いとあやしきことにもあるかな、いかにせん、こたみはよにしぶらすべくもものせじと、思ひさわぐほどに、我がたのむ人、ものよりただ今のぼりけるままにきて、天下のことかたらひて「げにかくてもしばしおこなはれよと思ひつるを、この君いとくちをしうなりたまひにけり。はや、なほ物しね。今日も日ならばもろともに物しね。今日も明日もむかへにまゐらん」など、うたがひもなくいはるるに、いと力なく思ひわづらひぬ。
「さらば、なほ明日」とて、物せられぬ。
どうも様子がおかしい、こんどは有無を言わさず連れ戻すだろうと落ち着かない思いでいると、便りにしている人(父)が、赴任先から京に上った足できて、いろいろなことを喋ったあげく「ここしばらく経を読んで勤めるのがよいと思っていたが、この若者(道綱)がやつれてしまわれた。早く下山なさい。今日も吉日なら一緒に帰ろう。今日も明日も迎え来こよう」と、なんの躊躇いもなく言うので、力なく途方に暮れる蜻蛉さん。
ついに、父親まで出てきて蜻蛉さんを説得にかかる。その際に、子どもがやつれてるからという必殺技を繰り出す。こういうやり方は、非常に遺恨を残すのだが、父親は父親で世間体というものがある。――結局大した父親ではないのである。
それにしても、精神的に追い込まれたときに、お経を読みまくるとか、――そういうことに本当に効用があるのであろうか。わたくしはやったことがないから分からんが、直感的には、たぶん効果がある。
今日、宮嶋資夫を少し読んだが、この人は大正農民文学の主力メンバーで第四階級文学論の一角を担ってたりしたこともあるのだが、結局1930年代に出家してしまうのだ。三木清、吉本隆明など、最後は宗教だみたいな人は多いのだが、かっこをつけないで勤行すれば「転向」とか呼ばれずに済んだのではないかと思うのである。三島由紀夫だってそうだ。
彼は一人で盃を手にしながら、落着いて牢獄に行った松田の心を考えていた。そして、友達のために人を殺して牢獄に行く松田には、自分のように生煮えな卑劣から受ける苦痛がないであろうと思った。ケチな安逸を貪る自分を、独りして憎んでいた。けれども、孫根まで松田を送って行った萩野が帰って来た頃には、彼はへべれけになって、茶屋の土間に寝込んでいた。
――宮嶋資夫「恨なき殺人」
三島だって、こんな気持ちになったこともあっただろうと思うのである。思想以前に重要なことがある。