スパイを捜せ
↓
在日中国大使館の書記官がスパイだったかも、という記事が話題である。民×党の議員などが「本人にスパイだったのか聴いてみたい」と言っているとか、中国側がスパイであったという証拠はないとか言ったのはけしからんとか、またまた学級会並みの議論が出てきている。「センセー、史郎君がまた女子の悪事をちくりましたー。先生は史郎君をスパイとして使ってるんでしょう。卑怯だよー。私もえこひいきしてよ。」私なんか人の言うことをはいはい聞いてしまうお人好しであるが、こういうリアルポリティックスを舐めた雰囲気がこの国に出てきがちである事態を非常に心配している。本人が「間諜でした」とか言うのはそもそもスパイの発言として信用できないし、中国がそんなこと自分で認めるわけないじゃん。間諜というのは昔から、間諜させている権力の側ですら「あいつホントに間諜のつもりで潜入しとるのか」という疑いが出てくるのを込みでやってるもんじゃないのかな。スターリンがゾルゲを信用しなかったは当たり前である。そもそもスパイはものすごく高い確率で二重スパイだからである。そうでなけりゃやってけんでしょうが……。近衛内閣がブレーンとして使っていた尾崎秀実がスパイだったとかいってもさ、……だいたい近衛内閣がやってた東亜協同体論なんかソ連臭がぷんぷんするじゃねえか、そもそも隠してなんかいないだろ。
「共産主義万歳」といって死んだゾルゲなんか、さいごまで自分の素性を隠していたかもしれないね、実はアメリカのスパイだったとかな……。
ゾルゲが本心を言って死んだとすれば、まだ殉教者としてあっぱれであろうが、もっとやっかいなスパイが日本には存在していた。ゾルゲ事件の時には「あなたの隣にもスパイがいるかもよ」とかあおり立て、上の議員みたく「嘘つくのはいけないお」などと社会を学級会並みに落とすやつが繁茂しているから、さすが帝国臣民はナチスより団結した全体主義者に成長していたかとおもいきや、アメリカに負けた途端に「ぎぶみーちょこれーと」などと流暢な英語をしゃべれることが判明したのである。こいつらは全員アメリカのスパイだったのだ。アメリカに無理に負けただろ。
昨日、山田風太郎の『戦中派虫けら日記』や『不戦日記』を読んでいたのだが、こういう人を果たしてスパイ認定するか否かが吾々の課題である(笑)吉本隆明みたく死ぬつもりだったらしい人はまだいいのだ。あるいは擬装転向の人もまあゾルゲ並みに自分の本心に対しては裏切り者ではなかったといってもよい。ただし、山田風太郎みたいな、素直に転向を繰り返す(意識もなく転向する)タイプをどうすればよいのであろう……。しかも頭がある程度良くてね……。
↓
在日中国大使館の書記官がスパイだったかも、という記事が話題である。民×党の議員などが「本人にスパイだったのか聴いてみたい」と言っているとか、中国側がスパイであったという証拠はないとか言ったのはけしからんとか、またまた学級会並みの議論が出てきている。「センセー、史郎君がまた女子の悪事をちくりましたー。先生は史郎君をスパイとして使ってるんでしょう。卑怯だよー。
「共産主義万歳」といって死んだゾルゲなんか、さいごまで自分の素性を隠していたかもしれないね、実はアメリカのスパイだったとかな……。
ゾルゲが本心を言って死んだとすれば、まだ殉教者としてあっぱれであろうが、もっとやっかいなスパイが日本には存在していた。ゾルゲ事件の時には「あなたの隣にもスパイがいるかもよ」とかあおり立て、上の議員みたく「嘘つくのはいけないお」などと社会を学級会並みに落とすやつが繁茂しているから、さすが帝国臣民はナチスより団結した全体主義者に成長していたかとおもいきや、アメリカに負けた途端に「ぎぶみーちょこれーと」などと流暢な英語をしゃべれることが判明したのである。こいつらは全員アメリカのスパイだったのだ。アメリカに無理に負けただろ。
昨日、山田風太郎の『戦中派虫けら日記』や『不戦日記』を読んでいたのだが、こういう人を果たしてスパイ認定するか否かが吾々の課題である(笑)吉本隆明みたく死ぬつもりだったらしい人はまだいいのだ。あるいは擬装転向の人もまあゾルゲ並みに自分の本心に対しては裏切り者ではなかったといってもよい。ただし、山田風太郎みたいな、素直に転向を繰り返す(意識もなく転向する)タイプをどうすればよいのであろう……。しかも頭がある程度良くてね……。
何の前触れもなく「名曲のたのしみ 吉田秀和」と本人がしゃべってはじまる「名曲のたのしみ」、というより「名曲のたのしみ 吉田秀和」というFMの深夜番組は、クラシック音楽や文學に携わる者にとって、深夜の心の友、というか、過去の論文執筆ややけ酒の記憶に混じっている何物かである。その吉田秀和が亡くなった。98歳!
伊藤整に英語を習い、小林多喜二のビオラを聴いたことがあり、阿部六郎の家に住み、中原中也にフランス語を習い、大岡昇平や小林秀雄と遊んだという、音楽というより文学関係の人である。小林秀雄の「モーツアルト」には、ちょっと音楽をかじった連中にでもすぐに馬鹿に出来る余地というものがあるようにおもうが、吉田秀和は難敵である。この人によって、わたくしなんかも含め、文学をやっている連中が音楽について一言云えるんではないかという幻想をつくってしまったような気がする。小林秀雄では出来なかったことであろう。
吉田秀和の語りは上のFM番組でそうだったけど、音楽を「さあお聞きください」と紹介してラジオを聴いている人に「どうでしたか?」などと言うことがない。「さあ聴きましょう」と言い、音楽が終わると、いきなり自分の感想──フランスの哲学者とか詩人の名前、あるいは隠微な言葉が注釈なしでぽんぽん出てくる──を言う。(小林秀雄もそういう種類の読者へ媚びがなかった気がする。これは、小林の文芸批評の出発点における事情に因るのであろうが、……印象批評の成立要件の根幹を為している気がする。たぶん左翼文士が寄りかかっている、読者とのコミュニケーション主義への反発かなあ……。つまり「印象」と言うより「個人」といった方がよいのであるなあ。)なんと、音楽が番組に入りきらずに、「時間がある限り聴きましょう」の時があった。音楽は、商人から提供されて一人で聴くものではなく、ただみんなで聴くものであり、一人だけの意見を述べる対象だったのである。文学と同じである。この姿勢が与えたクラシック音楽ファンのストイックさへの影響は大きい気がする。なぜか、吉田秀和が紹介する演奏は、名演奏にきこえるのだ。クラシック音楽のファンは、そうやって言葉によって、音楽を言葉として/言葉と共に、洗練させてしまう術を身に付ける(笑)
10代の頃、「吉田秀和もやっぱり輸入業者」とか、英語の勉強をさぼる言い訳をしていたわたくしはだめだった。
いまでもモスクワシアターオペラの来日の時の文章を思い出すわたくしでもある。
「中国嫁日記」を読んでいたら、中国を旅行する話が出てきたのだが、6年くらい前にわたくしも同じ国語領域の先生や学生数人などといっしょに中国に旅行したのだった。はじめて中国旅行する時には、なんだか所謂「大陸風邪」という奴にかかるかもしれないと言われていたのだが、それは如何なる症状ですかと中哲の先生にお聞きしたら、インフルエンザみたいなもんだと言われた。日本の中ですら、違う気候の土地に降り立っただけでやや体調がおかしくなるわたくしがかからない訳がないと思っていたら、案の定、二日目に体が鉛のように重く頭がふらふら、関節がみしみしいいはじめた。
前日に西太后のお墓を参ったのであるが、そのとき、わたくしはなにやら「厭な予感」がしたのを覚えている。どうみても祟りである。
紫禁城見学の時が一番酷く、3月の中国は雪も降りだしたのだった。ガイドの人が薬をくれたのだが、バスの中でそれを飲もうとしたら、手が震えて薬がどこかに転がっていってしまった。というわけで、自然治癒に任せてがんばり、ようやくチキンダックを食すところに行っても、フォークが鳥に命中しない。西太后恐るべし。
しかし、北京の一番でかい本屋に行ったら、なんとなく体調回復。中国語の大江健三郎や村上春樹やニーチェの本を大漁に買い込んでホテルで眺めていたら、食欲もでてきたが後の祭りである。
その本を詰め込んだスーツケースは、これまた案の定、日本の空港で出てきたときにゃキャスターが壊れてた……
なんと東京がオリンピック開催候補地に選ばれているらしいのである。もう日本はとっくに世界に見捨てられていると思ったが……、どうすんのこれ?開催中に大地震が来たらどうするのだっ。あー、ちなみに前回の東京五輪が経済復興と重なって見えているかもしれんが、たまたま思春期だった時に初恋していい思いしたとしても、歳とったときに少女に恋して思春期がやってくる訳ではないっ。オリンピックというのは、ひっとらあのときみたく、リーフェンシュタールの映像しか価値がないとか言われる例もあるのだ。やりゃいいってもんじゃないんだよ。そうだ、この際、開会式でゆるキャラ、美少女アニメ総動員させ、演出を庵野秀明にやらせるのだ。音楽は、菅野よう子とか坂本龍一に頼んではならない。当然AKB48の曲を一般公募するのである。48人じゃ足りないから、AKB48000ぐらいにしておいて、派手に競技場で踊らせるのである。競技場の入場券は、オタクのハッキングによって総てオタクに完売。オタクとの握手会が終わるまで競技はなしね。テレビ中継のアナウンサーは総てPerfumeにやらせる。思い切って、競技もCGでいいや。ちょっと不安になってきたので、日本のアニメキャラをさっさとデズニーに売り飛ばしてつくってもらうのだ。決勝の組み合わせなども、テレビをごらんの皆さんの投票によって決定する。時代は双方向性とかうぃんうぃんが大切だよね、体育会系の上から目線はゆるせないっw 競技者は観客全員に元気よく挨拶しつつ入場しようね。観客は入場する前に国歌の現代語訳テストだ。間違えた奴は赤紙発行なのでがんばってください。(いまの若いもんは赤紙と聞いて共産主義者の神だと思うやつがいそうなので怖いけど)閉会式の時は、アンケートを観客に記入して貰う。質問項目は、「わかりやすかったか」とか「自学自習のための工夫がされていたか」にしよう。アンケート記入が終わったら席の後ろの方の人、回収して学習支援センターに持っていってね。
五輪中、節電のために観客が蝋燭の光をともしながら観戦する中、華麗に金メダル獲得のわたくし。
あ、当然、世界中に恥をさらす危険があるので、五輪中は臣民に禁酒令発動!
五輪中、節電のために観客が蝋燭の光をともしながら観戦する中、華麗に金メダル獲得のわたくし。
あ、当然、世界中に恥をさらす危険があるので、五輪中は臣民に禁酒令発動!
デリダの「精神について」を読んでいたらとても疲れたので、「野望の王国」を読む。たしか、七〇年代から八〇年代にかけての作品である。東大法学部のエリートがヤクザ社会で天下を取る──それが日本をすなわち自らの「王国」として作り上げることになるという誇大妄想を実力で実現しようとするお話である。ヤクザ社会を左翼勢力に置き換えてみれば、やけくそになっていた学生運動のお話と見ることも出来よう。家族を敵対勢力とみ、警察に自分たちの分身をみるとか、ほとんどある種の左翼文學そのものである。が、デリダのハイデガーの所謂総長就任演説の分析をみるに、ほんま、日本の革新勢力は権力の問題を「野望」の問題とか思っているからだめなんじゃ、と思ったわ。だいたい、日本の為政者や大学の経営者は、ハイデガーよりも露骨にナチスばりのことを言っているのが殆どである。ハイデガーは諸学問や諸力(笑)が血と土に根ざした精神的指導geistige Führung に導かれるとかなんとかの問題として語っているようにみえる訳であるから、陰険でかつ当たり障りがない(なわけないが……)のだが(
以前、大学院のT君が紹介してくれた作品。アホの虫の交響曲(交響曲第7番)を聴きながら読んだ。孤独のグルメなのは、いきなり各話の冒頭でいつも猛烈に腹が減っているゴロー氏が一人で食事するからであるが、その「孤独」は、店に客や主人がわらわらいるのでゴロー氏の食べながらの心的独白がいかにも内的な感じがするからである。先日グログに書いた「うんまーい」と部屋の中で悶絶している人妻マンガとはここが違う。どうも私は、ゴロー氏の気分がよくわかる。ときどき、いかにも安かろう不味かろうという食堂に入り、演歌がかかりブラウン管テレビがしゃべり、まわりのおじさんやおばさんが一言も「旨い」とは言わずにあーだこーだしゃべっている中で、ハンバーグ定食(←味覚崩壊した私でも明らかに旨いとはいえぬ)を食べていると妙に気分が落ち着いてくるのである。
金環食は今日起こる!
万全の体制で起きているわたくし
準備万端で太陽をみつめるわたくし(の影)
マスコミに騙されない鳥さんたちも一緒に見る
遂に日食はじまったー
おおすごい
あたりも暗くなったなあ(夜モード撮影)
万全の体制で起きているわたくし
準備万端で太陽をみつめるわたくし(の影)
マスコミに騙されない鳥さんたちも一緒に見る
遂に日食はじまったー
おおすごい
あたりも暗くなったなあ(
http://livedoor.3.blogimg.jp/kinisoku/imgs/6/1/61c50cf7.jpg
だいたい本当は原発大爆発や東電の給料の方がよっぽど想定外でめずらしく人民を誑惑せしむるに充分であって、金環食なんぞクソ面白くもない訳である。(つい寝てしまってみられなかったじゃないか、この野郎)小さいお子さまや、大きいお子さまにとっては、しまじろうの方が大事であろう。
だいたい本当は原発大爆発や東電の給料の方がよっぽど想定外でめずらしく人民を誑惑せしむるに充分であって、金環食なんぞクソ面白くもない訳である。(