★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

好色の無頼漢どもの物語の巻

2015-01-29 23:23:41 | 文学


忘れていたのだが、現存している原作は、エンコルピオスとアガメムノンの修辞学に関する論争から始まっている。……確かアガメムノンが、大人たちは勉強不足の段階で性急に雄弁術を授けようとして、若者たちはひどいことになっているとかなんとか言っている。昔からかわってねえね。

名画には太っちょ猫がよく似合う

2015-01-28 23:36:16 | 思想
http://www.huffingtonpost.jp/2014/06/02/story_n_5435626.html


猫と美女の関係について、つまらない論文が生産されるであろう。――それはともかく、著作権の議論が妙な方向に行かねばいいなあ、と思う今日この頃である。少なくとも、芸術家やオタクさんたちとか芸術産業?どうしで話し合って、――つまり、美女が猫に入れ替わることについて一定レベルの美學を語れる人間が著作権について語って欲しいと思う。どうせこういうことに国家が絡むときには、特定の企業とか何やらの保護の目的以外には何もなかったというのが、歴史の教訓ではあるまいか。

ごきげんよう さようなら

2015-01-25 23:48:00 | 文学


「花子とアン」ダイジェストだかを観たのだが、やはりよかったのは、白蓮が花子の戦争責任を追及する一連の箇所であろう。

はなちゃん…心配御無用よ。

私を誰だと思っているの?
華族の身分も何もかも捨てて駆け落ちした宮本蓮子よ。
私は時代の波に平伏したりしない。
世の中がどこへ向かおうと、言いたい事を言う。
書きたい事を書くわ。
あなたのように卑怯な生き方はしたくないの。

……我々が、ドラマではなく現実の白蓮やその旦那の文章と行為の複雑な関係に耐えることができるかどうかというのは、また別の問題として残っている。そうしなければ、「卑怯な生き方」はいつでも我々について回る。ドラマが、反動的であろうとそうでなかろうと、生の文章に立ち返るべきである。

はてしない

2015-01-25 23:38:52 | 文学


物語、というのはこんなであったであろうか。

思うに、エンデが「はてしない物語」のテーマを大人用の話として書けばどうなったか、いや、そもそも書けるのかというのは、いまだに問題だと思うね……。

映画版がまずかったのは、いじめっ子をやっつける結末があれだということもあるが、最後のあたりで人狼がアトレーユに「はてしない物語」の世界のしくみを説明するくだりが、原作と厳密にはかなり違っていたことである。映画の人狼は、アテレーユが住む世界を人間が作ったものなので、人間が夢を信じることやめれば消滅してしまう(無になってしまう)と言っていた(確か……)。しかし、エンデの言う虚無とは無のことじゃないのだ、「はてしない物語」を幻想であり虚偽と呼ぶことなのである。ここを単に映画みたいに無と想像力の対立にしてしまうと、「花子とアン」のように想像力の翼を広げりゃ乱世を乗り越えられるということになったり、最近のように「テロに屈するな」的言説が本気で信じられたりするのである。前者も後者も、創造されたものを現実の付属品みたいに考えているから、悪い現実をそれで糊塗しようとするかと思えば、悪いフィクションを排除しようとしたりする訳である。「はてしない物語」は実在する。虚無という名で呼ばれて消滅するように見えても存在はしているのである。とはいえ、それが、いつまでも、飛ぶ怪物や走るまいまいつぶろである必要があるであろうか……

原作の後半が思い出せない……

GO WILD の 帰趨

2015-01-22 15:21:43 | 文学
研究者の一部でよく見られる体型がいっこうに改善されないわたくしに対し、妹2から『GO WILD』を実践せよという指令がきたので、早速買ってみた。
期待に反して、GO WILD するための方法がわかりやすく文科省のポンチ絵みたいに書かれていなかったので、内容はあとで読むことにする。
ぱらぱらめくった結果、どうやら炭水化物抜きで体を動かせといったことが、かいてありそうなので、くらくら、した。

文学好きによくあるパターン



体が重いよ→自然に帰れと言われる→自然回帰ということで、荒れ狂う怪獣マンガを読む→人間は動物だと思う(オールビーなどを読む)→人間は不条理だ(カフカ再読)→現状維持