★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

火焚きの宿世

2020-06-30 22:17:52 | 文学


都の使いは三ヶ月かかって武蔵の国に行ってしまった姫君を見つけ出した。でも、姫は「ここはもう気に入ってしまいました。これが私の運命です。この男に命じたから私はここにいるのだ。もう一回言うがこれは「宿世」だ。早く帰り、そう言いなさい」と使いを追いかえした。使いの報告を聞いた帝曰く、

『いふかひなし。そのをのこを罪しても、いまはこの宮をとりかへし、都にかへし奉るべきにもあらず。竹芝のをのこに、生けらむ世のかぎり、武蔵の国を預けとらせて、おほやけごともなさせじ』、ただ宮にその国を預け奉らせ給ふよしの宣旨くだりにければ、この家を内裏のごとくつくりて住ませ奉りける家を、宮など失せ給ひにければ、寺になしたるを、竹芝寺といふなり。その宮の産み給へるこどもは、やがて武蔵といふ姓を得てなむありける。それよりのち、火焚き屋に女はゐるなり」と語る。


意外だったのは、武蔵の家を宮中のようにつくり換えたことだ。酒樽の上のひしゃくがくるくるすることが面白かったんではないのかっ、この姫は。宮中と同じくしてどうすんだ、絶対宮中から金でただろう。で、姫が死んだ後、その建物を寺にしたそうである。←あやしい……寺にする必要はあるのか……。

とにかく、よくわからん話であり、――よく知られた「伊勢物語」の、好きな女を強奪したが途中で女を鬼に食われる話の方がなんとなくリアリティがあるのは、物語ばっかりに頭を浸しているわたくしのような人間の悪い癖であろう。よくしられているように、坂口安吾は、この手の話が好きで、「文学のふるさと」があるとか言うておる。しかし、考えてみると、文学の故郷は上の「ひしゃくがくるくる」の話が生ぬるいと感じるブルジョア精神にこそあり、女を鬼に食われる話なぞ、恐怖以外のものではない。本当は、男の方も殺されたのだが、「伊勢」の業平物語の側面を捨象出来ない語り手が、男を生かしただけではなかろうか。

孝標の娘はここでも期せずして空間的な広がりを感じさせる話を紹介している。都に行きたい自分が、都から自ら望んで武蔵に行ってしまうところにロマンを感じる。この空間的に交差する感じが彼女を興奮させているに違いない。

 その中に柴の束はだんだん燃やしつくされて、すつかりおしまひになりました。炉の火が消えてしまふと一所に、男はぱつちりと目をあいて、
「御苦労々々々。もうかへつてもよろしい。」
と云ひました。お秋さんは大男を怖いと思ふ心は、全く消えてゐました。けれどこのまゝ洞の中に一しよに居やうとは思ひませんでした。
 立ちあがつて洞の外へ出て見ますと、雪のとんねるは、いつか消えてしまつて、あちこちに梅の花が咲いてゐます。うぐひすや目白の声もきこえます。
「あゝもう春だ。」
とお秋さんは、ふしぎさうに呟きました。洞の中にゐたのは一時間ばかりと思ふのに、早くも一冬を過してしまつたのです。


――土田耕平「雪に埋もれた話」


空間的にも時間的に長かった「竹芝」話に比べれば、これは洞窟で大男に命令されて火をくべていたら一冬超していたという話で、空間も時間も短い。これが庶民の世界で、時間は圧縮され続ける。

さるべきにやありけむ――「因縁力」

2020-06-28 19:47:01 | 文学


「言ひつること、いま一返りわれに言ひて聞かせよ」と仰せられければ、酒壺のことをいま一返り申しければ、「われ率て行きて見せよ。さ言ふやうあり」と仰せられければ、かしこくおそろしと思ひけれど、さるべきにやありけむ、負ひたてまつりて下るに、ろんなく人追ひて来らむと思ひて、その夜、瀬田の橋のもとに、この宮を据ゑたてまつりて、瀬田の橋を一間ばかりこほちて、それを飛び越えて、この宮をかき負ひたてまつりて、七日七夜といふに、武蔵の国に行き着きにけり

所謂竹芝伝説というお話である。孝標の娘が到着したのは、いまの三田の済海寺あたりだと思われるんだそうだが、いまはビルに囲まれて何にも見えないかんじである。当時はさぞ荒涼とした凄みのある風景が広がっていたに違いなく、なぜそういうところで生物の調査でもしないのか理解に苦しむところであるが、娘はお話が生物よりも好きなので、そういうものしか頭に残らないのである。それにしても武蔵国から篝火係で派遣された男は、何故、酒樽の上で瓢が風見鶏みたいになってるような面白い話をぶつぶつ口に出していたのであろう?たぶん、この男もどこかしらお話好きのセンスだったに違いない。即物的な男には、瓢の動きなど目に入らないからである。――おかげで、お姫様に聞かれてしまい、「連れてって」みたいなことになったのだ。「さるべきにやありけむ」とか、なんだか因縁みたいに言っているが、そんな難しいことではなく、お話好きが外界の話なら飛びつくお姫様に掴まっただけの話だ。

それにしても、お姫様を背負って七日も歩いて帰るとは因縁の力は恐ろしい。宮台真司が「法の外にでろ」と言っても一向に出ない日本国民であるが、「因縁力」はたやすく脱法を試みる。だからわたくしは、仏教によって個人が生じていると申し上げているのである。こういう行為がなければ、我々は物語(実は「社会」のことなのだ)を知ることはできない。

 雨はさっきから降っている。路はだんだん暗くなる。ほとんど夢中である。ただ背中に小さい小僧がくっついていて、その小僧が自分の過去、現在、未来をことごとく照して、寸分の事実も洩らさない鏡のように光っている。しかもそれが自分の子である。そうして盲目である。自分はたまらなくなった。
「ここだ、ここだ。ちょうどその杉の根の処だ」
 雨の中で小僧の声は判然聞えた。自分は覚えず留った。いつしか森の中へ這入っていた。一間ばかり先にある黒いものはたしかに小僧の云う通り杉の木と見えた。
「御父さん、その杉の根の処だったね」
「うん、そうだ」と思わず答えてしまった。
「文化五年辰年だろう」
 なるほど文化五年辰年らしく思われた。
「御前がおれを殺したのは今からちょうど百年前だね」
 自分はこの言葉を聞くや否や、今から百年前文化五年の辰年のこんな闇の晩に、この杉の根で、一人の盲目を殺したと云う自覚が、忽然として頭の中に起った。おれは人殺であったんだなと始めて気がついた途端に、背中の子が急に石地蔵のように重くなった。


――「第三夜」


我々は物語を通じてしか、殺人や罪を自覚することもありえない、という――漱石の時代は、まだこれが道徳的に機能した可能性があるが、いまは「本当はやってた話」みたいな風になってしまうかもしれない。我々は、意識をオン/オフみたいに考える癖がある。物語はそれを不可能にする機能である。

月残りなくさし入りたるに

2020-06-27 23:03:51 | 文学


苫といふものを一重うちふきたれば、月残りなくさし入りたるに、紅の衣上に着て、うちなやみて臥したる月かげ、さようの人にはこよなくすぎて、いと白く清げにて、めづらしと思ひてかき撫でつつ、うち泣くを、いとあはれに見捨てがたく思へど、いそぎ率て行かるる心地、いとあかずわりなし。おもかげにおぼえて悲しければ、月の興もおぼえず、くんじ臥しぬ。

乳母は出産のために一緒に旅立てなかった。で乳母を見舞ったのである。屋根を苫で覆ってるだけの宿で彼女は寝ていた。月の光が残らず家の中に差し込んでいるなかに、紅の着物を着て、辛そうに横になっている、その月に照らされた姿は乳母にしては不釣り合いな程白く美しく、わたし(孝標女)が来てくれたのを珍しいと思い、彼女の髪を掻き撫でながら泣いているので、大変悲しくてほっておけないと思うけれども、急ぎ兄に連れて行かれるのはやりきれない。帰ってからも彼女の面影がちらついて悲しくなり、月の面白さなんかも感じられず、ふさぎ込み寝てしまった。

ここでは寝てしまった……。我々は確かに、辛いことがあると、寝てしまうことがあるのだが、それだけではない。

 あなたを忘れる手だてといえば
 あなたに逢っている時ばかり。
 逢えばなんでもない日のように。
 静かな気持でいられるものを。

――竹久夢二「古風な恋」


孝標女も乳母のところにいれば問題なかったが、そうはいかない。彼女は乳母を突然恋した娘のように輝かしく描いている。乳母を照らす月は見えるのに、彼女がいないと月はみえない。孝標女の見る世界は、コントラストがはっきりした――竹久夢二の描く恋のように法則的である。

まどろまじ

2020-06-26 22:13:25 | 文学


その夜は、くろとの浜といふ所に泊まる。片つかたはひろ山なる所の、すなごはるばると白きに、松原茂りて、月いみじうあかきに、風のおともいみじう心細し。人々をかしがりて歌よみなどするに、
  まどろまじ こよひならでは いつか見む くろとの浜の 秋の夜の月


総天然色みたいな浜辺で歌を詠む孝標女であった。「まどろまじ」と始めるところがかわいいし若々しい。

今の学生も「レポート締め切り日だ、まどろまじ」と思っているであろう。追い詰められると、風景も変容して美しくなったりもするものだと思う。

 私はまたその妹とすごした海岸の夏をわすれたことはない。あの松原のなかで潮風の香をかぎ松をこえてくる海の音をききながら二人して折物をして遊んだとき、円窓のそとにはなぎの若木がならんで砂地のうえに涼しい紺色の影を落した。妹はふっくらと実のいった長い指に折紙をあちらこちらに畳みながらふくふくした顔をかしげて独り言をいったり、たわいもないことをいいかけたりする。つややかな丸髷に結ってうす色の珊瑚の玉をさしていた。桃色の鶴や、浅葱のふくら雀や、出来たのをひとつひとつ見せてはつづけてゆく。私は妹と向きあってなんのかのとかまいながらやっとのことで蓮花とだまし舟を折った。ここにあるひとたばの折紙はなつかしいそのおりの残りである。藍や鶸や朽葉など重りあって縞になった縁をみれば女の子のしめる博多の帯を思いだす。そのめざましい鬱金はあの待宵の花の色、いつぞや妹と植えたらば夜昼の境にまどろむ黄昏の女神の夢のようにほのぼのと咲いた。

――中勘助「折紙」


わたくしは、中勘助の世界というのは、彼の若い頃勃興してきた童心主義とは違っていると思う。「まどろ」んでいるのは全然違うものである。まどろむことが完全な覚醒となるような美なのである。子どもはすやすや寝てしまうから、風景とは交わらない。

庵なども、浮きぬばかりに雨降りなどすれば

2020-06-25 23:44:11 | 文学


門出したる所は、めぐりなどもなくて、かりそめの茅屋の蔀などもなし。簾かけ、幕など引きたり。南ははるかに野の方見やらる。東、西は海近くていとおもしろし。夕霧たちわたりて、いみじうをかしければ、朝寝などもせず、方々見つつ、ここを立ちなむことも、あはれに悲しきに、同じ月の十五日、雨かきくらし降るに、境を出でて、下総の国のいかたといふ所に泊まりぬ。庵なども、浮きぬばかりに雨降りなどすれば、恐しくて寝も寝られず。野中に岡だちたる所に、ただ木ぞ三つ立てる。その日は、雨にぬれたる物ども干し、国に立ち遅れたる人々待つとて、そこに日を暮らしつ。

こういう素朴な場面が好きである。孝標女は、薬師仏の描写でもそうだが、モノの空間の位置に対する感覚が鋭いと思うのであった。でも、これは田舎もんの特徴かもしれない。わたくしも、家や橋がどこら辺にあるかを、自分の自我みたいに把握している気がする。予備校で名古屋に行ったときに戸惑ったのはそれで、モノの数がこちらの把握能力を超えている割には、モノの並び方は整然としてるのだ。これは外界と自我を分ける気がする。宮谷一彦などの劇画が、田舎の風景を、都会のビル群を描くように平面的に緻密に描写するけど、田舎の風景はああいう風に田舎者には見えないものだ。

年来愛読の上田秋成全集を取出して、『春雨物語』を久しぶりで読み始めた。その序に曰く。
  春雨今日幾日、静かにしておもしろ、れいの筆硯とう出たれど、思ひめぐらすに、いふべきこともなし、物語りざまのまねびは初事なり、されど己が 世の山賤めきたるには、何とか語りいでん、昔このごろの事ども、人に欺かれしを我また偽と知らで人を欺く、よしやよし、寓言語り続けて、書とおし 戴かする人もあればとて、物言ひ続くれば、猶春雨は降る降る。
雨。雨。雨。春雨から五月雨。五月雨から夕立、秋雨、時雨、冬の雨。仮令、晴天はなくとも、風静かにして雨滋き国は何処かにないであろうか。若しあれば、その国に移り住んで、僕は再び前世の蛙か田螺に還元る憧憬と勇気とを持ち合せている。


――辰野隆「雨の日」


本を読みすぎた人にもいろいろいて、私は、孝標女のものの見え方の方が好きだ。

薬師仏はさびしく立つ

2020-06-23 22:23:08 | 文学


いみじく心もとなきままに、等身に薬師仏を造りて、手洗ひなどして、ひとまにみそかに入りつつ、「京にとく上げたまひて、物語の多く候ふなる、ある限り見せたまへ。」と、身を捨てて額をつき、祈りまうすほどに、十三になる年、上らむとて、九月三日門出して、いまたちといふ所に移る。
年ごろ遊び慣れつる所を、あらはにこほち散らして、立ち騒ぎて、日の入り際の、いとすごく霧り渡りたるに、車に乗るとてうち見やりたれば、ひとまには参りつつ額をつきし薬師仏の立ちたまへるを、見捨てたてまつる悲しくて、人知れずうち泣かれぬ。


女は、以前浮舟や古今和歌六帖にシンクロしていたように、薬師仏を「等身大」につくる。自分の願いを叶えてくれる仏に平を床にこすりつけお祈り申し上げる、その対象は、ほぼ自分なのだ。だから、願いがかなって家から離れるときに、振り返ると薬師仏が霧の中で立っているのをみて、仏を見捨たてまつるのが悲しくて泣くというのは、それが過去の自分と離れるみたいだからである。霧の中でぽつんと立っていたような一三年間だったのだ。

「ものくさたろう」というのも、田舎にいるときには働かず寝っ転がっているわけであるが、とにかく彼と同じようなレベルの人間がいないのだからしょうがない。都に行くとがんばれる。嫁までもらって田舎に帰ってくる。百二十才まで生きたそうであるが、彼の嫁が彼の和歌を解するレベルの人間だったからよかったようなものの、そうでなかったら、また道ばたにひっくりかえったのではないかと疑われる。

問題は、田舎に帰ったときにレベルを保てるかどうかだ。ほとんどの知識人がそれに失敗する。

わたくしは、しかし、この場面はとてもよい場面だと思う。仏が人の形をしているのは、上のような願いの自問みたいなものの媒体だからである。これに対して、神社は集団で祈らないと間が持たない対象である。わたくしが勝手に推測しているのは、仏教こそが日本に個人主義を持ち込んだのではないかということだ。明治政府は、それを嫌って空虚な集団的主体を国民に強要した。

その芸術家が何人であったかは知る由がない。日本人であったか唐人であったかさえもわからない。が、とにかくわれわれの祖先であった。そうして稀に見る天才であった。もし天才が一つの民族の代表者であるならば、千二百年前の我々の祖先はこの天才によって代表せられるのである。

――和辻哲郎「古寺巡礼」


つまり、和辻は薬師如来をみて、自分に天才をみているのである。

わたくしは、田舎にうち捨てられている地蔵のなんということもない顔の方がいいと思う。そこには、つかれきった人間の願望が祈る人間より前にすでに顔にでているような気がするからだ。「第三夜」を書いていた漱石は、まだ地蔵に対して人間をみているとはかぎらない。まだ自分自身に希望を持ちすぎているような気がするのである。