人ききつけてものしたり。われは物もおぼえねば、知りも知られず、人ぞあひて、「しかじかなんものしたまひつる」と語れば、うち泣きて、けがらひも忌むまじきさまにありければ、「いと便なかるべし」などものして、立ちながらなん。そのほどのありさまはしも、いとあはれに心ざしあるやうに見えけり。
母と共に逝きかけておる蜻蛉さんの様子をききつけて兼家さんが駆けつける。蜻蛉さんは意識がなく何が何だかわからない状態なので、侍女が応対した「かくかくしかじかのご様子です」と語ると、兼家さんは泣きじゃくって死の穢れも厭わず入ろうとするので「それはいけませぬ」と引き留め、兼家さんは立ったまま見舞うことになったのだ。その当時の様子は、とてもしみじみと愛があるようにみえた。
よくわからんが、やはりいまのコロナと同じで、屍体からも病気がうつるみたいなことを考えたのであろうか。当時は、死に触れると30日間蟄居したのであった。しかしまあ、こういうときにボンクラさんもちゃんと駆けつけるのであるから、やはり惚れていたのである。男心は不思議なものだのう――というか、全然珍しくもなんともない事態である。
私に乃木さんの死んだ理由がよく解らないように、あなたにも私の自殺する訳が明らかに呑み込めないかも知れませんが、もしそうだとすると、それは時勢の推移から来る人間の相違だから仕方がありません。あるいは箇人のもって生れた性格の相違といった方が確かかも知れません。私は私のできる限りこの不可思議な私というものを、あなたに解らせるように、今までの叙述で己れを尽したつもりです。
私は妻を残して行きます。私がいなくなっても妻に衣食住の心配がないのは仕合せです。私は妻に残酷な驚怖を与える事を好みません。私は妻に血の色を見せないで死ぬつもりです。妻の知らない間に、こっそりこの世からいなくなるようにします。私は死んだ後で、妻から頓死したと思われたいのです。気が狂ったと思われても満足なのです。
――漱石「こころ」
蜻蛉さんの母親が蜻蛉さんに「いかにせん」の呪縛をかけていたとしてもそれは愛であったから、その愛はもしかしたら兼家にも感染していったのかも知れない。しかし、漱石が読者に残そうとしたものはもっと嫌らしいもので、「不可思議な私」というものだ。このウイルスは結構な勢いを持っていた。年若い人間にもかかり、先生のようなものにももう一回罹るような病気だった。