小市民なのでゴールデンウィーク記念外食。「ロゼ」さんに行ってきました。あれっ美味しい。
サーカスマーチはテンポがまるで中学二年生の男子みたいで、何か、まだ世のために何の役にも立たない感じが出ている。な訳はないが、時々聞きたくなることは確かである。
イーストマンウインドアンサンブルの演奏は学生時代お手本?としてよく聞いたが、非人間的だとか軍隊バンドじゃねーかとか、みんな文句をいいながらあこがれていたと思う。吹奏楽というのは、みんな金属を抱えて演奏してるわけで、金属的な何かに惹かれているのである。……かどうかしらないが、コンクールとかを聴きに行っても、聴衆はなにか容赦のない演奏を期待しているようだった。
大学の講義棟の二階で吹いていると、窓の下方で機動隊が列をなして駆けていった風景が私の吹奏楽での思い出の一つである。
やたら飛びたがる人間というものがおり、「スペースカウボーイ」はそこはかとなく好きな映画なのだが、最後に月まで飛んで行ってしまった主人公のひとりなんか、たぶん作品に描かれていた以上に、どこか精神の構成が壊れていたのではないかと思う。
それでゆくと、「風の谷のナウシカ」のナウシカなんかも疑った方がよい。が、熊楠なみの菌好き、ファーブル並みの昆虫マニアのくせに、軍人としてもかなり優秀で一瞬で六人の精鋭を殴り殺す腕前、かもめマシーンに乗って自由自在に飛び回り、虫に轢き殺されても簡単に復活、おまけにみんなのお姫様ときている。この調子では、勉強もかなりできるから、あと問題は歌の腕前である。
「太陽のなんとかホルスの大冒険」で、歌を歌っていた人物は、かなり問題含みであった。また、観たことないが、マクロスだかマカロンだか、マクロンだかという作品ではお姫様が歌って踊れるタイプであった。とすれば、ナウシカが歌っていないことにはかなり含みがありそうである。
ナウシカは、上記のように、かなりの乱暴者である。体格もよい。アニメーションの歴史で一番近いのは、ジャイ子であろう。
例の
らんらんらんらららんらんらん らん らんらんらららん
らんらんらんらららんらんらん ら らららんらんらんらん
らんらんらんらららんらんらん らん らんらんらららん
らんらんらんらららんらんらん ら らららららんらんらん
らんらんらんらんらららららん
らんらんらんらんらららららん
らんらんらんらららんらんらん らんらららん らん らぁん~
らんらんらんらららんらんらん らん らんらんらららん
らんらんらんらららんらんらん ら らららららんらんらん
らんらんらんらんらららららん
らんらんらんらんらららららん
らんらんらんらららんらんらん らんらららん らん らぁん~
らんらんらんらららんらんらん らん らんらんらららん
らんらんらんらららんらんらん ら らららんらんらんらん
らんらんらんらららんらんらん らん らんらんらららん
らんらんらんらららんらんらん ら らららららんらんらん
というのは、謎の幼女の声として歌われており、例のナウシカのテーマ曲以上に音痴なのであるが、――つまりこれは本当はナウシカが歌っているのではなかろうか。
結論:もっと他に辞めなければいけない大臣がおるだろうがっ
木曽でも桜。わたくしの通った高校は応永年間にできたお城の二の丸跡にあって、実家はといえば、本丸をのぞむ直下の城下町にある――、あまりに山の中だからというて馬鹿にしてはならぬ、平野が威張りだしたのはつい最近のことに過ぎないのだ、と言いたいところだが、順調に過疎化が進んでおる。が、桜は、四月末に咲く。城下の桜である。
近年のはやり言葉の一つに、「直近」という言葉があるが、これを使うといかにも仕事してます感がでるというので、頼んでもいないのに使い出す輩が増えているが、連携、エッジがきいた、国策、絆、ミッション、モチベーション、などと共に、それを口に出したとたんにその人間が×カとわかる言葉として有名である。
わたくしは、文学の徒としてちょっきんというと「あわて床屋」しか思い出せない。
https://www.youtube.com/watch?v=WQPFeQexXoQ
兎ァ おこるし 蟹ァ 恥ョ かくし
しかた なくなく 穴へと 逃げる
チョッキン チョッキン チョッキンナ
しかた なくなく 穴へと 逃げる
チョッキン チョッキン チョッキンナ
そういえば、昨日、官邸からメールが来てて、ミサイルがとんできたら「近くの頑丈な建物や地下街へ」逃げろとか書いてあった。直近の攻撃に際して直近の建物に逃げろと言われても、直近になって逃げられるかよ、だいたい直近の丈夫な建物ってどこだよ、地下街はうちの直近にはねえんだよ、と思い、やはり昔のように直近に穴を掘るしかないと思うのであるが、コンクリート堅いし残念ながら我々は蟹ではない。常識的に考えて、自衛隊が北朝鮮のミサイルを打ち落とせるわけがないから、撃たれたら終わりだし、仮に気持ちだけ勇ましく反撃をしたとしても、ずっと戦争の訓練をしてきた北朝鮮の軍隊は想定外にプロ集団であり、ごちゃごちゃした戦いになったら日本は負けると考えた方がいいと思う。それに冷静に考えて、アメリカも日本に勝って以来、厳密な意味で戦争に勝ったことはない。つまり、アメリカは核を使わなければ戦争に勝てない。というわけで、トランプがイメージ通りにイカレていた場合、核を使う可能性があると思う。北朝鮮は、大日本帝国と違って責任の主体がはっきりした国体であるから、核を打ち込まれたところで、直近の島で戦争を続ければいいだけの話であると判断する。韓国?もともと仲間であるし、あの戦争とこの戦争は別ということで、思い切りやれそうなのは日本列島だ。大日本帝国が、ゴジラやモスラの故郷であれば罪悪感がなかったのと同じことである。
いままで市民を殺しまくってきたアメリカと、その子犬である日本が、小国を虐めて少々反撃されたところで、案外国際世論の味方は少ないとみた。もう知らねえぞ……
共謀罪は治安維持法と同じで、テロを防ぐというより、テロをさせようという法律であろう。地下に潜るしかないような人々をつくりだそうというのだから。つまり、「北朝鮮の脅威」と「政府の恣意」は一般市民にとってはどっちも怖いので、同じく地下街や穴に逃げるしかないのである。しかし、無理強いは長くは続かないというのが歴史の教訓である。
しかた なくなく 穴へと 逃げる
チョッキン チョッキン チョッキンナ
わたくしは、文学の徒としてちょっきんというと「あわて床屋」しか思い出せない。
https://www.youtube.com/watch?v=WQPFeQexXoQ
兎ァ おこるし 蟹ァ 恥ョ かくし
しかた なくなく 穴へと 逃げる
チョッキン チョッキン チョッキンナ
しかた なくなく 穴へと 逃げる
チョッキン チョッキン チョッキンナ
そういえば、昨日、官邸からメールが来てて、ミサイルがとんできたら「近くの頑丈な建物や地下街へ」逃げろとか書いてあった。直近の攻撃に際して直近の建物に逃げろと言われても、直近になって逃げられるかよ、だいたい直近の丈夫な建物ってどこだよ、地下街はうちの直近にはねえんだよ、と思い、やはり昔のように直近に穴を掘るしかないと思うのであるが、コンクリート堅いし残念ながら我々は蟹ではない。常識的に考えて、自衛隊が北朝鮮のミサイルを打ち落とせるわけがないから、撃たれたら終わりだし、仮に気持ちだけ勇ましく反撃をしたとしても、ずっと戦争の訓練をしてきた北朝鮮の軍隊は
いままで市民を殺しまくってきたアメリカと、その子犬である日本が、小国を虐めて少々反撃されたところで、案外国際世論の味方は少ないとみた。もう知らねえぞ……
共謀罪は治安維持法と同じで、テロを防ぐというより、テロをさせようという法律であろう。地下に潜るしかないような人々をつくりだそうというのだから。つまり、「北朝鮮の脅威」と「政府の恣意」は一般市民にとってはどっちも怖いので、同じく地下街や穴に逃げるしかないのである。しかし、無理強いは長くは続かないというのが歴史の教訓である。
しかた なくなく 穴へと 逃げる
チョッキン チョッキン チョッキンナ
ニーチェを読んで、「やっぱり日本は仏教だし西洋よりもすごい」とか喜んでしまう人たちは昔からたくさんいたわけだが、この本も危険な橋を渡っている。適菜収の「現代語訳」を眺めたときも思ったが、「おのれへの絶対的自由」(原佑訳)といったニュアンスが「自己愛」になってしまうのが、こういう書物が陥りがちなことではなかろうか。
1934年の三笠書房版しか読んでおらず、どうも結末が妙だなと思っていたのだが、途中までの訳だったのである。漫画版も読んでみたが、原作のものすごさみたいなものは少し伝わるのではなかろうか。
今日、授業で、久石譲の「メーヴェとコルベットの戦い」の劇伴音楽における位置づけについて話していたら、とつぜん、メンゲルベルク指揮のマーラーの4番はすばらしい演奏だと気づきました。
読まなければならないものも数限りなくあるが、聞かなくてはならぬものもまた限りなし。学生の諸君も、安穏と人生を送っている場合ではない。急いで摂取に励みませう!
青春というものは恐ろしいもので、わたくしが90年代に好きだったものの二つに、アル・パチーノとチャーリー・ヤンがあり、なぜこの組み合わせなのかはわからないが、たぶんテレビで観たのであろう。「神偸諜影」という映画も好きだったが、明らかに「ミッションイッポシブル」の香港版であり――、しかしわたくし、「ミッションインポッシブル」の方を後で観たような気がする。テレビやビデオのおかげで、文化の歴史はいろいろと壊れているのであろう。わたくしみたいな人は結構いると思う…。
結論:メドベージェワさん最高
中井正一の言っていることや、その理論的可能性を実践的な地平で考えようとした竹内成明氏の論じたことを読むと、最近の様々な論者の言っていることなど、ほとんど形式的には同じじゃねえかと思ったりもするのであるが……。今読み直してみると、書けなかったのかもしれないのだが、もう少し人の名誉に、いや罪にかかわる具体的なことを書かないと、本当は何が問題だったのかよく分からなくなると思った。現在の論者にとってもそれは問題なはずである。
資本家のにいちゃんが言う、製造業に必要なのは「品質・コスト・納期」だと。このバランスが必要だと。いやー、勉強になるなあ。論文の生産術と一緒じゃないか。Son of a bitch!
原民喜の「廃墟から」を読んで悲しくなる。
観光マインドがない学芸員はがん、奴らを一掃しなければ、と大臣が言ったとか。観光マインドとは何か?この大臣はもしかしたら東浩紀でも読んだのではないかとも思ったが、以下のような掃除好きの歴史から来ているものであろう。
・御真影に頭下げない教員はがん、奴らを一掃しなければ
・工場に行かない学童はがん、奴らを一掃しなければ
・鬼畜米英マインドがない日本人はがん、奴らを一掃しなければ
・日本人の一部を一掃しよう→原爆投下
・懺悔しないやつはがん、奴らを一掃しなければ
・ウルトラマン消しゴムを持ってないやつはがん、奴らを一掃しなければ
・君が代を歌わないやつはがん、奴らを一掃しなければ
・わかりにくいことをいう学者はがん、奴らを一掃しなければ
・大学は学生中心なので、反抗的な教員を一掃しなければ
・アクティブラーニングで、批判的思考力を一掃しなければ
・あっ、ポテチの袋をぶちまけちゃった、一掃しなければ
・観光マインドがない学芸員はがん、一掃しなければ……いまここ
・文化財や書物はがん、図書館や博物館を一掃しなければ
・刊行マインドがない学者は業績がないので一掃しなければ
・観光マインドない日本人は一掃しなければ
・ガンをもたない日本人はがん、一掃しなけければ
・https://www.youtube.com/watch?v=9WuZg4YzJjM
「永遠に0」の作者が、日本に爆弾が落ちて自分が生き残ったら、日本の中の敵をテロ組織を作って殺しまくるとか言っていたそうである。
・テストが平均点以下。先生が憎い。よし友達をいじめよう
・爆弾が落ちた。敵国が憎い(のかな?)。よし、気に入らないあいつを殺そう……いまここ