★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

花と猿

2016-02-27 23:08:05 | 大学


謝恩会で胸につけてた花がしぼんじゃったので解体してかわいいものだけ集めた。

そういえば、ご飯を食べながらテレビつけたら、木曽義昌とかいう単語が聞こえたのであるが、「真田丸」にでてきたのであった。だいたい真田如きと義仲公の子孫であり(嘘の可能性大らしいが)武田家の親類である義昌と比べて、どちらが大物かは一目瞭然、というか実際にドラマでも真田より勢力が大きいことになっていたが、――いかんせん、武田を裏切り織田についた卑怯者、信濃への織田侵攻のきっかけを作った御仁とかで、評判はよろしくない。その後も、病気で秀吉の小田原攻めに行かなかったのを仮病と疑われたりしている。そりゃそうである。木曽の山猿のプライドにかけて平地の猿のいうことなんかきけるか。家康の傘下に入ってからはその猿のプライドが狸に負けるのを潔しとせず、一度妻籠城で家康に勝っているのも禍したのか……、あっさり千葉に左遷されてしまった。

二大勢力に挟まれての右往左往する猿――どこかでみた表象である。日本ではないか。木曽の山猿とは、日本人の自画像だったのである。それから逃れようとしているのが、真田幸村の物語であり、家康や秀吉の物語なのであろう。そういや真田の家来に猿飛佐助もいた。これも逃避的フィクションであるが、彼は、おそらく本当は木曽の出身であって、木曽の山猿そのものなのであるまいか。彼が生まれたという鳥居峠は上田のそれじゃなく木曽のそれだとわたくしは断固主張したい。彼は忍者ではなく、真田などという格下にも頭を下げてしまった木曽氏の誰かだったのではあるまいか。わたくしは、猿飛佐助がよぼよぼの義昌であったら面白かったと思う。

……ドラマにでてきた木曽の福島城、あんだありゃ、実際の福島城の雰囲気と全くちがってた……実際の福島城は、この山のテッペンあたりであろうか?



山を味方に闘う癖をつけたものは、なかなか手練手管で立ち回ったりするのは難しいのではあるまいか。というか、真田幸村みたいに出丸の工夫をするまでもなく、もう既に谷があるし……日本人の海みたいなものである。

だいたい真田の六文銭というのは、金で三途の川を渡ろうとするしみったれた根性――あるいは漢心的な何かのあらわれであり、そんなことをせずとも、木曽の山猿は死ねば自動的にお山(御嶽)に帰ることが出来るのである。

……といったもろもろの感想が浮かんでいたのであるが、石井愃一氏の素晴らしい演技で、ずんぐりむっくりの田舎者という狂言回しを見事に……、三谷幸喜許すまじ。

公共伏魔殿と媒介

2016-02-26 23:18:14 | 文学


生協でつい買ってしまったついでに、弁当食べながら冒頭に入っている筒井康隆の「公共伏魔殿」を読んだ。
わたくしは、筒井康隆の文章にあまり肌が合わない。なぜだか分からなかったが、「公共伏魔殿」を読んでみると、それが共犯者による悪口の口調だからであるように思われてきた。NHKを思わせる公共伏魔殿であるが、語り手は、その外部でありながら伏魔殿の一部機構をなしており、一種の共犯者なのである。どうも彼の口調は、2ちゃんねるのそれを思わせる――虐げられているが同時に機構の共犯者で、安部公房の「けものたちは故郷を目指す」の主人公のようなことは経験していない人びと。

例の「覆面座談会事件」における筒井評は本質を突いているところがあったと思う。曰く「一見大胆に見えるんだけど、実はかなり手前に限界があって、この辺までならまあ大して問題にはなるまいという高をくくりたくなるんじゃないかな。その証拠にどの作品にも必ず韜晦があって、致命傷を相手に与えることは決してない」――。しかし、匿名批評者たちは、時代の先を予見していたのが筒井であることにあまり意識が行っていない感じがする。それは思いのほか、深刻に時代を予見していたのだ。筒井は、「軽薄」ではなかった。世論との寝方を転換しつつあったのである。

トニーたけざきのマンガは好きだが、筒井康隆風なところもある。筒井康隆風な世界は、絵にしてしまう方が逆に上品になる気がする。

筒井康隆の作品は、媒介たらんとしているのであろう。筒井康隆は自分の文章を「作品」として自称できるからいいが、媒介機能は文字通り媒介機能に過ぎず、誰かが認識に仕上げる努力をする必要がある。我々の社会にその余裕も頭も失われつつあるのを知っていながら、そういう媒介たらんとすることは、共犯者であることと同じことだ。つまり2ちゃんねらーと同じである。


受験生お疲れ様でした

2016-02-25 23:27:25 | 大学


私の経験からすると、受験というのは、落ちるか受かるかどちらかしかありません。生きるか死ぬかの状況、生きているのか死んでいるのか分からない、あるいは、二流文学研究者の好きな「宙づり」状態なんかより、かなりマシな状況ではないでしょうか。私自身は、大学院の時には現役で合格して、ややその後、油断した覚えがある。大学入試では浪人したからそうでもなかったが、後で考えてみると、油断はしていなかったが実力がなさ過ぎた。結局、20代の後半になって私が気付いたのは、かなりゆっくりにしか人間は変化してないということである。

イリスの青い火のなかを

2016-02-21 23:16:01 | 文学


おほまつよひぐさの群落や
イリスの青い火のなかを
狂気のやうに踊りながら
第三紀末の紅い巨礫層の截り割りでも
ディアラヂットの崖みちでも
一つや二つ岩が線路にこぼれてようと
積雲が灼けようと崩れようと
こちらは全線の終列車

――宮澤賢治「岩手軽便鉄道 七月(ジャズ)」

おばあ樣とは、桂屋にゐる五人の子供がいつも好い物をお土産に持つて來てくれる

2016-02-17 23:23:38 | 文学


この豫期すべき出來事を、桂屋へ知らせに來たのは、程遠からぬ平野町に住んでゐる太郎兵衞が女房の母であつた。この白髮頭の媼の事を桂屋では平野町のおばあ樣と云つてゐる。おばあ樣とは、桂屋にゐる五人の子供がいつも好い物をお土産に持つて來てくれる祖母に名づけた名で、それを主人も呼び、女房も呼ぶやうになつたのである。
 おばあ樣を慕つて、おばあ樣にあまえ、おばあ樣にねだる孫が、桂屋に五人ゐる。その四人は、おばあ樣が十七になつた娘を桂屋へよめによこしてから、今年十六年目になるまでの間に生れたのである。長女いちが十六歳、二女まつが十四歳になる。其次に、太郎兵衞が娘をよめに出す覺悟で、平野町の女房の里方から、赤子のうちに貰ひ受けた、長太郎と云ふ十二歳の男子がある。其次に又生れた太郎兵衞の娘は、とくと云つて八歳になる。最後に太郎兵衞の始て設けた男子の初五郎がゐて、これが六歳になる。

――森鷗外「最後の一句」

介護コンシェルジェとしてのものぐさ太郎

2016-02-16 23:26:00 | 思想


今日は、急に頼まれたので、「介護コンシェルジェ」の講演会にちょっと参加してきた。上は有名な日本の出生数のグラフで、真ん中にぴくってなってるのが、我がベビーブーム(団塊ジュニア)世代で、これがうんともすんともならないので、右の方にぴくっというのが来ていない。

で、我々の親の世代(左上)と真ん中のぴく世代が津波のように、若い世代に襲いかかっていくという恐ろしい世の中が始まるのだ。

コンシェルジェか世話人だかよくわからんが、人をいじめないで自ら人生を楽しむ頭の癖をつけないと、恐ろしい共倒れ時代がやってきそうだ。人にいかに頼らず、いや頼りつつ頼りすぎず……。

ワークライフバランスというのは、ワークとライフの相互循環をよくするみたいな発想であるが、そのためには仕事のやり方もかえなきゃ……とはいえ、要領のいい無神経な人間が仕事を誰かに押しつけるだけになりそうなんだよな……もう、適当にみんなで罷業だ罷業。