★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

片田舎の美

2021-07-31 23:30:35 | 文学


すべて、月・花をば、さのみ目にて見るものかは。春は家を立ち去らでも、月の夜は閨のうちながらも思へるこそ、いとたのもしうをかしけれ。よき人は、ひとへに好けるさまにも見えず、興ずるさまも等閑なり。片田舎の人こそ、色こく、万はもて興ずれ。花の本には、ねぢより、立ち寄り、あからめもせずまもりて、酒飲み、連歌して、果は、大きなる枝、心なく折り取りぬ。泉には手足さし浸して、雪には下り立ちて跡つけなど、万の物、よそながら見ることなし。

ここに限って言えば、兼好法師は、直接目で見るより想像力で楽しむ教養人よりも、粗雑に直接性で楽しむ人々をよく見ているといえると思う。兼好法師の想像力とは、――こういう無教養のやからの行為まで延々想像出来ることも含んでいるものである。この前の部分で、自分と趣味が合う都が懐かしいみたいなことを言っているので、このどんちゃん騒ぎをしている者達は田舎者なのかも知れない。あ、「片田舎の人」ってはっきり言ってますね。。。

がっ、田舎者のわたくしをしていわしむれば、田舎者が直接的な快楽に溺れるのは、田舎には都会の連中にはわからない美しい風景が沢山あることも関係しているのである。東京人が想像力で観念的な世界で遊んでいるときに、われわれ田舎もんは、輝く山陵と虫たちの乱舞の中で心ときめいているのだ。独歩の「武蔵野」なんてかなりあまく、郊外から外へ外へ行くべきなのだ。「泉には手足さし浸して、雪には下り立ちて跡つけ」ることこそ、美の体験だ。そういうことが分からない兼好法師は勝手にグラデーションの世界で遊んでろ

二人は、やっと眠りつきましたが、いろいろの夢を見ました。
 おじいさんは、まだ元気で、河へ釣りにいった夢を見たり、おばあさんは、まだ若くて、みんなと花見にいったことなどを夢に見ました。
 翌日、二人は、あの赤いかんの中の粉を捨ててしまおうかと話をしていました。そこへ、小包よりおくれて、せがれから、手紙がとどきました。
 その手紙によると、赤いかんにはいっているのは、ココアというものであることがわかりました。田舎に住んでいるおじいさんや、おばあさんには、まだそうした飲み物のあることすら知らなかったのです。
「こんなものを、なんで私たちが知ろうか。」といって、おじいさんと、おばあさんは、顔を見合わせて笑いました。


――小川未明「片田舎にあった話」


息子からココアが送られてきた話で、ご飯にかけて食べてみたが目が冴え眠れない。やっと寝たが、夢を見た。息子はなんで小包と一緒に手紙を入れてないのであろうか。――それはともかく、この話のいいところは、おじいさんおばあさんが若い頃の夢を見るところである。彼らはここで若い気持ちを思いだし、ココアを捨てようと思ったりするのではないだろうか。若い感性は、多くのものを捨て去る潔さを伴っている。わたくしは田舎者として思うのだが、この潔さも田舎の美の特徴であり、これがないと都会の毒物に一気に浸食されてしまうのである。ココアなんて得体のしれない混ぜものにみえる。もっとも、ココアのおかげで、おじいさんおばあさんの脳みそが冴えたのかもしれないのだが……。

満点への欲望

2021-07-29 23:05:59 | 文学


花は盛りに、月はくまなきをのみ見るものかは。雨に向かひて月を恋ひ、たれこめて春の行方知らぬも、なほあはれに情け深し。咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ、見どころ多けれ。歌の詞書にも、「花見にまかれりけるに、早く散り過ぎにければ。」とも、「さはることありて、まからで。」なども書けるは、「花を見て。」と言へるに劣れることかは。花の散り、月の傾くを慕ふならひはさることなれど、ことにかたくななる人ぞ、「この枝、かの枝、散りにけり。今は見どころなし。」などは言ふめる。

兼好法師が鋭いと思うのは、満開桜や満月などばかりありがたがる感性が、「花の散り、月の傾くを慕ふならひ」から逆説的にでてくると主張していることではなかろうか。

100点しかみとめないために、100点でない状態になったときに、100点にばかりこだわることになる。日本の四季をありがたがる感性も、案外、同じようなもので、春とか秋とかのイメージを典型的に決めてかかっていて、その変化の苛々した動揺する気象をむしろわれわれは嫌っている。

だが、あくる日、午餐のあとで、その離れの庭に出ると、昨日にもまして花の色づいたのに心惹かれて、またその木に登つて、二握り三握りつかみ取つて、口から喉へ通した。味がどうであらうと、綺麗なものを腹に入れたといふ気持は快くなつた。家の者に気づかれないうちにどれほどのものが喰はれるかと、人知れぬ異様なたのしみになつた。

――正宗白鳥「花より団子」


確かに、変化に関する我々の無神経を1度たたき壊すには、不変とも言うべき食欲に実を預けてみるのも一興である。近代の文士たちは、やたら食べたり飲んだりする人々が多かった。

大才たち

2021-07-28 23:52:54 | 文学


すべて、人に愛楽せられずして衆にまじはるは恥なり。かたちみにくく、心おくれにして出で仕へ、無智にして大才に交り、不堪の座に列り、雪の頭を頂きて盛りなる人にならび、況んや、及ばざる事を望み、かなはぬ事を憂へ、来らざることを待ち、人に恐れ、人に媚ぶるは、人の与ふる恥にあらず、貪る心にひかれて、自ら身をはづかしむるなり。貪る事のやまざるは、命を終ふる大事、今ここに来れりと、たしかにしらざればなり。

死が近づいているという自覚があれば、自分自身を辱めるような恥ずかしい、身の程を知らない社交をやらない、と兼好法師は言うのだが、果たして現実はどうであろうか。強欲の人というのは、そんな自覚で欲がなくなるような人間であろうか。欲といっても、その実態は、自分を一貫性ある何者かに見せようとする欲望なのであって、これは兼好法師が好きそうな世捨て人タイプにも見られるものだ。例はいちいちあげるまでもない。そこらじゅうにいる。

芭蕉に血の通つた人間を見ながら、そのなかにこの三位一体の才能の最も良質で最も調和を得たものを見る者である。つまり要領のいい稀代の大才人と言つてもよいのかも知れない。なるほど藤村に似たところもある。

――佐藤春夫「管見芭蕉翁」


頭が悪い癖に大才に交わるなどかっこわるいと兼好法師はいうが、だいたい、佐藤春夫が言うように、「要領のいい希代の大才人」みたいなやつが多いのが大才が集まる空間であって、そこに大才でもない者が混じっているのは当たり前なのである。要するに「要領のいい希代の」みたいな人間の集まりに多少能力の差があってもなんの問題もない。

鏡よ鏡――我がかたちのみにくく、あさましき事

2021-07-27 23:24:28 | 文学


高倉院の法華堂の三昧僧、なにがしの律師とかやいふもの、ある時、鏡を取りて顔をつくづくと見て、我がかたちのみにくく、あさましき事を余りに心うく覚えて、鏡さへうとましき心地しければ、その後長く鏡を恐れて手にだに取らず、更に人にまじはる事なし。御堂のつとめばかりにあひて、籠り居たりと聞き侍りしこそ、ありがたく覚えしか。

鏡というものは怖ろしいものでいろいろな物が映っている。普段は自分の死角に入っているものすべてが映っているのである。自分の姿だけじゃないかといわれるかもしれないが、自分の姿とともにあるその物達は見え方が違う。

独歩や藤村がくろうしてつくりあげた風景の中の人間達は、いわば鏡に映っている物たちを前景化して、人物を縮小したようなものである。ここには何か心理的なからくりが必要だったはずで、明治時代の研究者がいろいろ苦労されて考えているところである。

その縮小に我々は耐えられなかったが、その際、自分をアイコン化することを覚えて苦労している。今日の授業では、そのあたりを扱った。

思うに、自分の鏡の中の姿を長い間無視してみることは、兼好法師も言うように案外効用がある。自分の顔を自分の認識と切り離して考えてみる段階が我々には必要だ。自己対話などと言う美名に惑われてはならぬ。

「鏡……。ほんとうに鏡が埋められていたのか。」と、わたしは炬燵の上からからだを乗出して訊いた。
「まったく古い鏡が出たのだから不思議です。」と、彼は小声に力をこめて言った。「お照がそれを掘出したところへ、染吉があとから来ました。染吉もまだ思い切れないので、今夜は日の暮れるのを待ちかねて、二本目の柳の下を掘りに来ると、お照がもう先廻りをしているので驚きました。どちらもあからさまに口へ出して言えることではありませんから、お互いにまあいい加減な挨拶などをしているうちに、お照がなにか鏡のようなものを袖の下にかくしているのを、常夜燈のひかりで染吉が見付けたのです。お照も早く常夜燈を消しておけばよかったのでしょうが、年が若いだけにそれ程の注意が行き届かなかったので、たちまち相手に見付けられてしまったのです。一方のお照が死んでいるので、詳しいことはわかりませんが、染吉はそれを見せろと言い、お照は見せないと言う。日は暮れている、あたりに人はなし、もうこうなれば仇同士の喧嘩になるよりほかはありません。なんといっても、染吉の方が年上ですし、お照は足が不自由という弱味もあるので、その鏡をとうとう染吉に奪い取られました。それを取返そうとしがみつくと、染吉ももうのぼせているので、持っている鏡で相手の額を力まかせに殴りつけた上に、池のなかへ突き落して逃げました。」


――岡本綺堂「鴛鴦鏡」


鏡よ鏡、と念じる魔法使いまでいたことからも分かるように、鏡というのは自らの意志を持つのである。だから埋められていた古い物など、何をしでかすかわからない。鏡を永い間みなかった法師も、ひょんのことで自分を瞥見する羽目になったときに、案外自分を美しいと思うこともある。人生はそこからが問題だ。

健康奉仕と虫

2021-07-26 19:30:46 | 文学
人の才能は、文あきらかにして、聖の教えを知れるを第一とす。次には手書く事、むねとする事はなくとも、是を習ふべし。学問に便あらんためなり。次に医術を習ふべし。身を養い、人を助け、忠孝のつとめも、医にあらずはあるべからず。次に弓射、馬に乗る事、六芸に出せり。必ずこれをうかがふべし。文・武・医の道、誠に、欠けてはあるべからず。これを学ばんをば、いたづらなる人といふべからず。次に、食は人の天なり。よく味を調へ知れる人、大きなる徳とすべし。次に細工、万に要多し。この外の事ども、多能は君子の恥ずる処なり。詩歌にたくみに、糸竹に妙なるは幽玄の道、君臣これを重くすといへども、今の世にはこれをもちて世を治むる事、漸くおろかなるに似たり。金はすぐれたれども、鉄の益多きにしかざるがごとし。


男子の必修科目を主張したこの文章はまったくいまの日本みたいな発想であって、断じて容認できない。

第一の漢籍をしるべし、まあいいかもしれない。(もっとも、これはいまなら英語を習えみたいなものなので、それ自体意味はないと見てよいであろう)第二の文字を書くことであり、これも出来てさしあたり当然の気がしないではない。兼好法師も「むねとすることはなくとも、これを習うべし」と言っている。わたくしを含めて、字の醜悪なやつが多すぎる。キレイに書けばいいというものではないが、そもそも字を書くこととは、伝わりゃいいというような獣コミュニケーションみたいなものを越えた芸の領域に属しているのであって、種の保存のためには行為だけが必要で美しい羽はいらんみたいな主張なのである。とりあえず、孔雀の前で主張して頂きたい。

第三の医学を学ぶべし、は――いまや健康政策のようなものなのかもしれないが、まずは戦乱の世を鎮めてからこういう主張をしてもらいたいものだ。労働が魂の抜けた運動と化しているのに健康診断を強制して悦に入っているようなものである。

とはいえ、わたくしも医学に従属した人生を送っていることは確かである。小さいときに、病院の待合で多くの時間を過ごした心の癖なのか、いまでも待合室にいると心が落ち着く。先日も、コロナのワクチンを打ったときに、アレルギー反応が心配な人間に分類されて、ぽつねんと三〇分待機エリアに座らされているときのわたくしは、たぶんに悟りの境地に達していた。

――わたくしの後半生は本を読んだり書いたりといった時間が大きな割合を占めているが、これも所謂「研究」というより、生きるための記録を付けて行く作業みたいなものかと思う。なぜなら、ワクチンの副反応観察記録のプリントを渡されてなぜだか俄然やる気が出てきたからである。私を記録するのがわたくしの生である。もっとも、かかるあり方は案外わたくしに限らず普遍化しているような気がする。SNSなんてほとんどコミュニケーションの為には行われていない。記録が目的である。

そのいみで、兼好法師の第四の弓馬は、武力が人間を守る的な遅れた時代の名残であった。すなわち、第五の食は、いかにもというかんじである。兼好法師の考えていることは「安心安全」に他ならない。兼好法師ではなく、この人は健康法師、いや健康奉仕と呼ぶべし。第六の細工も、戦場のときに生き延びるためであろう。

――というわけで、こういう反動的必修科目から芸術が外れているのは無理もない。「金はすぐれたれども、鉄の益多きにしかざるがごとし」。兼好法師は芸術を金に喩えているのであろうか。それよりも鉄だと。プロレタリア文学かっ。我々の風土は、政治が崩壊しているところで武力が出来てくる。そして政治が芸の範疇であったことにすべてが崩壊してから気付くのである。

健康奉仕の理想の男とは下のような人間未満の化け物であろう。



しかし、こういう虫もよくみてみると可愛らしくもあるのであって、問題は、虫だからと言って嫌う連中である。

誰だ? この花園に入って来て、虫喰いの汚ならしい赤い花ばかりを残して、その他の美しい花を、汚ない泥靴で、荒らして歩こうとするのは!

――中村武羅夫「誰だ?花園を荒す者は!」

○○獣

2021-07-25 21:57:46 | 文学


走る獣は、檻にこめ、鎖をさゝれ、飛ぶ鳥は、翅を切り、籠に入れられて、雲を恋ひ、野山を思ふ愁、止む時なし。その思ひ、我が身にあたりて忍び難くは、心あらん人、これを楽しまんや。生を苦しめて目を喜ばしむるは、桀・紂が心なり。王子猷が鳥を愛せし、林に楽しぶを見て、逍遙の友としき。捕へ苦しめたるにあらず。凡そ、「珍らしき禽、あやしき獣、国に育はず」とこそ、文にも侍るなれ

清原氏のyoutubeをみていたら、清原氏が犬を檻に閉じ込めるのは檻に入ったことがある自分としては。。と言っていたのに対し、犬のトレーナーの人が「檻ではない、個室です」と言っていて、ナルホドと思ったが、――確かに、そうも言えるが、結局檻が個室となり、個室が檻となっている人が多いわけで、すべては社会との関係によって決まるのである。

我々の世代は、動物を教室の中で飼うみたいな「情操教育」を施されていたが、これは自分が相手を檻に閉じ込めるときにどのような人間であるべきか自問自答させようとしたのであろうか?

確かに、それが珍しい獣の場合、なにか檻と外と内の対話が崩れるのはわかる。国に珍しい獣を入れてはいけないとの古書の教えはその機微を教えている。我々は、相手を平凡な物として対象化できなければ、相手と対話をしようとしない。日本人がいっこうに神との対話をせず、自然だかコンビニみたいな扱いにしているのはそのせいだ。こんな感じである。

「ははア、そういうことなら分ったよ。つまりそのグルグル鬼ごっこをする大怪球――どうも大怪球なんて云いにくい言葉だネ、○○獣といおうじゃないか。――その○○獣を見たのは、お前一人なんだ。新聞記者も知らないんだ。もちろん何とかいった髯博士も知らないんだ。これはつまり特ダネ記事になるよ。特ダネは売れるんだ。よオし、おれに委せろよ。○○獣の特ダネを何処かの新聞記者に売りつけて、お金儲けをしようや」
[…]
「私は昨夜この眼で不思議なけだもの○○獣を見ました。これは雪達磨を十個合わせたぐらいの丸い大きな目をもった恐ろしい怪物です。そいつは空からフワリフワリと下りて来て、私を睨みつけたのです。私は日本男子ですから、勇敢にも○○獣を睨みかえしてやりましたが、その○○獣の身体というのは、狐のように胴中が細く、そして長い尻尾を持っていまして、身体の全長は五十メートルぐらいもありました。しかし不思議なのはその身体です。これはまるで水母のように透きとおっていて、よほど傍へよらないと見えません。とにかく恐ろしい獣で、私の考えでは、あれはフライにして喰べるのがいちばんおいしいだろうと思いました。云々」
 敬二はそこまで読むと、ドン助の大法螺にブッとふきだした。ドン助はいうことが無いのに困って、こんな出鱈目をいったのだろうが、フライにして喰べるといいなどとはコックだというお里を丸だしにしていて笑わせる。


――海野十三「○○獣」


そういえば、海野十三の全集をせっかく買ったのに、まだちゃんと読んでいない。

【予言】聖火台【的中】

2021-07-24 16:25:40 | ニュース


むかしエンブレム騒ぎのときに、悪ふざけでいろいろな私案を作っていたのだが、これ予言的中じゃないかいや

https://blog.goo.ne.jp/shirorinu/e/bd686668f40f2651da5d03a5b8ce2f03

つまり、われわれの文化は悪ふざけが辛うじて自由であるような情況におかれているということである。それがわしのような末端から上?の方まで覆い尽くしている。で、それを回避しようとして観念的な正義に飛びついたりもするのだが、これはこれでうまく機能しないだけでなく認識としても半端だということは人文学や文学が語ってきたとおりである。


精神の専制

2021-07-23 22:30:26 | 文学


鎌倉の海に、鰹と言ふ魚は、かの境ひには、さうなきものにて、この比もてなすものなり。それも、鎌倉の年寄の申し侍りしは、「この魚、己れら若かりし世までは、はかばかしき人の前へ出づる事侍らざりき。頭は、下部も食はず、切りて捨て侍りしものなり」と申しき。かやうの物も、世の末になれば、上ざままでも入りたつわざにこそ侍れ。

わたくしは山国育ちのせいか、魚の種類がよくわからない。サンマとブリぐらいなら分かる。。。鰹のタタキもなんとなくおいしいとは思わないのであるが、細から「それはあまりおいしくないものを食べていたのであろう」と言われ、確かにおいしいものもあると最近発見した。だいたい、われわれは、おいしいものをその名前と一緒に認識する癖がつきすぎているのではなかろうか。

だいたいオリンピックも言葉の争いであるために、スポーツが魚のおいしさに似たものであることが忘れられ不幸なことである。音楽もまたスポーツであり、言葉の世界とは結びついているとはいえ、それとは別の時間のようなものを作り出している。オリンピックは、それらを言葉に従属させるような行事になりはててしまった。

先日、オリンピックを文化行事として思い出せみたいなことを書いた覚えがあるが、やや勘違いしていたかも知れない。我々が言葉の狂気である国家に対して文化をもって立ち向かうことは不可能であり、無理にやろうとすると、今日の開会式にみたいに、魂のテンションが不全であるところのメニューが雑然と並ぶことになる。無論、国家が、多様性みたいなモラルや観念と手を結んでいることが更に事態をややこしくしている。そのメニューの雑然さがやんわりと肯定されてしまうのである。これが一種の多くの精神に対する全体主義であることは言うを俟たない。

芸術やスポーツに必要なのは、無論、どこかで皆気付いているように、多様性や雑然さを目指したとしても、精神の専制なのである。我々が奪われているのはこれだ。

開会式の最後の音楽は、吉松隆の交響曲第二番であったが、この曲の精神の専制が実現されるためには、ボレロのあとではなく、ちゃんと第1楽章から始まっていなければならない。

思うに、オリンピックも、人しれず始まって終わらなければならないのであるが、今回は、怖ろしく無残な前奏曲が長く続いてしまった。だいたい、開会式の前のNHKのくだらない番組もひどかった。開会式さえも純粋に専制がゆるされないのだ。

こんなことが続けば、別の意味で専制的に五輪から離脱した北朝鮮が超然的によろしく見えてきてしまうではないか。トランプがよく見えた人がいたと同様の事態だ。

朝子は二三日、その事は忘れていた。七草過ぎの朝、島吉は七つ八つの女の子を連れて書きものをしている朝子の椽先に立った。そして、何とも言わずに朝子と女の子とを見較べて、うふふふふふと笑った。片眼が少し爛れているが、愛くるしい女の子だ。朝子は、ふと思い出して言った。「この女の子、この間言ったあんたのお嫁さんじゃないの」
 島吉は矢張り、うふふふふふと笑って、「奥さんにおじぎしないかよ」と、女の子に命令するように言った。女の子は朝子に、ぴょこんと頭を下げてから、島吉を見て、
「あ は は は は」
 と笑った。すると、島吉は矢庭に鋭い眼をして女の子を睨み込んだ。その眼は孤独で専制的な酋長の眼のように淋しく光っていた。


――岡本かの子「酋長」

2021-07-21 23:44:35 | 文学


友とするにわろき者、七つあり。一つには、高くやんごとなき人。二つには、若き人。三つには、病なく身強き人。四つには、酒を好む人。五つには、猛く勇める兵。六つには、虚言する人。七つには、欲深き人。よき友三つあり。一つには、物くるる友。二つには、医者。三つには、智慧ある友。

まあ普通に生きていればこうなる気がするのであるが、――わたくしは俯瞰的に見たいので、その「わろき」七タイプの人間達がどういう共とつるんでいるか兼好法師にぜひ教えて頂きたいものである。少数の良友だけではセフティネットにならないことがあるので人々は悪友や幇間友、奴隷友などを持つのであった。理想ばかり述べても現実とは違うのだっ

兼好法師は、つまり物と健康と知恵が欲しかったのだ。案外普通である。そしてこの3つが大概、七悪タイプの中に含まれているのだ。

 大島敏夫 これは小学時代の友だちなり。僕も小学時代には頭の大いなる少年なりしも、大島の頭の大いなるには一歩も二歩も遜りしを記憶す。園芸を好み、文芸をも好みしが、二十にもならざるうちに腸結核に罹りて死せり。何処か老成の風ありしも夭折する前兆なりしが如し。尤も僕は気の毒にも度たび大島を泣かせては、泣虫泣虫とからかひしものなり。

――芥川龍之介「学校友だち」


芥川龍之介はたしか小穴隆一と堀辰雄だけ友だちとしてあとは書いても書かんでも、みたいな文章を書いていたが、「学校友だち」は結構いた。そのなかにはこういう人もいたのであった。「少年」で、「お母さんて言ってやがる」みたいなせりふを吐く悪友を描いている印象から、芥川龍之介が文弱と見える人は勘違いであろう。芥川みたいなのは根本的にいじめが好きなのであった。というわけで、兼好法師の発言も全く信用できない。泣かした友もいたであろう。

オリンピック反省会

2021-07-18 23:08:46 | 文学


四十にも余りぬる人の、色めきたる方、おのづから忍びてあらんは、いかゞはせん、言に打ち出でて、男・女の事、人の上をも言ひ戯るゝこそ、にげなく、見苦しけれ。大方、聞きにくゝ、見苦しき事、老人の、若き人に交りて、興あらんと物言ひゐたる。数ならぬ身にて、世の覚えある人を隔てなきさまに言ひたる。貧しき所に、酒宴好み、客人に饗応せんときらめきたる。


兼好法師は憎さあまっていろいろなことを言ってしまうタイプで、本来、四十過ぎであろうと文化的にすぐれ認識があれば問題ないことが分かっているにも関わらず、年寄りは見苦しくないように気をつけろみたいなことを口走って了うのである。おそらく、兼好法師はあまりに「見えすぎる」ところがあるために悟れば悟るほど人間の自己欺瞞に接近してしまうのである。どちらかというと、人間的なものから離れた文化的価値というというものを信じていなかったのではなかろうか。

三島由紀夫はさすがにその文化的価値に気付いていて、そのために自分の存在を筋肉とか切腹とか非人間的なところに追い込んでいた。そのかわり作品を天皇制につなげて文化に追いやり、自分をそこから切り離そうとしたのである。彼は、人間的なものから離れるには、あまりに人間的な愚かさに同情的であったからである。

文化的な価値を目指すことが目標になっていないと、お金と人の使い方を間違えるというのは大人の常識である。オリンピックは極端な言い方すると運動会じゃなくて本質的には文化祭であるべきで、旗を振る連中は文化的にすぐれた頭脳をやる気にさせないといけなかったが、いろいろな理由でそれだけは可能性がなかった。招致の時の、オモテナシっ、――は為政者の一部が発狂していたからということで済んだが、エンブレム、ザハ案の挫折は、ほんとうに心ある文化的労働者を白けさせた。最後に音楽家のトラブルが浮上したのはなにか必然性を感じる。

わたしは喘息などの影響もあって運動音痴だとおもうけど、スポーツのよい場面は交響曲を聴いているような文化としての社会的なもの?に近づくオーラを放っているように思う。昭和的優等生みたいなこというと、オリンピックはナショナリズムを破壊せずに解毒するよい手段だったと思う。音楽やスポーツは、我々が社会を持てることを理想的に示しているのである。

しかし、戦後の日本が、戦時下で既に危険な概念になっていた文化国家みたいなものを戦争後も掲げていた意味ももう多くの人には分からなくなってしまった。1964年の東京五輪は、復興五輪ではなく、一応、――戦争に頼っていた1940年の日本の文化的自己否定の意味があったのではなかろうか。それを復興の象徴とみなした勘違いがここまで効いている。

音楽家同士の人間的関係がトラブルで満ちているように、アスリートたちも同様だ。しかし、出来上がった音楽や運動の行為は非人間的に輝いているもので、だからこそそれは文化である。だからこそ頑張っているのに、勇気やら感動やらみたいな説明を強要され、一部には本人達もそれを信じ込む。感動や勇気なんか、文化でなくとも湧いて出てくる。我々が国家ぐるみで行うべきなのは、そういうつまらない人間的心理ではなく、非人間的なものの価値の創出であり、それこそ人間が関係性を持つことの意味を示す。戦後のオリンピックが一応その機能を持っていたのは、ある意味で、本当に非人間的になってしまったナチス五輪を換骨奪胎していたからである。

これは、歴史的に非常に稀な幸運が重なっているので、いずれは今回のように、人間の生存と心理が優先される事態によって、オリンピック自体が遂行不可能なものとなるのは必然である。これは文化であったヒューマニズムが、ある種の物質的実現として突き進む現在において、我々の愚かさを越えて、必然的である。文化はその意味で、歴史的使命終えているというのが、趨勢なのである。

 舞妓の一人が、踊りませうと私に言つた。よろしい、私は即座に返事をした。私がダンスホールといふところで踊つたのは、このときたゞ一度あるのみ。ドテラの着流しで小さな舞妓と(この舞妓は特別小さかつた)踊つたことがあるだけ。
 私はこのとき、酔眼モーローたるなかで一つの美しさに呆気にとられてゐた。それは舞妓の着物、あの特別なダラリの帯、座敷の中で踊つたりぺチャクチャ喋つてゐるときは陳腐で一向に美しいとも思はなかつたのだが、ダンスホールの群集にまじると、群を圧して目立つのだ。ダンサアの夜会服などは貧弱極るものに見え、男も女もなべて他の見すぼらしさが確然と目にしみ渡るのである。伝統のもつ貫禄といふものを思ひ知らされたのであるが、それにしても伝統の衣裳をまとふ、その内容が空虚では仕方がないので、然し、小さな舞妓のキモノが群集の波を楚々とくゞりぬけて行く美しさは今でも私の目にしみてゐる。


――坂口安吾「酒のあとさき」


坂口安吾や太宰が酔いたがるのも案外、上の美しさに出会うためであったのかもしれない。しかも酒だけではなく、踊る必要があったのである。オリンピックの意味ここにあり。酒と踊りなしではいかん(違うか)