映画「As Good as It Gets」をみる。「恋愛小説家」と訳されている。
恋する乙女の心情を書くためにはどうするかといえば、最低の男を思い浮かべるそうである。──頭の悪そうなファンの女の子にそう答えていた。たぶん、恋愛を男女というより「人間の本性」として捉え、それを赤裸々につづることでモラルの枷を破ること、──確かにそれで読者は感動するかも知れない──を、彼は重要視しているのであろう。彼は、そういう思想そのものとして筋金入りになってしまっている小説家なので、自分の本性は晒すべき、思ったことは書くべき、いや、口にすべしという人間になってしまっている。こういう人間は人との会話が面倒になってしまうので、そしてお金があるせいか、潔癖性である。が、性悪ではない、なぜか犬が好き。ゲイにも優しい。そのジャック・ニコルソン演じる男が、ヘレン・ハント演じるウエイトレスに恋をする。彼女の方は、単語の綴りをかなり知らないような人で、小説家の文脈依存の皮肉などを理解できない。語彙力がないせいか、小説家とは別の意味で言葉が乱暴になってしまう。
ぜんそくの息子を抱え、不幸とは何かを自覚し、気遣いのかたまりのような人である。うまく説明できなかったが、この物語は、偏屈おやじと不幸な美人の恋物語ではない。すなわちキャラクター小説ではない。もっと人物設定に複雑さがある。こういう二人が、恋人となるにはどうするか、という啓蒙映画である。というのは、単にお互いに複雑な人間であるにもかかわらず、弁がたったり純情であることを目指しているうちに恋愛不全症となる可能性がある我々にとって、これはコミュニケーション(笑)とは何かを思い出させてくれるからである。
案外日本の観客は、小説家が最後に彼女に、いつもの文学的毒舌ではなく「愛してます」とでもいうのではないか、と思ったのではないか?私もちょっと思ったし。しかしちがった。私はそのせりふをあまりおもしろいと思わなかったが……。恋愛のせりふというのは気が利いていればよいというものではないのだった。しかし陳腐であればいいというものでもない。それと、──俳優が上手いということもあるんだが──、ちょっとした表情の作り方が重要だ。彼らがお互いにやられたことをやり返すというのも重要である。例えば彼らがするように
突然キスするということが重要である。我々の国で、こういう恋愛がなかなかできないのは、いままで書いてきてなんとなく分かるような気がする。
結論:忍ぶ恋がよい