ヨーロッパ旅行中の母の絵
「ハスラー」は好きな映画である。歳を重ねなければわからん映画とはたぶんこういうのを言うのであろう。(
予備校の時、便所に落ちてた雑誌に、女の子のビリヤード漫画があったな……
23日のことである。学会に出席するためエレンスト展を目当てに東京にやてきたのである。
東京メトロの駅で早稲田最寄りに降りたら、あれ?早稲田がない。早稲田通り周辺を迷ってやっとみつけた。
♪都の西北早稲田の森に
聳ゆる甍はわれらが母校
われらが日ごろの抱負を知るや
進取の精神 学の独立←素晴らしすぎる。それを守って頂きましょうか。
現世を忘れぬ←自然主義万歳
久遠の理想
かがやくわれらが 行手を見よや←どこに向かっているかまず教えてほすい
わせだっ わせだっ わせだっ わせd(ゴホゴホゴホッ
2時に始まるというのに、10分前でもあんまり人来てないな……と思ったら、遅れてぞろぞろ。学会ってこんなに時間にルーズだったか?
4人の発表を聞く。内容はあとで勉強し直して考えてみよう……。まあ、過去に学会発表して派手に轟沈したわたくしが言うのもなんであるが、ソフトランディングしようという発表が多い今日この頃である。肝心なところを隠蔽したまま誰かさんが喜びそうな結論に達しても却って研究は遅れてしまう。研究の内実より「どう見えるか」や処世を優先している研究と、そうでないものを見分けるのが、研究者養成をやっている大学教員のつとめであるが、現状はどうであろうか。少なくとも、学会は専門的な話をする場所であるべきだから、予習をし忘れたゼミ担当教員みたいな質問はしない方がよいのではないかとわたくしは思うのであるが……。研究が、端から見ているよりテキストの意外なところに陥穽がひらいているおそろしいものであることは誰もが知っていることではなかろうか。だいたい論文において後々(最近は「かなり後」になるのが問題なのであるが……)問題になるのは、観念的な論の枠組みではなく、テキストの読みの問題であるからして……。テキストを前にすれば我々にかっこつけている閑はなくなるというこっちゃ。わたくしなども、過去のスカした論文の題名といい内容といい恥ずかしいにも程がある。しかし世の中には、もっとスカした連中もいるからわたくしも安心はしていられない。
東京メトロの駅で早稲田最寄りに降りたら、あれ?早稲田がない。早稲田通り周辺を迷ってやっとみつけた。
♪都の西北早稲田の森に
聳ゆる甍はわれらが母校
われらが日ごろの抱負を知るや
進取の精神 学の独立
現世を忘れぬ
久遠の理想
かがやくわれらが 行手を見よや
わせだっ わせだっ わせだっ わせd(ゴホゴホゴホッ
2時に始まるというのに、10分前でもあんまり人来てないな……と思ったら、遅れてぞろぞろ。学会ってこんなに時間にルーズだったか?
4人の発表を聞く。内容はあとで勉強し直して考えてみよう……。まあ、過去に学会発表して派手に轟沈したわたくしが言うのもなんであるが、ソフトランディングしようという発表が多い今日この頃である。肝心なところを隠蔽したまま誰かさんが喜びそうな結論に達しても却って研究は遅れてしまう。研究の内実より「どう見えるか」や処世を優先している研究と、そうでないものを見分けるのが、研究者養成をやっている大学教員のつとめであるが、現状はどうであろうか。少なくとも、学会は専門的な話をする場所であるべきだから、予習をし忘れたゼミ担当教員みたいな質問はしない方がよいのではないかとわたくしは思うのであるが……。研究が、端から見ているよりテキストの意外なところに陥穽がひらいているおそろしいものであることは誰もが知っていることではなかろうか。だいたい論文において後々(最近は「かなり後」になるのが問題なのであるが……)問題になるのは、観念的な論の枠組みではなく、テキストの読みの問題であるからして……。テキストを前にすれば我々にかっこつけている閑はなくなるというこっちゃ。わたくしなども、過去のスカした論文の題名といい内容といい恥ずかしいにも程がある。しかし世の中には、もっとスカした連中もいるからわたくしも安心はしていられない。
24日のことであった。
起きた
横浜にいた
舟がいた
美術館に歩き着く
わたくしもエルンスト風に描いてみるぞ
似てねえ……
お昼ご飯を食べる
↓
↓
リスがいた
展覧会図録をしげしげ眺める
起きた
横浜にいた
舟がいた
美術館に歩き着く
わたくしもエルンスト風に描いてみるぞ
似てねえ……
お昼ご飯を食べる
↓
↓
リスがいた
展覧会図録をしげしげ眺める
勘違い台風のため、かがわ長寿大学の授業が延期になったので、つい「遠い夜明け」を観てしまう。アパルトヘイトを描いた映画の中でもかなり有名なもので、リベラルな白人ジャーナリストのドナルド・ウッズと所謂「黒人意識運動」のスティーブ・ビコを軸に描いているが、後者の虐殺のあとは前者の亡命劇が長くて、ビコの心理や考え方は相対的にあまり描かれない。しかし、それは当然で、ビコは個人ではなく、最後に描かれるソウェト蜂起のなかに生きているからである。ソフィト蜂起のデモの場面はすばらしく、デモ隊はほとんど踊りながら進軍しているように見える。それに静かな鎮圧部隊がいきなり発砲、700人ぐらいを撃ち殺してしまう。
興味深かったのは、その発砲が、司令官が指示したのではなくて、なにやら義憤にかられているような表情をしたとても若い兵士が、指示を待たず自らすすんでやった結果はじまったということである。私は、その表情からして、デモに気圧されて銃を取り落とすかなにかすると思っていたが、まったく逆だった。映画の前半で、悪者として描かれていたのは、警視総監であった。しかし、次第に、指示を受けている下っ端の凶悪な顔が目立つようになる。確かにそうである。彼らははじめは「仕事だから」やっているのだろうが、だからこそ、何でも本気でやってしまうのである。アイヒマンの例や認知的整合性の理論をひくまでもなく、我々の身近な世界でもよくあることである。根本的な自信がない人間の良心に期待することなどできない。自らの身に危険が及びそうになれば、彼はなんでもしてしまう。