「A2」は、前作よりも評判がよいのだが、たしかに実際に見てみると、ある意味で〈楽しい〉作品になっているからであろうと思った。オウムが各地で住民から退去運動を起こされている様を描いたのがこのドキュメンタリーで、その様子は一様ではない。なかには、オウムが住むバラックの隣に反対運動の拠点をつくったら、そこが地域住民の交流の場になってしまい、それどころかオウムの青年と仲良くなってしまって、みたいな場面が描かれている。また、これは私の地元に近い施設での話だが、信者同士の監禁事件が起こって、よくよく話を聞いてみると、かなり心を病んでいる信者を自殺させないためにあーだこーだやってたらそういうことになってしまったという……。――事件から時間がたつなか、そもそも我々の日常というのは、新興宗教の内部でさえ、さまざまな感情が存在するということが分かってみていて〈楽しい〉のである。
もっとも、わたくしはメディアの文章も映像もほとんど信用していないが、ドキュメンタリーのそれも信用していない。ただ、どちらも問題提起をしているのだと思っているのである。(前者はそんな機能すらなくしているので、ひでえなあと思う。ネットニュースにいちいち反応することはそういう意味で危険である。)大学の時に、映像作品をつくる授業があって、そのときの印象でしかないが、ビデオというものの(比喩的ではない)視野の狭さというのは非常にものすごいもので、これで認識を語るということの危険性は明らかだ。それでいうと、森氏のその場の空気まで切り取ってしまうセンスが尋常のものではないことはわかる。氏の文章もそういうところがあるが、言葉で視野の広がりを表現できてしまうのは、藤村とか志賀直哉のたぐいの才能だと思う。文章の論理に注目しすぎると、こういう自明の理が分からなくなるのである。
それはともかく、言い方が難しいのだが、マイノリティーも少人数のコミュニティの一部であったら共生が容易であることもあるというのは、社会学などが言うとおりなのかもしれない。村八分みたいなことを多く目撃してきたわたくしにとっては、ちょっとわたくしは懐疑的な見方であるのだが……。このドキュメンタリーを見た限りでは、受けいれやすいキャラクターのオウム信者もいれば、そうでもない人もおり、それも受けいれる側の人たちの性格にも拠り、宗教団体には当然、病人を受け入れている側面もあり……という当然のことを思い出すことが必要だということであろう。
さっきたまたまみたNHKの番組で、心おだやかにくらすために、座禅を組んだり背筋を伸ばしたりみたいな番組をやっていたが、――世の中の糞さが原因なのにこういうことをやった結果、真面目な人のなかには、オウムみたいなところに行く人たちが出てくるのも理解できる。理解できるだけで、実際のところはよくわからないのであるが。宮台真司が言うように、自己啓発セミナー的なものとつながっていることもわかるのであるが、どうもわたくしは実感がない。吉本隆明の仏教的解説はもっとわからなかったが……
……以上は、わたくしならいつも抱く感想の類いであるが、わたくしがこのドキュメンタリーで一番面白かったのは、右翼の人たちなのである。この人たちは、オウムにでてけと言っても無駄である、賠償をちゃんとしろと言い続けるしかないのだ、直接俺が言って話つけてきたるわ、という感じで当然、警察官の皆さんに阻まれるのであった。まだまだ世の中知らないことだらけである。
そういえば、「オウムはデテケー」の演説をしてデモ隊を率いている人のなかには、明らかに昔学生運動で演説していたとおぼしき人たちがいたようだ。どうも口調が……それらしかった。
まあ、こういう作品をみると、「テロは瞬間だ。世界のしくみを一瞬だけ照らすのだ」とかいう思想が一部分しか当たっていないことは明らかだと思われる。前作みたいなテロ事件直後では、むしろ見えなくなってしまう部分が多いことが明らかである。オウム事件や、9・11によって、我々が視野狭窄に陥ったのがその証拠だ。