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当家は保元平治より以来度々の朝敵を平らげ勧賞身に余り忝くも一天の君の御外戚にて丞相の位に至り栄花既に子孫に残す。今生の望みは一事も思ひ置く事なし、但し思ひ置く事とては兵衛佐頼朝が首を見ざりつるこそ安からね、我いかにも成りなん後仏事孝養をもすべからず、堂塔をも建つべからず、急ぎ討手を下し頼朝が首を刎ねて我が墓の前に懸けさすべし、それぞ我が思ふ事よ、と宣ひけるこそ恐ろしけれ
丞相とか言うから、三国志のドラマが大好きなわたくしは、つい陳建斌(声:樋浦勉)の顔が浮かんでしまったが、日本も戦国時代じみると本家の戦国時代に言動が似てくるのかもしれない。この前、天皇陵のウィキペディアの説明を読んでいたら、「王朝交代を経験していない我が国では」みたいな記述があって、まったくなんとなくショックであった。上の「恐ろしけれ」は、仏を何と心得るみたいな意味合いと、「何この人、最後までちょっとやりすぎ~」という、我々が王朝交代を経験していない弱さみたいなところがでているような気がする。死ぬまではいろいろな霊が出てきて怖がらせる癖に、死に損ないの人の雑言に「こわいねー」とか語り手の根性が小さすぎる。問題なのは天皇に対する平家の態度なのだろう。
曹操は関羽の首をほしがった。そして腐敗の進んだ関羽の首に「お元気ですか」と言ってしまったので、本当に関羽の霊はお元気になってしまい、曹操を呪い殺すことになったのである(たしか「三国志演義」)
日本でもいろいろと悪霊と化してしまう人々はいるわけであるが、まだまだ本気を出していないらしく、王朝交代も実現していない。
同じき四日もしや助かると板に水を沃てそれに臥し転び給へども助かる心地もし給はず、悶絶躃地してつひに熱死にぞし給ひける
悶絶躃地という言葉が正確にはどのような状態を言うのか知らないが、悶絶の時点で気を失っているのだから、躃地(地を這いずる)とは、もう生物的反応といってよいであろう。この前、車エビの躍り食いというのに挑戦したのだが、――エビは氷水につけておくと徐々に死んでゆく過程で突然飛び跳ねたりする。何かのパンフレットにエビには痛覚がありませんので……とか書いてあったのであるが、だからどうしたというのだ。
車夫は取って返し、二人はつかみあいを初めたが、一方は血気の若者ゆえ、苦もなく親父をみぞに突き落とした。落ちかけた時調子の取りようが悪かったので、棒が倒れるように深いみぞにころげこんだ。そのため後脳をひどく打ち肋骨を折って親父は悶絶した。
見る間に付近に散在していた土方が集まって来て、車夫はなぐられるだけなぐられ、その上交番に引きずって行かれた。
――国木田独歩「窮死」
独歩レベルの感性にかかると、調子のとりようが悪いだけで人間は棒が倒れるように、現象上、半分死んでしまうことがある。その先に悶絶がある。これに比べれば、『平家物語』の方が、即物的といえる。なにしろ、病名が分からないのだ。異常な発熱で人間が跳ね回って死んだのである。エビを目の前にしたわたくし状態である。躍り食いを終えたわたくしは、折口信夫を読んだ。