志向の野球部員などが描かれているため、ロケをした中学でも上映されず、地元でも上映されなかったらしいのだ。そこに描かれていた中学生どもがわたくしと同世代で、たしか主演女優が私と同年であった。こんな鬱屈した連中が同世代かと、大学生になってからテレビでやってたのをみて思ったものである。

台風ってだいたい左傾し勢力を弱めながら右に旋回していく。ぬるい政治少年達の末路ににている。だいたい、進路を変えることは台風以外においてはあまりよく言われないのだ。受験生なんか、進路を変えるときには文転とか言われて蔑まれる。

手を動かせ――責任論

2024-08-25 23:13:06 | 文学


「この木に、水をやらんと枯れてしまうよ。」と、子供はいいました。
 すると、酒に酔っている男は、怒りました。
「なに、いらんことをいうのだ。さっさといってしまえ!」といって、小さなコップに残っていた、ウイスキーを子供の顔に、かけました。子供は、目から、火が出たかと思いました。
 子供は、その日の暮れ方、涙ぐんだ目つきをして、ふもとの林の中へ帰ってきました。小舎の中には、父親が待っていました。
 子供は、この日、街で見てきたいっさいを父親に向かって話しました。
 古い大きなひのきの木は身震いをしました。
「いま、子供のいったことを聞いたか。」と、年とった大たかに向かっていいました。
「人間は、すこしいい気になりすぎている! ちっと怖ろしいめにあわせてやれ。」と、たかは、怒りに燃えました。
「俺たちは、今夜、あらしを呼んで、街を襲撃しよう。」と、ひのきの木は、どなりました。
「私たちの力で、ひとたまりもなく、人間の街をもみくだいてやろう。」と、たかは叫びました。
 たかは、黒雲に、伝令すべく、夕闇の空に翔け上りました。古いひのきは雨と風を呼ぶためにあらゆる大きな枝、小さな枝を、落日後の空にざわつきたてたのであります。


――小川未明「あらしの前の木と鳥の会話」


檜でさえ、腕をふるわせて人間への憎しみを表現しているというのに、我々は五指の機能をさぼらせつつある。視角優先が近代だとか言うがだからなんだよみたいな認識がだからなんだよなのは、ほんとに眼しか使わないような状態の人間を目の前にしていないだろうと思うからだ。

ときどき高校などに訪問してお話しするときに、PowerPoint資料でやったりするんだが、――時間が余って板書で説明した部分だけがちゃんと伝わっている。PowerPointは授業で絶対に使わないが、やはり簡単な内容でも伝わりにくいと思うからだ。(PowerPointでの授業は、こういう資料を作らないと教員がさぼっていると認識する輩に媚びているのではないかと思ったりもするが、――そういう意見を教員や学生から聞いたことがあるからだ)聞いている側がメモをとらない場合でも、板書だと脳が擬似的にメモをとるような動作をしているにちがいない。

とはいえ、人間的なものかわからない動きというものもあり、この前、ブラームスのピアノ四重奏曲第一番の一部を練習してたら腕の魂が死んだ。

最近、「責任」についての哲学的な考察をした本が出版されているが、――きちんとフォローしているわけではないが、結果的に人を支配するための言い訳になっているものも多い気がする。「責任」は、発言の総体、一挙手一投足にいたるまできわめて具体的な細部に宿っている。タスケテもらおうとする根性は「無責任」ではないとか、――確かにそういうことも言えるかも知れないが、上の細部に直面する「常識」の世界では、タスケテもらう人が責任を負わなくてもよいことにはならない。「責任」は、溜まった鬱憤のうえにでてくるようなものであって、その言葉が出てきた時点でいろんなことは決着がついているのである。戦争は言うまでもない。

虫と子供

2024-08-24 23:37:16 | 文学


嫌だ。あんな大きな蛾って見たことがない……脂ぎって、ドキドキしていた」
 と、気味悪そうに眉をひそめた。その夜半、身近になにか人の気配がするので、ハッとして頭をあげて見ると、女が、大きな眼をして青木の枕元に坐っていた。
「……あたしの郷里では、人が死ぬとお洗骨ということをするン。あッさりと埋めといて、早く骨になるのを待つの。……埋めるとすぐ銀蠅が来て、それから蝶や蛾が来て、それが行ってしまうとこんどは甲虫がやってくるン」
 二、三日、はげしい野分が吹きつづけ、庭の菊はみな倒れてしまった。落栗が雨戸にあたる音で、夜ふけにたびたび眼をさまされた。
 ある夜、青木は厠に立ち、その帰りに雨戸を開けると、その隙間から大きな甲虫が飛び込んで来て、バサリと畳の上に落ちた。


――久生十蘭「昆虫図」


宇宙に行っても、宇宙船に自分を好きになる美少女がいるとは限らないが、蝗虫ならそこらじゅうにいる。

そこらじゅうにいるものと、滅多にいないもののあいだに我々の世界はあるが、ときどき大谷翔平みたいな人間が現れて、我々における聖なるものへの存在を想起させる。滅多にいないのではなく、我々だってある程度は大谷に似ているというわけである。果たしてそうであろうか。

なぜなら、大谷ってテレビで観ると一〇センチぐらいなのである。戦争とか爆撃とかの映像にも言えることであり、2メートルが10センチに見えているということがどういうことを意味しているのか、よっぽどのアホでない限りわかるわけである。しかし分かるだけだ。実感がないのである。とすると逆に、なぜ大谷はわれわれと一緒の人間だとおもえるのかが問題だ。

で、たぶんそれが言語や数の力なのである。我々は大谷を説明しているうちに対象が人間であると思えるのだ。特に、説明が三箇所に渡っている場合に、我々は説明すら空間として認識しているかもしれない。中山弘明氏の本(『〈学問史〉としての近代文学研究』)に、むかし指導教官に三人研究してなんぼだといわれて絶望したと書いてあった。たしかに経験的にも、そんなかんじはあるのだ。認識に於ける三冠王。こういうタイプこそ4番であって、一芸タイプと全部出来るタイプは4番ではない。というかんじで、三点からの認識が何か意味ありげに、研究者にもいえることのようなきがしてくる。

そうえいば、「一即多」みたいなコンセプトがただたんに好きな人は、凡人になりがちなのかもしれない。西田幾多郎が、それを反復したわけは、「一即多」自体が時間的に反復され増殖してゆかないとそれが実現しないことを知っていたからである。案外それは群衆的なのだ。

そういえば、「となりのトトロ」も三人の話である。二人の娘と父、二人の娘と母、――にくわえて、トトロや猫バスと女子二人である。つまり、小太った兄貴が妹二人を甘やかす話でもあって、「火垂るの墓」の兄貴が妹を見捨てる余地があるのにたいして、妹二人いると彼らをどこかに連れて行ったりしなきゃならんのだ。わたくしも同じような状況があったが、猫とかトトロとちがって妹たち以上に動きがわるかったのでそうならなかっただけだ。

トトロの話は一種の寓話ということになる。寓話は子供に向けられることが多いが、我々がものを改めて明視するためにも用いられる。「トトロ」とか「エヴァソゲリオン」とか明らかに子供向けなのに、そういうときに我々の目が冴える。もしかしたら、今残っている「源氏物語」なんかも子供向けで、もっと大人の源氏物語が他にあったりしたのかもしれない。

それにしても、子供自体はそれほどでもない存在だ。子供に限らない。女のアイドルや俳優さんて、すごく眠そうな写真多い。理由は性的な理由であるが――、わたくしはもっとちゃんと起きてる人が好きだ。

惨敗の夏、日本の夏(2024)

2024-08-23 23:24:17 | 文学


これらの経験はこの空想的な老学者に次のようなことを考えさせた。いったい野球その他のスポーツがどうしてこれほどまでに人の心を捕えるのであろうか。
 野球もやはりヒットの遊戯の一つである。射的でも玉突きでも同様に二つの物体の描く四次元の「世界線」が互いに切り合うか切り合わぬかが主要な問題である。射的では的が三次元空間に静止しているが野球では的が動いているだけに事がらが複雑である。糊べらで飛んでいる蠅をはたき落とす芸術とこの点では共通である。
 近ごろボルンが新しい統計的物理学の基礎を論じた中に、ウィルヘルム・テルがむすこの頭上のりんごを射落とす話を引き合いにだした。昔の物理学者らが一名を電子と称するテルの矢のねらいは熟練と注意とによって無限に精確になりうると考えたに反して、新しい物理学者は到底越え難いある「不確定」の限界を認容することになった。いわば昔はただ主観の不確定性だけを認めて客観の絶対確定性を信じていたのが今では不確定性を客観的実在の世界へ転籍させた。この考えの根本的な変遷はいわゆる「因果律」の概念にもまた根本的の変化を要求する。しかしそれは単に原子電子の世界に関する事ばかりでなく、これらの原子電子から構成されているすべての世界における因果関係に対する考え方の立て直しを啓示するように見える。
 いかに現在の計測を精鋭にゆきわたらせることができたとしても、過去と未来には末広がりに朦朧たる不明の笹縁がつきまとってくる。そうして実はそういう場合にのみ通例考えられているような「因果」という言葉が始めて独立な存在理由を有するということには今までおそらくだれも気がつかなかったのではないか。


――寺田寅彦「野球時代」


最近の野球をみていると、「確定と偶然との相争うヒットの遊戯」(寺田寅彦「野球時代」)の時代が終わったことを実感する。寺田寅彦の前提にしていたような自由の先にその「争い」があったとすれば、いまはそれがない。

もっとも「プロ野球」にこそその偶然が生起するみたいなところがあった。絶対にそんなことは起こりえないレベルの世界があったからである。わたくしの出身高校なんかいつも負けて帰ってきた。わが吹奏楽部と同じである。

というわけで、ことしも全てが負け続けの夏である。

木曽青峰 1-2 上伊那農業……くそっ、惜しいな。
健大高崎 (群馬) 1 - 0 英明(香川)……あらっ
中京大中京 (愛知)4 - 3 宮崎商(宮崎)……宮崎がかわいそうじゃないか
日本航空 (山梨)4 - 8 掛川西 (静岡)……山が多いからといって空を飛ぶとかがあれなのではないか。
長野日大 (長野)1 - 9 青森山田(青森)……やっぱ日大よりドカベンのほうがつよいの
智弁和歌山 (和歌山)4 - 5 霞ケ浦 (茨城)……常総学院はどうしたんだ
中京大中京 (愛知)3 - 4 神村学園 (鹿児島)……中京大中京とかなんか因数分解したくなるな。
霞ケ浦 (茨城)2 - 6 滋賀学園 (滋賀)……霞ヶ浦は魚が捕れるのでイイと思う。

以上、第二第三第四第五の故郷は全て惨敗です。

関東第一 (東東京)1 - 2 京都国際(京都)

高校名の文字だけで哲学的・概念的にもスバラシい戦いであった。

相好を崩して田んぼに足をツッコむ

2024-08-23 22:58:03 | 思想


J・P・ヴェルナンの『形象・偶像・仮面』を読みはじめたが、「コレージュ・ド・フランス」の講義緑である。「はじめに」で、フーコーやレヴィ・ストロースと並んでわたくしなんかがこういうのだしていいの?みたいなことを言っており、それが自由をつかもうとする姿勢みたいで面白かった。しかし、本文はどこか格式張ったところがある。これに比べると、福尾匠氏の『非美学』(厚い)は最初から自由である。日本での文化はいつもこういう相好を崩したところがある。

相好を崩しすぎると、怪しさすらでてきてしまうので怪しまれていたのは、例えば松岡正剛である。明らかに東洋的な「やつし」系の文人気質なのに、ビジネスマンみたいでもあった(「活動」のあり方なんかも毀誉褒貶あったが、東浩紀なんかとの比較でいろいろ議論されるにちがいない――)からますます怪しまれていた。そして、レトリック系の批評家達の伝統にも連なりそうなので、松岡氏の本が修辞的だという印象はわからんでもないような気がしないでもない。が、文学研究で博識さと修辞とのあり方を永遠議論している(あまりしてねえか)ところからするとまあそれは何の説明にもなってないし、あれは、花田や渋澤系の過去のスタイルとも違い、――ネット時代以降に、ある意味これからくるものであったに違いない。しかし、結局それでも、あそこまでやる人物そのものの存在感が重要であることは変わりがない。それどころかますます稀少性があったに違いない。――しかし、本当のところいうと、結局、超脱の仙人のあり方を崩さない人としてあまり好きではない人々が多いのも理解出来る。支配階級に気に入られているという噂がタッタだけでだめだ。我々はもう少し田んぼに足をツッコんでいる俗な根性を保持しているからだ。

現代ではなかなか「やつし」ということが理解されないが、やつしは怖ろしくいろいろな意味で裸をさらす行為で、様々な人が根性を見抜かれてリンチにあった。で、やつしの手前で草庵で隠居することを覚えた文人達が大量にいるというわけであった。

特許多腕人間方式

2024-08-22 23:30:29 | 文学


「厳密にいえば、いわゆる義手というのは、手が、一本無くなったとか二本無くなったとかいう場合に、代わりにつけるのが義手である。拙者の発明のは、そうじゃない。二本の腕は、ちゃんと満足に揃っているが、その上にもう一本、機械的な腕をつけて、都合三本の腕を人間に持たせようというのだ。これまでに、世界のどこに人間に三本の腕を持たせようと考えたものがいるか。そんな話を聞いたことがない。公知文献があるなら、ここへ出してごらんなさい。そんなものは無いでしょうがね」
「なるほど、なるほど」
 余は、ついにそういわなければならない羽目になった。
[…]
「頭に、第三の腕をとりつけるとは、まったく画期的なご発明ですなあ」
 といえば、氏は、「なあに、その点は大したことはありませんよ。ほら、この動物をごらんなさい」
 氏はいつだが持っていた動物図鑑を余の前に開いてみせた。氏の機械腕が指さした図を見るとそれは小さいときから余らになじみ深き象であった。
 大発明のタネは、きわめて身辺に転がっているのだ。ただ、その人が、気がつかないだけのことである。


――海野十三「特許多腕人間方式」



松岡正剛と草薙素子

2024-08-21 23:48:49 | 思想


ついでに言っておくと、ジジェクは、この作用がどこかで壊れているのが精神病であると見た。精神病では、「負」が引き取ったはずのものが、さまざまな理由と原因によって「正」の対象になってしまっている。ジジェクはとっくにそのことに気がついていたのだ。多くの精神医学はそこに「負の大きさ」が関与していて、そのことに精神病患者が気づいていないということを、気づかない。ようするに精神病とはテレビでさかんに特集されるNG集が、何かを完遂させるためのNGであることがわからない症状なのである。
 このような見方をもって、さらにジジェクはどんな社会的な相互作用にも心理的な相互作用にも、何らかの「負」が介在しているはずだということを見抜いていた。しかもこの「負」は、ときに「割り切れない残余」にもなれば、別の場での発現にもなるし、また、ある者には過活動にも見えるものであり、それでいてそれはすでに必ずや「負への引きこみ」を遂行しているがゆえに、どんな正の主張や成果よりも、さらに奥にあるものとして、さらに本来的な響きをさまざまな場面で奏でつづけるとも喝破した。


――松岡正剛「 幻想の感染 スラヴォイ・ジジェク」https://1000ya.isis.ne.jp/0654.html


松岡正剛氏が亡くなったという情報がネット上にきたが、情報工学して、あれだ、――かつて属していたと聞く革マルとして地下に潜ったと考えるべきかもしれない。松岡正剛の文章にたいして、人は案外、所謂「オタクのオタク批判」的な姿勢になることがあるが、なんというか、氏のようにあんなにたくさん書かんだろうふつう。感想文みたいなものをたくさん書くトリックスター的なひとでも松岡正剛に比べれるとまだ文人じみていたんだと思わせる。たぶん松岡正剛氏の文章を更に編集する作業が必要で、これは散逸した和歌集を再現するみたいな作業になると思う。

松岡正剛氏は都会人だと思う。一人で地下鉄を掘っていた。そこで人が地下へ降り坑道に群がって正しい地下茎のありかたを論じる。文化は地下茎である。氏の行ったのは地下鉄の為の掘鑿なので、みんなそれは単純だといいはる。しかし誰かが掘らないといけない。

今日は、全国ニュースで東京の大雨のニュースがながれていた。四国の人民に関係あるかよと思っていたが、けっこうまずいらしいのでびっくりしたが、東京は設計しなおしたほうがいいかもしれない。あんな多孔はちょっと変なわけである。しかし、正剛氏みたいな都会人はかなりこういうユートピアとしての多孔が好きだと思う。

多孔は水によって浸水して全滅することがある。

今日、近くの高校にある仕事で行ったのだが、――わたくし、が高校生の時の歩く速度で廊下をあるいててびっくりした。大学生のような老人達が、いや大学がおれを老いに追いやっていたのである。廊下もトンネルの一種である。わたくしはもしかしたら学校が好きなのであろうか。いつでも足早に出て行ける学校よりも社会のほうが厄介だ。

学校ではなく社会でいつまでも労働させられるのだったら、浮かばれない。わたくしはときどき、自分たちと違う社会環境で同じように成熟してゆく若い人間にたいして、後生畏るべしと言って寝た方がいいことあるかもしれないと思う。しかし彼らは学校にいるからまだ無駄な成熟から逃れている面もある。

先日亡くなった声優さんが演じていた草薙素子(「攻殻機動隊」)がこれほど人気があるとは知らなかった。もっとも、「攻殻機動隊」が、口パクすらしてない静止画で良い声の命令が聞こえてくる作品だったというのもあると思う。いまどき維持しがたい内面の声というやつで、しかも超優秀な女性の命令の声で、という抗しがたい状況があったのである。この命令の声は社会のなかで聞こえることになっている。しかし、わたくし自身は、学校にいるときの方が聞こえた気がする。

盲目と明視に狭間などない

2024-08-20 23:13:47 | 文学


で、どうしたら、暴力が、俺は、強くなるかと言ったら、ダイナマイトだすのね、硝煙爆弾にするのね、そんな話じゃないよ。 機関銃を持って出ると言う話じゃないよ。もちろん、持って出んよりは、持って出た方がいいよ。だけどね、持って出るのは誰が持ってるんだ。われわれの部隊例えば、二五〇の部隊がいるとする。二五〇の部隊で機関銃が十個しかないとする。誰が持つんだ。その持つやつは、ごつう無理をして、決意して持つだろうよ、しかし、そういうことなのか。俺はね、そんなのとは違うと思うんだ。そんなんでなくてね、明らかにやな、これはほんまにね、僕らが暴力に強くなるというのは、武器の器物信仰ではなくて、つまり、実際の話ね、火炎ビンほうり出してから、僕ら弱くなってんです。明らかに、肉弾戦の時の方が数倍強いんだよ。で今までは、ボンボン放ってね、放っとるから距離があるでしょ、つまり人間的ではなくなるわけやね、接近してれば、接近する程、人間的なんだよ。 暴力だって。場が空いていると、ごつう非人間化されちゃって暴力が疎外されるわけだよ。それはね、明らかに器物信仰だよ。それでなくて、ほんまに、われわれが、強い暴力を持つようになるにはね、何が必要なのか言ったらね、これは、現実と大衆によって教育されることがね、先ずもって大事だと思う訳です。 俺なら、絶対ひるまずね、まあ民青がそうだよ、 立命館でゲバルトやるとですね、民青のヤツというのは、絶対に引き下がらへんよ。石を放っても、前へ前へとね、来るわけだよ、ひるまんわけだよ。それなら、これは何かということだ。つまり、ヤツらは、反革命意識で、ガーと一枚岩的に組織されているという点もあるよ。だけど、僕らがね、絶対にひるまずね、一歩一歩ね、十歩でもいいけれどね、ガーと行くということがどうしたら可能になるかと言ったらね、俺はね、世の中というのはどないなっておってね、世の中の生活に呻吟しとるヤ

――滝田修「戦士の条件」


『ならずもの暴力宣言』の一節であるが、つまり革命は相撲だみたいな主張なのであろうか。一理はあると思うが、負けたらどうするのだ。滝田氏の言文一致体が残るのであろうか?

最近、どうやら35度以上の魔夏日なのに秋の気配を感じるという、真夏日と秋が魔合体したような現象がみられる。大事なのは正気を保つことだ。わたくしは、昼間からクレメンティを弾く。作品36のソナチネって世界で一番演奏されているクラシック音楽であろう。このことに比べれば、変動する気温など普遍的でもなんでもない気がしてくる。

我々は気温で何か精神的なものが崩壊するみたいな論法を取り過ぎる。エビデンスや参考文献を重視するのは当然だという事が正しくても、――それらは確かに踏まえられている、だからこそ間違っている事態もたくさんある。独りよがりの間違いも多いが、手続きを踏んだ故に間違うことなんかも多い。結局、過去の研究や批評が生み出される現実に目がいってないことは、現在にも盲目であることとあまり変わらないのである。確かに修正すればいいじゃないかみたいな考え方もあると思う。間違えているから修正する、にもかかわらずそのまた修正も間違いだから、ひたすら修正する――これが真実への道である、と。しかし現実はそうなっていない。盲目であることは根本的に修正可能ではないからだ。

見えるか見えないかどちらかだ。

だから我々は、見えないものと見えるものを対比させるという論法をついたてるのである。ファシズムのときに過去の文化が破壊されるみたいなことはよく言われるが、教育なんかもそうだ。よくもここまで過去を全否定できるよな、という言説が多い。何かを強く肯定するためのあれである。盲目と明視はそれほど対照的であろうか。

今日は、久谷雉氏の詩集『花束』がほかほかの郵便受けに入っていた。この詩人は、わりと最初からそうだと思うけど、何かと魔合体しているような趣が歌うようにでてくる。歌うことで、盲目と明視が分離出来ないものとして出てくる。

その点、映画とかアニメーションは、存在が少しずるい。俳優アランドロンと声優田中敦子が亡くなったが、考えてみるとだれが死んだのだろうという疑問がついでてきてしまうわけである。よくアランドロンの人気は声優のおかげという意見があるが、「攻殻機動隊」の草薙素子の人気は声優(田中氏)のおかげであろうか。むしろアランドロンとか草薙素子が存在していないのではないだろうか。

むしろわたくしにとっては、藤村は岩波文庫よりも藤村全集のほうが読みやすい。旧字旧かなの強弱ある活字がしっくりくる、みたいな感触だけが確かである。

感謝と職業

2024-08-19 23:17:47 | 文学


野のはて夕暮雲かへりて
しだいに落ちくる夕雲雀の
有心の調さへしづみゆけば
かすかに頬うつ香ひありて
夜の闇頒ちて幕くだる。

自然は地にみつ光なりや
今日はめぐりて山に入れど
見よかの大空姿優に
夜の守月姫宮をいでて
唱ふをきかずや人の子等は。

ああ君倦んずる額をあげて
不滅の生命をさとり得なば
胸うちたたいて大神には
讚美と感謝をささげてずや。


――萩原朔太郎「感謝」


若人たちをはじめとして、みんな適当に「感謝しかない」とかいうてるから、ほんとうに感謝しなきゃいけないときにどうするかわからなくなってくる可能性がある。おじさんはいうとくぞ、ほんとの感謝は一生かかるぜ。そしてミスは許されん。つまりほとんど不可能なのである。

そんなことより、若人に必要なのは苛烈な観察だ。老いて何もかもめちゃくちゃになっていっているようにみえる人が、そもそもどういう人間であるか正確に見届けて欲しいと思う。いま決断しなきゃいけないことに直結しているのだ。

昼間、大岡越前かなにかの再放送がテレビでやってたが、正義の医者か何かが、ならずものたちをやっつけるときに、自分は何者でだから今から何をします、というのを説明していた。これが必要である。これをしなくなってから気持ちわるくコミュニケーション能力とか言い出した。それが大概卑怯者の言い訳になるのは、正義の医者が正義の医者として職業人として徹底し、ならず者がならず者として徹底していないからである。泥棒をやろうとしている癖に、正義の医者ぶっているのがわれわれだ。

くずしろ氏の『永世乙女の戦い方1』を読んだら、将棋に命をかけている少女達が描かれていた。負けると死ぬ、らしいのである。オセロで妹に負けていた体たらくのわたくしとしては戦争反対といいたいところだが、そこまで頑張っているのなら良い気がする。彼らは、「棋士」と「女流棋士」の違いの争いを徹底しようとしているからだ。

そういえば、アラン・ドロンがなくなったそうであるが、基本的に、ベルモンドにしてもドロンにしてもわたくしより足が長いから大嫌いである。大河ドラマに出てくる一条天皇もおそろしく美男で大嫌いである。昨日はついに、源氏物語が執筆を開始され、献上された一条天皇が読みはじめたとたん、作者の声で現代語訳に変換されて聞こえてくるとか、この天皇は「作者の死」に反対している上にすごい能力だこりゃ、としか言いようがない。こんなひとを「人間」と認めるわけにはいかん。

一方、作者である紫式部のほうであるが、道長とのあいだに生まれた娘がすごく、――ママがかまってくれないからママの原稿を燃やすという放火魔の才能がある。これもまたすごい能力である。パパがママに献上してきた越前の高価な紙もあぶない。こんな紙も、越前のプロレタリアートによって作られたのであってみれば、紫式部がそうやすやすと階級闘争を止揚するわけにはいかない。やはり娘としては抵抗するであろう。彼女は、最高権力者とママのあいだにできた、まさに「政治と文学」の統一の権化なのである。こんなことを実現してしまったら、近代文学の立つ瀬がないではないか。

移動者は山で考える

2024-08-18 23:52:23 | 文学


お国自慢、信州蕎麦。あれには昔から食い方があります。大根をおろした絞り汁に味噌で味をつけ、葱の刻みを薬味とし、それへ蕎麦をちょっぴりとつけて食うのであります。ただし蕎麦は勿論、大根、葱、それぞれに申し条があります。
 大根は、練馬あたりで出るような軟派のものではいけません。あんなに白くぶくぶくに太ったのは、水ばかりで駄目であります。アルプス山麓あるいは姨捨山などの痩土に、困苦艱難して成長したものであって、せいぜい五寸、鼠位の太さになっているものに限ります。同じ信州でも川中島や松本平のものではやはりいけません。これをゆっくりと力を入れておろし、力を入れて絞ると、ぽたりぽたりと汁が出ます。肥土のところへできたやつは、絞ればしゃあしゃあ水のように出ますが、水飴のように濃く固まってぽたりと落ちます。これは大根に「のり」があるといって旨いし、第一ひどく辛いのであります。


――村井政善「蕎麦の味と食い方問題」


最近こんなニュースがあった。

長野県を「そば県」としてPRへ 目指すは「うどん県」や「おんせん県」 議員有志が知事に”宣言”要望へ


わたくしはこのPRはあまりよくないと思う。うどん県がそれを宣言したことで、ある意味どれだけバカにされているのか分かっているのであろうか。うどんぐらいしか取り柄がない、うどんのバリエーションがなく則ち文化性とは言いかねる、みたいな潜在性とそれは裏腹なのである。香川県は香川県なりのポジションがあってそういう戦略にでている。そのポジションは何百年も書けて形成されたものだ。だいたい、信州には多様な蕎麦があり過ぎる。開田蕎麦と戸隠蕎麦じゃ、そんなもん、スパゲティと素麺ぐらいの差異があるといってよいのではないか(個人のイメージです)。

このように長野県とは、T・ホールの言うパーソナルスペースとは違うが、山に阻まれて歪な形になった個人の幻想としてのスペースが無数にあるようなところである。民族学が面白いのは、そのスペースの面白さではなかろうか。2000年頃だったか、岡本敏子氏が、岡本太郎は自分が宇宙の中心にいると思ってるひとだから「反対にある」「民族学」に惹かれた、と言っていたと思う。しかし、たぶん「反対」ではなくて、自分が宇宙の中心というのはその学問にとって非常に重要なことだ。

柄谷行人は、初期、吉本の共同幻想と、上のスペースの問題について考えていた時期があった。これが、彼の「交通」みたいな概念に移行してしまったことはよく知られている。彼の交通は、異邦人とか孤独な旅人のイメージをどこか持っている気がする。彼は阪神ファンである。八十年代の阪神ファンは自意識の上で負け続けの旅人であった。彼が阪神ファンではなくDラゴンズファンであったなら、後の彼の提唱する「交換D」は、――巨人にとられないために、金と落合を交換するみたいな定義になっていたに違いない。

と、それは冗談だが、交通は「線」ではなく、長野県の山民にとっては、周囲を捕食しながら移動するアメーバみたいなスペースなのである。藤村の空間把握というのはすごく鋭いので、「夜明け前」を読んでると、福島あたりと馬籠あたりの空間の開け方の違いが実感される。馬籠あたりには住んだことがないが、――ある文學研究者のあつまりで、藤村にとって木曽は山の中といっても彼の北部に立ちはだかる何ものかを含んでいるんで、彼自身は境界的ではなく、いち抜けている主体であって、それが木曽に浸食している文化にその都度浸潤されるのだ、と言ったことがある。周りの研究者達は、でも文章上はそうでもないだろう、と言っていた気がする。

登り一里という沢渡峠まで行くと、遙拝所がその上にあって、麻利支天から奥の院までの御嶽全山が遠く高く容をあらわしていた。
「勝重さん、御嶽だよ。山はまだ雪だね。」
 と半蔵は連れの少年に言って見せた。層々相重なる幾つかの三角形から成り立つような山々は、それぞれの角度をもって、剣ヶ峰を絶頂とする一大巌頭にまで盛り上がっている。隠れたところにあるその孤立。その静寂。人はそこに、常なく定めなき流転の力に対抗する偉大な山嶽の相貌を仰ぎ見ることができる。覚明行者のような早い登山者が自ら骨を埋めたと言い伝えらるるのもその頂上にある谿谷のほとりだ。
「お師匠さま、早く行きましょう。」


中学のころ、「夜明け前」を最初に読んだ時、第一部の七章で御嶽にゆくところが、すごく重要だというのはわかった。思ってたのと違う、と思い続ける半蔵の人生だが、御嶽の山岳宗教のハイブリッドなありかたは、すぐ近くの頂きの裾野の話だけに秘かにショックだったと思う。

二人が帰って行く道は、その路傍に石燈籠や石造の高麗犬なぞの見いださるるところだ。三面六臂を有し猪の上に踊る三宝荒神のように、まぎれもなく異国伝来の系統を示す神の祠もある。十二権現とか、神山霊神とか、あるいは金剛道神とかの石碑は、不動尊の銅像や三十三度供養塔なぞにまじって、両部の信仰のいかなるものであるかを語っている。あるものは飛騨、あるものは武州、あるものは上州、越後の講中の名がそれらの石碑や祠に記しつけてある。ここは名のみの木曾の総社であって、その実、御嶽大権現である。これが二柱の神の住居かと考えながら歩いて行く半蔵は、行く先でまごついた。


いまとはもちろん距離の感覚は違うが、そして長野県全般に言えるかも知れないが、――近くの村のことさえ山に阻まれてよくわからない。御嶽はこれまた木曽のほとんどの地点からみえない。わたくしの実家からみえる駒ヶ岳も、そのじつ駒ヶ岳ではなく麦草岳で。藤村は上のように、「隠れたところにあるその孤立。その静寂。人はそこに、常なく定めなき流転の力に対抗する偉大な山嶽の相貌を仰ぎ見る」と言ったあと、実際何を見るかという試練に、ゆっくりと直面するのである。それは確かにゆっくりだが、身体の移動を伴っていて、認識が煮詰まらなくても、この後のようにさしあたり思い切ることができる。

 そろそろ半蔵には馬籠の家の方のことが気にかかって来た。一月からして陽気の遅れた王滝とも違い、彼が御嶽の話を持って父吉左衛門をよろこばしうる日は、あの木曾路の西の端はもはや若葉の世界であろうかと思いやった。将軍上洛中の京都へと飛び込んで行った友人香蔵からの便りは、どんな報告をもたらして、そこに自分を待つだろうかとも思いやった。万事不安のうちに、むなしく春の行くことも惜しまれた。
「そうだ、われわれはどこまでも下から行こう。庄屋には庄屋の道があろう。」
 と彼は思い直した。水垢離と、極度の節食と、時には滝にまで打たれに行った山籠りの新しい経験をもって、もう一度彼は馬籠の駅長としての勤めに当たろうとした。
 御嶽のすそを下ろうとして、半蔵が周囲を見回した時は、黒船のもたらす影響はこの辺鄙な木曾谷の中にまで深刻に入り込んで来ていた。ヨーロッパの新しい刺激を受けるたびに、今まで眠っていたものは目をさまし、一切がその価値を転倒し始めていた。急激に時世遅れになって行く古い武器がある。眼前に潰えて行く旧くからの制度がある。下民百姓は言うに及ばず、上御一人ですら、この驚くべき分解の作用をよそに、平静に暮らさるるとは思われないようになって来た。中世以来の異国の殻もまだ脱ぎ切らないうちに、今また新しい黒船と戦わねばならない。半蔵は『静の岩屋』の中にのこった先師の言葉を繰り返して、測りがたい神の心を畏れた。


彼が常に向学心からも時代の要請からも、それに沿って移動しなければならないという宿命が、彼の認識を細切れにしてゆくとも言ってよい。