いま大学の附属図書館で重複図書を売りに出していて、つい二日間で30冊以上も買い込んでしまったが、その中に『戦後の大学論』(評論社、1970年)があった。昔よんだ気もするのであるが、あらためてめくってみると、結構面白かった。月報の「ぱれるが」に載っている瓜生忠夫の文章も案外啓発的である。最近は、本当の言論抑圧は終戦の前の数年だったとか、案外共産党関係以外は抑圧されてなかっただとか、左翼も案外雑誌に文章を書けただとか、「案外」の部分がクローズアップされ、現実の同調圧力の存在を過小評価することによって自らの処世術の言い訳をする輩が多くなっているのであるが、瓜生の言うように、昭和12年あたりでほぼ大学での学の自由など消滅していたのかもしれないのだ。(現在の大学で学問の自由が制限されているように。)しかしその状況下で自由を感じていた連中の名前が、この本にはちらちらと実名で登場する。心配なのは、現在ではこういう実名公表は近い将来も難しいだろうということである。
しかしまあ、昔の座談会とかの記録はある意味怖ろしい。昭和21年の学生同士の座談会では、男女共学には賛成だが女は男ほど大学の勉強には能力的についてこれないだろうとか言っている(これには参加してた女子も賛同している)。69年の大学教授連中の座談会では、例えば神島二郎が、大学に「学生大衆」が多く入って来ている結果「十人に一人は気狂いだという状態に今日なっている」、と言い放っている。稲垣忠彦も、今の学生は教員の勤評が厳しくなってからの学生で受験勉強だけしかしてないとか、言いたい放題である。
これらがよいとは思わないが、現在、名だたる大学教授に座談会をやらせたら、もっと酷いことになるのではないか。チワワみたい顔つきをして何もしゃべれないか、空語を弄び続けるか……。馬鹿にしているのでない。啄木が魚住折蘆を批判していうように、敵に対立していると思っている勘違いが、かかる動物的朗らかさを持ってしまうのである。たぶん、啄木がイライラしたのは、折蘆の妙に明快で快活な文章ではなかろうか。この文章には我々は妙に見覚えがあるはずである。無論それは自分の文章である。