★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

中日ドベゴンズひっそりとドベ

2015-06-27 18:48:09 | ニュース


落合監督が去ってから、勝てる感じが徐々になくなっていたドラゴンズ(中日新聞社)ですが、知らないうちに最下位になってました。

これもひとえに自民党のある種の若手などが、「マスコミをこらしめる」だの「その新聞のスポンサーを引き上げさせろ」など、内輪の会で盛り上がっているからであろう。こんな発言は、負け犬の遠吠えみたいなものであり、問題は、すでにかなり前からずっと「金を引き上げるぞ」的な脅迫があらゆる分野で常態化していることの方である。負け犬は、たぶん浮かばれないかわいそうな境遇にある人たちだ。教師なら、しゃべりながらいじめをやる奴が主犯だとは思わない。そういうタイプはかつて痛い目に遭ったような弱い人物であり、もっとひどい奴は他にいる。

それにしてもまだ「政治的に中立」などという偏向したイデオロギーを振り回しているやつが、中立面しているのが信じられない。イデオロギーを帯びていない言説など、原理的にあり得ないではないか。たとえば「僕はうさちゃんが好きです」にすらイデオロギーは存在する。そういや、18歳選挙権も、どうせさしあたり高校の教員の政治的発言を抑圧する為の手段――いや、反発して政治的発言をしてしまう教員をあぶり出す為の手段になってしまうであろう。言説を組織するものにとって中立というのは「何も言うな」ということを意味している。むろん、かなり前から、学校現場では「政治的話題はタブー」ということになっており(当然、メディアリテラシー教育も、しょうもないレベルに堕落している)、若者が選挙に行かんのは、そもそも政治に関して意図的に何も教えられていないからである。子どもたちを舐めてはいけない。安倍首相が自説を教室で語ったところで、全員自民党支持になるわけではないし、それが志位委員長でも同じようなことが言える。(そうでもないか……)そこまで子どもは馬鹿ばかりではない。もし、そんなことで極端な洗脳が行われてしまうとしたら、我々の社会がすでに全体主義になっているからである。そうならないために必要なのは、政治的イデオロギーの葛藤をはやくから子どもに体験させて、個人の自由と幸福の弁証法的獲得を信じる人間を増やすしかない。ただし、いまのように教員のなかに全体主義者が多い状態では、洗脳といじめしかできまい。全体主義者が子どもの自主性を高唱するとか、もはや笑劇である。実際にやっていることは、チームやグループをつくって個人を話し合いにかり出し、ものを考える異分子をいじめることである。自由人にとって、まさに収容所に掲げられた Arbeit macht frei のような状況だ。

……ということで、わたくしは、いつも授業中、自民党と公明党と民主党と共産党と文科省と総務省とジャイアンツと手抜きレポートとまずいレトルトカレーとわたくしを捨てた女などなどを、それぞれ気の向いた時に激しくこき下ろしている。バランスをとるとか、中立とか、グローバリズムとかナショナリズムとか、地域とか、首相の思いとか、そんなもん、完全にどうでもいいのだ。……と思うとともに、我々はそれらにとらわれ続ける。それでよいのである。

結論:ドラゴンズに優勝のチャンスあり。あるいは、最近の自民党は完全にイカレてる。

Abe heckled at ceremony in Okinawa on 70th anniversary of battle

2015-06-24 08:39:33 | ニュース
http://www.japantoday.com/category/politics/view/abe-heckled-at-ceremony-in-okinawa-on-70th-anniversary-of-battle


そこで得意の「大げさなんだよ」とか「はやく質問しろよ」とか「サンキューソ~マッチ」とかやって欲しかった。問題は安倍氏にあるのではない。彼がしばしば読み上げるセンスも内容も何もかも狂った作文を許すところの、ある方面の文化的土壌にある。

ぺてれんこ指揮ベルリンフィルハーモニーの演奏で……

2015-06-23 01:27:23 | 音楽
http://www.berliner-philharmoniker.de/en/titelgeschichten/2014-2015/kirill-petrenko-2015/


ベルリンフィルの後任指揮者が、ペテレンコに決まったらしい。つい、これでベルリンフィルでショスタコーヴィチ三昧じゃと思ったわたくしは、ヴァシリー・ペテレンコと間違えていた。キリルさんの方だった……

人払いは続かず

2015-06-23 00:59:54 | 思想


人のご機嫌取りばかりしていると、いざ自分が機嫌取りされる身分になった時にどうしたらいいのか分からなくなってしまうものである。されてみると案外された感じがしないのが世の常であり、不満のあまり、一番当たり障りのないマッサージみたいなやつを取り立てていると、今度はなんだか自分の仕事が回らなくなる。当然である。ご機嫌とりは何か(仕事)の代償行為なのであって、仕事を回している人間は自分にはいい顔をしない奴であったからである。

……といった回りくどい説明をしなくても、議会や×授会から権利を奪ってしまえば、困るのはどちらかというと、権利だけが集中したお上であるのは、大人の常識である。険悪な議論のなかであっても曲がりなりにでてきた知恵を、換骨奪胎できなくなるばかりではない。実際のところ、裁量権がないところでは普通人間は、まじめに働いたりしないものである。(多くの場合は、それが反抗ではなく、無能というかたちで現れるから、もうどうしようもない。脅しつけても改心できるわけではないからである。)われわれは、現在あちこちに、そうやって孤立していくリーダーたちを見る。ここ十年ぐらいの経緯の関係上、もう彼等に同情する者がそれほどいるとは思えない。