★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

高松駅がさぬきうどん駅に、とおもったら、さぬき高松うどん駅に再変更w

2012-03-29 22:32:26 | 食べ物
どこか分からないと苦情 さぬきうどん駅→さぬき高松うどん駅
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2012/03/29/kiji/K20120329002932930.html

 香川県とJR四国は29日、高松駅の愛称名を当初発表していた「さぬきうどん駅」から「さぬき高松うどん駅」に変更したことを明らかにした。26日の発表後、香川県のどこの駅なのか分かりにくいとの声が寄せられたことが理由という。

 県とJR四国は、28日に愛称変更を決定。高松駅で29日に披露した記念撮影用看板や駅名標には、「さぬき」と「うどん」の間に、はんこで押したようなデザインで小さく「高松」が加えられていた。

 浜田恵造知事は「どこの駅か分からないなど、いろいろな意見をいただいた。分かりやすさのため高松を入れたほうがいいのではと思った」と話した。

 一方、当初の愛称について、高松市の大西秀人市長が28日の記者会見で「ちょっと違和感を覚えた。高松にはうどん以外にもさまざまな特色があるので、さぬきうどん駅が愛称としてふさわしいか疑問」と述べ、別の観点から批判的な考えを示していた。

高松駅が「うどん県」に便乗 「さぬき高松うどん駅」に
http://www.asahi.com/national/update/0329/OSK201203290149.html

 高松市のJR高松駅の愛称が29日、「さぬき高松うどん駅」になった。香川県が売り出し中の「うどん県」に便乗した形。駅名の看板も書き加えられた。

 駅員はうどん柄のネクタイや、うどんをデザインしたバッジを着用。「うどん県」副知事の俳優・要潤さんを描いた快速列車の運行も始まった。

 最初は「さぬきうどん駅」の予定だったが「香川はうどんだけじゃない」との声を受け変更。「確かにうどんだけじゃすぐ冷めますからね」とJR職員。

→どこぞの声も市長も知事も、つっこむところはそこじゃないだろう……上の場合、ものが分かってそうなのは、JR職員だけだな……

素ぽこん二作

2012-03-28 05:11:17 | 漫画など


「六三四の剣」は妹2が勧めてくれたのでちょっと読んだ。一部では、剣道漫画の最高傑作とも呼ばれている。「3月のライオン」は、まだ終わってないが、いま一部で将棋漫画の最高傑作と呼ばれている。(あんまり対局の場面は詳しくないから、将棋好きには物足りないところもあろう、だから盛り上がってるのは将棋好きじゃないと思うが)

わたくしにいわせりゃどちらもある種の「素ぽこん」である。(「スポコン」の字面がなんとなくいやなので「素ぽこん」の方がいいと思う。)だってどちらも努力友情勝利の話だし……。題名の構造も似ている(笑)。昭和の「素ぽこん」には、みなしご的な不幸な境遇から這い出そうと一生懸命努力していたら、いつの間にか家族の誰かとか腕が死んだりして、勝利の代償が巨大化してゆく話も多い訳だ。「六三四の剣」もそうであろう。まだ一巻では誰も死んでないが、これからどれだけ死人が出ることか。幼少期の六三四はなぜ剣道一生懸命なのか分からない。両親もいるし。これじゃ剣道の天才の親の遺伝で六三四も……、というエリートの話になってしまう。というわけで、誰かがいずれ死ぬ。「3月のライオン」は、またみなしごたちの心の補完の話で、勝利よりも友情とか家族の問題が中心であるように見える。ただ、いじめの話題でも結局は勝利に近づいていくので「素ぽこん」かなあ……。この漫画は登場人物全員に読者が感情移入出来るようになっていると思う。だから頁を捲るたびにこちらの心が動く、素晴らしいです。対して「六三四の剣」の全人物に対して私は感情移入できなかった。竹刀がかわいそうと思ったくらいである。

ただ、やはり教育的にいえば、「六三四の剣」の方がよいかなあ。六三四ほどの天才でも他のことはまったく目に入らないほど猛練習できる才能がなれば、人間何かものにはならないからなあ。「3月のライオン」でもそういうことは言ってるが、どうも何かをがんばる気にはなれないのである。「六三四の剣」の読後感が「よしわたくしもがんばろう」なのに対して、「3月のライオン」の読後感は、「高城(←いじめっ子)さっさと×ね」といったような抑鬱感である。「いじめっ子にも内面はあるよね。でもだから何?さっさと高城(←いじめっ子)×ね」とかね……。フィクションですら、いじめっ子を単にぶっ飛ばすやつはいなくなった。いじめを復讐ではなくケアやなにやらで乗り越える話を描けば描くほど、この世の暗黒は増すばかりだ。いじめられっ子のいくらかが大人になってたちの悪いいじめをするようになるのもそのせいであろうか。確かにそれはそれで「がんばっている」のかもしれないが。

(娘)・妻・(母)

2012-03-26 06:35:05 | 映画


原節子、高峰秀子、宝田明、小泉博、仲代達矢、団令子、草笛光子、淡路恵子、加東大介、上原謙、杉村春子、太刀川寛、中北千枝子、笠智衆、塩沢とき、笹森礼子、三益愛子、森雅之、成瀬巳喜男、広沢栄、井手俊郎、松山善三、斉藤一郎、安本淳、中古智、大井英史、藤好昌生、下永尚、石井長四郎

すごいメンバーだ……スター出し過ぎ……(あ、監督とか撮影の人も一緒にしてしまいました。申し訳ありませんー。)

私の見たところ、原節子様のベストショットは、黒澤映画「我が青春に悔いなし」で慣れない田んぼでの労働で泥だらけになっているところと、小津映画「晩春」で「このままお父さんと一緒にいたいの・・・」と言うところ。だと思うが、あんまり美人に撮れてない感じがした。無論それが画面での意味であり狙いなわけだろうけれども。しかし、この「娘・妻・母」では最後の最後まで美しく描かれる。しかしこれは、なにか陰謀めいている、というのは、原節子演じる長女の純粋さ──再婚して母親と一緒に暮らそうと思っている──が、嫁の高峰秀子の思惑と、母親の三益愛子の再出発への思いで、覆りそうになっているところで映画が終わるからである。脚本が松山善三だからかもしれないが……、じつに意地悪というか、最後に妻の高峰秀子の存在が実は虚の中心であったと思わせてしまうところ、公私混同も甚だしい(笑)実際、「家族」の存在がそもそも前提であってそこに金銭的にも観念的に甘えることが出来る母親や兄妹達と違って、この「家」から離れたら行く場所がない高峰秀子の執念は重要であって、どうも兄妹達はその重さをなめている訳である。だいたい高峰秀子のおじさんのトラブルがなければ、家を売らなければならなくなり母親の面倒を誰がみるかをめぐって遺産相続が何たらかんたら……といったゴタゴタは存在していないわけであって……。

DVDの箱も表がなぜか高峰秀子の映画みたいになってるし。(裏に原節子が映っている)

結論:秀子様がやっぱり最高

トロン

2012-03-24 07:07:37 | 映画


最近は宮沢賢治の動物について勉強してて、頭が「気のいい火山弾」みたいになってきたので、デジタル世界が懐かしく「トロンレガシー」を観た。わたくしは、インベーダーゲームすらやったことがない、絶滅危惧種「非ゲーム脳装備型人間」なのでよくわからんが、旧「トロン」が作られた80年代は、まだコンピューターが別世界を形成するとかいう発想が面白いと考えられていたのであろう。この新「トロン」もその延長である。だからというわけでもないが、デジタル世界で生まれた女性が現実世界にもきて「朝日が綺麗だわ~」とかいう結末は、チェスタトンもびっくりのアナクロニズムであった。コンピュータが発達するにつれて、やっぱりこれはそれがそろばん、紙芝居、糸電話、図書館を発達させるものではあっても、別に人間の能力自体を高めるものではなかったので、われわれはやや焦っているのではなかろうか。

結論:このトロンの世界に行ってみたい